十二月 01
十二月。教師講師どころか阿呆学生までもが走り回る季節である。もっとも学生が走り回るのは宗教的成功者の生誕祭にかこつけての乱痴気騒ぎ及び桃色遊戯のためではあるが。
季節は既に冬。京都の街は夏も泣きたくなるほど暑いが、冬もまた叫びたくなるほど寒い。底冷えのする乾いた空気が四方の山から吹き降ろしてくるのだ。この底意地の悪い寒暑の差に揉まれて京都人は底意地が悪くなっていく。京都に長年住む者ほど性根が悪く皮肉屋なのはこのためだ。
さらにはテレビの予報によると、例年よりも一段と厳しく寒い冬になるらしい。
その理由が西からごうごうと吹き降ろしてくる強風である。
十月から続くこの西風は、日に日に強くなっていき、強く吹き付けて京都の気温を下げるだけでは飽き足らず、いまや寺の庭木や瓦、看板や電飾を観光収入やクリスマス特需と共に吹き飛ばし、坊主や観光客、商売人たちから非常に不興を買っている。一方で、クリスマス気分やイルミネーションの電飾、日本一短いとされる京都の女子高生のスカートを吹き飛ばすこの風を、諸手を挙げて受け入れる人間たちもいたが。
がたがたと窓を揺さぶるそんな風の音を聞きながら、私がこたつ兼、寝床と化した学習机で年末に提出するためのレポートを仕上げていると「こんばんは」との声が呼び鈴と共に響いた。茨木先輩の声である。私は先輩を迎え入れるために扉を開いた。
「おや。誰ですか」
見覚えのない美女が手に息を吐きかけながら立っている。彼女の美しさは、毎朝鏡で見ている黒髪の乙女たる私に勝るとも劣らない。私がこの人物は誰だったかと考えているとその美女は
「私だ。茨木だ。師匠の顔も忘れたのか」
と私の部屋に体を滑り込ませながら言った。
その声は確かに、いい加減な美女であった茨木先輩である。大学を卒業するため仙人活動を一時的に休止している彼女からは、隠しようにも隠し切れていなかったうさん臭さといい加減さがごっそりと抜け落ち、まるで別人。むしろかっこいいとまで言えるほどだ。
先輩は私の六畳間に上がり込み、がたがたと音を立てる窓を見ながら「今年は一段と冷えるだろう」と言った。「そうですね」と私が相槌を打つと、彼女は忌々し気に舌打ちする。そして「これもあのクソ天狗のせいだ」と続けた。
「クソ天狗というと、あのアロハを着た嵐山」
「そう、あいつがこの風を吹かせているんだ」
「なんと嵐山殿が?」
読書をしていたちんこが驚きの声を上げた。
その声を聴きながら、私は先輩に座布団を用意しつつ、十月の事件を思い出す。
嵐山。茨木先輩を弟子にしようと押しかけてきた天狗である。この乙女たる私の冴え渡る頭脳と先輩のアクロバティックな活躍で、彼の住まいである愛宕山に叩き返したはずだが。天狗はプライドの高い存在だと聞く。勝負に負けた恥ずかしさから、しばらくは大人しくしているはずではなかったのか。
あの事件から指折り数えても、人の噂が雲散霧消すると言われる七十五日には届かない。だが今は高度情報通信社会。世界中から多種多様な情報が集まってくる。ならば人の噂はあっという間に掻き消え、七十五日を待たずして嵐山天狗が活動を再開していたとしてもおかしくはないかもしれない。
そんなことを考えている私の横で、ちんこが読んでいた本を閉じ、続けて口を開く。
「あのお方は強大な神通力を持っていらっしゃるが、まさかこのようなことをなさるとは――」
「もしかすると十月の件を根に持っているということですか?」
と私が問うと、ちんこが私を見上げて「貴君、私がいない間に何かしでかしたのか?」と少し怒ったように詰問してくる。私は知らぬ存ぜぬを押し通す。
そんな厳しい口調のちんこに、先輩は上着を脱いで座り込みながら「いえ、違うのです」と語りかけた。
「実はこの風、天狗のくしゃみによるものなのです」
「病気ということですか?」
と訊ねる私に、先輩は「体が芯まで冷えた。何かくれないか」と要求する。私に淹れさせた熱い茶を一口飲んだ後、うんざりとした調子で再び先輩は口を開いた。
「十月からその兆候はあったらしいがな。見栄を張って養生しなかったら、ここまでひどくなったらしい。まったく、これだから魔道に落ちた馬鹿は困る」
「魔道ではなく桂川に落ちたことが原因では?」
「貴君らは一体、嵐山殿に何をしたのだ?」
「ちんこよ。色々あったのだ」
しかしなぜ嵐山天狗と一緒に川に落ちた先輩はピンピンとしているのだろう。私の脳裏に「馬鹿」の二文字が明朝体でくっきりと浮かび上がった。
やはり風邪を云々という巷間の噂は本当だったのか?
