4.逃亡策
衝動的に走り出して、十数分後、置いてけぼりにした筈のレインに早くしろと追い立てられる。
まぁ、生まれてから5年間、ただ家で引きこもっていた奴が、生まれて初めての全力疾走をそう長い間続けていられるわけわなく。
当然ながら、体力切れで失速した俺に、ペース配布をして走っていたレインは瞬く間に追いついて、追手が来るから走れと当然の催促をしてくる。
だがしかし、生まれて初めての全力疾走を十分以上続けたのだ。
当然、走れるわけもなく、ふらふらと歩く。
「す、いません、ちょっと、休憩、したいですっ。」
口に出して言えば、レインは走ってきた方を見て、ため息を吐く。
「……はぁー。
じゃあ、5分だけだ。
正直、5分も休憩している時間は惜しいが、だいぶ進んだし、街を出る時はまだ見つかってなかったしな。
それくらいならなんとかなるだろ。」
そういったレインに、ほっと息をついて、木にもたれかかって座り込む。
まだ肩で息をしている状態ではあるが、思考はだいぶ余裕ができた。
初めての外が予想外に感動的で、感情的になり過ぎていた。
前の世界の時とは全然違うのは、異世界の空気なのか、あるいは獣人という種族の関係なのか、それは定かではないが、兎に角、外に出るきっかけを作ったレインには感謝する。
これは、真剣に、レインの願いを叶える努力をしよう。
決意して、考える。
一先ず、無事に大森林を抜けさえすれば、獣人はたかが侵入者の人間一人にそれ以上の追手を出すことはないだろう。
なら、どうやって大森林を抜けるか、だが、このまま走り抜ける、というのはどうも俺の体力では限度がある。
では、どうするか。
方法は一つしかない。
見つからないようにこっそり逃げる、だ。
要は見つかりさえしなければこっちのもんな訳で。
ただ、常に大森林で生活している、獣人に大森林で見つからないようになんていうのは無理難題だろう。
大森林はいわば獣人のテリトリー。
方やこっちは人間と一歩も家から出たことのなかった生まれて5年のガキだ。
どうしようかと、辺りを見回す。
透き通るように澄んだ空気に、遥か昔からここにいるのだろう巨大な木々。
草が生い茂っているといっても、大木メインの大森林では、木の裏側のような影以外は見渡しがよく遠くまでしっかりと視認できる。
これでは、木々の影に隠れながら進んでも、あっという間に見つかるだろう。
そう、問題は、見通しがいいことにある。
なら、見通しが悪くなればいい。
例えば、霧、とかが発生すれば、捜索速度はがくんと落ちるのではないだろうか。
そういえば、大森林で生まれ育って5年、晴天と雨天以外の気象現象を見たことがない。
街中だったから、という可能性もなくもないが、この世界には等しく雷や台風、霧、強風は存在する筈だ。
いや、それどころか、曇り、も見たことがない。
本当に、晴天かちょっとした雨天、しか見たことがないのだ。
よくよく考えれば、文献でも、大森林で台風に見舞われただとか、霧が濃いことがあった、というのは見たことがない。
それは、人間の国か、魔の大陸のことが書かれている本でしか確認できなかったのでないか。
と、いうことはだ、なんらかの原因か、あるいは大森林の加護だかなんかの理由で、大森林では晴天か少しの雨天という天候しか起こり得ないと仮定すれば、閉鎖的で、めったに大森林の外へ出ない獣人たちは、霧の中や台風といった環境で、活動能力や捜索能力が極端に落ちる可能性が高い。
そして、霧を発生させることなら、やったことはないができるかもしれない。
「レイン、少し、質問いいですか。」
立ち上がって、隣で休むレインに声をかける。
「いいけど、急にどうした?」
レインも同様に立ち上がりながら答えるのに、ほんの少し、頭の中で考えを整理しながら質問する。
「ネコの獣人の存在を知っていて、わざわざ大森林まで来た、ということはある程度、大森林について知識がある、と思って質問していいですね?」
とりあえず、何を聞くか、を聞くための質問をしてみる。
