優しいフィル
目指す秘宝は第五階層にあるらしい、と分かったのは、キバガミのおかげだった。
彼は第五階層に降りると、この階層に秘宝があると宣言した。
「この階層からはなにか特殊な匂いがする」
と言う。
彼の鼻を信頼しているセリカは問う。
「ここに他の参加者はいますか?」
「今のところいない。しかし、シュリンという娘がそのうちやってくるだろう。第四階層であの娘の脂肪の匂いがぷんぷんした」
「脂肪ですか?」
「ああ、あの娘は痩身だったが、不思議なことに脂肪の匂いがする」
「特殊な香水でも付けているのでしょうか……」
セリカは考察するが、神ではないのでシュリンが『暴食』のグラトニーに憑かれているとは知らない。
そんなやりとりをしていると、 フィルも真似をしてくんくんと嗅ぐが、さすがにキバガミにはかなわないようだ。他の参加者の匂いも、脂肪の匂いも感じ取れないと嘆く。
「山では狼にも負けなかったのに。都会で軟弱になったかも」
「人間らしくなっている証拠です。それに餅は餅屋、嗅覚でキバガミに勝ってしまったら、無双が過ぎます」
「そうだね」
とフィルは自分を納得させるが、表情を変える。
「どうされましたか? フィル様」
「うんとね、変な匂いがする」
「変な匂い」
「多分だけど、附子硫黄」
「ぶすいおう?」
「うん、爺ちゃんから聞いた。毒のある硫黄。基本毒だけど、使い方によっては薬になるらしい」
「そういえば教科書で見たことあるような。稀少品でしたね。この際採取しておきましょうか」
とセリカは小瓶を取り出すと、附子硫黄を削り、リュックの中に入れる。その際、肌に多少付着してしまう。肌に触れても毒の効果はないようだ。むしろ、美肌にいいと説明してくれる。
「胃酸と結合すると猛毒になるの」
フィルは説明すると、前方になにかを見つける。
「この先になにかありそう。大神殿への道だって」
フィルは古代魔法文明の石碑を見つけたのだ。残念な子に見えるフィルであったが、大賢者の孫娘として育てられた彼女は古代魔法言語がぺらぺらだった。
「ならばそこに秘宝がありそうですね。シュリンよりも先に向かって手に入れましょう」
セリカがそう結ぶと、フィルは、
「うん」
と駆け出した。あまりにもな速度だったので、一気に離されるが、セリカはキバガミの好意で彼の背中に乗ると、フィルの横を併走した。
「しかし、妙ですね」
セリカはつぶやく。
「妙?」
フィルは短く返答する。
「はい。第四階層まではモンスターをたくさん見ました。多くの戦闘をこなしましたが、この階では一匹も見ていない」
「たしかにそうかも」
「もしかしたら、この階にいる守護者はとても強力なのかもしれません。野生のモンスターが恐れて近づかないくらい……」
セリカが胸中に抱いた不安を口にすると、それと同時に後方の大廊下の一部が崩れる。大きな音を立てて崩れたその箇所から、大きな塊がにょきっと現れる。
人の姿をしているが人ならざるもの。
魔法によって作られた物言わぬ機械。
ゴーレムと呼ばれる魔法生物が現れた。
「ゴーレム!」
セリカが叫ぶ。
「本当だ、しかも普通のゴーレムじゃない」
とは賢者であるフィルの見立てだった。
「と申しますと?」
「ゴーレムの基本形は泥。爺ちゃんもよく裏庭から泥を採取して作っていた。あと、木とかもよく材料にされるの」
「魔法科でもよく作っていました。トリネコの木やユグドラシルの木から良質なゴーレムが作れます」
「うん、でも、この迷宮のゴーレムは泥でも木でもないみたい。あれはどう見ても鉄で出来ている」
「たしかにガシャン、ガシャン、音がします」
「鉄? それともミスリル? 分からないけど、ともかく、厄介。金属系のゴーレムは作るのが難しいけど、その分、強い」
と言うといきなりゴーレムの腕が伸びてくる。
セリカのすぐ横に鉄の塊が伸びる。
そこにはとてつもない大穴が空く。
「……もしもあれをまともに食らったらミンチですね」
「だね」
「それにしてもこれは危険すぎませんか、実行委員会はなにを考えているのかしら」
と近くに飛んでいるスズメバチの使い魔を見る。
使い魔越しに抗議する。
「実行委員の皆さん、ひっかきモグラ程度ならば笑えますが、たかがミスコンで金属製のゴレームはないのではないですか。名誉はいくらでも懸けられますが、命までは懸けられません」
セリカがそう言った瞬間、ゴーレムの第二撃がスズメバチを襲う。
ぐしゃり、と潰れるオオスズメバチ。その攻撃は明らかに使い魔を狙ったものだった。
このゴーレムには意思がある。そう思った瞬間、ゴーレムの肩に人影が見える。
そこにいたのはシュリンだった。
