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五月 02

 高槻への借金を返済するため、私は桂という神の探している春画を求め歩くことにした。

 さて。

 ゴールデンウィークも終わってこちら、京都の気温は毎日上がり続けている。おそらくは今年も地獄のような暑さに襲われるのであろう。汗の滲んできた襦袢を軽く煽いで風を入れながら、私は新京極界隈を歩いていた。写楽の春画とやらに当てはない。当てはないが、そのようなよくわからないものを探すのならば、よくわからない店が多数集まったこの界隈しかあるまい。


 春画。桃色遊戯をテーマにした浮世絵の総称である。木版印刷にもかかわらず多色十二色刷りなどという変態的技術を駆使し、睦事むつみごとや猥褻な妄想にかける変態的情熱を叩き付けて出来上がった、日本のみならず世界で高い評価を受けている変態的芸術作品である。表現の奔放さゆえに当時の幕府から禁止されたが、そのことが却って価値を高め、その価値に見合うように質も向上していったことはお笑いである。


 そして東洲斎写楽。江戸時代中期にほんの一年にも満たない間だけ活躍した正体不明の浮世絵師である。有名な作品はある格闘ゲームの銭湯ステージの背景としても有名な『三代目大谷鬼次 江戸兵衛』など。そんな写楽が残した浮世絵はほとんどが当時人気だった役者を描いたもので、その数も百数十点と少なかったと記憶している。ましてや春画など一枚もなかったはず。そんな写楽の春画がここ京都にあるという。


 デフォルメを突き詰め、ありのままの感情表現を得意とした写楽の春画。

 未知の芸術を見る喜びに私の胸は自然高鳴った。

 断じて桃色未体験ゾーンにおけるやましくヤラしい気持ちからではないのだ。


 手始めに三条河原町付近にある新古書店を訪れて春画について訊ねてみたが、店員は「出ているもので全部ですから」と苦笑しながら言った。念のために十八歳未満立ち入り禁止とされている制限区域を探索してみたが、フルカラー天然色のデジタル現代春画が並んでいるだけである。


 春画を求めて南下しながらあちらこちらを探す。半地下の同人書店を冷やかし、雑居ビルのテナントを上から下までくまなく調べる。センスの悪いTシャツや木刀を売っている土産物屋を覗き、個人経営の古書店に立ち寄り棚を隅から隅まで確認する。だがやっぱり見つからなかった。

 ふらふら歩き続け、疲れ切った私は古書店の棚の前に置いてあった小さな脚立に腰を掛ける。ちらりと壁にかけてある時計を見ると、もう五時を回ろうかというところであった。

 いまだ陽は高いが浮ついた気分に少しずつ浸食されていく街を行く人々を見ているうちに、私の心は鬱屈としてきた。投げやりに膝の上に抱え上げたちんこに語り掛ける。


「ちんこよちんこ。神通力や神様ネットワークでなんとか春画を見つけられないか? これでは埒が明かん」

「我が巫女よ。かつら殿は古くからの神で神通力も人脈もこの春生まれた私以上だ。桂殿が見つけられていない以上、私が見つけられるはずもないだろう」

「やらないうちから弱音を吐くのはいけない。さねばらぬ、何事も」

「その言葉、貴君自身で噛みしめてみるといい」


 ちんこが私の言葉にたっぷりと皮肉を返してくる。やめよちんこ。その言葉は私に刺さる。

 何事も為さぬせいで成らぬ私がちんこを抱えていじけていると、店の奥から主人が出てきた。もしや閉店時間だろうか。

 慌てて立ち上がり謝罪をして立ち去ろうとすると、主人はにこにこと好々爺のような笑みを浮かべながら「まあ待ちなさい」と茶を勧めてくる。

 これが俗に言う黒髪の乙女効果であろうか。私が男であった頃にはどんな店の人からもこのような歓待を受けたことがなかった。突然のもてなしに目を白黒させている私をよそに、古書店の主人は笑顔を絶やさないまま問いかけてきた。


「何か探しているのかな?」

「えーと……写楽の春画を」

「そんなものがあるのかい」

「あるらしいのです」

「主人、ここにはないのであろうか」


 ちんこがいきなり私の膝の上から声を上げた。いきなり動いて喋ったちんこに多少面食らった様子の主人だったが、すぐににこやかな表情に戻り「ここには浮世絵そのものを置いてないね」と茶を一口啜った。


「そうか……」

「だけどもしかしたら錦市場にある雑貨屋なら何か知っているかもしれない」


 しょげかえっていたちんこがその言葉に頭をもたげた。私も新しい情報に再び気力が湧いてくる。「ありがとうございます」と丁重に礼を述べて古書店を後にし、主人に教えてもらった雑貨屋を目指す。

 既に店じまいを始めていた錦市場の雑貨屋で写楽の春画について訊ねてみると、今度は烏丸通にある古美術商なら知っているかもと伝えられた。烏丸通に行けば堀川ならと。堀川に行けば寺町ならと。西へ東へ北へ南へと振り回されていく。


