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十月 01

 窓を開ければ、涼しい風が午後の日差しと共に六畳間に入り込んできて、快適なお昼寝環境を整えてくれる。

 そして畳に寝転んで見上げる空は雲一つなく、つまらない感情など空高く吸い込まれていきそうである。

 だが。

 つまらない人間と一線を画す黒髪の乙女たる私の感情は、やはりつまらない人間と一線を画すモノであり、私の不機嫌感情は空に消えることがない。それゆえ私は魅力的な乙女の腹を立てたり撫でさすったりして、ごろごろと過ごしていた。

 それはなぜか。今月は十月である。そして神無月である。

 八百万の神々が、全国から出雲へと集まり『あーでもないこーでもない』と顔を突き合わせて論争しては、男女の運命の赤い糸を結んだり切ったりほどいたりもつれさせたりする月なのだ。そして私の大切な相棒であるちんこも神であり、御多分に漏れず、その集まりに出席している。

 ――二十一年以上もの間、私と黒髪の乙女との間に存在したであろう赤い糸を切り続けた会議に出席するとは。ちんこの奴め。

 そんな私の理不尽な怒りはくすぶり、私をふてくされさせる。だがちんこは京都駅から電車に乗って出雲へと行ってしまった。ゆえに私の不機嫌の虫を諫めてくれる相手はおらず、結果として私は不機嫌感情を膨らませたり萎ませたりして持て余していたというわけだ。相棒であるちんこがいないとどうにも調子が出ない。


「大宮君、いるか? 茨木だ」


 畳の上でふてくされていると、呼び鈴の音と共に、私の仙術の師匠である茨木先輩の声がした。私が畳から身を起こして扉を開けると、深刻な顔をした美女が立っており、牛丼屋のビニール袋を軽く持ち上げて挨拶をする。いつもいい加減な先輩が深刻な顔をするとは珍しい。そう驚きながらも、先輩を中に通す。

 彼女は私の机の前に腰を下ろすと、ビニール袋からプラスチック製の容器を二つ取り出し、そのうちの一つを私に差し出してきた。


「差し入れだ。牛丼だが、食べるだろう?」

「いただきます」

「君も随分変わったものだ。女性になりたての頃は『乙女が牛丼を食べるなど』と言っては周囲を困らせていたというのに」

「八か月近く乙女として過ごして理解しました。この乙女の美を保つことは私の使命です。そのための栄養を補給する機会があるならば、私は焼肉だろうが天一のこってりラーメンだろうが食すのです」


 先輩は『それは君の好物じゃないか』と笑った後、『その仙人的いい加減さを見込んで頼みがある』と再び真面目な顔をしながら言った。


「ある天狗を『きゃん』と言わせてやりたいのだ」


 天狗。鼻の高い大天狗、カラス天狗に代表される小天狗など様々な種類がいるが、一般的には翼をもった山伏の格好をし、赤ら顔で空を飛び、人を魔道に堕とすとされる妖怪である。そして神でもある。

 いきなり何をと訝る私に、先輩は割り箸を割りながら続ける。


「私を弟子にしようとするしつこい天狗がいてな。いつもなら仙人煙草で煙に巻くのだが――。私は八回生だ。後期授業も始まったし、卒業のために真面目に研究やらなんやらをまとめなければならない。そうするといい加減さが重要な仙術を使えなくなる。仙術を使えなければ奴に捕まって無理に弟子にされてしまいかねない」

「そこで、卒業するまで手を出す気になれないほど痛めつけてやりたいということですか。私ができると思うのですか。ロクに仙術も使えない私に」


 民話においてとんちでやり込められるお間抜けっぷりが強調される天狗だが、山を投げ飛ばしたり湖を作り出したりなどの逸話にも事欠かない。そんなでたらめな神通力を持っている相手に挑むことにしり込みをする私に、


「私だって協力するつもりだし、別に痛めつけなくとも、何かしら勝負で負かせばいい。天狗はことわざにされるほどプライドが高いからな。勝負事で負けたとなれば、恥ずかしさからしばらく表には出てこれまい」


 と先輩は自分の牛丼をかきこみながら説明する。

 ならば、と私は先輩から受け取った牛丼をつつきながら、ひとしきり考える。


「かくれんぼ、なんてどうです? 先輩が卒業するまで天狗を隠れさせておくんです。天狗がしびれを切らして姿を見せれば先輩の勝ち。見せなければそのままフェードアウト」

「それは前回の八回生時に使った手だ。二度は通じないだろう」

「……では鬼ごっこ。先輩が鬼で天狗に触れれば勝ち。もちろん相手から触ってきても先輩の勝ちです。これで先輩が天狗にさらわれることはなくなる」

「それは前々回に使ったな。うろちょろ目の前で挑発するボケナス天狗が目障りだった」

「先輩は何度大学生をやっているんですか!! 何歳なんですか!!」

「女性にそのようなことを訊くものじゃあない。……とにかく、そろそろクソ天狗をあしらう手段も思いつかなくなってきたのだ。手助けしてくれないか?」


 この通りだ、と言って先輩は私に向かって土下座をしてくる。いつも泰然と構えている先輩のそんな姿に私は取り乱した。

 先輩の突然の行動に私があたふたしていると、再び呼び鈴の鳴る音がした。これ幸いとばかりに、土下座をしている先輩から逃げ出すようにして玄関に向かい――『待て! 不用意に開けるな!』との先輩の声がしたが――私は扉を開けてしまっていた。

