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三月

 三月。私が黒髪の乙女となって約一か月が過ぎた。

 理想の乙女にあるまじき生理的かつ理不尽な欲求や心理的葛藤を乗り越えて、私はなんとか女性らしき生活を送ることができる程度には乙女としての位階を上げていた。

 だが私の肛門を灼熱地獄に陥れた憎むべき高槻が言うには、私の乙女道はまだまだ登り始めたばかりだそうだ。


 一方、神通力を得て神となるための位階の方はまだまだの段階である。今日も今日とて修行に励まねばならない。

 パラダイスとまで揶揄される学部の空気に頭のてっぺんまでどっぷりと浸かっていた私にとって、朝早く起き神殿という名の六畳間を掃除し、ちんこに対する神楽を舞うことは想像を絶する苦痛であったが、寝過ごすとちんこにぴたぴたと頬を叩かれるので私は嫌々ながらも自力で起きる。

 黒髪の乙女の頬が張られるようなことがあってはならない。ましてやそれが神とはいえちんこになど。


 この一か月において日課となってしまったアパート前での神楽舞を踊る。始めたばかりの頃、「新興宗教の襲来か」とばかりにゲバ棒を持った近所の住人に囲まれたが、私が変人育成機関とまで呼ばれる大学の学生であることがわかると納得して散って行ってしまった。ゲバ棒をすぐに用意できるところが左派の影響を色濃く受ける京都らしい情緒を感じられてならない。


 三月上旬となり気温もぐんと暖かくなってきている。襦袢の下にヒートテックを着込まずとも寒さに震えることもなくなり安堵のため息をつく。

 便利ではあるが、乙女が。そして巫女服の下に。ああいうものを着込むというのはどうにもグッと来ない。

 そんなとりとめのないことを考えながら、ちんこと共に自分の部屋に戻った私を待っていたのは、二階に住む仙人である茨城先輩。そしてカラス人間であった。


「やあ。上がらせてもらっているよ」と先輩は言う。上がっていることは構わないが、なぜ茶まで淹れているのだろう。なぜ茶菓子まで用意しているのだろう。それは下戸である私がひそやかな楽しみのために用意していた生麩餅なまふもちだ。

 理不尽さを感じたが、どうせ理不尽なのが仙人である。訳のわからぬ仙術や話術やらで煙に巻かれるのがオチなのでグッとえた。堪えた私に先輩がカラス人間を紹介してくる。


「こいつが君の巫女装束を作ってくれた烏丸からすまだ」

「カラス天狗だったのですか」

「いいえ、カラス仙人なのです」


 カラス人間烏丸がカアと言った。

 聞けば、天狗として鞍馬山で将来を嘱望しょくぼうされていたが、定められたレールの上をなぞるだけの天狗生に疑問を抱き出奔したのだという。そして今は大枝山で細々と服を作って暮らしているらしい。この巫女服も私のために、彼が注文を受けて生地から作ってくれたものだという。


 昔話の鶴でも三日三晩かけて布を一反いったん織るというのに、この烏丸というカラス仙人は生地の用意、染色、裁断、縫製を十分とかからずにやってのけたのだ。その実力のほどがうかがい知れた。そしてどうしようもない阿呆であることも窺い知れた。そんな私の考えも知らない様子で彼が続ける。


「あなたは久しぶりに出会ったインスピレーション溢れる乙女でした。ですから全身全霊を込めてその巫女装束を織り上げて差し上げたというのに、いまだ報酬が支払われない。だからこうして伺ったのです」


 そういえば巫女服と共に受け取ったセーラー服を「着てくれ」という言伝ことづてもあったような気がする。水色下着快楽やら肛門灼熱地獄やらの衝撃で頭からすっぽりと抜け落ちていた。そのことを彼に丁重に詫びる。


「まあいいんです。万事いい加減な茨木のことだから詳しく伝えていなかったんでしょう。ですが報酬は報酬。ちゃんと利子をつけて支払ってもらわないと」


 と言いながら傍らに置いていた包みを開く。

 そこには薄手のカーディガン、純白のフリル付きのブラウス、コルセットスカートにニーソックス。

 いわゆる童貞を殺す服である。

 昨年政府の発表した統計によると、童貞の死亡原因において交通事故・自殺に次いで多いのがこの服による半合法的殺人であるという。今は黒髪の乙女であるとはいえ、精神的・肉体的経験の両方において童貞である私にはいささか危険な代物にも思えた。


