二月 06
財布が断末魔の悲鳴を上げるほどの支払いを済ませた後、私は私のちんこがどこにいるのか店員へと訊ねた。快く応じてくれた彼女の案内によってバックヤードに通されると、ちんこが何やら色とりどりの布にくるまっている。ちんこは買い物を済ませた私の姿を確認すると、どこかうれしそうに訊ねてきた。
「貴君、私のこの格好はどうであろう。猥褻さが消えているではないか」
なるほど。確かに色とりどりの布――ハンカチをいくつも体に巻き付けたちんこは、もはやちんこには見えず、わいせつさは感じられない。
だが悪趣味なてるてる坊主となった彼は猥褻さの代わりに言いようの知れない妖気を垂れ流しており、神々しさの欠片も感じることができなかった。そのことを指摘するとちんこは残念そうにハンカチをその身から外し、私の腕の中へと戻ってくる。
「買わないのか」と問うと、ちんこは腕の中でふるふるとその体を揺らしながら、「私は氏神を目指している。妖怪になっては困るのだ」と答えた。
そのちんこの言葉に納得して店員にその旨を伝え、丁重にその場を後にする。店員が心底嫌そうな顔をしていたのが気にかかったが、おそらくは後片付けが面倒だからであろうと当たりをつける。断じて私のちんこの清潔さを疑うような思いから来たものではないはずだ。
○
百貨店から出、再び周囲からの好奇の視線に晒されながらも地下鉄を駆使し下宿先に戻ると、型落ちのコンパクトカーが駐車場に止まっていた。高槻の車である。
私の部屋の扉を開けると予想通り、高槻が部屋の中でくつろいでいた。予想していなかったが幕の内弁当をぱくついていた。
私の姿を確認すると、彼は煮物を口の中でもごもごさせながら机を指さす。
「ホームセンターって凄いんですね。材料を買おうとうろうろしていたら既製品があったのでそっちを買ってきちゃいました」
「そうか、手間をかけたな。いくらだった?」
「五万円です」
「この阿呆め!」
今日初めて私は神以外のものを呪った。
ただでさえ水色下着の思わぬ高値によって私の財布は瀕死の状況に陥っているというのに! 高槻の語った値段は私の財布にとどめを与えただけでは飽き足らず、不死身のヒドラに挑みかかるヘラクレスのごとく何度も何度も財布を蹂躙する。だが私の財布は不死身ではないため、結果私は高槻に巨大な借りを作ることとなってしまった。人生の梅田迷宮に迷い込んでいる私の体に高槻との黒い運命の糸がさらに巻き付いてくる光景を幻視して、私は戦慄する。
そんな私を愉快そうに見つめながら、高槻は私に弁当を差し出してきた。
いまだにほのかな熱を持つそのフタを開けると中にはカツカレー。
黒髪の乙女に似合わぬが、思えば私は朝から何も食べていない。空腹には抗えず、私は巫女服を汚さないように細心の注意を払いながらもカレーを口に運んだ。
何が『カツ』だ。私の人生は敗北ばかりではないか!!
今日起こった理想の乙女を穢し続けた出来事や、もはやただの各種カード入れとダウングレードされてしまった財布、求めても求めても薔薇色の未来を得られない現実を思い出して私は泣きながらカレーを貪った。
泣きながら食べるカレーはいつもより辛く感じられる。というか辛い。さらにはことさらに辛い!!
「あ、食べちゃいました? 百倍カレー。明日気を付けてくださいね。お尻大変なことになっちゃいますから」
――この野郎。なぜこんなことを。さては貴様、理想の乙女を、望まぬ形ながらも手に入れた私に嫉妬心を抱き暗殺しようと――
「なんて馬鹿なこと考えているんでしょうけど違います。あなたちょっと女性というものに理想を抱きすぎです。女性だって屁もこけば鼻だってほじるんだ。そして下から出すものも出すんです。早く順応しないとあなた、大変なことになってしまいます。腸閉塞とか」
「なんと。確かに我が巫女は理想主義に傾きすぎている感がある。それを修正するための愛のムチというやつか。高槻殿、我が巫女に代わって感謝の言葉を述べよう」
「なんのなんの。親友として当然ですよう」
嘘つきめ。高槻は辛さに悶絶する私を見て楽しみ、翌日便所で辛さに悶絶する私を想像して楽しみたいだけの醜悪無比な人間である。
ちんこよちんこ。騙されてはならぬ!!