だが、そんな私の疑問を吹き飛ばすような明確な答えを先輩は明示してくれた。
「そうしてあいつは天狗熱にかかったらしい」
「はあ。デング熱ではなく?」
「天狗熱。天狗だけがかかる病で、くしゃみ鼻水高熱節々の痛み、眩暈頭痛止まらぬ咳に喉の痛み、と凡そ考えうる限りの風邪の諸症状が一度にやってくる業病だ。ざまあみろ、という気持ちもあるが。毎日毎日風を吹かせられてはたまったものじゃない。今朝方なんか部屋に瓦が飛びこんできて、もう少しで死ぬところだった」
先輩はそう言うと「あいつは私に迷惑をかけるためだけに存在しているのか」とため息をつく。そして彼女は「よかったらでいいのだが」と前置きして、
「そこで大宮君、薬を作ってくれないか?」
と言った。
「なぜ私が?」
「天狗熱を癒す仙薬は仙人しか作れないからだ。私は卒業するために今は真面目に生きているから仙人ではないしな。一方、君は修行中とはいえ一応は仙人だ」
「カラス仙人の烏丸さんがいたでしょう」
「彼は仙人だが、元々はカラス天狗だからな。天狗熱を伝染されて寝込んでいるよ。起き上がって薬を作るなど、とてもとても」
「そんなに天狗熱とはひどいのですか」
「布団から一歩も外に出ることができない、とメールが届いたよ」
「それでは」と、私は先輩の頼みを二つ返事で引き受けることにした。
以前争った嵐山とは違って、烏丸は私と共に乙女への信仰を抱く同志だ。その彼を助けると思えば薬を作ることも吝かではない。それに彼は幾度となく着替えとなる新しい巫女装束を送ってきてくれているのだ。その恩に報いるならば今だろう。妙にコケティッシュなデザインの巫女装束も送られてはきていたが。
ミニスカとはなんだ!! 巫女服にニーソックスとはなんだ!!
黒髪の乙女たる私の、世界遺産にも匹敵する美脚を惜しげもなく晒し出すデザインのそれを着て、街行く有象無象の目を楽しませることなどお断りさせてもらおう。
どうしても鑑賞したいのならば、同じ世界遺産の二条城や清水寺のごとく拝観料を要求する!! 私の美脚は西本願寺のように万人に開かれてはいないのだ!!
○
私はファンヒーターの前で、茨木先輩から指示されたものを、買ってきた大きなすり鉢の中で一心不乱に混ぜ合わせる。
養命酒、葛根湯、はちみつ、ユンケル、大根、焼きネギ、その他諸々。
先輩によると、体に良さそうなものをとにかくたくさん混ぜ合わせるのが仙薬の秘訣だそうだ。この混ぜ合わせる数が多いほど効力の強い仙薬になるという。
無心ですりこぎを動かしていると、冬にもかかわらず額に汗が浮かんでくる。その汗をちんこがスポイトで集める。これも先輩に指示されたことだ。仙薬に欠かせない材料のうちの一つ『乙女の汗と涙の結晶』を用意しなければならない。涙は既に玉ねぎを刻んで集めてある。
ちんこの「これはナイトスクープで見たことがあるな」という言葉に頷きながら作業を続ける。やがて指示通りに混ぜ合わせた結果、ドブ色の得体のしれない妖気を放つ何かとなった仙薬に、乾煎りして水分を飛ばした『乙女の汗と涙の結晶』を加えてさらに混ぜ合わせる。そうして出来上がったでろりとした仙薬を先輩は手早く二つの瓶に詰め、一つを自分で持ち、そしてもう一つを私に渡してきた。
「仙薬の消費期限は半日だ。嵐山の方には私が持っていく。君は烏丸に持っていってやってくれ」
「わかりました。……先輩は嵐山天狗が好きなのですか?」
「……なぜ今そんなことを?」
「今の先輩はいい加減な仙人ではなく、真面目な八回生ですから。前回はぐらかされた質問にも答えてもらえるかと」
「真面目な八回生と言うのも不思議な言葉だな」
と笑った後、上着を羽織りながら「正直に言うと」と続けた。
「嫌いだよ。傲岸不遜で世の中の全てが自分の思い通りになると思っていて、都合が悪くなればすぐに癇癪玉を破裂させる。古臭い考えで頭がコチコチになっていて、人の話をロクに聞かない。髪はぼさぼさの上、年中同じアロハシャツを羽織っていて清潔感やセンスというものが感じられない。私を天狗にしようと数十年付け回す。しかも何度追い払っても煙に巻いても、あきらめない。やっぱり大嫌いだよ」
「……嵐山殿もとんでもない言われようだな」
とちんこが呟く。それに「討性黒子男神様のご友人の悪口を言って申し訳ありません」と先輩は返しながら「だが――」と続ける。
「私が不老長寿の仙人となってから、まともに関わりあえる相手は少なくなってしまったからな」
そう言うと先輩は少し寂しそうに笑った。そして上着の裾を翻し「君はその点、討性黒子男神様と共に居られるからうらやましいよ」と言った後、ごうごうと吹き付ける西風の中、速足で私の下宿先から出て行ってしまった。




