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四月 03

 私は変態娘の追撃を振り切り脱出を果たした。外に出て、周囲を確認するとここは四条河原町を南に少し下った界隈であるらしい。近くを流れる高瀬川とそのほとりに植えられた名残なごんの花を散らせる桜は黒髪の乙女にふさわしい美しさであったが、乙女である私が水無瀬嬢に連れ込まれたのは外見に風情の欠片かけらもない桃色遊戯推奨ホテルであった。

 大人のびらびら暖簾のれんをこんな望まぬ形でくぐってしまった。その事実を嘆きながら四条大橋を渡り、酔い覚ましを兼ねて地下鉄の駅まで私は鴨川の川べりを北上する。

 ちらりと横を見やれば、相変わらず恋人どもが等間隔を開けて座り込んでおり、なぜだか非常に腹立たしい。


 隣を流れる高瀬川より底の浅い愛の言葉を交わしあってなんとするのか? 精々がたかだか一晩、桃色遊戯推奨ホテルにおいて桃色遊戯を執り行うことができるだけであろう。

 一時の享楽に溺れた哀れな子羊どもよ、爆発せよ!!


 そううらやまけしからん妬みそねひがみの感情を込めて神通力を送ってみたが、どうやら精々がカップル男一人にくしゃみを一つさせることができる程度であるらしい。

 というか本当に神通力を送れているのであろうか。使い方すらわからない。使えもしない神通力に頼ろうとした気恥ずかしさを誤魔化そうと私は腕に抱えたちんこに語り掛けた。


「ちんこよちんこ。不届き者たちに天罰を下すのだ」

「馬鹿なことを。子孫繁栄のため相手を見定めているだけではないか」

「きっと彼らはゴム付き桃色遊戯をするに違いない 。子孫繁栄のためではなく快楽だけを求める卑しい行為だ。邪魔をしても角は立たない。もしゴムなし桃色遊戯をするのであれば、この不況の中、無計画に作った子供を育てんとするのは苦しみを伴うだろう。やっぱり邪魔をしても角は立たない」

「我が巫女よ、そういうのを大きなお世話と呼ぶのだ」


 ちんこがあきれたような声を上げた。

 理解はしている。だが納得はできない。

 そう息巻く私を見かねたのか、大きなため息をつきながらちんこが地下鉄三条京阪駅手前で私の腕からぴょんと飛び降りた。そして何やらスマホを取り出し誰かと通話を始める。手短に何事かを話し終えた後、ちんこは彼の肉体の一部にスマホをしまい私に向き直った。


「ちんこよちんこ。どこから電話を取り出したのか。もしやとは思うが」

「狸のごとき八畳敷きと言わぬまでも、今日まで一畳程度ならば私も用意できるのだ」

「そうか……。ついでにもう一つ。どうやって電話を手に入れたのだ?」

「普通に手続きをして、だ。先日京都市役所に赴いて戸籍をとったからな。これにより公的にも私は貴君の氏神となった」

「そのように簡単にできるのか。神の戸籍管理をしているとは京都市もなかなか奥が深い」

「他の町ならいざ知らず、ここは千年以上も続く古都だ。神やら妖怪やらも受け入れる懐の深さを備えている。そもそも夜な夜な先斗ぽんと町から木屋町まで千鳥足の百鬼夜行が練り歩くのだ。これくらいのことに驚いていては京都の公務員は務まらない」


「それは酔っ払いと呼ぶのだ」と指摘する私に、くすりと笑ったちんこは私に「ついて来い」と言って、私を先導し始めた。

 ちんこはそのままぴょこぴょこと三条大橋を渡り、通りを行き交う人々の足の間をすり抜けて木屋町へと入っていく。私もちんこを見失わないように足を速めて彼の後を追った。そんな私たちの後ろから「巫女さん、こっち向いてー」だのと酒臭い声で呼びかけられたが、努めて無視した。


 覚えていろ、名も知らぬ酔漢どもよ。黒髪の乙女の美しさははやし立てるものではなく、褒め称え語り継ぐべきものなのだ!


