↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ボロボロ勇者とカッコつけおじさん  作者: たくあん
勇者とカッコ悪いおじさん

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
52/52

第52話 拾えない剣

 目を覚ましたとき、エリナは自分がどちらを向いて寝ているのか分からなかった。

 頬の下に畳んだ上着があり、誰かが外を歩くたびに、小石を踏む音がした。起き上がろうとして背中が痛み、そこでようやく、昨日のことを思い出した。あと少しで魔王に剣が届くはずだった。


 すぐそばに、ミアが眠っていた。毛布の端から出た手に、包帯が巻かれている。

 ミアを起こさないよう、毛布から出た手を避けて、ゆっくりと外へ出た。


 朝になっていた。

 けれど、岩の向こうの空は灰色で、地面にはまだ焚き火の色が残っていた。鍋の前に座ったベルタが、匙を動かしている。エリナに気づくと、空いている器を一つ手元へ寄せた。


「眠れたかい」

「……少し」


 何度か目を覚ました気はした。夢も見たはずだった。けれど、どこまでが夢だったのか、はっきりしなかった。

 ベルタはそれ以上聞かず、汁を注いだ。受け取った器を持って腰を下ろすと、少し離れた場所で、兵士たちが天幕を畳み始めていた。


「出発ですか」

「ああ。荷車の支度ができたらね。怪我人を先に出すそうだよ」


 エリナは城の方を見た。ここからは岩に遮られて、塔も見えなかった。

 器を口元へ持ち上げる。昨日より塩の味がした。それがなぜか、申し訳ないように感じられて、少しずつ飲んだ。


 -----------------------------------------------------------------


 国王は荷車の間を歩き、一台ずつ負傷者の様子を確かめていた。

 治療師が寝かせたまま運びたいと言えば、積み直すために人を呼んだ。空いた場所へ物資を載せようとした兵士には、付き添う者の分を空けておけと伝えた。

 エリナは水袋を運びながら、その後ろを通った。


「今日は、川の手前まで下がる」


 王が指揮官へ話していた。


「道を先に調べさせろ。荷車を急がせるな」

「その先は、町へ向かわせますか」

「治療師と相談する。動かせる者から町へ送る」


 町へ。

 エリナの足が僅かに緩んだ。

 屋根がある。壁があり、寝台があり、夜に誰かの足音がしても、それは廊下を歩く音になる。

 そう思ったところで、エリナは水袋を抱え直した。


「ここでいいですか」


 荷台の縁へ置くと、座っていた男が頷いた。エリナが次の袋を取ろうとしたとき、その向こうで毛布が動いた。


「川までって、遠いですか」


 エリナは顔を近づけた。


「行きに一度、休んだところです。橋の前に、平らな場所があって」

「……ああ。あそこ」


 男は目を閉じ、息を吐いた。


「そこまでなら、寝てれば着きますね」


 エリナは頷いた。早く着くといいですねと言おうとして、やめた。


 -----------------------------------------------------------------


 荷造りは、出発した朝よりも時間がかかった。

 物は減っていた。矢の箱は軽くなり、包帯を入れていた袋は畳まれている。けれど、荷台へ横になれる場所を作るために、残った荷物を何度も載せ替えなければならなかった。

 エリナは鍋の蓋を重ね、布で包んだ。紐を結ぶときに手が震え、輪がほどけた。やり直していると、ベルタが隣へしゃがんだ。


「貸してごらん」


 太い指が紐を通し、あっという間に結び目ができた。


「ありがとうございます」

「こっちの軽い方、運んでくれるかい」


 木の匙と器を入れた籠だった。

 持ち上げると、器同士が触れて、乾いた音がした。エリナはその音を聞きながら、実家の棚を思い出した。


 朝、母が皿を並べる。

 父は鍋を見ながら、味見に使った匙をどこかへ置いてしまう。見つからないと声を上げる頃には、母が別の匙を差し出している。

 自分はその横で、玉葱を刻んでいた。


 帰りたかった。

 思った途端に、目の奥が熱くなった。

