四月 01
四月。私は奇跡的に単位を落とすことなく三回生となっていた。
相変わらず私はちんこを抱え巫女服を着ているが、変人及び阿呆育成機関とまで呼ばれるこの大学において、この姿は特段奇異なものではない。学内を練り歩く大根の着ぐるみや階段の踊り場で開かれている鍋パーティーなどの変人たちの方がよっぽど奇異であった。
三回生となるにあたって、元の私の面影すらないこの黒髪の乙女について大学にどう説明するか悩んでいたのだが、茨木先輩のいい加減極まりないアドバイス通り「モロッコに行ってきた」と伝えると、学生証の写真交換だけを言い渡されて、それで通ってしまった。さすがは変人と阿呆の総元締めである。
時計台の下、そんな私の目の前を薔薇色のキャンパスライフへの期待で目を輝かせる新入生たちが歩いている。そんな彼らを獲物を狙うかのような目で見守りながら、私は二年前のことに思いをはせていた。
当時ピカピカの一回性であった私はパラダイスとまで呼ばれる楽勝学部への入学を果たし、これから始まる新生活への期待に胸と鼻の穴を膨らませていた。
これからこの学校で精進し、学問の充実、異性との桃色遊戯、自己の研鑽を果たすのだ、と。
そう決意していた私をできることならば力いっぱいひっぱたいてやりたい。
そう願うのならばまず高槻を始末しろ、と。
同じ大学へと進学した高槻との運命の黒い糸は断ち切りがたく、彼に誘われるがまま得体のしれないサークル『仙術研究会』に所属した私を待っていたのは、いい加減な仙人である茨木先輩により堕落への道の手ほどきと人生迷宮案内であり、その結果私は、学問の放棄、異性からの孤立、自己の堕落をたった半年で成し遂げた。以後だらだらと今に至る。
だがしかし、これ以上だらだらとしているわけにもいかない。
会長である茨木先輩は今年八回生であり、卒業か放校かはたまた自主放校かはわからないが今年で去りゆく定めである。
私たち三人の他に構成員はいないため、自然、私か高槻が会長の座を引き継ぐことになる。そして高槻はその悪だくみにだけ特化した頭脳や合法・非合法を問わぬ人脈を駆使し、会長に私を据えようとしてくるはずだ。『仙術研究会』の会長となったからには仙人となることがサークルの掟であり、地に足をつけない生活を送ることを義務付けられる。ずるずると八年間この学校から離れられない運命に堕ちていくことは、先輩を見れば自明の理であった。
ならば新入生たちを生贄としよう。そうして先輩権限を極めて合法的に駆使して会長職を押し付けるのだ!!
どうせ今は純粋無垢な新入生たちも、自由な校風というものを勘違いした極端に無軌道かつ無計画な行動を引き起こす在校生たちに中てられて、八割が阿呆か変人と成り果てる。残りの二割は阿呆で変人となる。ごくごく稀に学問に邁進する者もいるが、大多数の大学生活に浮かれて遊びまわる阿呆と変人で溢れる大学の中において、長い物には巻かれよという排他的民主主義により、そのような希少種は変人かつ阿呆認定される。つまりはどうあがいても変人になるということだ。
どうせ変人となるならば、他者の役に立つ有意義な変人となるべきである。そのような合理的判断のもと、私は甘言を弄してでも新入生を捕まえようとしていた。
「…………」
「どうかしたのか、我が巫女よサークルに新入生を勧誘するのではなかったのか」
神となった私のちんこが問いかけてくる。
確かに私は新入生たちを生贄に捧げ、輝かしい未来を手に入れたい。だが二十年間他者との、特に異性間コミュニケーションから距離を置いて、語るも虚しき灰色青春時代を過ごしてきた私にとって、知らない人物と会話するということは想像を絶する苦行である。さらには黒髪の乙女が気安く赤の他人に話しかけるという行為は、その気高い美しさを世俗的なものに貶めるような気がしてどうにも実行に移せない。
そうした悶々とした複雑かつ哲学的な理由から私は新人を勧誘することができないでいた。
「ああ、こんなところにいたのですか。どうです調子は?」