 やがて辿り着いた小さなレンガ造りのビルの名前を確かめると、ちんこは「今日はここか」と入っていった。私も慌ててちんこの背中を負った。ちんこが受付に出てきたパリッと糊のきいたシャツを着こなす店員に「一柱と一人」と人数を告げると、私たちは地下へと案内された。店員によって重く古そうな木の扉が開かれ、その奥へと通されると、私の目の前には異界が広がっていた。


 軽自動車のように巨大なサビ猫が絡み酒を飲んでいる。絡まれた狐は迷惑そうだ。

 掌サイズの達磨だるまが転がりながらビールを飲む。もちろんまともに飲めるはずもないので酒をまき散らす。

 人の姿をしている者もいるが、平安貴族風だが覆面で顔を隠していたり、四月とはいえ夜はまだ肌寒いのにアロハシャツを羽織っている鼻の長い天狗であったり、皆が皆怪しげだ。


「おや討性キサノちゃん、よく来たね」と巨大な化け猫が私たちの姿を見つけて寄ってきた。


「で、この娘は誰だい? 味見してもいいかい?」

淡路あわじ殿、我が巫女は少々人付き合いが苦手なので、今日のところはそっとしておいてやってくれ。今日は我が巫女をねぎらいに連れて来たのだ」

「そうかい、かわいがってるねえ」


 と、口にしながら淡路と呼ばれた化け猫は生臭さと酒臭さを発する大きな口を私の顔に寄せてきた。

 そしてにゃあにゃあと、「嬢ちゃん、討性ちゃんに感謝しにゃよ? ここまでいい男神はそうそういにゃいんだからね」と騒ぐ。

 男扱いをされない苛立ちと、乙女扱いをされたくすぐったさ、そして口は臭いがにゃあにゃあと騒ぐ猫のかわいらしさ。それらが複雑に絡まりあい思わず猫の毛皮をもみくちゃにしてやりたい衝動に駆られたが、私は一般的良識をわきまえた紳士であるし乙女でもある。初対面の相手にするのも憚られるので、猫を目で慈しむだけで我慢した。


「さて貴君、こちらだ」


 ちんこがカウンター席によじ登り、その一角を陣取る。

 私がちんこに勧められた席に座るとすぐにグラスに注がれた琥珀色の液体が出てきた。


「ちんこよちんこ。私はこれ以上酒は飲めない。また乙女にあるまじき胃液大噴出を披露してしまう」

「大丈夫だ。私が貴君を裏切ったことがあったか。私を信じて少しずつ飲んでくれ」


 ちんこが不意に、聞いたこともないような優しい声を出したので少し驚いた。

 私とちんこは生まれた瞬間からの付き合いである。そのちんこが言うならと私は恐る恐るその酒を舐めてみる。


「――!!」

「どうだ。なかなかのものだろう」とちんこが少し誇らしげに訊ねてきた。私は黙ってちんこに頷き返した。


 私は自他共に認める下戸である。酒の味も、香りがどうとも言えない不調法者である。

 しかしそんな私でも、この酒が格別であるということは付き合い程度に舐めてみただけでも理解できた。


 無味である。アルコールの持つ苦みも、当分の持つ甘みも感じられない。だがその水のような液体を少し舐めただけなのに腹の底から温まるようである。かと言って粘膜を焼き尽くすような熱ではない。分厚い腹巻の上から桐灰のカイロを押し当てたようなじんわりとした温かさだ。そして喉を通り抜け、腹の中へと落ちていくほんの数瞬の間に花のような香りが体を包み込んだかのような錯覚を覚える。


 不思議な酒である。

 その不思議な感触を舌でちろちろと楽しんでいると、私の頭を責めさいなんでいた頭痛が少しずつ薄れていった。その様子に驚く私にちんこが「この酒は特別なものでな」と満足そうに言った。


「酒とはこのように身を清めるものでもあるのだ。貴君は今まで無理に酒を飲んでいたようだから、楽しめる酒を教えてやりたかった」

「こんな酒があったのか」

信楽しがらきの狸が作っている特別製だそうだ。気に入ったか?」

「うむ」

「では明日に響かぬように少しずついろいろな酒を飲んでいこう。支払いのことは心配しなくてもいい。頑張ってくれているからな。大いに楽しんで嫌なことを忘れるといい」


 ああちんこよちんこ。お前と長年共にいるというのに、知れば知るほどお前の知らぬところが増えていく。お前はいったい何なのだ?

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