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深山さんもその存在を忘れていたようで、箸を咥えたまま顔を上げる。
「あ、白井くん。え、何?」
そのまま首を傾げる仕草に、その顔を両手で掴んでこっちに向けたくなった。
俺以外に、そんな可愛い仕草しなくていいから。
むしろ白井の目、潰れろ。
むずっと手を動かしたら、佳奈子がニヤニヤしながら俺を見ていることに気がついてそれを何とか机の上に押し付ける。
危ない。ここで理性飛ばしたら、佳奈子に一生弱みを握られる。
一度息を吐き出してから箸を持とうとした俺の耳に、イラつく言葉が聞えてきた。
「俺に下さい、深山先輩のお弁当」
爽やかに、且つ断定。
思わず顔を上げた俺に、ちらりと視線を寄越してくるその仕草は、全くもって爽やかじゃない。
優越感のようなものを漂わせてくる白井に、ふと、佳奈子が言っていた言葉を思い出す。
――うちのクラスの子がさ、深山先輩の事好きらしいんだよね。委員会が一緒なんだって
こいつか! ていうか、佳奈子、この為に俺呼んだとか!?
思わず佳奈子を見れば、得意げな表情を浮かべていて、
深山さんへのお礼も理由なんだろうけれど、白井に俺を合わせるって言うのも理由の一つだとやっと気がついた。
「え? これ?」
深山さんは白井の指差すランチバッグを見てから、驚きの声を上げた。
「はい、俺にくださいよ~」
背中から覆うように上体を屈めてくる白井に対して、深山さんは弁当のことで頭がいっぱいらしい。
不快な表情も嫌がるそぶりも見せないから、白井が図にのってるじゃないか。
完全に八つ当たりともいえる感情のまま、口を開いた。
「残念だな。それ、俺が貰うんだ」
「え?」
深山さんと視線を合わせようとしていた白井が、怪訝そうに顔を上げる。
そのままじろりと、睨みつけてくる。
「そんな、分かりきった嘘を……」
「うん、そうなんだ! ごめんねー、白井くん」
白井の言葉を遮ったのは、俺じゃなく、深山さん。
言った俺まで、驚いた。
深山さんが手早く口の開いていたランチバッグのファスナーを閉じるのを見て、白井が情けない声を上げる。
「本当ですか、深山先輩!」
深山さんはいい笑顔を白井に向けると、うん、と大きく頷く。
「気を使ってくれてありがとうね? 草間くんに約束した後だから、ごめんね」
そう申し訳なさそうに軽く手を上げると、ちらりと俺に視線を向けてくる。
そこにもなぜか謝罪の色が見えて、言いだしだというのに意味が分からず、けれど嫌な方には流れなかったからまぁいいかと箸を持ち直した。
白井は憮然と俺を睨みつけた後、深山さんに声を掛けてその場を立ち去った。
今から購買に、昼を買いに行くらしい。
さっさと行けばいいのに、時間結構経ってるぞ。
そんな後姿を横目で見ていたら、深山さんがふぅと大きく息を吐き出した。
「白井くん、もう行った?」
俺と佳奈子にしか聞こえないほどの小声で、問いかけてくる深山さんに答える。
「今、教室出て行ったけど」
ぼそりと言った俺の興味は、深山さんのランチバッグ。
彼女の言い分からいけば、間違いなく俺のものになる予定のそれが気になる。
かなりでまかせだったのに、本当にくれるのだろうか。
期待を込めて深山さんを見れば、安堵したように息をつく。
「草間くんが、機転きかしてくれてよかったぁ」
柔らかい笑顔を向けられて、鼓動が早まる。
こういう時、無表情がデフォって役立つな。
そんなことを考えながら、彼女の言った言葉を咀嚼する。
「機転?」
今、そう言ったよな?
聞き返した俺に、深山さんは肩をすくめてランチバッグに目を落とした。
「今日、お弁当のおかず失敗しちゃったのよ~。自分で食べる分にはいいけど、人様に上げられるもんじゃないし!」
「は?」
話についていけず、再び単音で疑問を投げかけてしまった。
しかし佳奈子には伝わっているようで、途端、くすくすと笑いながら肩を震わせる。
「じゃあ、おにーちゃんに上げたいからとかじゃなくて、誰にも食べさせたく無かったってことですか?」
その言い方、お前、狙って聞いてるだろう。
目を細めて、我が妹を睨みつけようとしたら。
「勿論よ!」
深山さんの発言に、がくりと項垂れそうになった。
「ほら、草間くんなら説明できるけど、白井くんにそんな恥かしい所見せたくないし」
ほやほやと笑いながら何気に俺の心臓抉ってるけど、分かってるかな? 深山さん。
「え? じゃー、白井の事、意識してます?」
意外そうに佳奈子が言うのに、深山さんは思いっきり頷いた。
「当然」
あぁ、昼休憩後、俺が絶えてたら。佳奈子、骨は拾い集めろよ?
訳のわからない思考に現実逃避を始めようとした俺は、次の深山さんの言葉で現実に戻された。
「後輩に、馬鹿にされたくないじゃない」
白井。
おめでとう、後輩。
お前は俺にとっても、くそ大事な後輩だ