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「草間先輩」


いつもの如く移動教室で特別教室棟へと石井と連れ立って歩いていた俺は、まだ本校舎を出る手前で呼び止められた。

何気なく顔だけ向けてみれば、少し前、加奈子の教室で見た面白くもなんともない顔。

「……」

とりあえず、顔の向きを戻して歩行を再開する。

「いいのか?」

少し前で足を止めていた石井が、俺と後ろの阿呆面の後輩の間で視線を交互に動かしながら不思議そうに首を傾げた。

「知り合いじゃない」

俺はそう告げると、石井の横をすり抜けながら渡り廊下へと足を進める。

もうすぐ、深山さんの歌を聴けるのに呼び止めるなよ。

内心、そんな事を考えながら。


後ろにいるんだろう(立ち去る足音が聞こえないから、多分呆けているんだろう)馬鹿面後輩の意識がやっと戻ったらしく、上履きのゴム底が廊下を踏みしめる音がしてすぐに肩をひかれた。

渡り廊下に出るガラス戸まで、あと数歩というところで。


「人が呼びとめてるのに、なんですかその言い方」

……面倒くさい、うざったい、邪魔

「おい、草間。珍しく脳内の言葉が口に出てるぞ」

思っていた言葉が、つい口をついたようだ。

「そう」

少し驚き気味の石井を一瞥して、ため息をつく。

「手、どけて」

それだけ言葉にすれば、後ろに立つただの後輩という名の白井が少しむっとしたように俺の肩から手を外した。



……見下ろされるのが、むかつくな。


俺より少し高い位置にある目を、じっと見る。

大体、呼び止められる理由が推察できるから無視してるんだよ。

分からないか?


「なんか、用?」


最小限の言葉で問えば、より一層イラつきを表情に出した白井が目を細めた。



「俺、深山先輩の事が好きです。だから、草間先輩が邪魔なんです。いい加減、深山先輩から自立してください」



一気に言いたい事を言いきったのであろう白井は、少し上体を反らす様にして俺を見下ろしている。

若さでアタック……、なんのキャッチフレーズだっけか。

若いと言ってもたった一つ違いなのだという事は重々承知だが、それにしても若いな。


その言われ方をして、俺が“わかりました、自立します”と言うとでも?


思わず、口端が上がった。

周囲がざわりとどよめいて、いつの間にか数人だったギャラリーが増えている事に気が付く。


「それで?」


端的に、一語、返す。

いきなり俺に笑まれたからなのか目を見張っていた白井が、かぁっと頬を赤くした。

頭に血が上ったな。

冷静に白井を分析しながら、無表情を崩さない。

「それでって、だから深山先輩の手を煩わせないでくださいっ」

手を煩わせないで、か。

まぁ、煩わせている気もするからそれに関して文句は言えないが。

しかしそれに対して文句を俺に言っていいのは、深山さんだけだろう。


そんな事を考えていた俺に、白井の口は止まらない。

「妹だけじゃなくて、同級生にまで面倒を見させるのはどうかと思います」

面倒を見させる、ねぇ。

横で石井が事の成り行きを楽しそうに見守っているのもむかつくが、もうすぐ授業が始まってしまうのも気にかかる。

深山さんの歌が終わってしまうだろうが。

週に一度、聴ける歌声なのに。


「石井」


なので、石井を使う事にした。

突然名前を呼ばれた石井は、首を傾げて俺の言葉を待つ。

おれは指先を上げて、渡り廊下に出るガラス戸をあけるように言った。

それだけで意味が通じたらしく、数歩の距離を駆け寄ってドアを開ける。


「……」


何も、聞こえない。

深山さんの、歌は。



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