 これを着ろ、というのか。利子というが計算方法はどうなっているのか。などと詰問したかったが、彼らは万事が万事いい加減な仙人である。合理的な説明は期待できない。そんなことが可能であるなら茨木先輩はとっくに大学を卒業しているはずであった。


 言うだけ無駄であると判断し、彼らの視線を躱すために台所に移動して着替える。

 ボタンが男女で左右異なるため若干手間取ったが、それ以外には着替えるにあたって特に問題もない。試行錯誤しつつ、理想の乙女にふさわしい行動・生活への精進を怠らなかった結果であった。

 着替えも終わり再び六畳間へと戻る。同時にちらりと押入れの前にある姿見で自分の姿を確認する。


「――っ!!」


 危なかった。死ぬところであった。

 脳を揺さぶるほどの可憐さである。私は脳を揺さぶられ脳震盪を起こした。

 目がつぶれそうなほどの美少女である。私は盲目となった。

 息は乱れ、鼓動もかつてないほどの速さである。

 それでも私はなんとか踏みとどまり二人と一柱に向き直る。


「やあ、かわいいじゃないか」


 先輩がスマホのカメラをパシャリと鳴らす。そうして「来月のサークル勧誘に使おう」と続けた。


「いいですね、いいですね。でもここじゃちょっと背景が弱い。ちょうど近くに二条城や神泉苑しんせんえんもあるしそこで写真を撮りましょう」

「危険です。やめた方がいい」


 烏丸の言葉に私はすぐさま反対した。

 先ほども述べたが、私は童貞を殺す服を着ているのである。私はある程度の覚悟を持って黒髪の乙女の姿を見ることができたため一命をとりとめたが、何の準備もしていない男たちが不運にも、そして幸運にもこの乙女の姿を見ればどうなるか。童貞・非童貞の区別なく心臓発作に過呼吸、いきなりの躁鬱状態、失明などの各種症状を引き起こすことは確実かと思われる。私はバイオテロの実行犯として取り押さえられる危険性がある。


「大宮君は毎度毎度、阿呆なことばかり考えているようだな。他人は君のことを君が思うほどにみていないから安心したまえよ」

「確かに私が男であった時はそうでしょう。ですがいまや私は黒髪の乙女。衆目を集めることは当然かと」

「……ショック療法が必要なようだ。烏丸、いいから強引にでも連れて行こう」

「あ、ちょっとやめてください。乙女を乱暴に扱ってはいけない」


 私は横暴な仙人どもにいともあっけなく拉致されてしまった。


       ○


 私は仙人どもに連れ回され、烏丸からすまの用意したカメラによって写真を撮られ続けていた。それはカメラとは思えないほど巨大だったので、最初私は烏丸が黒髪の乙女によるバイオテロが起きる前に私をバズーカで始末する気なのかと焦ってしまったほどだ。

 美しい乙女の姿を記録する作業は最初のうちこそ、美の文化遺産を残すやりがいもあり楽しかったが、撮られ続けるうち私は次第に阿呆らしくなってきていた。


 確かに烏丸の用意した服装は可愛らしい。

 締まったコルセットによって黒髪の乙女の腰の細さがさらに際立ち、同時に胸元を強調する。短い丈のスカートと太腿までを覆うサイハイソックスとの関係性が織り成す肌色ちらりは芸術的でさえある。


 だが。

 この服は烏丸の好みに合わせて烏丸自身がデザインし作り上げたものだ。つまりは烏丸の桃色欲求を満たすための服である。私が可愛らしいと思ったのはその副次的効果でしかなかった。


