討性黒子男神、出雲珍道中 01
番外編のスタートです。
このシリーズは気が向いたときに更新していくつもりなのでブクマ外さないでください(切実)!
なお、出雲珍道中は最後まで書いてますよー。
九月三十日の朝のことである。
巫女装束を着た乙女が京都駅新幹線改札口前に立ち、行き交う人々の視線を集めていた。
腰まで伸びた黒髪を冴え渡った青空の下になびかせているその様は、たとえ彼女が眉を顰め、口をへの字に曲げ、ふてくされたような顔をしていようとも、見る者の心を奪う美しさである。実際、彼女は絶世の美女――現代における幻の秘宝、黒髪の乙女――と呼ぶにふさわしい。
だが彼女に目を向ける者たちはもう一つの特異な光景に目を見張り、眉に唾し、首を傾げ、関わりにならぬよう遠目から見守るだけである。
それはなぜか。
ちんこである。
古都に似合わぬ様子でそびえ立つ京都タワーのごとく、雄々しく異様なその存在感を主張するちんこが乙女の前に勃っているのである。
かのちんこの京都タワー屋上展望台のように外へ向かって張り出した部分の少し下――カリ首には特徴的な黒子があるのが見て取れる。
このちんこ、名を討性黒子男神といい、れっきとした神である。
ある阿呆大学生の三万回にも及ぶ生産性皆無の桃色ワンマン遊戯に辛抱強く付き合った結果、神通力を得て神となり、阿呆大学生の肉体から独り勃ちを果たしたのだ。
以来、このちんこは阿呆大学生の氏神としての人生だか神生だかちん生だかうまく判別がつかないが、役割を全うしている。
わずか十年足らずで神となり、役目をそつなくこなすエリートちんこ。それが討性黒子男神である。
一方でそのちんこを失った阿呆大学生はどうなったのか。
その阿呆大学生、名を大宮という。
彼が朝目覚めると、自分の肉体が理想とする黒髪の乙女となっていたことに気づいたのは二月のことである。
男の象徴であるちんこを失ったまま男の姿であり続けるのはあまりにも不憫である、とのことでちんこ――討性黒子男神の神通力により、彼が理想としていた女性の姿に変えられていたのだ。
もっとも彼――今は彼女だが――は己のちんこを甘い阿呆恋物語の末の桃色遊戯のために正規使用することができなかったことをひどく悔やみ、己のちんこと再合体するための神通力の修行にちんこの下で励んでいる最中である。
そのためほぼ四六時中、大宮は巫女装束を着ている。まずは形から入るのが大宮流の精進の道であった。元男であるのに、女性らしい格好仕草生活態度をとっているのもそこからくるものである。
つまり新幹線改札前で場違いな姿を晒している黒髪の乙女とちんこは元は一心同体の男であったということだ。
そして今となっては二心異体である。二心異体であるため、ちんこはどうして大宮が不機嫌そうにしているのかが理解できなかった。
昨日は出雲に行くちんこを笑顔で慰撫し、荷造りをし、木屋町のバーで飲み慣れぬはずの酒を圧して朝までちんこに付き合った大宮であるが、タクシーが京都駅に近づくにつれ不機嫌そうな態度を表すようになっていた。そして京都駅に着いた今ではその不機嫌っぷりが目に見えて周囲に垂れ流されている。
京都の玄関口たる京都駅でこのようなどす黒いオーラを振りまいていては、京都の品位好感度観光収入その他諸々がダダ下がりになる恐れがあった。そもそもただでさえ京都は慇懃無礼で面倒くさい京都人という爆弾を抱えているのだ。これ以上のマイナス要素は観光地としての命取りである。
「貴君、京都タワーの地下には大浴場がある。昨日は朝まで飲んでいたせいで風呂に入る機会もなかっただろう。この後、そこに行くといい」
ちんこは大局的視点から京都の危機を予見し、彼の巫女に対して努めて優しく語りかけた。
「何だと?」
しかし大宮はその切れ長の目をさらに細くして、ちんこに一段と不機嫌そうに返した。彼女は足元のちんこに一歩詰め寄り、腰を曲げ、整った顔をしかめてちんこに近づける。
「それは私が臭いということか? 黒髪の乙女といえどもやはり生き物。風呂も入らず一晩騒げば洗ってない犬の匂いがするということか?」
「そういうことではないし、そこまでは言っていない」
「ならばどういうことか。黒髪の乙女たるものとして、身だしなみには滅法気を使っているというのに」
「単に貴君も夜通し酒を飲んで疲れているのではないかと――」
「余計なお世話だ。そもそも大学生の常として朝まで百万遍あたりの飲み屋で騒ぐものだし、疲れたなら疲れたで講義をすっぽかすものだ」
「講義をさぼってはいけない。貴君はただでさえ適当な生活を送っているのだから、これ以上の堕落は命にかかわる」
「……私は高等遊民になりたいのだ」
「空恐ろしいことを」
ちんこは頭を抱えた。抱えるための腕などないのだが、微妙な角度と動きで表現されたそれはそうとしか言いようがないほどの見事な感情表現の豊かさであった。
ちんこがない腕で頭を抱えていると、大宮が口を再び開いた。
「どうしても行かなくてはならないのか」
彼女の絞り出したようなその声には、迷子になってしまったが頑なにそれを認めない子供のような不安不平不満不機嫌さが見て取れた。
「たかだか縁結びの会合だろう」
「たかだかではない。私のような新米神が伝統の大行事をすっぽかすわけにもいくまい。古来より綿々と受け継がれてきた会合の沽券にかかわる」
「そもそも出雲に全国の神々が集まるのは旧暦の十月ではないのか?」