 魔王城へ向かっている間は、帰ったら何を作ろうかと考えられた。やどかりたちを連れていくつもりだった。今は、料理も、皆を座らせる席も浮かばなかった。

 ただ、母の声を聞きたかった。


「エリナ?」


 ベルタに呼ばれ、顔を上げた。


「重いかい」

「ううん。大丈夫です」


 籠を抱え直し、荷車まで運んだ。

 魔王を倒すと決めた。自分で頼んで、ここまで来た。そのことを何度思い出しても、帰りたいという気持ちは消えなかった。


 -----------------------------------------------------------------


 偵察の兵士が戻ったのは、天幕が半分ほど片づいた頃だった。

 国王のいる荷車へ向かう足取りが速く、エリナは道を空けた。そのまま通り過ぎようとしたが、魔王、という言葉に足が止まった。


「城門を越えたところで、止まりました」


 兵士は水を一口飲み、唇を拭った。


「こちらへ来ると思ったので、岩の陰まで退いたんです。ですが、そのまま動かなくなって」

「何をしていた」

「腕を、押さえていました。剣を持っている方を、反対の手で」


 エリナは兵士の顔を見た。

 男は自分の右手首を左手で掴んでみせた。


「こうして。それから、膝をつきました」

「攻撃を受けた様子は」

「こちらからは、何もしていません。誘っているのかと思って、しばらく見ていました」


 その間に、負傷者を乗せた荷車は坂を下り、最後尾の隊も城から離れたという。兵士たちが交代で見張っていると、やがて魔王は立ち上がり、城の中へ戻っていった。


「歩き方がおかしかったです。足を引いて……何度か、壁へ手をついていました」


 国王は少し考え、別の兵士へ城の監視を引き継がせた。近づくなと念を押し、道の偵察へ話を移した。

 エリナはその場に残っていた。


 アルトが、自分の腕を押さえている。

 想像すると、あの人間の顔が浮かんだ。胸へ向かう剣を見て、やれと言った顔だった。

 自分たちを逃がそうとしたのだろうか。

 そう思いかけて、エリナは唇を結んだ。分からない。傷が痛んだだけかもしれない。兵士が言ったように、近づかせるためだったのかもしれない。

 けれど、腕を押さえる姿が、頭から離れなかった。


 -----------------------------------------------------------------


「やどかりを呼べ」


 国王の言葉に、兵士が荷車の向こうへ向かった。

 少しして、男が歩いてきた。肩の包帯は巻き直されていたが、上着の袖には乾いた血が残っている。エリナに気づくと、一瞬だけ目を向け、それから王の前へ立った。


「魔王が、自分の腕を押さえていたという報告があった。何か心当たりはあるか」


 やどかりは、報告した兵士を見た。

 男が同じ話をすると、やどかりの手が胸の前まで上がり、そこで止まった。


「……変わり始めたときも、そうしてた」


 小さな声だった。


「剣を持つ手を押さえて、近づくなって。俺を斬りたくねえって、言ってた」


 やどかりは、自分の知っていることを話し続けた。左足へ重心を移す癖。剣と反対の手で放つ魔法。昔のアルトにはなかった、床を這う黒い影。

 見たものと、覚えているものを、途中で言い直しながら区別した。

 話が途切れたところで、王が尋ねた。


「お前が一人で戻ったとき、神殿には報告したのか」

「ああ。魔王を倒したことも、アルトがどうなったかも話した。助けてくれって頼んだ」


 王はすぐには言葉を返さなかった。


「勇者についての報告は、神殿が取りまとめて私へ届ける。だが、私に届いたのは、勇者は未帰還、討伐成功の確認なし。それだけだった」

「……だろうな」


 やどかりはしばらく黙っていた。


「話を聞いた神官に、神に選ばれた勇者が次の魔王になるなんて話が広まったら、誰が勇者を信じるんだって言われた」


 男は乾いた唇を湿らせた。


「同行も認められていないお前の話を、どうして信じられるって。確かめに行ってくれと頼んでも、調べる必要はないって追い返された」


 王は近くの兵を呼び、今の話を書き留めさせた。


「王都へ戻ったら、当時の記録と照らし合わせる」

 