 そう気づけば、今まで私が着ていた巫女装束の素晴らしさがことさらに身に染みた。

 ふわふわとしながらも決して乙女の秘密を公開しない鉄壁の緋袴。きっちりと合わされた襟によって神秘性を保ち続ける胸元。

 それは美しくも気高く男に媚びない、黒髪の乙女そのものではないか。


「貴君、烏丸殿が次は恵方堂前で撮影したいそうだ。移動しなくていいのか」

「ちんこよ。私が巫女服を気に入っていると言ったら、お前は馬鹿にするか?」

「いや、我が巫女としてそれは喜ばしいことだが、いきなりどうしたというのだ?」

「乙女としてこの服が気に入らん」


「可愛らしいと思うが」と言うちんこに私の考えを述べる。他者の桃色欲求を満たす片棒を担ぐつもりなどない、と。

「貴君は」とちんこが一つ呼吸を置いて、ふてくされる私に静かに語りかけ始めた。


 ――男であったときに猥談を高槻殿とよくしていたな。こんな性行為がしたいだの、どんな乳房が理想かだの。

 ついには極まってそれを表現し作品として発表しようとしたこともあるではないか。技量が追い付かずにやめたようだったが……。

 それは自己の一部を誰かに知ってもらいたい、という欲求の発露だろう。誰かと喜びや感動を分かち合いたいという気持ちの発露だろう。

 烏丸殿は貴君という素材と自身の作品を掛け合わせて、烏丸殿自身を表現しようとしているだけなのだ。

 貴君と烏丸殿はたかだか表現方法が違っただけではないか――


 ちんこは今は昔の黒歴史を暴き立てる。

 意識がスッと遠くなり目の前が真っ暗になるほどの恥ずかしさから私は貧血を起こした。そのまま法成就池ほうじょうじゅいけに身投げをしたくなった。御池通おいけどおりに飛び出して市バスに轢かれるのも悪くはないと思ってしまった。

 だが黒髪の乙女の肉体を傷つけるわけにもいかないので、私は周知に打ち震えながらも耐えた。


 しかしちんこの言うことももっともだ。

 私は烏丸が阿呆であると看破したが、それは一流は一流を知るからである。つまりは私も一流の阿呆であり、彼とベクトルは違えどこころざしの根を同じくする者でもある。それは乙女に対する信仰とでもいうべきものだ。

 ならば――。


「仕方ない。これも付き合いの一つだ。もう少し撮られてくるとしよう」


 烏丸の芸術にもう少し付き合ってやってもいいかもしれない。


「よく言った。一つ成長したな。貴君が人付き合いを覚えてくれて私も鼻が高い」

「お前に鼻などないだろう」


 ちんこが私を甘やかしてくる。そのことが妙にくすぐったくて、私は言わずもがなの憎まれ口をたたいた。

 すまぬちんこよ。二十年間、私はお前をイジめヌいてきたというのに、なんとお前は優しいのか。必ずや再合体を果たし、男として今度こそお前に本領を発揮させてやるからな。


 ちんこと語り合いながら恵方堂へと向かう。そこには茨木先輩と烏丸が待っていた。

「帰ったのかと思ったよ」と言う先輩に「万事いい加減な先輩じゃあるまいし」と皮肉で返し。烏丸と向き合う。


「同志烏丸、もはや覚悟を決めました。この黒髪の乙女を思う存分撮影なさるといい」

「おお。私の芸術を理解してくれましたか」


 単に羽毛に日光が反射しただけかもしれなかったが、私には烏丸の顔が喜びでパッと輝いたように思えた。嬉しそうに彼は続ける。


「それならば下鴨神社を背景に今度はセーラー服で写真を撮りましょう」

「なんだそこまでいくのか。なら酒盛りの用意もいていくか。ついでに鴨川の河畔でちんちんかもかもやっているやつらにちょっかいをかけよう」


 鴨川土手は恋人どもの人口密度が京都一高い場所である。そんな場所にのこのこと出かけていけば、私の美しさに男は目を奪われ、女は嫉妬に心を狂わせ、周囲一帯修羅場の炎に包まれること請け合いである。私は火付けの犯人としてやはり取り押さえられる危険性があった。


「だから危険です。やめた方がいい」

「貴君はやっぱり阿呆だな」


 ちんこがあきれ果てたように呟くが気にしない。私は黒髪の乙女を守るため、ありとあらゆる危険性を考慮する必要がある。これからもこの方針を崩さぬ所存である。

 黒髪の乙女は何物にも穢されてはいけないのだ。

 黒髪の乙女よ永遠であれ。

5/9 女体化して経過した時間を変更。

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