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討性黒子男神、出雲珍道中 02

 新幹線の窓の外を左から右へと吹き飛んでいく景色を楽しみながら一時間半もたてば、中国地方の交通要所、大都会とも小都会とも判別の付かない岡山である。

 ちんこはこれから乗らねばならぬ特急列車の旅を思い、気分転換と体のりのほぐしも兼ねて、この街をぶらぶらと歩くことにした。

 たった一人で歩く見知らぬ街の光景を思い浮かべて、ちんこはほのかな期待にぶるりとする。

 

 思えば、ちんこは洛中の世界しか知らないのだ。二十年と半年もの間、ちんこの宿主であった大宮は性欲の権化のような男――今は黒髪の乙女――ではあったが、パンツを履く一般的日本人としての感性と、下半身を公共の場所で露出しない程度の良識を持っていた。つまりたとえ大宮の体にくっついていた頃、北は北海道、南は高知まで行ったとしても、ちんこがその土地の空気を味わうことは風呂場、もしくは便所でしかできなかったのである。

 ちんこの脳裏をアンモニア臭のする思い出がちらりと掠めた。

 その幻臭を吹き飛ばすかのように軽く頭を振って歩き出す。


 ちんこの岡山における散歩は素晴らしいものだった。瀬戸内海性気候による、この先三か月は雨が降らないのではないかという抜けるような青空。山々の木々も色づき始め、目を楽しませる。晩秋の訪れを予感し「温泉の恋しい季節だな」とちんこはやわらかい湯のありがたさを思った。

 見知らぬ街の大通りをぽてぽて歩き、見知らぬ街の裏通りをぴょこぴょこ覗き、見知らぬ街の路地をすいすい進んでいくうちに、ちんこは自分がどこから来たものだかわからなくなってしまった。迷ったのである。たとえ彼が古今類を見ないエリートちんこだとしても、初めて尽くしの一人旅ではこのような失敗もあろう。

 周囲を見渡せば高いコンクリート塀に囲まれた家が並んでいるばかりで、目印になりそうなものもない。


 帰るか、と自分の位置と駅の方向を確かめるためにスマートフォンを取り出そうとしたところで、ちんこは何か小さな声が聞こえたような気がした。

 顔を上げて周囲を見渡してみても、ちんこの他に声を出すような存在はない。ただただほのかに色づきかけた庭木の葉が風に揺れているばかりである。風の音か空耳か、とちんこが無理やり納得しかけたところに「もし」ともう一度声がした。


 声のした方を見やると電柱と張り出した庭木の枝の陰に隠れるようにして十二、三歳くらいの少女がへたり込んでいる。このような少女が困った様子でいたならば、大多数の善男善女は心配して声をかけるだろう。


 だがちんこは声をかけなかった。もちろんちんこは善男善女ではない。ちんこである。

 だが洛中の妖怪や神が一目置くほどの善神である。困っている人を見捨てる、などという理由からではないのだ。


「持病のしゃくが……」


 隠すように顔を伏せたまま、このような言葉を吐く少女が単にとんでもなく胡散臭いのである。

 肌寒い季節だというのに、真夏の格好である、白いレース地のワンピースを着ている。

 さらに言うなら何やら獣臭い。そしてどこか嗅ぎ慣れたような匂いもする。

 普通ならばこのまま去るのが上策だろう。だがちんこは普通ではなかった。彼は善神なのだ。

 もし本当に少女が困っていたとすれば神としての名が廃るではないか。

 そしてもう一つ。説明のつかない、どこか嗅ぎ慣れた匂い。それがちんこに少女を見過ごすことを拒ませた。


「貴君。大丈夫か」と彼は少女に近づき、声をかける。

 その声に少女は顔を伏せたまま「どこのどなたか存じませんが、ちょいと腰を撫でてくれませんか」と返す。


「こうか」「もう少し強く」「こうか」「もう少し優しく」「こうか」「もう少し」「こうか」「もう少し」


「こうか」


 ちんこが少女の腰をさすり始めていくらかの時が経った頃、やおら少女が顔を上げ左腕を鋭く振るった。


「隙ありッス! 珍宝頂戴!!」


 しかしその腕は宙を切る。


「……ってあれ? いない?」

「……どこを見ている? 後ろだ」

「いつの間に後ろにっ!?」


 もし少女の背後で彼女の腰をさすっていた者が男だったならば、少女の腕は男の腰のあたりを薙ぎ払い、男の急所に直撃していたであろう。

 しかし少女の腰を撫でていたのは神だった。討性黒子男神キサノクロコマラオだった。もう少し端的に表すならばちんこだった。たとえエリートちんことはいえ、ちん長は男性の腰の高さに遠く及ばない。よって少女の男性の急所を狙った一撃はちんこのはるか頭上を空振ったのだ。

 さらにちんこは少女を介抱するため、彼女の腰に張り付いていた。つまり少女が突如振り向いたとしても、常にちんこは彼女の背後にいることになる。言ってしまえばそれだけのことだ。


