3.唐突に加速
朝早く、父さんが外出し、母さんが部屋にこもる。
俺はすぐに書架にいって魔法書を読み魔法を練習する。
いつも通りの日常。
ゆっくりした時間が経過し、お昼頃。
魔法を使うのに集中していた集中力がいつもと違う音で途切れた。
窓の外から入ってくる結構な人数が走り回る音、飛びかう雑音に何かが壊れる音。
が、どうせ外の出来事は家から出ない俺には関係がない。
魔法の練習を再開しようとした次の瞬間、開け放たれていた窓から、何かが転がり込んでくる。
「っ、見つけた!!」
転がり込んできた何かが、立ち上がって俺を視界に入れると、勢いよく迫ってきて声を上げる。
よくわからないから無視をして、魔法書に視線を落とす。
「なぁ、お前!ネコの獣人だろ?」
が、話し掛けてくるので部屋を移そうと立ち上がって、気がつく。
部屋に転がり込んできた男が話している言葉は、獣人の言語ではない。
扉を開けようとしていた態勢から、振り返って男を眺める。
耳や尻尾、翼のような、獣人に見て取れる特徴はなく、どこからどう見ても、その男は人間だ。
しかし、俺の知る限り、この大森林に人間は存在しない。
なにせ、獣人はひどく閉鎖的な種族だ。
「……誰?何が目的でここに来た?」
半隔離状態の俺に、本来いるはずのない人間が会いに来た。
これは明らかな異常事態だろう。
少々の警戒を含めて聞けば、男が答える。
「俺は、レイン・ライアット。
ネコの獣人に頼みがあってここまで来た。
詳しいことは大森林を抜けたら話す。
取引しよう。
俺はお前を監禁状態から助けてやる。だから、代わりに俺の頼みを聞いて欲しい。」
どうも切羽詰まった様子で頭を下げてくる男を、じっくり観察する。
年齢は、10代後半だろう。青年というには若く少年というには落ち着いた雰囲気をまとっている。
髪は赤茶色、目の色は綺麗な金色。これは、人間の領土の南側あたりの国でよく見られる髪色と目の色だ。となれば、相当遠くから極東の大森林までわざわざ出向いて、危険をおかしてまで大森林に侵入したという可能性が高いだろう。
服装は、そこそこしっかりしているが、別に高級品というわけでもなく、冒険者のような格好や騎士のような格好というわけでもない。
それなりに不自由ない身分の家に生まれ、それなりに不自由ない生活を送って、街の中で順風満帆な生活をおくっていた感じ、だ。
けれど、服は所々破れていて、少し薄汚れてもいるし、靴もボロボロだ。
それ相応の苦労の末にここまで来た、ということだろう。
身体の線は細めだが、なよなよしてるわけでもなく、かなり整った顔立ちをしているが、あちこちに怪我をしているし、顔には疲労の色が見える。
なるほど、どうやらこの男は本気で叶えたい望みがあり、その希望をネコの獣人に見出して、それなりの苦労をしてここまで来て真剣に頼み込んでいるらしい。
とりあえず、無闇矢鱈と無碍にするのはやめて会話に応じることにする。
「えー、初めまして。
俺はハークス・ストラトフルです。
現在5才ですがおそらくご存知の通り一度も、一歩足りとも家を出たことがありません。
だけど、俺はこの生活から自由になりたいなんて思ったことはないのでその取り引きは残念ながら成立しないので別の方法を考えた方がいいと思います。」
とりあえず男ーーレインとやらが俺には告げた言葉に相応するように自己紹介と取り引きの返事を返す。
「自由になりたいと思ってない?
5才のガキに言うのもなんだが、お前、監禁されてるんだぞ?」
不可解そうな顔をするレインに、窓を指差して聞く。
「レインは、どうやってこの部屋に侵入しましたか?」
「どうやってって、そりゃ窓から……」
俺の質問に、答えながら振り返ったレインが、俺の言いたいことに気がついて言葉を途切れさせる。
そう、俺が自由になりたいと思ってない大きな理由は、ひどく簡単なことだ。
俺は別に、"監禁"されているわけではない。
見張りはいないし、窓や扉が締め切られているわけでもない。
ただ、外へ連れ出されないし誰も会いに来ない。
"隔離"されてはいるがそれは"監禁"ではない。
出ようと思えば出れる。
そして、俺は、この5年間一度だって外に出たいと思ったことはなかった。
「どうして、外に出たいと思わないんだ?」
レインが、気がついたことを踏まえて俺に質問をしてくる。
窓の外からはおそらくレインを探してるだろう獣人達の声が聞こえてきている。
「俺は、ここでの生活環境に満足しています。
寒さに怯えなくていい部屋がある。温かいご飯が食べられる。俺の疑問に答え好奇心を満たすだけの本がある。
ましてや、俺に暴力が振るわれるわけでも虐待されているわけでもありません。
いわば、父さんと母さんは、俺にただただ不干渉なだけなのです。
それは即ち、俺にとっては自由であるのと同義だと、俺は認識しています。
逆に、無闇に外に出て、他の獣人に追い回されるのは面倒だし、その面倒を犯すほど俺はこの生活環境が劣悪だとは思っていません。」
レインが俺の言葉に眉をしかめる。
「およそ5才のセリフとは思えないな。
部屋があってご飯が食べれるのなんて当たり前のことだろ?それに満足してるっていうのか?
