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ボロボロ勇者とカッコつけおじさん  作者: たくあん
勇者と戦わない魔法使い

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第29話 機会

 西岸へ下ろされると、ミアがすぐにエリナの前へ膝をついた。

 診ていた衛兵は、近くの男たちに運ばれていくところだった。腕の傷には布が巻かれ、彼自身も反対の手で、その上を押さえている。


「ここへ座ってください」


 エリナは、敷かれた毛布へ腰を下ろした。やどかりが剣を預かり、ミアは膝の破れた布をよける。

 傷に入った砂を水で流してもらうと、思わず指が毛布を掴んだ。


「ほかに、痛むところは」

「左の肩。息は、苦しくない」


 ミアが頷き、上着の裂け目から肩へ触れた。

 エリナは、彼女の手首に血がついているのを見た。自分のものではない。さっきまで診ていた誰かの血だった。


「……ありがとう」

「お礼は、あとで聞きます」


 ミアは顔を上げなかった。

 怒っているのかと思ったが、布を持つ指がわずかに震えていた。エリナはそれ以上何も言わず、言われた通りに、ゆっくり肩を動かした。


 そばにいた女が、やどかりの裂けた袖を見つけ、腕へ布を巻いてくれた。男は礼を言い、結び目が緩まないのを確かめてから、テオの肩へ手を置いた。


「助かった」


 テオは頷きかけ、すぐに東岸へ顔を戻した。


「まだです」


 魔物が、光の壁へ前脚を叩きつけていた。

 肩の外殻は確かに割れている。その下から覗く身体にも傷があった。けれど、倒れる気配はなかった。むしろ、今までより激しく頭を振り、こちらを見据えている。

 もう、逃げる人々を追ってはいなかった。

 テオを探していた。


 -----------------------------------------------------------------


 テオは、自分の喉が乾いていることに気づいた。

 魔物の目が動くたびに、身体が勝手に強張る。逃げたい気持ちは、魔法を一発撃ったくらいではなくならなかった。

 それでも、さっきまで川の向こうに取り残されていた二人は、もう自分の後ろへ戻ってきている。エリナの声が聞こえ、それにミアが応じる声も届く。

 逃げたい気持ちは消えていなくても、守りたいものとの距離だけは、さっきまでとは違っていた。


 魔物が横へ動いた。

 壁を回り込み、崩れた護岸から川へ足を下ろす。水が大きく跳ねたが、その身体は沈みきらなかった。砕けた橋の石が川底へ積もり、上流側には、巨体が足をかけられる浅い場所ができていた。


「渡ってきます!」


 テオは左手を振った。

 光の輪が三つ、川の上へ開いた。続けて放たれた白い光が、魔物の頭、肩、前脚を、角度を変えて叩いた。

 そのたびに水柱が上がった。


 エリナは毛布の上で目を見開いた。

 一発でも、さっきの魔法は凄まじかった。それが、途切れずに降っている。自分なら踏み込むだけで精一杯だった間合いの外から、テオは魔物を押し返し、岸へ近づく足を止めていた。


 けれど、倒れなかった。


 最後の光が肩へ当たる直前、魔物の身体を走る輝きが、傷口を覆うように集まった。

 今度は、その光が白い一撃を受け止めた。衝撃に巨体が傾く。川底の石を踏み砕きながらも、魔物は足をつき直した。割れた外殻の下は光に覆われ、傷口へ魔法が届いていなかった。魔物は傷ついた肩を庇い、頭を低くした。


