情報交換
「ちょっと、大丈夫ですか!? 返事して下さい!」
「……ん?]
揺すられる感覚と近くから聞こえた声に、俺は急速に意識を取り戻した。
閉じた目蓋を開けると、視界に映ったのは、茶髪碧眼の青年。額に皺を寄せ、俺の顔を覗き込んでいるところを見ると、声と俺の体を揺らした人物はこいつで間違いないだろう。だが、俺はこの人物に見覚えは全くない。
しかも、視界に映る景色は、見慣れた灰色ではなかった。
「……ここは」
「目が覚めましたか!? クラウン博士の研究所の前です」
「くらうん?」
誰だ? とハテナマークが頭の上に出ている中、俺に声を掛けていた人は、ちょっと博士呼んできます! とすっ飛んで行ってしまった。一人は慣れているが、この混乱しかない状況での放置は困る博士なんて呼んでこなくていいから、説明してくれよ。
「っ……」
取りあえず状況判断をしなくては。そう思い。ズキズキと痛む体に鞭を打ちながら、体を起こして辺りを見回した。
異物を含まない風が柔らかく吹き、とても心地よい。俺が住んでいた鉄とコンクリートと血の匂いしかしない場所とは違って、緑がとても多く、空もくすんだ灰色ではなく、綺麗な青色をしている。まるで別世界にきたようだ。
ふと、前にある建物を見る。さっきの奴がドアを開きっぱなしにしたせいか、中が丸見えになっていた。近くにある棚には、薬が入ってるらしい色々な瓶が並んでいる。その反対には、扱い方が分からない不思議な機械があり、忙しい音を立てていた。
俺は依頼を遂行していたはず。なのになんでこんな所に……。それを思い出そうとしても記憶に靄がかかったようになってしまい、上手く思い出せない。
「大丈夫かい」
うんうん悩んでいると、ドタバタっ騒がしい音と共に、さっきの人ともう1人、男の人が研究所から出てきた。多分、博士と言うのは、彼の事だろう。
「博士この子です!」
「……へぇ」
「……」
なんだろう。博士とやらから感じるのは、とても居心地の悪い視線だ。まるで、全てを見透かすような紅の瞳。自分でも見えない、汚い部分を見られているようで、思わず目を逸らした。こういうのは嫌いだ。
「なに?」
「いや。つい珍しくてね」
「?」
「なんでもないよ。これも何かの縁だろ。研究所で休んでいくと良い」
「必要、ない」
「そう言わずに。このまま君を見捨てたら、助手にねちねちと何言われるかわからないしね」
「……」
「私を助けると思って。お願い」
かっこよくウインク付きで頼まれたが、俺はこの二人の世話になる気はさらさらなかった。それはそうだ。だってこいつらは、俺が依頼を受けたターゲットの仲間かもしれないのだから。
どんなに記憶の棚を引っ掻き回しても、乱闘をしたという曖昧過ぎる記憶しか浮かんでこないのは、何らかの方法で気絶をさせられた後、記憶を弄られたせいかもしれない。その部分以外のことははっきりと覚えている所を見ると、完全消去が目的ではないのだろう。いや、実は目の前の研究所が俺を拘束していた施設で、俺はなんとか逃げ出したが、力尽きて倒れていたのかもしれない。それなら、なぜこいつらは早く俺を拘束しないのだろう。俺が自由であればあるほど、彼らは不利になることは間違いないのに。
(それに、あの世界にこんな綺麗な場所はない筈だ)
過去の人間の過ちによって俺の住む世界の緑は全て息絶えた。今ある緑や食べ物は、全てまがい物であるし、空気には、微量ながら有害物質も含まれている。そんな灰色の世界に、こんな突然変異したような場所などある筈もないのだ。
「ここは、夢か?」
「夢じゃないよ。現実だ」
「俺の、世界に、こんな、場所は、ない」
「じゃあ、君は異世界から来たんだろうね」
「え?」
確かにさっき異世界みたいだとは思ったが。
「嘘だ」
「なんで?」
「仮に、そうだと、しても、俺は、どうやって、此処に来た?」
「さぁ、それは私にもわからない」
「……」
「その話も含めて、話をしないかい? 大丈夫。君にはなにもしない」
「信じ、られると?」
「用心深いんだね。なら、情報交換という形なら?」
「交換?」
「私はこの世界の知識や情報を渡そう、その代わり君のいた世界の情報を私に渡す。それなら、対等だろ」
確かに、この見知らぬ土地の情報はぜひとも欲しい所だ。だが、彼の言ってることが本当なのかはわからない。先程からにやにやしっ放しだし、信用できない。
仮に、この中で信用できるとしたら……。
「助手」
「はい?」
「俺は、君との、情報交換、を、望む」
「え? 僕!?」
「君なら、そこの、よりも、信用、できる」
「そう言ってもらえると嬉しいけど」
「いいんじゃない? 私はどんな形でも情報が手に入ればいい」
「あと、場所は、ここで」
「でも、君のけがを処置しないと。結構酷そうなのもあるし」
「ここじゃ、なきゃ、交渉、決裂」
これ以上は譲れない。そう暗に言葉へ含ませると、感じ取ってくれたのか、博士はやれやれと両手を上げる。
「分かった。処置はここでやろう」
「いいんですか?」
「構わないよ。別に研究所じゃなきゃできないって訳ではないし」
「そうですが」
「彼の望みなのだから、ね」
「はい」
やっと折れてくれたのか、助手もその場に座り込む。野郎三人(そのうち、一人はけが人)がこんな意味の分からない場所で顔つき合わせて座り込んでるなんて、傍から見れば異様な光景なのだろうな。
若干遠い目をしていると、ぽんと博士が目の前で手を叩く。その唇には、嫌味な笑みが浮かんでいる。
「それじゃ、始めようか」
こうなれば、出来るだけ情報という情報を搾り取ってやろう。