 入り組んだ迷路のような京都の路地を練り歩くには市バス一日乗車券では役者不足である。かといって巫女姿では自転車にも乗れない。緋袴がチェーンに絡んで真っ黒に汚れたり、びりびりに破れたりするのがオチだ。よってタクシーを駆使する経済力のない私は歩くしかない。歩くしかない私が行く先々でたらい回しにされた結果、ついに私の肉体は歩き疲れてくたくたになっていた。陽もとうに沈んで、汗ばんでいた私の体を急激に冷やす涼しい風が吹いてきている。


 ――もういい。知らん!! 春画が見つかっても見つからなくてもこれで最後にしよう。高槻への借金は――後で考えよう。踏み倒すことができればベストだが。

 そんなとりとめもなく、無理もない現実的な借金返済計画を立てながら、寺町通りに面する古道具屋から教えられた、怪しい漢方薬屋へと足を踏み入れる。


「すみません。写楽の春画についてお訊ねしたいのですが」


 貧相な蛍光灯の明かりが照らし出す薄暗い店の中で、私の声に反応したのはハリウッド映画に出てくる中国人のような男だった。どうやらこの店の主人であるらしい。彼は私の姿を確認すると、声をひそめて「どこでそれをお知りになりましたかな?」と問うてきた。私が寺町通の古道具屋の名前を出すと、店主は納得したかのように頷いて、店の扉に鍵をかけた後、私に奥へと上がるように言った。


「近頃は非実在少女にまで猥褻物に対する取り締まりも厳しくなってきましたから」


 私とちんこを店の奥へと案内しながら店主は誰とはなしに呟いた。「こうして地下に潜っての商売となるわけです」


「ですがさすが写楽ですな。情報をひた隠しにしていても、欲しいとおっしゃる方々はこの場所をどうにかして見つけてこられる」

「主人。それは私たち以外にも春画を求める者がいるということですか」

「ええ。これから誰にお売りするか決めようとしていたところです。お嬢さん、ぎりぎり間に合いなさったな」

「我が巫女よ、出直した方がいいのではないか?」


 ちんこが私の腕の中心配そうに訊ねる。ちんこの心配ももっともだ。こういった場合の解決手段として競売形式が多く取られるが、私たちには軍資金などない。金がないからこそ金を稼ごうとしているのだ。そんな余裕があればここにはいない。

 もっとも、桂とかいう神に連絡を取ることができれば金を用意してもらえるかもしれないが――。


「ちんこよちんこ。桂さんに連絡できないのか?」

「あの方は……端的に言って機械音痴だ。それゆえ連絡を取るときは式神やら念話やらをお使いになられるのだが、私にはまだそれほどの神通力はない。それに会いたくなれば木屋町やら先斗ぽんと町に行けばよかったので連絡先を知らぬのだ」


 私たちが廊下の暗い蛍光灯の下で顔を寄せ合ってこしょこしょ話していると、「さあここです」と店主が奥の座敷のふすまを開けた。

 廊下の貧相な白い蛍光灯の明かりとは対照的な、暖かいオレンジ色の明りの中でもぞもぞと動く影々。その影の中の一つが声を上げた。


「にゃんだい。また競争相手が増えちまったよ」


 軽自動車のような巨大なサビ猫は心底迷惑そうにそう言った。そしてちんこと私に目を止めて「おや」と続ける。


「誰かと思えば討性キサノちゃんとその巫女じゃないか」

淡路あわじ殿か。ここにいるということはやはり写楽の春画狙いか」

「まあそうだね。正確に言えばアチシの目的は桂ちゃんに分けてもらうお酒の方だけどさ」

「酒がどうした!!」


 淡路猫の巨体の向こうからひどく神経質そうな声がした。ひょいと首を伸ばして覗いてみると、これまたひどく神経質そうな鶴のように痩せた老人がいた。「写楽の春画といえば美術史に残る新発見だぞ」と喚いている。

 さらに「神酒を馬鹿にしちゃあいけないよ」と老人の足元から声がする。よくよく見ると、この間酒場で転がっていた小さな達磨だるまが喋っている。「飲めば神通力が溢れてくるんだ」

 そんな三人? をまあまあと宥めて店主が陽気に切り出す。


「さあさ、どうやら役者も揃ったことだしここは公平に決めましょう」

「金ならいくらでも出す! 千か!? 二千か!?」

「いえ、金で決めるではございません。ここは神と妖怪と人間がおわします場。古来より取り決められてきた神聖な遊戯でケリをつけましょう」


 そう言って彼は押入れを開け、黒革の張られたアタッシュケースのようなものを取り出し卓の上に広げた。「これは――」とちんこが息を呑む。

 私たちの目の前に広げられたのは、きちんと行儀よく並んだ黒光りのする直方体。紛うことなき麻雀マージャン牌である。

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