それに、レインはうなずき返す。
「ああ、人間として知れるある程度の大森林の知識は頭に叩き込んできたつもりだ。」
「なら、聞きますが、この大森林で5年生きてきて、俺は未だかつて晴天か雨天しか知りません。
理由はわかりますか?」
今回の逃走劇で最も重要になるだろう質問だ。
真剣に、質問したが、レインはぽかんとした顔をする。
「ちょっと、早急に答えてください。
どうなんですか。」
答えを促せば、レインは、やっと答えを口にした。
「いや、悪い。
まさか、大森林に住むしかもネコの獣人にそんなことを聞かれるとは。
あー大森林に限らず、獣人が住む森では、天候は晴天か雨天の二つ以外は絶対に起こらないんだ。
つっても、俺も聞いた程度だし、詳しくは知らないが、獣人の住む森はこの世界に7つある。
ハイドランジア、リリウム、トリルキルティス、スピラエア、ウィステリア、ロサ、そして、大森林だ。
それぞれの森には聖樹と呼ばれる聖なる力を宿した樹があり、その加護によって獣人の住む森には晴天と雨天以外の気象現象は基本的に起こらない。
しかも、大森林の、聖樹は"神樹"と呼ばれる特別なもので、大森林では晴天と雨天以外はほぼありえない、らしい。」
「なるほど。聖樹と神樹、ですか。
ネコの獣人に聞かれるとは、と言ってましたが、ネコの獣人であることが聖樹や神樹、と何か関わりがあるのですか?」
レインの話に、さらに質問を重ねれば、レインは特に文句を言うでもなく答えてくれる。
「あぁ、ネコ科の獣人は数少ないが、それは聖樹の加護を受けているからだそうだ。
そして、ネコの獣人は神樹"イグラル"の祝福を受けて生まれてくる。
だから、ネコ科の獣人、その中でもネコの獣人は非常に特殊な力を持っているらしい。
俺は、その、特殊な力っていうのが詳しくは知らないが、その力を借りれば、妹を救えるかと思ったんだよ。」
ネコの獣人は神樹の祝福を受けて生まれるのか。
ということは、俺も神樹の祝福を受けて生まれたのか、それともただの異端なのか。
どちらにせよ、逃走に必要な条件は揃っただろう。
思いついた逃亡策を、レインに提案する。
「では、レイン。
これから、俺が魔法で霧を発生させます。
やったことはないですが、多分、おそらく、できます。
神樹の加護とやらで霧はおそらく絶対に起こらない気象ですが、俺は"ネコの獣人"。
神樹の祝福を受けているか、あるいは神樹にとって完全な異端であるどちらかであると考えられる俺なら、その神樹の加護の加護を突破というか、無視できる可能性が高いと思います。
そして、霧を知らない、ちょっとした雨、しか知らない獣人は、おそらく霧の中で俺たちを探すこと困難になります。
このまま体力ない俺と一緒に逃走するよりは霧を発生させて、獣人達を足止めして歩き続ける方がはるかに効率的かつ、高確率で大森林を抜けれると思いますが、どうでしょう。」
俺の提案に、レインが一瞬の逡巡のあと、同意を示す。
「もし、霧を発生させられるなら、その提案はかなり有効だと思う。
まだ気がつかれていない今なら、なおさらだ。
が、霧を発生させるには、大森林全土を隠さないとむしろ居場所がバレる羽目になる。
それほど大規模の、霧を、大森林を抜けるまでの長い間、維持できるのか?
気象を操る魔法なんて聞いたこともないが、規模から考えて相当な魔力を消費する必要があるだろ。」
現実的かつ重要な疑問を浮かべるレインに、そういえばちょくちょくレインって頭の回転早いし色々知ってそうだな、なんて考えながら、答える。
「魔力の心配はいらないですよ。
じゃ、ちょっと早速霧発生させますね。
ちなみに、俺たちも霧に包まれますが、迷ったりしないですよね?」
「コンパスがあるから迷う心配はないが、逸れる心配はあるな。
腕でも結んどくか?」
俺の疑問にすぐに答えを返してきたレインに、同意して右腕を差し出せば、レインは鞄から取り出したタオルでしっかりと自分の左腕と俺の右腕を結びつけた。
それを確認して、俺は目を瞑った。