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たまねぎ頭の少女

 フィルが向かった先は、礼節科の学科長室だった。


 そこにはフィルの宿敵ともいえるカミラ夫人がいた。彼女はフィルがノックもせずに飛び込んできたことをとがめる。


「ミス・フィル、学院を走ってきただけでは飽き足らず、ノックもしないとは。淑女にあるまじき行為ですよ」


 減点です、と厳しい表情をする。


「減点でも留年でもいいの。カミラ夫人、ボクに付いてきて」


 手をぐいっと引っ張るフィル。


「な、なにをするのですか。私は書類の整理が」


「そんなのはいつでもできるの。でも、世の中には一生に一度しか、決まったタイミングでしかできないこともあるの」


 血相を変えてそんな台詞を言われてはカミラ夫人も黙するしかなかった。だまってフィルのあとに付いていく。


 フィルはカミラを湖畔までいざなう。ふたりで走ってきたので息が上がってしまう。


 カミラは肩で息をしながら問うた。


「……ミス・フィル、私をこんなところに連れてきてどうするのです。なにが目的なのですか」


 その言葉にフィルは即答する。

「笑って!」

 と。


「笑う? どうして私が笑わなければならないのです」


「それはカミラ夫人の笑顔を見たい人がいるから。最後にその姿を目に焼き付けたい人がいるから」


 フィルの決死の形相と懇願に真剣味を察したカミラ。彼女は叱りつけるようなこともせず、かといって馬鹿にするようなこともなかった。


「……いいでしょう、今はあなたを信じましょう。しかし、私はこの数年、笑ったことがありません。笑い方を忘れてしまいました」


 その言葉を聞いて困った顔をするフィル。この期に及んでそのような回答をもらうとは思っていなかったのだ。


 フィルはカミラ夫人を笑わせるために、あらゆる手を尽くす。


「カミラ夫人、隣の家に囲いができたんだねって、って言って」


「隣の家に囲いができたんだね」


「『へえ』格好いいの!!」


 フィルの渾身のギャグにカミラ夫人はぴくりともしない。一ミリも眉を動かさない。


(そんな、セリカがお腹を抱えて笑ったギャグも通用しない……)


 困ったフィルはギャグを連投する。



「布団が吹っ飛んだ!!」

「アールグレイの紅茶があーるぐれい!!」

「オットセイを水の中におっとせい!! 」



 フィルの渾身の三連撃、山の仲間ならお腹がよじれる三連撃。これならば笑うだろうと思ったフィルのギャグを受けるカミラ夫人。しかし、彼女はわずかばかりも口元を緩ませなかった。


 どこが面白いのだろう、そんな顔をしている。


(そんな、カミラ夫人は人間じゃないの? このギャグで笑わないなんて……)


 両手両座をつき落胆するフィル。カミラ夫人もなんだか申し訳なく思っているようだ。しかし、ここで諦めないのがフィルのいいところ。


 フィルは詰まらないギャグを言い続けた。


 カミラ夫人はとても厳しい人物であるが、なぜかフィルを叱責しようとはしない。

 それどころかフィルを温かい目で見ていた。


 フィルの破天荒な行動は、誰かを思ってしている行動だとカミラは感じ取ったのだ。しかも、その誰かのひとりにカミラ夫人も含まれていた。


 そのような優しい心持ちの生徒を叱れようか。

 ただ、カミラもいつまでも時間があるわけではない。フィルに問いただす。


「ミス・フィル、なにがあったのです。なぜ、私を笑わせようとするのです?」


 カミラの問いにフィルは答えない。涙を両目に溜めながらふるふると首を横に振る。


「言えない。言ったらカミラ夫人は素直に笑えなくなるから。昔みたいな笑顔を見せられないから」


「そうかもしれないけど、私は元々笑わないのよ」


「嘘。嘘だよ。本当はカミラ夫人はよく笑うの。その笑顔によって人を幸せにするの。そうでなければあそこまで一生懸命しない」


 一生懸命しないとはモルドフのことである。きっと、モルドフはカミラ夫人にもう一度笑ってもらうために、もう一度昔の笑顔を取り戻してもらうために象牙の塔をやめたのだ。


 エリートの道を捨て去り、親友を蘇らせ、その妻であるカミラ夫人に笑ってもらうために死霊魔術を極めようとしたのだ。


 そこにはなんの打算もやましさもなく、ただ大好きだった女の子に再び幸せになってもらうためだけに頑張っていたのだ。


 ただ、モルドフはそのことを伏せていた。おそらくだが、自分のやっていることをカミラ夫人が知ればカミラ夫人が悲しむと思ったからだろう。


 自分などのために人生を棒に振るった。いや、振るい続けていると知れば、カミラ夫人は悲しむはずだとモルドフは知っていたのだ。


 だから目的を秘し、生命の復活方法を探していたのだ。


 そのような生き方をしてきたモルドフのことをフィルの口からは伝えることはできない。


 常識知らず、礼節を知らない。そんなふうに揶揄されるフィルであったが、言ってはいけないことくらい熟知していた。やらなければいけないことくらい分かっていた。だからフィルは涙を流しながら言った。


「お願い! カミラ夫人、ボクのために笑って。昔みたいに笑って!」


 フィルの心の底からの願い。思いにカミラ夫人は反応してくれた。


「……昔」


 と一言だけこぼすと、表情を緩めた。笑顔を漏らした。


 鉄面皮だったカミラ夫人が、ミスリルの処女と言われたカミラ夫人が笑ってくれたのだ。それを見ていたフィルは心の中で叫んだ。


(見て! モルドフさん、カミラ夫人は笑ったよ! 旦那さんは蘇らなかったけど、カミラ夫人は笑ったんだよ)


 フィルの心の声は数キロ先にいるモルドフに届いただろうか。丘の上からフィルたちを見下ろす魔術師に届いたのだろうか。フィルには分からなかったが、カミラ夫人の笑顔はとても素敵だった。



 護民官に引かれ、丘の上を通るモルドフ。アーリマンは彼に歩みを止めさせると、そこから下界を見るように勧められる。虚心でそれに従うモルドフ。護民官たちもアーリマンを信頼しているのだろう。それにモルドフに危険性がないと察しているのだろう。丘で立ち止まることを許してくれた。


 モルドフは丘の上から湖畔を見渡す。

 そこにいたのは銀髪の少女と、タマネギヘアーの淑女だった。

 モルドフは彼女たちを感慨深げに見下ろすとこう言った。


「これで思い残すことはもうなにひとつない」


 モルドフはこうして刑務所に戻り、残りの刑期を満了するために過ごす。


 彼の刑期は残り二〇〇〇年ほどであるが、アーリマンはその刑期を一日でも短くするため、尽力したという。

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