確かに、高級品の本がこれだけ揃っているのは珍しいが、だが、それだけだろ。
本で得られる知識より、実際にいろんなものを自分の目で見た方が圧倒的に好奇心は満たせるはずだ。
……いや、だが、そうだな、本が好きなら、俺の願いを聞く代わりに俺が持ってる本10冊、全部お前に譲ってやる。それに、お前が欲しい本を一冊買ってやる。どうだ?」
途中まで、俺が外に出たいと思わない理由について考えていたレインが、新たな取り引きを提案してくる。
俺が今まで読んだことない本が11冊。
なるほど、確かに魅力的な誘い文句だ。
けれど、そうなるとここにある本103冊を捨てることになる。
それは、嫌だ。
「普通に考えて外に持ち出せるほんの数は5、6冊程度。
残りは諦めるか、別の方法で持ち出すか。
だけど、別の方法なんて、なんか四次元ポケット的なもんでもないと無理だろ。
うちにそんな便利道具はないし、かといって諦める訳にもいかない。
一度外に出てこっちに戻ってくるってのもあるけど、それだと戻ってきた後にこの生活水準を保てる保証がない。
一度読んだことある本97冊とまだ読んだことない本11冊か。
一度読んだことある本って言っても内容全部を完全に覚えてる訳じゃないし、本は何度も繰り返して読みたい派だから。
けど、読んだことない本は正直すごい気になる。
ならやっぱどうにかしてここの本を持ち出す方法を考えた方がいいな。
普通に鞄に入れるんじゃ6冊が限度だし、あんま大きい鞄だと逃走できない。
かといって別次元にしまうだとか鞄の中だけ広げるみたいなことはできないし。
いや、そうか、鞄を広げなくても、本を小さくすれば全部入るか。
けど、それだと重さが重いままだからどうにかして重さを軽減する必要があるな。
確か"賢者冒険譚"にものの大きさを変える魔法が載ってたな。
あった、あー物体の体積を凝縮するにはそうか、こうすればいいのか。
なら、重さを変えるのはいや、これは重力に直接魔力でベクトルを操作した方がいいか。
けどこれだとあんまり長く持たないな。
ならベクトルを操作するよりかかる負担を移す方がいいか。
そうなると……。
……よし、全部入ったしこれなら持てるな。
お待たせしてすいません。
取り引きは成立です。
本11冊、約束ですよ?
じゃあ行きましょう。」
本103冊を魔法を駆使して黒い小さめの革のリュックに詰め込んで背負い、立ち上がってレインを振り向けば、レインがぽかんと俺を眺めていた。
「行かないんですか?
早くしないと見つかりますよ?
どうしたんですか?」
どうしたのかと、聞いてみる。
「いや、お前、あの本全部そのリュックに入れたのか?魔法で?
いや、今はそんな話してる場合じゃないか。
あー、行こう。
外には出たことないんだろ?
案内は俺がする。
ひとまず大森林を抜けよう。」
何か言いたげにした後、頷いてレインが窓枠に足をかける。
パッと窓から身を乗り出したと思ったら、レインの姿が視認できなくなる。
窓から下を除けば、飛び降りたのだろうレインが、受身を取って地面に到達し、数回転がってから立ち上がったのが見えた。
レインが、俺にも来るようにと合図を出してくる。
それに、リュックの蓋がちゃんとしまってるのを確認してから、勢いよく窓から飛び降りた。
大木の中を縦に縦にと作ってある家の、最上階の書架の窓から地面までは約30メートル。
10階建てのマンションの窓から飛び降りるようなものだが、獣人の、しかもネコである俺からすれば、この程度は大したことない。
受身を取るまででなく普通に立ったまま着地する。
そして、俺は、この世界で初めて、まともに太陽の光を浴びた。
痛いほどの光と、屋外というとてつもない開放感。
一生あの家の中で過ごしてもいいと思っていた考えは、俺の中であっという間に覆っていく。
すぐに街を離れて、大森林の木々の間を、レインと走る。
足が土を踏みしめる感覚が、体中に染み渡る。
風を切って走る体が、飛ぶように軽い。
森の中の様々な音を拾う耳が、心地よく感じる。
地面も、木々も、障害物の多い大森林の中を難なく走れるようバランスを取る尻尾が、靡いて走るスピードを加速させる。
楽しい、楽しい、楽しい!!
気がつけば、案内役であるはずのレインを置いて、ただ、前へ前へと、早く早くと風を切って足を動かしていた。