二月 05
再び趣味の回
ぴょこぴょこ跳ねながら店員の後を追いかけていくちんこを見送った後、私は決心が鈍らないうちに緋袴を翻して前私未踏の空間、下着売り場へと足を踏み入れる。
そこは思わず息を吞むほどの不思議な光景が広がっていた。パステルカラーのシルクの海と、真っ白なコットンの雪壁。目線を少し上に向ければ極彩色の飛行機雲。
いや違う。これは下着だ。ショーツだブラジャーだ。
息をいっぱいに吸い込むと何やらいい匂いがするようだが、これは秘密の花園へと足を踏み入れたことからくる興奮による幻嗅であろう。
勢い込んで下着売り場に入ったはいいが、何をすればいいのかとんとわからない。「ええいままよ」とここに至るまでの間に鍛え上げられた精神力を活かし、私はこちらをちらちらと伺う女性店員の一人へと向かった。
「モシモシ チョット ヨロシイ デスカ」
刮目して聞くがいい。この本場仕込みのエンペラーズジャパニーズを。そんな流暢な私の日本語が通じたのか、店員は「何をお探しですか?」と、にっこり微笑んできた。
さて私は何を探すべきであろう。まずはちんこの言う通り、性器に適度な緊張感を与えるためにショーツは必要であろう。彼は言及していなかったが私の胸にも緊張感が必要かもしれない。ならばブラジャーも必要であろう。
だがそれらをどのように探せばいいのかわからない。
私は正直な言動を心掛けていた。だが正直者でいようとした結果、世間一般と相容れることはできず、女性っ気のない孤独の道を歩み続けることになってしまった。
「嘘も方便」という言葉がある。それは知っている。
だが今まで私はこの言葉に納得すことができなかった。たとえ方便であるとはいえ噓をついたのならば、その嘘を嘘であり続けさせるために噓を重ねることとなる。そしていずれは二枚舌が三枚舌となり、三枚舌が四枚舌。そして最後はすべて閻魔様に引っこ抜かれ、地獄の鬼どもに供されるタンシチューと成り果てるに違いない。
もしこの場に下着を買いに来ていたのが、男の姿の私であったならば「彼女へのプレゼントで~~」などと噓をつくことを緊急避難として選択したかもしれない。だが今の私は黒髪の乙女。そんな理想の美少女の舌を地獄の閻魔大王に抜かせるわけにはいかなかった。
何より「知るは一時の恥、知らぬは一生の恥」
黒髪の乙女に『月極』を『げっきょく』と大勢の人の前で読んでしまった私のような一生消えぬ恥を負わせることはあまりに不憫であった。
初めて下着を買いに来たことを店員に正直に告げる。女性の下着をつけたことがないことも。
何やら馬鹿にされたり辱めを受けたりするのではないかと思って戦々恐々としていたが、特に変わった様子もなく私は奥の試着室に案内された。
その様子に私は店員のプロフェッショナルたる矜持を感じ、「次回もまたここで買おう」という決心を固めた。
試着室に私を案内すると女性店員は私にサイズを測るために服を脱ぐように伝えてきた。Tシャツやジーンズと違って、巫女装束は切るのが非常に面倒だったので気が進まなかったが、文明人の嗜みとしての下着を手に入れるためには背に腹は代えられない。
帯をほどき、袴を落とし、白衣と襦袢を脱ぎ捨て、下着を着けぬ生まれたままの姿を曝け出すと、彼女は一瞬戸惑ったような顔をしたものの。何も言わずに私の魅惑の肉体の各部分のサイズを測り始めた。
その様子に私は再び店員の(以下略)、「次回もここで」(以下略)。
そうして「Bの78ですね」と伝えてくる店員に私は素朴な疑問を口にした。
「やはり小さいのですね?」
「いえ、平均的な部類だと思いますよ」
私は愕然とした。自分で確認したときに、慎ましい、と思ってしまったこの胸は平均的なものだというのだ。
私の知る世界は小さかった。
夜毎、猥褻作品を見ては、乳とはふっくらとしたボールのようなものであろうと想像を逞しくしていた。この黒髪の乙女のような。なだらかな丘のような乳を持ち、胸の小ささに悩む女性キャラクターを見ては、俗にいう貧乳とはこのようなものであろうと思っていた。
しかし世の中の女性はこの慎ましやかな黒髪の乙女の胸と同程度の女性が多いというのだ。今まで盗み見てきた街を行き交う女性たちの乳は、この乙女の乳よりも大きく見えたというのに。
一体世の中はどれだけ虚飾に溢れているのだろう!!
そう残酷な新事実に私が打ちひしがれていると店員はいつの間にか消えていた。しかし消えてしまった店員がどこにいるのかときょろきょろとしていると、すぐに彼女は手に何やら持って試着室へと帰ってきた。彼女が持ってきたのは水色下着。
個人的見解から言わせてもらえば、私は黒や赤などの大人の色香を漂わせる下着が好みであった。それを清楚な乙女が身に着けることからくるギャップが私の視床下部を刺激し、今では神となってしまったかつての相棒をいきり立たせたのである。
だが下着にも、おっぱい同様、貴賤はない。赤、白、黄色、どの下着をつけても美少女は美少女だ。
――上下が揃ってさえいれば。擦り切れて穴が開いていなければ。そもそも理想の乙女はそんなものを身に着けない!!
そんな私にとって店員が持ってきた水色下着はベストではないにせよ、有り余る魅力を放つものであった。
店員の指示通り、紙でできたショーツを履き、まずは下から未知への経験へと体を委ねる。
なんということであろう。見た目にはとても小さく思えたその布切れはどこまでも伸び、優しく私の臀部を包みながらも心地よい緊張感を与えてくるではないか。紙のショーツを下に履いているため、今はよくわからないが、足を通したときに触れた肌触りもとんでもなく滑らかなものだった。
部屋に脱ぎ捨てたままの私のトランクスを思い出す。
三年連れ添った私の灰色トランクスよさらば。これより私は女性用下着と添い遂げる!!
次に店員の指示に従ってブラジャーをつけることとした。彼女の言うとおり、肩ひもをかけ前かがみになる。下着の位置を合わせて抑え、ストラップを後ろに回しホックを止める。立ち上がって鏡を確認していると、店員が胸を肩の方向へと引き上げてくれた。
――おお。もはや感嘆の声しか出ない。
怜悧な印象の乙女が、水色下着をつけることによって可憐な少女に変貌しているのである。慎ましやかだった胸もこころもち大きく見える。
初めての体験に恥ずかしがるような、それでいて自らの美しさに気づき静かに興奮しているような、少女から大人へと続く階段を上り始めた下着姿の美少女がそこにいた。
なんという下着マジック。さらに称賛されるべきはこの下着を選んだ店員である。
私は三度、「次回もここで買おう」と決心を固めた。
その場で買い上げることを伝えた後、値段を聞いて私は新たなる決心をした。
次回は町のファッションセンターで買おう、と。