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おわりのはじまり

 小鳥の啼き声で今朝も目が醒めた。わずかに開いた窓の隙間から、首を(せわ)しなく傾げて中を覗き込んでいる。僕は彼を指にとまらせ、朝の挨拶を交わした。

「おはよう、アダム。奥さんは元気かい?」

 チュン、と啼く。僕は彼の小さな頭を撫でてやりながら、ふわふわの羽毛に頬ずりした。

「そうか、いつでも連れて来ていいからね。伯母さんの作ったクロワッサン、気に入ってくれた?」

 アダムはまたチュンと愛らしく啼いて、手の平のパン屑をつつきはじめた。少しくすぐったかったが、食事の邪魔をするわけにはいかないのでじっと耐える。

 階下から、伯母の声が聞こえた。


「おはよう、母さん」

 甘酸っぱい苺ジャムの香りが部屋いっぱいに広がっている。毒々しく赤黒いジャムは伯母の手作りである。味はこの前のマーマレードよりはましだった。

 伯母は僕に気付くとぱっと顔をほころばせ、その大きな体で僕を抱き寄せた。

「おはよう、アルエット。私のかわいい息子」

 痛いくらいに抱きしめられる。伯母は僕を解放すると、左右の頬にキスをした。今すぐにでも顔を洗いたかったが、朝食を腹に詰め込むまでは我慢しよう。


 彼女を母と呼ぶことには、五年という年月が慣れさせてしまった。ただ、母親として振舞われるのは気に入らない。しかし、彼女は僕を息子と思い込むことで救われる。僕はいつまで彼を演じていればいいのだろう。



 朝食を終え、部屋に戻った。朝日が窓から射し込んで、僕の足を照らす。伯母に塗られた透明のマニキュアが、てらてらと反射していた。

 僕は本棚に近寄って、読みかけの本を手に取った。数えきれないほどの蔵書は、すべて伯母の息子のものである。本棚に入りきらず床まであふれたこの本たちを、彼はどれほど読んだのだろう。読んで、何を考えたのだろう。

 窓辺に腰掛けて、まさに表紙を開くところだった。外で聞き慣れた声がする。僕は本を閉じて卓上に置き、窓から身を乗り出して声のする方を覗き込んだ。

「ミラン、どうしたの?」

 伯母と話していた彼は、僕に気付くとニヤリと怪しげな笑みを浮かべ、降りて来いと手招きした。僕は螺旋(らせん)階段を降り、玄関へと向かった。

 

 扉の外には大きな荷物を抱えたミランが、伯母と愉快に会話をはずませていた。茶色の髪が、陽射しに()けて赤く輝いている。長身の彼は伯母越しに僕の姿を確認すると、陽気に声を掛けてきた。

「やあ、アルエット。久しぶりだね」

「やあ、ミラン。昨日も会ったけどね。それより、今日はどうしたのさ?」

 僕が訊ねると、ミランは腕の中の大きな箱を軽く持ち上げた。

「君にプレゼントだとさ。いったい、どこの女を掴まえてきたんだ?」

 伯母の頬がピクリと引きつるのがわかる。彼は故意に僕を困らせる嫌いがあった。

「からかうのはよしてよ」

 そう云って、僕宛(あて)だという荷物を受け取ろうとした。だが、彼はそれを遮って家の中に入ってくる。

「おまえには無理だよ。いったい、何が入ってるんだ?こっそりいかがわしいもんでも注文したのか?」

 僕は彼の(すね)を蹴って、扉を開けるため一足先に自室に向かった。後ろから彼の呻き声が追いかけてくる。


 僕が部屋で待っていると、荒い息とともにミランが入ってきた。額には玉粒の汗が浮かんでいる。彼は乱暴に箱を放ると、僕のベッドへ勢いよくダイブした。

「こりゃ、明日は全身筋肉痛だ。精々(せいぜい)、労われよ」

 僕はその言葉を無視して、箱に掛けられたリボンを(ほど)く。箱を開けると、小さなカードが入っていた。綴られたメッセージを見て体が硬直した。


『誕生日おめでとう』


 そう、今日は僕の誕生日だ。しかし、今はアルエットである僕を祝ってくれる人なんて誰もいない。だから、今日、僕にプレゼントを贈る人なんていないはずだった。

「何固まってんだ?」

 ミランが僕の髪をリボンで結いながら問いかけてくる。僕はカードを慌ててズボンのポケットに押し込んだ。

「結局、何が入ってたんだ?」

 そう云って、箱の中を覗き込む。僕はそれを眺めていた。

 大きなトランクだった。銀色のメタリックな光沢が眩しい。僕たちはそれを箱の中から取り出そうと持ち上げた。

「あれ、これさっきより重くない?」

 ミランが不思議そうに首を傾げながら呟いた。

「知らないよ。君がひとりで運んだんだろう。ばててるからそんなふうに思うんじゃないの?」

 ミランはまだ腑に落ちない顔をしていたが、僕の視線に気付くと勢いよくすっくと立ち上がった。

「ま、俺の仕事はここで終わりだ。じゃあな」

 ミランが部屋を出てゆく。僕はしばらく部屋の真ん中で立ち尽くしていた。



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