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ボロボロ勇者とカッコつけおじさん  作者: たくあん
ボロボロ勇者とカッコつけおじさん

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第09話 手を貸してください

 エリナは、やどかりにカッコつけすぎだと言い返そうとした。けれど、声にするより先に頬が上がったので、口を閉じた。

 あの人までこちらへ来る。カッコつけるために、剣を持って歩いてくる。その足音を、魔物の声の間にも聞き分けられた。


 蟲型の前脚が迫ったので、まずそれをかわさなければならなかった。横へ回り、脚を斬り、倒れた身体を越えて、もう一体へ剣を向ける。


 その間にも、足音が近づいていた。やどかりのものだと思った。けれど、一人分にしては多かった。革靴の音に、木底の靴が混じる。何かを引きずる音が続き、息を切らした声が近くで聞こえた。

 エリナは振り返った。


 やどかりの後ろには、斧を持つ男や、長い棒を握った商人がいた。鍋の蓋を胸の前へ構えた料理人は、こちらへ来る途中にも、一度持ち手を握り直していた。


 麺棒を持って出てきた男は、自分の手元を一度見て、少し心細そうな顔をした。それでも戻らず、前掛けの裾で汗を拭った。誰も、頼もしそうには見えなかった。腕は強張り、魔物が鳴くたびに肩が跳ねた。自分から一歩進んできたことを、もう後悔しているような顔の人もいた。


 それでも、そこに立っていた。


「おい、食堂の嬢ちゃん!」


 先頭にいた老人が叫んだ。片方の袖が肘の先で結ばれていた。残った手には、使い込まれた肉切り包丁が握られている。エリナの胸が跳ねた。勇者様ではなかった。食堂の嬢ちゃん。旅立つ日に置いてきたはずの自分へ、声をかけられた気がした。


「俺たちは、何をすりゃいい!」


「……え……」


「聞こえなかったか!」


 老人は少し顔を赤くした。


「手伝いに来たって言ってんだ!」


 エリナは口を開いた。説明しなければならない。東門からまだ来る。狼型は横へ回る。蟲型は屋根から降りる。あの大きな影が入ってくれば、通りの真ん中には立たせておけない。分かっていることはいくつもあった。


 けれど、口にすれば、この人たちは危険のある場所へ動く。街道で冒険者を呼び止めかけたときと同じ恐れに、喉が狭くなった。自分でできるようになるまで待てば、頼まずに済む。ずっとそう考えてきた身体が、今も言葉を飲み込もうとしていた。


 目の前の人々は、まだ動かずにいた。命じられて連れてこられた者たちではなかった。怖がりながら自分でここまで来て、何が要るのかを聞いていた。やどかりが手を上げた。


「よう、食堂の嬢ちゃん」

 

「やっぱ、勇者ってのは意外とどこにでもいるものらしい」


 友人との待ち合わせに来たような声だった。


「指示を出してくれ。俺たちにカッコつけさせてくれ」


 エリナは男を見た。勝手に来て勝手に助けて勝手に消えた人が、今は自分の言葉を待っていた。その後ろにいる人々も、同じだった。エリナは息を吸った。カッコつけさせなければ可哀想だと思った自分に少し笑った。


「……東門から、まだ来てる」


 声が震えたので、もう一度吸い直した。


「狼型を路地へ入れないで。人が逃げてるから。槍の人たちは、荷車の横を塞いでほしい」


 男たちが頷いた。


「屋根にもいるから、上を見てる人がほしい。降りてきたら、教えて」


「俺が見る!」


 商人が棒を持ち上げた。エリナは麺棒の男を見た。


「あなたは、戦わなくていい」


「お、俺?」


「怪我した人を、奥の建物へ。歩けない人がまだいるの」


 男は自分の麺棒を見下ろし、それから大きく頷いた。


「分かった!」


 門の向こうで、再び咆哮が上がった。全員の顔がそちらを向いた。エリナの足も震えた。けれど背後では、すでに誰かが動きはじめていた。荷車を押す声がする。倒れた人へ呼びかける声がする。自警団の槍が、左右へ分かれて道を作った。全部、自分でしなければならないと思っていた。


 今も、そうしようとしてしまう。それでもエリナは、彼らへ顔を向けた。


「全員を助けたい、あなたたちも含めて、でも一人じゃ、手が足りないの」


 言ってしまえば、ひどく当たり前のことだった。それなのに、続く言葉を口にするまで、喉が詰まった。


「……お願いします。手を貸してください」


「おうよ」


 その返事を合図に、人々が動きはじめた。荷車の車輪へ肩を入れた男たちが、声を合わせて押した。泥に嵌まっていた車輪が軋みながら回り、路地へ通じる隙間が狭くなる。その両脇へ自警団が槍を差し出すと、回り込もうとしていた狼型の魔物が足を止めた。