「貴君、現代社会はさらなるグローバルな展開を見せている。ならば太陽暦に合わせることくらい、どれほどの問題があろう」
「伝統はどうした。古来よりのしきたりはどうした」
ちんこのしれっとした答えにうんざりとしたような声で返す乙女。そしてそのまま仏頂面でちんこに言葉を続ける。
「そもそもお前に仕える私に桃色遊戯の相手がいないのに、どこの馬の骨とも知らないような奴らの恋愛成就の片棒を担ぐなどどういう了見だ」
「貴君に桃色遊戯の相手がいないのは貴君自身の問題ではないか? 今までも狙いすまして恋の誤手を打ち、ねじくれたコミュニケーション能力の暴走により次回への布石をことごとくダメにしてきた。その乙女の姿になって以降はさらにひどい。理想の恋物語、理想の女性像を追い求め迷走に迷走を重ねている。いったい貴君は私にどのようなフォローを求めているというのか」
「ぐう」
大宮はぐうの音も出ないほどにやり込められた。だがそれを認めることを良しとせず、ぐうと答えることで精神の平衡を保とうとした。そんな彼女の様子を知ってか知らずか、ちんこはさらに言葉を続ける。
「そもそも貴君は自堕落に過ぎる。いいか、私がいなくとも大学の講義は残らずに出席し、私の神殿となっている貴君の部屋を掃除し、規則正しい生活を心がけ、即席物だけでなく野菜をしっかりとるようにするのだぞ」
「……私はよっぽど信用がないのだな」
「信用できない、という点ではこれ以上ないほどに信用しているとも」
ますます不機嫌そうな顔を強める大宮。
彼女のプライドをこてんぱんに傷つけてしまったかな、とちんこは彼女の顔を見てちらりと思った。ちんこはこれ以上彼の巫女を刺激しては京都の経済活動に深刻な影響が出ると判断し、荷物を自前の袋に押し込み、改札口目指して歩き始める。
ちんこにはもう彼の巫女をなだめる手段がないと考えたのだ。
だがちんこは勘違いをしている。黒髪の乙女が不機嫌なのは、寝不足からでも、ちんこが口うるさいからでも、桃色遊戯の相手がいないからでもない。
大宮は男であった時も黒髪の乙女となった後も、山陰地方に行ったことはなかった。ど田舎とはいえ京都府で生まれ育ち、阿呆とはいえ京都市で大学生活を曲がりなりにも送っている大宮にとっては、日本海側地域など世界の果てのそのまた果て。中国山地の向こう側は百鬼夜行の異界である。でなければ、どうしてラバウルからの帰還兵が子細な妖怪本を出すことができるのだろう。
ただでさえ魑魅魍魎蠢く世界の果て――出雲に、全国津々浦々八百万の神々が集まるのだ。
集まって、そのあたりを歩いている男女の縁を「あーでもないこーでもない」と言いながら、結んで開いて手を打って結ぶための会合だと知識としては知っていても、大宮は自分のちんこ――自分の仕える氏神――が出雲に行くことを了承することができなかった。
自分のちんこが神となり、自分の肉体が黒髪の乙女となった今となっては、大宮は彼岸のモノ共がこの世界に存在することを知っている。
犬猫やガラクタでさえも歳経れば妖怪となり、街に目を凝らせば天狗や神が千鳥足で闊歩しているのだ。現世と幽世の境目は大宮が思っていた以上に曖昧であり、幽世の存在たちがその気になれば、ひょいと軽く飛び越えることのできる程度のものであったのだ。
だがいくらこの世のものとは思えないほどの美しい黒髪の乙女であるとは言っても大宮はこの世の人間である。神通力の修行をしているとはいえいまだ現世の人間である。人間である彼女にとって妖しき世界への境界線を乗り越えることは並大抵のことではない。たとえちんこが幽玄世界に行ったまま帰ってこないとしても、彼女には追いかける手段がないのだ。
つまりは。
大宮は自分の分身たるちんこが、自分の手の届かないところに行ってしまうのが怖かったのだ。
やっとそのことに気付いたのが、今朝、ちんこを京都駅に送り届けるタクシーの中、というのが彼女の阿呆なところなのであるが。
そして怖かったからこそ、大事なちんこを行かせたくなかった。しかし曲がりなりにも神や妖怪たちのしがらみも理解はできるため「行くな」とも言えない。
京都市に二年半近く住むことで、面倒くさい京都人気質を開花させつつある大宮だった。
だが面倒くさく阿呆な大宮であろうと「大切なことは言葉にしないと伝わらない」ということは理解しているのだ。
鹿苑寺は黙っていてもその姿から金閣寺である、と人を納得させることができる。だが慈照寺はその姿を見ても銀閣寺と納得する人はいない。つまりよっぽど単純明快な事実でなければ、言葉にしないと何事も伝わらない。「沈黙は金、雄弁は銀」である。
ならば。どうするか。
大宮は息を吸い込んだ。
改札の向こうへとぴょこぴょこと進むちんこの背中に「ちんこよちんこ」と大宮の声がかけられた。ちんこが振り返ってみると、彼に背を向けたまま黒髪の乙女が何やら声を出している。しかし言語の体をなしていない。「あー」だの「うー」だのといった曖昧音声である。
だがちんこは彼女の声に込められた意思を読み取った。
「うむ、行ってくる。貴君こそ気をつけてな。土産は出雲そばでいいか?」
ちんこの声に巫女の腰まで伸びた黒髪が犬のしっぽのようにぶんぶんと振られた。そのまま黒髪の乙女は地下鉄乗り場を目指して歩いていく。
その様子に満足したかのようにちんこも駅構内の雑踏の中に紛れていく。
もうお互い一度も振り返らなかった。
かくして、ちんこは出雲へと旅立ったのだ。