彼女はツインテイルをなびかせながら言う。
「ふふふ、無駄よ。実行委員会にはもうなにもできない。このダンジョンの使い魔は皆、わたしが殺した」
「シュリンさん!」
セリカは叫ぶ。
「あなたはいったい、なにを考えているのです。この審査は私闘厳禁です。仮にそのゴーレムをあなたが操っているというのならば、あなたは失格です」
「それがなんだというの? わたしの目的はこんなくだらない催しなど関係ない」
「つまりあなたは最初からこの機会を狙っていたと?」
「その通りよ。わたしはくだらないコンテストなどどうでもいい。それよりもフィルという少女の生き血がほしいの」
「ボクの生き血?」
「そうよ。フィルローゼ・フォン・セレスティア」
「ふぃるろーぜ?」
フィルはきょとんとする。
セリカはフィルに向かって説明をする。
「フィルローゼとはフィル様の真名。国王陛下が付けたあなたの真の御名です」
「え? ボクってそんな名前だったの。知らなかった」
「はい、身の安全のため、今まで黙っていました。フィル様の真名は関係者以外知らないはずですが……、つまり、シュリンはフィル様の正体を知りつつフィル様の命を狙っているのでしょう」
セリカはきっとシュリンを睨むと、
「あなたはロッテンマイヤー伯爵家の手のものか」
指を差す。
シュリンは鷹揚に答える。
「わたしに希望を与えてくれたのはロッテンマイヤー家の一派だけど、直接は関係ない。恩義も感じていない」
「ならばどうしてフィル様を狙う」
その簡潔な問いに簡潔に答えるシュリン。
「それはその娘が羨ましいからだ」
シュリンはそう断言すると、ゴーレムに攻撃させる。ゴーレムの足がセリカたちに迫る。
セリカたちはそれを颯爽と避ける。
「ボクが羨ましいの?」
「その通りよ、あなたは誰からも愛される。誰をも愛せる。それが妬ましい。わたしは常に日陰に生きた。あなたは常に太陽の下を生きている。わたしの心はとても醜い。まるでこの容姿のように」
シュリンはそう言うと己の頬をかきむしる。
「なにを言っているの。シュリンはとても綺麗だよ」
その言葉を聞いたシュリンは顔を歪め、攻撃を加える。
「そんなことは分かっている! でも、お前に言われたくない!」
シュリンは矛盾するような発言をしながら、ゴーレムにフィルを殺せと命じる。どうやら、心になにか劣等感を抱えているようだ。今は誰の言葉も届かないだろう。
セリカはフィルを守るため、風の刃をゴーレムに放つが、鉄の巨人を切り裂くことは出来ない。
「フィル様、説得は無理のようです。もはやコンテストは無意味。放棄して逃げましょう」
「分かった。でも、ここで決着を付けないと」
「なにを言うのです。地上に行って援軍を呼びましょう」
「それは駄目」
「どうしてですか」
「それをやったら、シュリンは退学になっちゃうでしょう。可哀想」
「この期に及んでなにを言うのですか。あの娘はフィル様を憎んでいるのですよ」
「でも、ボクはシュリンを憎んでいない。それにあの子は同じ感じがするの」
「同じ感じ?」
「そう。シュリンはボクの友達、テレジアに似ているの」
「テレジアとは『嫉妬』の悪魔を使ってフィル様を襲ったあのテレジアですか」
「うん。でも、テレジアは悪い子じゃないの。ちょっと他人が羨ましくなっただけ。でも、そんなの誰にでもあるでしょう? ボクだって街に行って、お爺ちゃんと歩いている女の子を見れば羨ましいと思う。同じクラスの子が休みで実家に帰ったとき、お爺ちゃんに服を買ってもらったと聞けば、ずるいと思ってしまう。きっと、人間には誰にでもある感情なんだよ」
「……たしかにそうですが。フィル様は優しすぎます。そのような甘い考えではこの先、いくら命があっても足りないでしょう」
「大丈夫、ボクは古竜の一撃も耐えられるから」
フィルがけなげにもそう言うと、キバガミが一歩前に出て牙を見せる。
「ならばその限りある命を守る。それが家臣の務め!」
キバガミは勇壮に叫ぶ。その声は少女たちの魂に響き渡る。
キバガミは勇敢にもゴーレムに突進をした。無論、鉄の巨人ゆえ、爪も牙も効かないので突進だけをする。しかし、その勇気ある一撃は巨人を揺らめかせる。
その姿を見ていたセリカにも勇気が湧く。フィルの言葉が改めてセリカの心を奮起させる。
「……そうでした。フィル様はそのようなお方でした。常に敵に胸を晒し、味方を守る。その敵にさえ慈悲を与える。だからこそ、多くの人間はあなたに魅了される」
セリカはそうつぶやくと、こう締めくくる。
「フィル様こそ、まさしくミス王立学院です。身体の内から輝く魂は、この学院で一番美しい」
セリカはそう言うとシュリンを救う決意を固めた。