「こっちだ! 歩ける奴は奥へ!」


 麺棒を腰紐へ差した男が、倒れた老人の脇を抱えた。子供を連れた女が戸口を押さえ、その向こうでは別の誰かが卓をどけている。逃げ込む場所ができると、人の流れが変わった。押し合っていた背中が一つずつ通りから消え、足元を気にせず剣を振れる場所が、エリナの前に広がっていった。


「屋根だ!」


 棒を持った商人が叫んだ。


「右の、煙突の横!」


 エリナは顔を上げた。蟲型が翅を広げていた。瓦を蹴る前に、その姿を見つけられた。


「見えた!」


 降りてくる先へ踏み込み、着地する脚の節へ刃を入れる。魔物が傾いたところで喉元を突き、引き抜くと同時に後ろへ下がった。背中に、人がぶつからなかった。そこを、誰かが空けてくれていた。

 エリナは大きく息を吸った。ほんの少し前まで、通り全体が自分へ覆いかぶさってくるようだった。目を向けなければならない場所が多すぎて、一つを見れば、ほかの何かを失う気がした。


 今は、声が届いた。右にいる。上から来る。そこは通れる。自分の目が届かない場所を、誰かが見ていた。エリナは振り返りかけた顔を前へ戻した。声に従って一歩寄せた足の先には、本当に、人の通れる隙間が空いていた。


「無理すんなよ!」


 やどかりが、荷車の横から叫んだ。


「止めるだけでいい! 倒そうとして前へ出るな!」


 長い棒で狼型を押さえていた男が、慌てて半歩下がった。そこへ槍が添えられ、獣の鼻先が引っ込む。


「怪我した奴は後ろへ! 後ろにも仕事はあるぞ!」


 声に応じて、血の滲んだ腕を押さえる男が退いた。入れ替わりに別の男が荷車へ肩をつける。誰も、慣れてはいなかった。呼びかけが重なって聞き取れないことも、同じ荷物を二人で取りに走ることもあった。それでも、何かが少しずつ噛み合っていく。エリナ一人では作れなかった時間が、少しずつ生まれていた。

 

 これなら勝てると思った。そのとき、東門の門柱が震えた。外側に残っていた石が幾つか剥がれ落ちる。土煙の向こうから太い指が現れ、崩れた扉の端を掴んだ。門板が持ち上がった。人が何人がかりでも動かせなかったものが、邪魔な枝でも払うように横へ投げ捨てられた。


 通りの声が、途切れた。四本の腕を持つ魔物が、門をくぐっていた。背を丸めてなお、肩が石組みを擦っている。頭には三本の角があり、濡れた鱗の間から、暗い赤色が脈打つように明滅していた。一歩踏み込むと、足の下で石畳が割れた。


「……おいおい」

 肉切り包丁を持った老人が呟いた。

 

 魔物を見ているはずなのに、その奥に別の影が重なった。魔王城の石床。何が起きたのかも分からないまま、壁へ叩きつけられた身体。動かない左腕。剣を握る手から、血の気が引いていった。左腕はもう動く。それでも、あの石床を思い出すと、身体は固くなった。


 浅い息を吐き切ろうとしても、途中で喉が詰まった。エリナは柄を握り直し、今、足の下にある石畳を踏みしめた。


「エリナ」


 やどかりが隣へ来た。エリナは魔物を見たまま、返事をした。


「……見えてる」


「そうか」


「怖いよ」


「ああ。俺も」


 意外な答えで、エリナは横を向いた。やどかりは四本の腕を見上げていた。剣を握る手を一度開き、革の柄を握り直している。


「お前、あれに似た奴と戦ったことあるか?」


「……もっと、小さいのなら」


「どうやって倒した」


 エリナは記憶を探った。街道沿いの岩場だった。石のような皮膚に刃が滑り、まともには傷をつけられなかった。何度も逃げながら、首を動かすたびに開く鱗の隙間を見つけた。


「首の付け根。鱗が薄いところがあった」


 口にすると、魔王の影が少し薄れた。目の前にいるのは、別の魔物だった。まだ一度も剣を当てていない。何が通じて、何が通じないのかも、確かめていなかった。背後で荷車が軋んだ。振り返ると、男たちが肩を入れ直していた。巨大な魔物を見て青ざめながらも、小さな獣を通さないよう、必死に踏ん張っている。


 老人が、エリナの視線に気づいた。


「でかいのは、俺らじゃ無理だ」


 震えている包丁を、少し下げた。


「だが、小さいのまでそっちへやるつもりはねえよ」


 エリナは男たちを見た。怖いのは、自分だけではなかった。それでも、自分にできることを手放さずにいる。


「……うん」


 エリナは頷いた。


「お願いします」


 やどかりが半歩退き、道を空けた。


「あれ、任せてもいいか」


 エリナは剣を持ち上げた。刃の向こうで、魔物が低く唸った。


「……やってみる」


 今の自分に言えるのは、それだけだった。必ず勝つとも、全部任せてとも言えなかった。けれど、やどかりは不満そうな顔をしなかった。


「おう、頼んだぞ」


 その返事を背中に受けて、エリナは走り出した。

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