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「あ、草間くん。やっと来た」
おはようという挨拶と共に、深山さんがぴらぴらと手を振ってくる。
また遅刻ぎりぎりだねといわれながら、いつも通りの時間に自分の席に座った。
今日は一時限目に、古文がある。
一番苦手な科目だ。
一つの言葉に表の意味・裏の意味・またその他の意味があったりして、裏の裏は表なんじゃないか? とか、ふと思ってしまったらなんだか面倒になってしまった。
伝えたい事を文字にするなら、そのまま書けばいいのに。
「ねーってば、草間くん。聞いてるの?」
考えに耽っていた俺の目の前に、細い指先が入りこんできた。
「え?」
少し驚いて顔を上げると、呆れたような深山さんと目が合う。
「さっきから話しかけてるのに、独り言になっちゃうでしょ?」
少し口を尖らせて、半目で俺を睨む。
……可愛い
思わずそんな単語が浮かび上がったきて、慌てて片手で額を打った。
ぺちりと情けない音の後に、深山さんが上げた小さな声に驚かせてしまった事に気付く。
「あ、ごめん。それで、何?」
額に当てた手を外して、何とか口端を上げて笑みを作る。
それを見た深山さんが、もっと驚いたように目を見開いた。
「草間くんが朝から笑ってる……っ」
ちょっと待て、何、その驚くポイント。
面白くない気分が膨れて、両腕を前で組む。
「俺だって、笑うくらいする」
深山さんは掌を顔の前で横に振って、いやいやいやとそれを否定した。
「草間くんが笑うなんて、私数えるくらいしか見たことないよ! しかも朝になんて皆無だよね。うわー、今日はいい事あるのか悪い事あるのか……」
「失礼な。で、何か用があるんだろ? 何?」
一時限目は古文だから、勉強を教えて欲しいって事じゃないだろうしな。
深山さんは少しだけ表情を和らげて、えとね、と言葉を続けた。
「佳奈子ちゃんが、昼の休憩時間に、クラスに来てって言ってたから」
「佳奈子の……一年の教室? なんで?」
佳奈子がこっちに来る事はあっても、俺が行くことはない。
用事も思いつかないし、何の理由があってそんな面倒な事をしなきゃならない。
なんか用があるなら、夜でもいいだろ?
深山さんは俺の考えに気がついたのか、困ったような表情を浮かべる。
「私も理由知らないからなんともいえないけれど、一応、伝えたからね? それに、ちゃんと行ってあげた方がいいよ? いつも来てもらってるんだから」
あ、きっと最後の言葉が本音。
子供を諭すようなその声音に若干落ち込みたくなるのは、昨日気付いた恋心故なのだろう。
そんなことを考えていた俺は、その態度が嫌がっているように見えているとは全く気付いていなかった。
小さく息を吐き出す声が聞こえて、顔を上げる。
「そんなに嫌だったら、伝言を頼まれた責任上、一緒について行くから。ここは痛み分けっていう事で。ね?」
はい決まり~文句は言わせない~、と深山さんは自己完結してさっさと古文の教科書を読み始めてしまった。
戸惑いながらもこれ以上は本当に口を開いても無駄だろうとこちらも自己完結の上、それはそれで一緒に昼を食べる事になるのだろうかという疑問に脳内は移行していた。
「さ、行こ?」
四限の物理が終わった後、いつもならそれぞれ昼飯を取るのだが、今日は肩を並べて教室を後にした。
何か後ろでざわざわとしていた気がするけれど、まぁ、気のせいだろう。
教室から少し歩いたところで、深山さんが視線を俺の手元に向けた。
「……草間くん、お弁当は?」
「は?」
一緒に歩くというそれだけでなんとなく浮き足立っていた俺は、怪訝そうな声に意識を引き戻された。
そこで深山さんの言いたい事に気がついて、右の掌を意味もなく持ち上げる。
「あ、やっぱり持ってきた方がいいのかな?」
深山さんは少し考える素振りを見せつつ、答えは決まっていたのか小さく頷いた。
「態々呼び出すくらいだから……、一応持って行ったほうがいいんじゃないのかなぁ。必要なければ、学食で食べてもいいしね」
その言葉に俺は踵を返して、弁当を取りに行く。
それは、一緒に食べてもいいと言うことなのか。
きっとそういう事なんだろう、うん。
なんとなく自分で自分の問いに答えつつ教室に入ると、ざわざわとしていた教室内が一瞬で静まり返った。
「?」
不思議そうに見遣ってくるクラスメイトを眺めつつ、そんな顔をしたいのはこちらなんだけれどと首を傾げながら弁当を取りに自分の席に歩いていった。
弁当の入った袋を手に取って顔を上げても、しんとした教室内の光景に変化はない。
一体なんなんだ。
そうぼやきながら歩き出すと、目の端に石井の姿が映る。
――なぜか、親指を立てて片目を瞑っていた。
なんだ? グッジョブ?
何を口ぱくでいわんとしているのか、全く分からん。
この状況だけでも意味が分からなくてもやもやするのに、お前まで変な意思表示をしてくるんじゃない。
八つ当たり気味に石井の頭を叩いて廊下に出ると、教室内に喧騒が戻った。
どよめきと、言ってもいいくらいの騒がしさ。
……俺、何かやったのか?




