表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/42

六月 01

 六月も入りたてというのに、京都は四方を山で囲まれているため風が通らず非常に蒸し暑い。

 巫女装束でこの黒髪の乙女の肉体を完全防護している私にとっても、その暑さは無視できないものとなっていた。なにしろ少し体を動かすだけで滝のような汗が流れ落ちるのだ。

 男であった時は窓を限界まで大きく開け放ち、猥褻物陳列罪として通報されない程度に衣服を脱ぎ捨てることで澱んだ蒸し暑さに耐えていたのだが、黒髪の乙女となった今、防犯上の理由から窓を大きく開け放つことも、衣服をだらしなく脱ぎ捨てることもためらわれた。だがそれでは汗が染みだすばかりだ。

 以前ならば、黒髪の乙女の汗ならば存分にその香りと味を楽しんでもいいとまで思っていた。だがいざ乙女となった現在、感じられるのは風を通さないやたらと厚い生地の巫女服への疎ましさと、襦袢を肌に張り付かせる自身の汗への苛立ちだけである。最近は風呂に入る前に確認する、自身の汗でしっとりと濡れ、かすかな匂いまで放つ自分の下着にうんざりとまでしてきているのだ。全く嫌になる。

 

 私は提出すべきレポートを放り出し、六畳間にごろんと横になる。おそらく私はこもる熱気にてられて汗の浮いた体をしどけなく投げ出し、官能的な姿をさらしているであろう。その姿を妄想して私はうひひと笑った。

 だがちんこという第二の脳からの性感伝達回路を断ち切られた今、ふしだらな妄想に耽ろうとしてもうまくいかない。かと言って勉学に励もうとしても暑さのためやっぱりうまくいかない。

 ないない尽くしで鬱屈としてきた気分をどうにかするためにシャワーを浴びようと脱衣場へと移動し、巫女装束を脱ぎ捨て裸となった。思えばずいぶんとこの乙女の肉体にも慣れてしまったものだ。

 まだ春の頃は、町を跳梁跋扈し黒髪の乙女の肉体を貪ろうとする邪悪煩悩存在たちからの自衛のための、あくまで準備の一環として、神が作りあげたかのようなこの美少女の肉体をつぶさに観察しては胸を高鳴らせていたのだが、今ではそういうこともない。主に自分の体にどこか異常が出てきていないか調べるため鏡に映し、今日も今日とて美しいその肢体を賛美するだけである。

 蛇口をひねり冷水を頭からかぶり、軽くボディソープを泡立てたスポンジで体をこする。この行為も桃色探求心が失われた結果、初期の頃のどきどきは最早ない。そのつまらなさを嘆きながら、特に脇や股の間は重点的に洗う。

 黒髪の乙女が汗臭いなどと私には耐えられない!! 乙女とはいつもふわっとした石鹸の香りを漂わせているべきだ!!

 

 シャワーを浴び終わり、脱衣場へと出てくると替えの下着と巫女装束が置いてあった。おそらくはちんこが用意してくれたのであろう。もともと男であった時にずぼらな生活をしていたせいか、私はこういったところでの詰めが甘い。ちんこが着替えを用意してくれていなかったならば、乙女にあるまじきふしだらな格好で六畳間を徘徊していたであろう。ちんこに心の中で感謝の言葉を述べる。ありがとうちんこよ。

 水滴を拭き取ろうとタオルを動かす傍から、蒸し暑さによって小さな玉のような汗が浮いてくる。その様子を確認して私は嘆息した。

 早急にこの状態を何とかしなければならない。このままでは黒髪の乙女がただ汗を垂れ流すだけの加湿器と化してしまう。どこぞやに需要はあるだろうが、それは私の求めるものではないし求められたくもない。ついでにレポートもままならないし、このままでは単位も危ういので、私は暑苦しい巫女服に着替えながらも三つの案を立てた。

 肉体を改造するか、環境を改善するか、装備を新調するかである。だが環境を改善するためのエアコンを導入するほどの資金もないので、今まで自分のファッションセンスのなさを露呈することを恐れて巫女装束を着続けていた私であったが、思い切って夏服を購入することにした。

 この理想の乙女である肉体を改造するなどとは神に唾する行為であるので即刻却下だ!!

 ――性感伝達回路を復活させることができるのであれば一考には値するが。


「ちんこよちんこ。少し買い物に出てこようと思うのだが」

「うむそうか」

「一緒に来てくれないのか」


 私はちんこを買い物に誘おうとしたが、ちんこは一回生の頃一般教養の授業で強引に購入させられた、キタロウと言えば水木しげるしか思いつかない私にとっては意味不明の本に目を落としたままだ。

 今の私は人類史に残る黒髪の乙女である。治安の悪化、人心の荒廃が叫ばれる昨今――。

 ちんこによるボディガードを断られ、少し憮然としている私にちんこが哲学書に向かったまま「貴君はその姿になってからまだ一人で外出したことはないだろう」と言ってきた。


「そうだったのか?」

「そうだったのだ。淡路殿にも言われたよ。私が居なくなれば我が巫女は一人でまともに生きていけるのかと」


 ちんこがいないと生きていけない。なかなかに淫靡な響きではあるが、清楚可憐高潔怜悧な神秘をたたえたこの黒髪の乙女にふさわしい言葉ではない。

 というか侮蔑するにも程がある。小学生で初めての自転車一人旅、中学生で初めての猥褻作品鑑賞、高校での初恋――生憎と会話することもなく終わったが――、大学生となり破廉恥かつ怠惰ではあるが初めての一人暮らしも済ませている。そんな私を甘く見るとは。あの猫には一度私の力を思い知らせてやらねばならないようだ。そして妙に艶やかな毛並みの喉をわしゃわしゃとしてやる。

 私だってちんこがいなくとも十分に生活していくことくらいはできるのだ。――もっとも先ほど着替えを風呂場に用意することを忘れていたように、乙女らしい生活を送れるとは限らないが。


「ならばちんこよ。私は夏服を購入してくる。何かリクエストはあるか?」

「? ――なぜそんなことを訊くのだ?」


 なぜであろう。新しい足袋を履きながら、ふと口にした言葉に我ながら驚いた。この四か月間ちんこと語り合い、人ならざる奇妙な存在モノどもとの出来事、人であっても奇妙な者どもとの出来事の数々、そして部屋にこもる蒸し暑さが私の理性をぼろぼろに崩したようだ。


「いや、なんでもない」


「それでは行って来る」とちんこに伝え、草履を履いて外に出た。部屋の中は暑いが、外は幾分風が通るせいか若干涼しい。その風に冷やされ、冷静になった頭で考える。

 私はこの夏の間、快適に過ごすことのできる服装を選べばいいだけなのだ。それが黒髪の乙女となった私の美しさを際立てる服装ならばなお良しである。

 だが私の服飾センスは率直に言えばダサいとまで揶揄される最底辺であり、童貞をこじらせる遠因ともなっていた。そんな私がこの乙女に似合う衣服を選べるのか――。そんな自身のセンスを信じられないからこそのリクエストを求める言葉であり、断じてちんこの気を惹こうとする気持ちから出た言葉ではない。ないのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