だがそんな私の心の叫びは、舌さえ痺れさせる辛みの攻勢の前に、声となることはなかった。
○
「それじゃお大事に」
「とっとと帰れ!」
「いやん。怖あい」
高槻は幕の内弁当を食べ終わるとウシガエルのようなゲップをして、ついと帰って行ってしまった。後に残されたのは弁当のガラだけである。
悪魔のごときカレーは始末した。辛いことは辛いが、美味いことも美味い。一口食べるも全て平らげるも明日やってくる辛さは同じである。
「さて貴君、修行の時間だ」
「食後にか」
「暗くなる前に済ませてしまうのだ。京都の二月は陽が落ちるのは早いぞ。それに巫女としての仕事を覚えねば貴君は神通力を得られぬ。再び私と合体を果たすこともできなくなる」
それは困る。私は私による私のためのロマンチックなことを、いつか出会う黒髪の乙女となさねばならぬ。そのためにはちんこは不可欠だ。
「何をすればいい」と訊ねるとちんこは机の上に置かれた神棚の前へぴょんと進み、「まずは神殿の掃除だ」と答えた。
「神棚を洗え、ということか」
「違う。この部屋に神棚が置かれたことによって、部屋全体が私の神殿となった。つまりはこの部屋の掃除をしろ、ということだ。それにこの部屋の惨状はあまりにも乙女に似合わぬとも思わぬか?」
ちんこはそうぐるりと部屋を見渡してそう言った。
ちんこの言うことももっともだ。
もし。もしもの話である。勉学に打ち込み、肉体を鍛え、精神を健やかに育んだ、男の姿の私がこの牙城に黒髪の乙女を連れ込んだとしても、この惨憺たる部屋の有様を見るなり乙女は脱兎のごとく逃げ出してしまうだろう。かといって新京極界隈にある少々ケバいホテルを利用するには風情がないし、金もない。
つまりはやらねばならない。神通力もたまり、まだ見ぬ乙女を連れ込む準備も整うとなれば一石二鳥である。私のやる気は俄然高まった。
そんな私にちんこはそっと寄り添い、どのようにしたのか襷をかける。
なんということであろう。やはり私のちんこはただ者ではない。
手もないのに襷掛けができることも驚きだが、そのさり気ないフォロー!! 私の拙いコミュニケーション能力とは天と地ほどの差があった。私と同じ二十年程度しか生きていないというのに。
○
私は一人ゴム手袋とマスクで装備を整え、黒いあんちくしょうの影に怯えながらも腐海の森を処理していた。
燃える。燃えない。シールを剥がす。ビニールを外す。燃える。燃えない――
突然ではあるが京都市のゴミ捨ては分別にうるさい。美化推進地域だとかいう文言で私たちを操り、割高な指定ゴミ袋を売りつけてくるのだ。そうして各家庭が分別したゴミ袋を全てゴミ収集車に一緒くたに放り込んで焼却処分をしていることを私は知っている(この話はフィクションです)。
そんな途方もない徒労な行為をさせられていることに、だんだんとむかっ腹が立ってくる。一つ処理するごとに一むかっ腹が加算されるため、ムカッ腹は既にビル街を成すにまで至っている。そんな五十二むかっ腹の合間に黒いあんちくしょうが迷い込んだため、黒いあんちくしょうは不運にもビルの爆破解体に巻き込まれ木っ端微塵になってしまった。
燃えるゴミ一丁追加。
○
爆破解体を定期的にしてもなお、むかっ腹という名のビルは建つ。台所の掃除が終わるころには九龍城のごとく乱立した腹をぷりぷりと持て余しながら、六畳間に戻るとちんこがにこやかな顔で――顔などないのだが――言った。
「ご苦労。差し出がましいとは思ったが、風呂の用意ができている。今日はここで終わりにしてゆっくりと休むといい」
本当になんなのだ。なんという気づかい。なんという包容力。
お前は本当に私のちんこなのか――?
この話はフィクションです。
4/22 市バス→地下鉄 に変更。