八月 02
ちんこが口を開いてからの両親の取り乱しっぷりといったらひどかった。私が高校時代に栄えある全理数系科目赤点という偉業を成し遂げた時以上である。「ちんこが喋った!!」などと大騒ぎをしている。
そんな彼らを尻目に「私の姿に見覚えがないのも無理からぬ話。私が父母殿と最後にお目にかかったのは実に十年以上前の話です」とちんこは続け、ひとまずそこで言葉を区切った。
「おとんもおかんも情けない。私が初めてちんこと話した時でもそこまで取り乱しはしなかったというのに」
私の言葉に母が先に落ち着きを取り戻す。もっとも目を驚愕に見開いたたまま私のちんこを注視しているが。
彼女が落ち着いたと見たちんこは再び口を開く。
「私は言葉に言い尽くせぬ修行の果てに神となり、お二人の息子殿の肉体から離れることとなりました。ですが、冴えない容貌、学業不振、女性に縁のない虚しき青春という三重苦を背負っている彼に、さらに男の象徴であるちんこがない、という新たな苦しみを与えるのも忍びなかったため、我が神通力を用いて息子殿を女性に変えたのです」
「何か……トリックじゃないの? ちんこの偽物にスピーカーやラジコンなんかを仕込んで動かしているとか……」
「おかん、思い出すがよい。私の高校時代の成績を。定期考査において物理科学数学どれをとっても常時十数点を取っていた私がそのような理工学的悪戯行為の下準備をできるわけがないだろう。また他人に伝手を使って成し遂げたとしても、老い先短いおとんとおかんを騙すより、もっと有意義な使い方をするだろう。そして問題はちんこが喋ることではない。私が乙女となっていることだ」
「問題というほど本人は気にしちゃいませんがね」と高槻が茶々を入れてくる。どうしてお前はそう場の空気をかき回したがるのか。睨みつけると高槻は憎たらしく「うひひ」と笑った。
「高槻さんはどうやってこの女性がうちの息子だと信じたの?」と、いまだ呆けている父の代わりに母が尋ねる。
「僕の先輩に仙人をやっている方がいるのですが、彼女から説明されたのです。彼女は信用できる方でしたし、何より僕は大宮の親友です。一発でその間抜けっぷりを見抜くことができます」
「貴様など親友ではない、宿敵だ。まったく選ぶ友人を間違えた」
「またまた。選べる選択肢なんか初めからないくせに」
「うるさい黙れ」
「あーあ。まったくもってコミュニケーション能力に芸がない。だから――」
「童貞をこじらせたと言いたいのだろう。その通りだよ。だから黙れ」
「嫌です。僕はあなたに嫌がらせがしたいのです」
そうこう高槻と言い争っていると、母親が私の方を向き、
「わかりました。とりあえずはあなたが私たちの息子だということを信じましょう」
ときっぱりと言った。まるで阿呆のように――実際救いようのない阿呆なのであるが――口を半開きにして事の成り行きを見守っていた父が慌てたように口を挟んでくる。
「待て。母さん、この女性の言うことを信じるというのか」
「お父さんは理屈で考えすぎです。高槻君に対する話し方とか、無駄に気取って理屈を捏ねたがるところとかそっくりじゃないですか」
「だが――」
「何より纏っている雰囲気が私たちの息子と同じです」
母親のぴしゃりと宣言した一声によって父の意見は却下された。それでも父は悪あがきのようにもごもごと「しかし証拠がない。詐欺かもしれない」と口を動かす。
そんな情けない父に私は
「なんだまだ訝るのかおとんよ。物的証拠はないが状況証拠ならばまだまだある。おとんは桃色映像作品を――」
「待て。お前が私の息子だと今のところは認めよう」
「いや。考えてみれば、姿が全く変わってしまった私をおとんやおかんが警戒するのも当然だ。もっと納得してもらうためにランちゃんやチカちゃんの話を――」
「待て。お前が私の息子だと今のところは認めよう」
「遠慮するな」
と追い討ちをかける。ランやチカと華やかな名前を出したが、たかだか桃色映像作品女優だ。無駄に気取って威厳を取り繕おうとするからそこまで慌ててしまうのだ。精々醜態を晒して母に痛くもない腹を探られるが良い。
慌てている父に一瞥をくれた後、母は立ち上がって台所へ向かいながら、私たちに問いかけてくる。
「それじゃあちょっと早いけどお昼にしましょうか。うどんだけど、高槻君も食べていく?」
「ありがとうございます。僕はうどんが大宮の不幸の次に好物なのです」
「お前はそろそろ帰れ!!」
「嫌です。僕がいることであなたが嫌がるというのなら、僕は力の限りここにいます。僕はあなたに嫌がらせがしたいのです」
○
昼食として供されたざるうどんをむさぼった後、ネギ臭いげっぷを残して高槻は自分の実家へと帰って行ってしまった。その姿をちんこと共に見送った後、居間に戻り、昼食の後片付けを終えた母と父の前にちゃぶ台をはさんで座る。
乙女にふさわしき正座で座り込んだが、男であった頃のように胡坐をかくべきだったかと一瞬後悔する。
乙女ではなく私らしさをアピールすべきではなかったか、と。
そんな私の葛藤を知ってか知らずか父親が早速問いかけてきた。
「先ほども言った通りとりあえずはお前が私たちの息子だということは信じよう。だがお前はこれからどうしたいのだ」
「もちろん男に戻るつもりだ」と答えた私にちんこが補足の説明を入れる。
「息子殿――今は娘ですが――は、私の下で巫女として修業を積んでいます。いずれ修行が成った暁には男の姿に戻るでしょう」
「それはいつになりそうなんだ――ですか?」
と父がちんこに居住まいを正して問いかけた。それは私も知りたかった。皆が皆ちんこの言葉へと耳を傾ける。
ちんこは何か喉に――しつこいようだがちんこに喉や目鼻などないのだが――引っかかったものでも吐き出すかのように、小さく咳払いをした後、「有体に言って我が巫女には神通力の才能がない。私のように十年二十年で神となるほどの神通力を得ることは難しいかと」と言った。
「待て。それは私も初めて聞いた。それでは私が男に戻れたとしても桃色遊戯を執り行うことができないではないか」
「神通力のある限り肉体の衰えは訪れない。つまりはいつ貴君が男に戻ろうとも、猥褻の『わ』の字に反応する精力魔人のままだということだ」
『わ』一字で興奮するなど。不可能だ。せめて『わい』。Yシャツと乙女の桃色風景、ワイキキビーチでの桃色逢瀬、ワイルドな桃色遊戯――と妄想を逞しくしていると
「それはこれから先、社会においては、うちの子が女性として暮らしていくべきだということですか」
「……」
という母の言葉に皆が押し黙った。
そのことは私が幾度も知恵熱を出しながらもうんうんと唸り、六畳間の布団の中で考えていた難問である。
もし男に戻れなかったならば、乙女の姿のままならば。
黒髪の乙女はどう行動するべきか。
私の十年にも及ぶちんこいじりから始まった、冴えない男が麗しの乙女に変わるなどといったカフカも鼻で笑う阿呆物語。阿呆な難問は阿呆に最適化された私の頭脳をもってしても答えを出すことは出来なかった。
やったー。都合のいい不老設定ができたよー。
5/11 大幅改稿。そして次回に続く。




