はちみつ熊さん
ロック鳥を追い払うとその場でキャンプ。
ちょうど、新鮮なイノシシの肉も手に入ったことだし、ここで夕食を取り、一晩明かすことにした。
本当ならば宿場町まで行って、そこで宿を取りたいところであるが、今から歩けば到着は夜半になるだろう。普段ならばそれでも構わないが、人里が初めてのフィルには辛いと思ったのだ。
それに目の前にイノシシの肉があるのにそれを食べないというのは、神に対する冒涜である。というのが叡智の騎士ローエンの主張するところだった。
もっとも彼の場合は神よりも懐のウィスキーに対する信仰心のほうが強そうであるが。
彼はさっそく、懐からウィスキーを取り出し、一杯飲むと、解体したイノシシの肉を焼いている。良い肴になるようだ。
セリカはというと、酒をたしなむ習慣はない。ただし、料理はこなせるので、フィルになにかしら料理を作るつもりだった。
(……といってもキャンプで作れる料理など限られているけど)
ローエンは最初から凝るつもりはないようで、塩をかけて焼いているだけだった。野趣溢れる食べ方だ。フィルもそれにならおうとするが止める。セリカが代わりに一手間加えたものを作る。
(ここは順当にシチューかしら。ちょうど、材料もあるし)
山に登る前に村で買い求めたニンジンとジャガイモがある。
それに鶏のダシも。
それらを使ってイノシシのシチューを作ることにした。
野菜を手頃な大きさに切り、イノシシの肉を鉄鍋で焼く。
イノシシの肉汁が出て、焦げ目が出たところで水とニンジンを投入。ジャガイモは煮崩れてしまうので最後に投入。
鶏のダシを入れて旨味を増幅させると、そのまま煮込む。
岩塩と胡椒も忘れず投入。
と、てきぱきと料理をしていると、フィルは「すごい!」と尊敬の眼差しを向けてくる。
「すごい! すごい! セリカはまるで魔法使いみたい!」
「魔法使いはあなたでしょう、フィル」
「ボクはこんなに料理は上手くない」
「わたくしもそんなには上手くないけど」
「そんなことないよ。ぜったい、これ旨い」
すでに全身の水分をよだれにしているフィル。
「ちなみに山では料理は誰がされていたの?」
「基本、ボクとじいちゃんの当番制。でも、じいちゃんは面倒くさがりだから、使い魔に作らせてた」
「なるほど、それじゃあ、ちゃんとした料理は珍しいのかもしれませんね」
ちゃんとしたといってもしょせんはキャンプ料理だけど。
肉を焼いて野菜を煮て味付けするだけ。
山羊のミルクを入れてクリームシチュー風にするのがコツとえいえばコツであるが。
しかし、そんな手抜き料理も、できあがるとフィルは「うまい!」「さいこう!」と褒めてくれた。
嬉しい限りであるが、はしゃぐ彼女に、
「王都にはこれよりも旨い食べ物がたくさんある」
と伝えたらどうなるのだろうか。
興味を覚えたので試してみる。
すると彼女はぽとり、とスプーンを落として、
「……これよりも……うまいものが……存在……する……の?」
と、魔術の真理に到達したかのような顔をした。
「比べものにならないほどに」
と付け加えると、彼女ははしゃぐ。
「いきたい! 今すぐにでもいきたい! 王都にいってみたい」
「慌てなくても王都は逃げないわ」
と、二杯目のシチューを差し出すと、彼女はぺろりと平らげた。
彼女はセリカよりも小柄であるが、食欲は旺盛のほうである。
結局、シチュー鍋半分の分量を平らげると、彼女はおなかいっぱいなの、と膨らんだおなかをさすっていた。
その姿は淑女にあるまじきものだが、注意しない。
幸せ一杯の表情をしている彼女に誰が注意できよう。
一晩、平原で夜を明かすフィルたち。
フィルは爺ちゃん以外の人間と初めて一緒にご飯を食べ、一緒に寝た。
寝袋の中で先ほどの料理を思い出す。
セリカが作る料理はとても美味しい。
爺ちゃんが作る料理の三倍は美味しい。
セリカいわく、街というところにはそれよりも美味しい料理が溢れているらしく、今からほっぺが落ちないか心配である。両手で頬を押さえておく。
次いでセリカたちのほうを見る。
叡智の騎士ローエンは大きな口を開け、いびきをかいていた。酒気を振りまいている。
爺ちゃんもお酒を飲むほうだったので、爺ちゃんを思い出した。
もしかしたら男っていう生き物は、お酒が好きなのかもしれない。
そう思った。
一方、セリカは穏やかな寝息を立てている。
すうすう、と鼻で息をしていた。
ローエンのようにいびきもよだれも出さない。酒気も振りまかない。
女という生き物はセリカ以外知らないけど、もしかしたら女という生き物は酒を飲まないのかもしれない。
そう考えれば自分もお酒が苦手なのも納得できる。
爺ちゃんの工房にいたとき、酒という飲み物を飲んだことがあるが、とても刺激が強くて不味かった記憶がある。
正確には飲んだときの記憶がなく、その後、家の壁に穴が空いていた記憶だが。
以来、爺ちゃんに酒を飲むことを堅く禁止されている。
ローエンの息は臭いし、禁止されなくても飲むことはないだろうけど。
一方、セリカの息は良い匂いがした。
甘くて落ち着く匂いだ。
嗅いでいるととても心地良いのでもっと近づく。
セリカの吐息が鼻に掛かるところまで身を寄せると、彼女は「ううーん」と寝返りを打った。次いでフィルの身体を抱きしめてくる。
「……はちみつ熊さん」
と寝言を口にする。
翌日、熊の人形を抱く夢を見た、という話をセリカから聞くことになるのだが、現在進行形で抱かれているフィルはなんだか胸がどきどきした。
爺ちゃんと一緒に寝ているときには感じなかった感情である。
それがなんであるか、今のフィルには分からなかったが、王都というところにいって勉強をすれば分かるのだろうか。
そんなことを思いながら、フィルもまぶたを閉じる。
目をつむると蜂蜜を舐める熊の数を数える。
15匹目で眠ることができた。