「このっ、ぼくの背中から離れろッス!」

「仕方のない」

「やるッスね……って、ええっ!? ちんこ!? え、ちんこ!?」


 自分の腰から飛び降りたちんこを見て少女は驚きの声を上げた。そんな少女にちんこは幾分不満そうに声を返す。


「私は神であり、討性黒子男神キサノクロコマラオという名があるのだが……」


 ちんこは自分が神であることに誇りを持っている。彼をちんこ呼ばわりしていいのはたった一人の阿呆だけなのだ。


「……ま、まあいいッス。もぎ取る手間が省けたってものッスよ。おとなしく捕まるがいいッス!」


 少女が鋭い動きで飛びかかってくる。が、ちんこはそれをスッと体全体を軽く左に傾けることで回避した。ついでとばかりに回避際、軽く触れた少女の腕にほんの少しの力を伝えてやる。たったそれだけで少女の突撃運動エネルギーのベクトルは彼女が思いもしなかった方向へと向くこととなり、


「うわあぁっ!!」


 結果として彼女の体は宙を舞うこととなった。

 消力シャオリーと合気を組み合わせた、ちんこによる全く新しい格闘術――天下テンガ神拳ちんけんである。

 

 ちんこがその姿に見合わぬ戦闘力を有していることに驚く者もいるだろう。

 だがちんこ――討性黒子男神キサノクロコマラオは洛中に勇名をはせるエリートちんこである。

 彼は宿主であった大宮が性に目覚めて以来、数多の苦難に耐えてきた。数多の試練を乗り越えようとしてきた。ある時は毒虫の汁に耐え、ある時は唐辛子に激痛に。ある時は熱湯に耐え、ある時は超低温に耐えた。

 そしてそれらを一つ乗り越える度に、ちんこは一つ強くなってきたのだ。大宮の性の目覚めより、九年と二か月。ちんこが苦行をこなした回数は三万回に及ぶ。

 才能を持つものが努力を怠らなかった結果どうなるか。その答えがここにある。

 あわれ、少女はちんこに飛びかかる度にくるくると風に舞う木の葉のように吹き飛ばされ、その度に地面との熱いキスを味わうこととなった。


「貴君、もうやめないか?」


 よろよろと擦り傷まみれになりながらも、なお立ち上がろうとする少女に向けて、ちんこは声をかける。


「くそっ……! こうなったら……」


 少女はその声と共にバネのように体をたわめ、地面すれすれにちんこへと疾走する。

 そして――。


「お願いッス! ぼくに力を貸して欲しいッス!」


 見事な土下座を決めた。


       ○


「ぼくはこのあたりに住む狐で、梅田梅太郎と言うッス」


 ちんこの前に見事な土下座を決めたまま、少女はそう自己紹介をした。


「私は討性黒子男神キサノクロコマラオと申す……ん? 梅太郎? 貴君は女子おなごではないのか?」

「そうッス。このような姿をしているッスが、ぼくはれっきとしたオス狐ッス。だけれども実は……とある事情でこの姿から戻ることができなくなってしまったッスよ」

「事情とは?」


 ちんこは梅田と名乗る狐に、顔を上げ普通にするように促しながら尋ねた。誰も通らないような小さな路地とはいえ、少女を土下座させたまま、というのはいかにも体裁が悪い。

 梅田は顔こそ上げたものの、土下座の体制は崩さず続ける。


「鬼ヶ島に住む鬼に化け力の源を奪われてしまったんス……。あれがなければ一生この姿のままッスよー!!」

「そうか。それは災難だったな」

「このまま巣穴に戻ってもぼくの家族はぼくだということに、たぶん気付かないッス……。そ・こ・で! どうか化け力を取り戻すために、お力を貸していただけないッスか!」


 ちんこはしばし瞑目して――何度も言っているように目などないのだが――考える。

 現在、ちんこは出雲において開かれる神々の会合に出席するための旅の途中である。

 だが。

 移動による疲労を考えて前日に現地に着くようにしていたが、明日の朝一の特急「やくも」に乗車したとしても十分に会合には間に合うだろう。

 さらには。

 ちんこは善神である。彼の巫女を守るために善神氏神守り神であり続けようとも決意している。ならばここで梅田狐を見捨てるわけにはいくまい。それは討性黒子男神キサノクロコマラオの善神としてのありようを揺るがす行為だからだ。


 そこまで考えてちんこは自分の考えに少し嫌悪した。

 ――善神であるために善行を積むなどと。

 そうして自身を戒める。

 ――もし次があるならば。助けたいから助ける。そう思えるようになろう。


「……で、奪われた化け力の源とは?」


 ちんこは後ろめたい気持ちを押し隠すようにして殊更に厳めしく梅田狐に訊ねる。

 その声に、不安そうな顔をしていた梅田はちんこが彼――今は彼女だが――を手伝ってくれる気になったことに気付いたのだろう、パッと顔を輝かせて答えた。


「はい! ぼくのおちんちんッス!」


 ちんこは梅田から漂っていた嗅ぎ慣れた匂いの正体に思い当たった。

 これは阿呆だ。京都で自分を待つ彼の巫女と同じ阿呆の匂いだ、と。

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