 そこには――季節外れのアロハシャツを纏った鼻の高い天狗が立っていた。


「ここに茨木を隠しているであろう」


 アロハ天狗はジロリと私を睨み下げると、一本下駄をからころと鳴らしながら土足で上がり込んでくる。

 こいつが、茨木先輩を弟子にしようとしている天狗か。先輩のいる六畳間に行かせてはならない。それ以上に掃除が面倒なので土足のまま畳に上げてはならない。と私は彼の行く手をふさぐように立ちはだかった。


「ちょっと待ってください。乙女のプライベート空間にずかずか踏み込むなど」

「なぜ儂が人間の小娘ごときの都合を斟酌しんしゃくしてやらねばならんのだ」


 長い鼻を鳴らして傲慢そうにそう言い放つ天狗に『ただの乙女ではありませんので』と気圧されながらも返すと、彼は『むう』と唸った。


「どこかで見たかと思えば、討性キサノにくっついていた小娘ではないか」

「はて? どこかでお会いしましたか」

「……何度か木屋町で会うたであろう」

「大宮君、こいつは嵐山、という」


 と奥から出てきた茨木先輩が火のついた煙草をくゆらせながら、そう言った。『私を弟子にしようとつきまとうクソ天狗だ』とため息をつく。

 

「そう無理強いせずとも、そのうちに天狗修行を始めるというのに」

「そう言いながらお前は七十年も大学生を続けているではないか! いい加減、待つのも限界だ!! とっとと天狗になれ!!」


 その長い鼻に青筋を立てながら、先輩に食って掛かる嵐山天狗。だが先輩に煙に巻かれないようにか、くゆらせている仙人煙草を警戒していまいち強く踏み込めないでいる。


「そこまで言うのなら私との勝負に勝ってからにすればいいでしょう。勝てないからと言って毎度力に訴えようとするとは、情けない」

「安い挑発だ。もうその手には乗らんぞ」


 とアロハの懐から羽扇を出し、振りかざす。『今日という今日は連れて帰るぞ!!』

 先輩も深く煙を吸いこみ、吐き出そうと――。


「ちょっと待ってください」


 私は二人の間に割って入った。山を投げ飛ばすほどの神通力をまともに受けては、天狗を煙に巻くほどの仙術を持つ先輩はともかく、黒髪の乙女とこの下宿は無事に済まないだろう。『一度も嵐山様は先輩に勝ったことがないのですか』と天狗を煽るように言う。


「だから安い挑発だと言っているであろう」

「治安の悪化、人心の荒廃が叫ばれる昨今、暴力行為に関して世間一般の眼はますます厳しくなっています。天狗とはいえ男性である嵐山様が、仙人とはいえ女性である茨木先輩に攻撃をしかけたならばどうなるか。インターネット上でうごうごする、男女同権のお題目の下、行き過ぎたフェミニズムによる正義を振りかざす人面獣心の鬼どもによって職業住所氏名年齢を特定され、怪文書をばらまかれ、無言電話をかけ続けられるのです。安易な暴力に頼ってはいけない。

 もちろん魔道の道に落ちたとはいえ、羽扇を持つことのできるほどの大天狗であろう嵐山様が暴力を振りかざし、あまつさえ乱用するようなことをなさるわけがない。それは存じておりますが、インターネット上では日々火のないところに煙がもくもく立っているのです。根拠のない誹謗中傷捏造情報によって『あら、この嵐山とかいうちんこのでかそうな鼻をした変人変態天狗、やっぱり野蛮なのね』とあらぬ噂を立てられてしまう可能性は極力排除なさるべきです」

「……茨木、こいつはなんだ?」

「私の弟子です。仙人修行を始めたばかりですが」


 長い鼻を鳴らしアロハ天狗は羽扇を元の懐に戻した。


「仙人煙草を使わず、言葉で儂を煙に巻こうとするとは。未熟だが面白いな。小娘、天狗に興味はないか」


 ありません、と即答したが、天狗は面白そうに口を歪め『だが儂はお前に興味がある』と答えた。

 

「儂は茨木とお前――大宮といったか――を天狗にしたい。儂の比類なき神通力ならば無理にでも、お前たちを天狗にすることができるが――」

「治安の悪化、人心の荒廃が叫ばれる昨今――」

「それはもうよい。いいだろう、お前たちの口車に乗ってやる。茨木と勝負してやろう。だが今回は儂が勝負方法を決めさせてもらうぞ。そしてもし儂が勝ったならば――」

「仕方ない。私『は』その提案に乗りましょう。ですが大宮君は討性黒子男神キサノクロコマラオ様に仕えているので、どうしても天狗にさせたいのなら、かの御方に筋を通すように」


 と茨木先輩は言った。その言葉にふん、と鼻で返す天狗。『あいつは真面目で好かん』


「まあ、茨木の言質は取った。そうだな……『かけくらべ』など良さそうではないか」

「神通力は使わないでください。私は修行を始めて一年経っていない。アンフェアだ」

「なぜ儂が小娘の言うことを聞かねばならんのだ」

「ただの乙女ではありませんので」

「ふん、討性キサノの巫女か。こうるさい奴め」


 ひとしきりぶつくさ言った後、嵐山天狗は、それでも神通力を勝負に用いないことを約束した。

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