 王はすぐには言葉を返さなかった。

 エリナは離れたところで、それを聞いていた。


 隠さずに話してくれている。

 そのことにほっとしたのに、同時に、もっと前にこうしてくれていればと思った。昨日の夜に言った言葉が、また喉まで上がってきた。

 エリナは何も言わず、空になった木箱を持ち上げた。


 -----------------------------------------------------------------


 テオは荷車の陰で、自分の杖を拭いていた。

 膝の上には汚れた布があり、先端の金具へ布を当てている。エリナが木箱を置くと、顔を上げた。


「さっきの話、聞いていましたか」

「うん」


 テオは杖から手を離した。


「戻ったんですね。自分で」


 エリナは頷いた。

 言い方が気になって、その顔を見た。テオはもう、杖へ目を戻していた。


「……アルトさんだったのかな」


 尋ねると、テオの手が止まった。


「魔王じゃなくて。腕を、止めようとしてたのは」


 テオはしばらく考えていた。


「そうかもしれません。でも、今はまだ」

「うん」


 エリナはそれ以上、聞かなかった。

 自分で質問したのに、そうですと言われるのも怖かった。まだあの人がいるのなら、次に剣を向ける相手は、ただの魔王ではなくなる。

 いや、もうそうだった。

 そのことを、分からないままにしておきたかっただけかもしれなかった。


 テオは布を持ち替えた。杖の柄についていた汚れが取れ、木の色が見えた。

「……本当に疲れました」

「少し、眠らせてください」


「うん、剣の手入れしてくるね」


 エリナが言うと、テオは頷いた。

 それだけの会話なのに、立ち上がるまでに少し時間がかかった。


 -----------------------------------------------------------------


 荷物を置いた場所には、まだ日が差していなかった。

 エリナは畳んだ毛布へ腰を下ろし、袋の中から布を探した。指先が包みに触れ、取り出しかけて、折れた聖剣の柄だと気づいた。

 包みを戻し、その脇にあった布を引き出した。


 やどかりにもらった剣は、袋の横に置いてあった。

 鞘へ泥がつき、革の継ぎ目が黒ずんでいる。昨日はそこまで気が回らなかった。濡らした布で拭き、刃を確かめなければならない。

 手を伸ばし、柄へ触れかけた。


 硬い音を、思い出した。


 剣先が触れたときの感触だった。黒い塊が目の前にあった。もう少し押せば、届くはずだった。

 次は止まらなければいい。

 あの声が聞こえても、腕を伸ばせばいい。


 エリナの指が、柄の手前で止まった。


 アルトは、こちらを見ていた。

 自分を傷つけた人だった。死にたくないと床を這っていたときも、あの人は立っていた。そのことを忘れたわけではない。

 けれど、あの人が「やれ」と言った声も、覚えていた。

 終わらせてほしかったのだ。


 エリナは手を引き、膝の上へ置いた。

 布を握ると、指の傷が少し痛んだ。


 -----------------------------------------------------------------


 離れたところで、やどかりが荷物を受け取っていた。

 話を終えたらしかった。小さな袋を頼まれ、腕で抱えた。持ち方が悪かったのか、近くの兵士が底へ手を添え、二人で荷台へ置いた。

 やどかりが頭を下げた。

 エリナは、その姿を見つめていた。


 もし、あそこにいたのが、この人だったら。


 考えたくなかった。

 けれど、一度浮かんだ顔は消えなかった。玉座の段に座っている。黒いものが腕を這い、剣を持つ手を押さえている。

 近づくなと言われる。

 自分を斬りたくないからと、苦しそうに笑う。


 やめて。

 エリナは目を閉じた。それでも、声を思い浮かべることができてしまった。


 ――俺を殺してくれ。


 膝の上の手が、強く握られた。


 その人は、自分を助けてくれた。

 母の手紙を届け、腕を治したあとで、何がしたいかと聞いてくれた。休みたいと答えた自分に寝床を整え、帰ってもいいと言い、剣を渡し、一緒に歩いてくれた。食事のときには馬鹿なことを言って、ミアに叱られ、テオと言い合っていた。

 その顔へ、剣を向ける。

 そうすれば、皆が助かる。


 できるだろうか。


 エリナは目を開けた。

 遠くに、本物のやどかりがいた。荷車から離れ、肩の包帯を気にしていた。そこへミアが来ると、男は手を下ろした。

 よかった、と思ってしまった。

 あそこにいる。まだ、人のままでいる。


 その安堵に気づいて、エリナは俯いた。


 やどかりも、同じだったのだろうか。

 アルトがこちらを見て、名前を呼ぶ。そのたびに、まだ大切な人がそこにいると思ったのだろうか。

 剣が届く瞬間、その人がいなくなると分かったら、何を思うのだろうか。


「……でも」


 声が漏れた。


 レオンの腕は、まだ動かない。

 横になったまま運ばれる人がいる。ミアの手には包帯が巻かれ、テオは疲れきっていた。

 やどかりを連れ戻すために、一緒に走った兵士の顔も覚えている。


 仕方なかったとは、思えなかった。

 あそこで止めなければよかったと、今でも思う。

 けれど、自分ならできたと言おうとすると、喉の奥で言葉が止まった。


 -----------------------------------------------------------------


 最初の荷車が動き始めた。

 車輪が小石を噛み、乗っている人へ声がかけられる。歩ける者たちが、その前と後ろへ分かれた。

 エリナは顔を上げた。


 道は、来た方へ続いていた。

 川を越え、街道へ戻り、町へ着く。その先を行けば、いつか実家のある場所へも帰れる。

 昨日まで、魔王を倒してから通るつもりだった道だった。


 エリナは毛布を畳み直した。

 布の端を揃え、丸めて紐をかけた。水袋を確かめ、荷物の口を閉じる。そういうことは、手を動かせばできた。

 腰の剣帯だけが、空いたままだった。


 剣を持たなければ、皆のところへ戻れないと思った。

 みんなと一緒に戦って、魔王に勝つ。それができるつもりで、ここまで来た。

 でも、次にアルトを前にしても、同じように踏み込めるのか分からない。

 やどかりが何も言わなくても、あの顔を思い出してしまうかもしれない。


「後ろの荷も、まとめてくれ!」


 出発を急ぐ声が届いた。

 エリナは返事をしようとしたが、うまく息を吸えなかった。

 剣へ手を伸ばした。

 指先の下に、見慣れた柄があった。握り方を忘れたわけではない。腕も動いた。けれど、その手に力を入れた先のことを考えると、どうしても掴めなかった。


「……私、何がしたいんだろう」


 口にしてから、顔を上げた。

 やどかりは、荷車のそばにいた。誰かと話しているわけでもなく、俯いて、自分の剣を見ていた。

 呼びかければ、振り向いてくれるかもしれない。

 けれど、あの人も答えを持っていないことを、今は知っていた。


 エリナは伸ばした手を、ゆっくり膝へ戻した。

 冷たい風に、握っていた布の端が揺れた。

 帰るための荷物は、もうできていた。

 その横に、剣だけが残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。