私を馬鹿にしたような声が背中からかかり、私は振り向いた。振り向いた先には、人の不幸をおかずにして飯を三倍食うため慢性的な人の不幸中毒となり、その禁断症状を癒すためさらに人の不幸を摂取するという負のスパイラルに陥った結果、いつも悪だくみをしているような顔と成り果てた怪人がいた。高槻である。非常に認めたくない事実ではあるが私の友人である。だが宿敵でもある。
そんな彼が何やら、この理想の乙女とまではいかないまでも十分に魅力的な容姿の女性を連れていた。非常に犯罪めいた光景である。彼女はおそらく高槻の機関銃のごとく連射される甘い言葉に惑わされ。中学時代の私と同様に毒牙にかかったのであろう。哀れな。
「うるさい。お前には関係ない」
「またまたそんなこと言っちゃって。照れ屋さんなんだから。僕は適当に一人捕まえてきましたよ。ほらこの人です」
そう言って連れていた女性を紹介してくる。私は「どんな手練手管を使って彼女を陥れたんだ。この悪魔野郎」と最大限の侮蔑の念を込めて高槻を罵倒し、囚われの子羊たる彼女に最大限の慈愛をもって優しく微笑みかけた。
黒髪の乙女は言葉少なに、目と物腰で語るべきである。そうした信念のもと修業した極上の微少だ。
彼女は私に少し緊張した面持ちで相対すると、
「初めまして。水無瀬と申します。不束者ですが以後よろしくお願いしますね、お姉さま」
と自己紹介してきた。
ここで一つの問題が提起される。
私の記憶においては生き別れの兄弟姉妹など存在しなかったし、下宿先を借りるために用意した戸籍謄本にも妹もしくは弟がいる事実は記載されていなかった。つまり私は主幹・客観・公的の全てにおいて一人っ子である。そのような私を「お姉さま」と呼んで近づいてくるような女性は、頭に致命的な欠陥を抱えているか、虚言を弄してこの黒髪の乙女に近づき、その神秘の結晶である処女性を貪ろうとする変態であるかのどちらかだ。そして私の目の前にいるこの女性はどちらであるか。
私はその熱に浮かされたような潤んだ瞳と紅潮した頬を見て確信した。
これは変態だ。関わってはいけない。関わったが最後であると!
警戒態勢をとる私を目を細めてニヤニヤと笑いながら高槻が口を開く。
「彼女にあなたのような女性がいると説明したら、一も二もなく『仙術研究会』に入会することを了承してくれました」
「はい。ぜひ私が卒業するまでの間、ご指導ご鞭撻のほどをよろしく願いたいと思います」
「あー……つまり?」
私は日本語には明るいが、実のところ、変態たちの思考回路及び言語についてはさっぱりだ。この変態新入生が何を言っているのか理解に苦しむ。
そんな私に高槻が説明した。
「はい、これから僕たちはあなたの卒業を全身全霊をかけて邪魔します」
「これから四年間よろしくお願いしますね、お姉さま」
私の四年間の大学生活が幕を下ろし、八年間の留年生活の始まりを告げるベルが鳴った気がした。
「ちんこよちんこ。この者たちに天罰を」
「彼らは何もしていないではないか。自信を律し、生活態度を良好に保ち、勉学に励めばどうということはないだろう」
「そんな恐ろしいこと!」
腕の中のちんこの説法に私は憮然とした。それができれば世話はない。男であるときは、自信を奔放に放し飼いにし、生活態度を桃色能な遊戯に汚染され、自慰に励んできた私であったのだ。そんな私を更生させることなど皇帝ナポレオンであっても不可能だろう。
よって私はちんこになおも反論を――
「それに貴君、黒髪の乙女ならそのようなことできて当然だろう?」
ちんこは腕の中から私を見上げて、不敵な笑みと共にそう言った。
黒く美しい髪の手入れや、背筋を伸ばしてガニ股で歩かない、楚々とした行動を心がける、定食屋での三杯目のおかわりの丼はそっと出す、などの乙女道を実践している私にとってそれは聞き捨てならない挑発であった。
やってやろうではないか。その挑戦受けて立つ!!
「あなたのその阿呆なところ、僕は大好きだなあ」
「私はお姉さまの容姿が好きです」
魑魅魍魎が何事かを喚いているが乙女の耳には届かない。私はこの黒髪の乙女を理想の乙女であり続けさせるため、乙女道を邁進せねばならないのだ。