夏神兄弟【雌雄を決する編】
真昼の店にやってきたヨルユキが持ってきた、とても薄い本とは……
店のドアベルが、カランカランと涼やかに鳴り響く。
「おい、アキラ! すんげぇの貰ったんだけど!」
興奮気味にやってきたのは、認めたくないが、血のつながった唯一の肉親である夏神ヨルユキだ。
見たくもない顔の登場に、うんざりと、らしくもないため息が漏れてしまう。
俺達は双子だが、うん十年前にやたら凶悪な吸血鬼の手下にされてしまった関係で、ヨルユキの外見は青臭い十七のまま。
俺はというと、通常の人間らしく順調に年月を重ねているので、すでにいい歳こいたオッサンになってしまった。顎には、髭だって生えている。
ぴちぴちの顔とつきあわせると、もう、条件反射的に苛ついてしまうのは、仕方のないことだろう。
「ドアを壊さずに入ってきたのは褒めてやるが、静かにしたらどうだ? 他の客に迷惑だろう。営業妨害だ、出て行け」
「客っていったって、いつもの女子高生ばっかりだろ? むしろ、オレが来て嬉しいんじゃないの? そうだろ? アンタたち。得したって思うんなら、もう一品ずつ注文してってよ」
ヨルユキは「これだったら、営業妨害にはならないだろ?」とほくそ笑んで、カウンター席に座った。
磨いていたグラスを俺からひったくると、入れ替えたばかりの水を勝手に注ぎだした。もちろん、水はタダだ。だからといって、我が物顔で当然とばかりに振る舞われていい気はしない。
俺のいらだちを知ってか知らずか……こいつのことだから、あえて無視しているんだろう、むかつく笑みを浮かべたまま、上目遣いに見上げてくる。
「それよりもさ、アキラ。これ見てよ」
水を一気に飲み干して、ヨルユキがやたら薄い本……というよりは、冊子か? とにかく、見慣れない物を俺に突きつけてきた。
「昨日の晩にな、夜道を歩いていたら女の子がくれたんだ。オレ達のファンだっていってたけど、これがまたすげぇのなんの」
げらげらと汚く笑うヨルユキに、俺の素晴らしい直感は不穏な臭いを嗅ぎ取っていた。
こいつが心底楽しそうにしている時ってのは、ものすごくろくでもないことに、俺を巻き込もうとしているってことだ。
性格はねじ曲がっているが、こと、悪巧みに関しては、ストレートすぎるぐらい素直なやつだった。
「まあ、見てみろって」
客の視線が集まる中で、そう乱暴なこともできない。とりあえず、見てやれば気が済むだろうと踏んで、薄いが、質の良い紙で作られた冊子を受け取った。
「いったい、これは何なんだよ?」
裏表紙だろうか? とくにこれと言って、変な物はない。若干の警戒を解きながら、本を返すと……
「オレとアキラが、くんずほぐれつしている、なんだか怪しすぎる本だよ!」
ヨルユキの説明そのままのイラストが、でかでかとプリントされている。
めまいがする。
肌色が、こんなに目に痛いとは、思いもしなかった。
「って、なんなんだ、これは!」
さすがに、中身を見る勇気はない。
「ふざけるな! 捨てろ、今すぐ燃やせ!」
腹を抱えて笑うヨルユキに、薄い冊子を投げつける。体がぞわぞわする、ちらっと腕を見てみれば、くっきりとした鳥肌が立っていた。
「きざんで燃やす予定だけど、聞いてくれよアキラ。これ、酷いんだぜ。オレが下なんだよ、わけわかんねぇよなぁ?」
「分けわからねぇのは、おまえの方だヨルユキ! 読んだのか、お前!」
どう考えたって、悪趣味すぎる。
考える方も考える方だが、読む方も読む方だ。
「こう言うのってさぁ、ふつーは、強い方が上になるべきだなんだって! それが、自然界の絶対的な法則なわけだ。つまりは、さ。乗っかるのはオレの方であって、アニキじゃ――」
「だっ、誰が、誰に乗るって?」
「オレが、アキラに……」
気づけば、拳が飛んでいた。
完全に不意を突かれたヨルユキは、受け身もできずに椅子から転がり落ちた。
「ひでぇな、アキラ! 殴ることはないだろうが!」
「文句を言うところが、違うだろうが!」
鼻をつまみ、ヨルユキは切りそろえた白髪を振り乱し、カウンターに飛び乗ってくる。
綺麗な顔をしているからこそ、怒りの色が壮絶に映える。にらみ合う俺とヨルユキに、女子高生たちは逃げようともせず、遠巻きにではあるが、様子をうかがってはきゃあきゃあ騒いでいる。
――なあ。おかしくないか、さすがに。
「とにかく、まずはカウンターから下りろ。殺されたいか?」
「いいね、アキラ。この際だからさ、どっちが強いか白黒つけようじゃない? 誰かの妄想でもさ、誰かの下になるのって嫌なんだよね、オレ」
金色の目が、にやりと笑う。
場所も考えず、すぐに熱くなるのは外見の若さからくるものなのか。
「帰れ、ヨルユキ。今は、一番の稼ぎ時だ。仲良くけんかしている暇は、これっぽっちもないんだよ」
本業を辞めてから、口座の残高は減るばかりだ。
汗水垂らして働かなけりゃ、ようやく手に入れた平穏な生活もままならなくなっちまう。
「待てって、無視するなよアキラ!」
無視して背中を向ける俺に、ヨルユキはあきらめ悪くすがりついてくる。
「ヨルユキ、お前、いい加減にっ!」
肩をつかんでくる手を振り払おうと体をねじった瞬間、飛び込んでくる体重に、俺はすっころんだ。
タイミングがいいのか悪いのか、覆い被さってくるヨルユキの体重を支えきれず、よく磨かれた床に、背中をしたたかにぶつけた。
「くそったれ、なんて災難な日だよ!」
息苦しい。
「ちゃんと受け止めてくれよな、アキラ」
顔だけを上げてみれば、ヨルユキの尻が俺の胃を圧迫している。俺は、お前の座布団じゃないぞ。
「重いんだよ、早くどけって……なんだ?」
カウンターの向こうから、目を灼くような光が幾つも明滅していた。
「なあ、なんでオレ達、写真撮られてんの?」
黄色い声に混じって、「資料、資料を手に入れたわ!」と雄叫びが聞こえてくる。
「知らん……ていうか、知りたくもない」
嫌な予感だけはひしひしとするが、本能が見て見ぬふりをしておけと警告してきていた。たしかに、世の中には知らない方が幸せな世界がある。
やたら楽しそうに騒ぐ女子高生達の世界に踏み込めば、一方的に痛い目をみるだろう。
若い頃、闇の世界の中にいた時のように……
「って、そんな大げさな物でもないか」
渋い顔で首をかしげているヨルユキを押しのけ、仕込み中の鍋の火を止めるため、厨房へと引っ込む。
知らぬが仏。
まさに、それだ。