「……そこへ、集まるのか」


 テオが呟いた。

 彼の目は、魔物の表面を走る光を追っていた。


「何がだ」


 やどかりが聞いた。


「あの光は、身体を守っているんです。僕の魔法が当たるところへ集まって、受け止めている」


 もう一つ、輪を作る。

 今度は、外殻の割れた肩だけを狙って、小さな光を放った。やはり傷口の前へ光が集まり、白い一撃を弾く。その代わり、喉元を覆っていた輝きが薄くなった。


「最初は、肩の守りが薄いうちに当てられました。でも今は、撃つたびに守りが間に合ってしまう」


 テオは息を吐いた。

 魔物は、さらに一歩踏み出した。流れを割った前脚が、こちらの岸に近い石へ載る。

 テオが右手を突き出すと、水際に壁が立った。

 突進を受け止めた光が、低い音を立てて震える。


「肩へ集まった分、喉の守りが薄くなったな」


 やどかりが言った。

 テオは歯を食いしばり、壁を少し川側へ押し戻した。相手の後ろ脚が川底を掻き、濁った水が渦を巻く。


「なら、肩を撃ち続けろ」


 テオが横を見ると、男は剣の握りを確かめていた。


「そこへ守りを引っ張っておけ。その間に、喉を狙う」


 テオは魔物の喉元へ目を移した。

 輝きの薄れたところにも、黒い外殻が重なっている。守りを肩へ寄せるだけでは、剣は通らない。けれど、その間なら、外殻の縁を捉え、左右へ押し開けるかもしれない。


「喉の外殻は、僕が隙間を広げます。ただ、頭が下がったままでは、狙えません」

「上げさせる」

「その間、あなたは攻撃できませんよ」


「私が行く」


 ミアの向こうから、エリナの声がした。

 テオが振り返る。少女は毛布の上へ片手をつき、二人を見ていた。


「頭が上がって、喉の殻を開けてくれたら、そこへ私が剣を突く」


 立ち上がろうとしたところで、ミアが膝の布を押さえた。


「待ってください。まだ、手当てが終わっていません」

「……うん」


 エリナは腰を戻した。

 川で魔物が水を蹴る音がした。テオは正面へ顔を戻し、壁を押し出す。その向こうで、黒い頭が一度退いた。

 ミアが布の端を留め、エリナから手を離した。


「膝を曲げてみてください。肩も、どこまで動くか」


 エリナは立ち、ゆっくり膝を曲げた。擦りむいたところは痛んだが、体重をかけても脚は支えられた。左の肘を上げると、途中で肩が痛んだ。

 そこまでを、ミアへ伝えた。

 やどかりが剣を差し出した。

 右手に左手を添え、腰の高さで構えてみる。ミアは肩の動きを見てから、頷いた。


「振りかぶったり、あの爪を受けたりは、しないでください」

「うん」


 エリナは川を見た。

 全部を相手にする必要はなかった。あの身体を一人で押し返すわけでも、硬い外殻を剣だけで割るわけでもない。

 みんなが作ってくれたチャンスを使って、喉へ剣を突き込む。


「やどかりさん、頭をお願い。テオ、あの喉元の継ぎ目を開けられる?」

「やってみます。開くまでは、待ってください」

「待つ。呼んで」


 テオは一度だけ、彼女を見た。

 肩を押さえていた手が、今は剣の柄に添えられていた。その剣の前へ道を作るのを、エリナは自分に任せようとしている。


「長くは持ち上げておけねえぞ」


 やどかりが言った。

 エリナは剣を握り直した。


「うん。一回で決める」


 -----------------------------------------------------------------


 テオは、岸の階段を見た。

 川へ下りるための古い石段だった。上の二段は乾いていたが、その下は飛沫に濡れ、端には苔がついている。

 エリナが足を滑らせるところを想像して、テオは指先を動かした。

 石の表面から水が抜け、薄い泥と一緒に川へ落ちた。つま先の載る場所へ、凹凸のある光を一枚重ねる。

 エリナが、その上へ足を置いた。


「ありがとう!」


 魔法を使ったところを、彼女は見ていた。石段の上から声を張り、乾いた足元を確かめている。

 テオは頷き、すぐに正面へ向き直った。

 やどかりはエリナより上流側へ出ていた。腕に巻かれた布の端を確かめ、自分の剣を握り直してから、魔物を見た。


「壁、少し開けられるか」

「どのくらいですか」

「こいつが、俺を噛みたくなるくらい」


 テオは男を見た。


「もっと、まともな言い方はありませんか」

「あるなら言ってくれ」


 テオは唇を結び、壁の端をわずかに引いた。

 隙間の向こうで、魔物の目がやどかりを捉えた。男が剣で石を叩くと、低い唸り声が返ってくる。


「おう、覚えてるか。さっきから、鼻っ面を殴ってる方だ」


 魔物が前脚を出した。

 水が弾け、壁の切れ目へ頭が突き込まれる。

 やどかりはすぐには逃げなかった。剣を低く構え、相手の鼻先が自分の足元へ届くぎりぎりまで、そこに立っていた。


「今、肩だ!」


 男が叫んだ。

 テオの左手から、白い光が走った。


 魔物の肩に、守りの光が集まる。

 その光を見て、やどかりが踏み込んだ。岸の一段低い石へ足を置き、迫る顎の下へ剣を差し入れる。

 刃で斬ろうとはしなかった。剣の腹を押し当て、相手が噛みつく力を横へ逸らしながら、全身で頭を持ち上げた。


 男の靴が、石の上を滑った。


「っ、重てえ……!」


 テオは右手の壁を変えた。

 広い面を畳み、魔物の前脚の横へ押し当てる。踏み替えようとした足が止まり、上がりかけた頭が、一瞬、その位置に留まった。


 喉の下が見えた。


 エリナは、石段を一つ下りた。

 魔物の肩では、テオの放つ白い光が次々に弾かれていた。守りの光がそこへ集まる分だけ、喉元の輝きが薄くなる。

 けれど、外殻は残っている。

 エリナは足を止めた。


 テオが、それを見ていた。


「そのまま!」


 声が届く。

 テオの左手が、わずかに開いた。

 肩への攻撃を続けたまま、その光の端から、細い線を二本伸ばす。二本の光は魔物の喉元へ滑り込み、重なった外殻の縁を、左右から捉え、黒い外殻をこじ開けていた。

 軋む音を立てて、喉元の外殻が左右へ開いた。剣一本を差し込める幅ができ、その奥に、殻の下に隠れていた肉が覗いた。二本の光が、開いた外殻を押さえている。


「エリナ、今です!」


 彼女は踏み込んだ。


 剣を振り上げず、腰の高さから前へ出した。

 左肩には鈍い痛みがあった。けれど、足は滑らなかった。テオが乾かした石を踏み、やどかりが支える頭の下へ進む。目の前では、まだ二本の光が喉元の外殻を押し開いていた。

 露わになった喉へ、両手で剣を突き込む。


 いつものように硬いものへ弾かれる音はしなかった。両手へ返ってきたのは、刃が確かに奥へ入っていく重い感触だった。

 通った、と理解するより早く、エリナはその機会を無駄にしないよう、もう一歩、身体ごと前へ押し込んだ。


 -----------------------------------------------------------------


 魔物の身体が、大きく震えた。

 やどかりが剣を外し、エリナの腕を掴む。彼女が自分の剣を引き抜くのと同時に、二人は岸へ退いた。

 追おうとした前脚が、上がらなかった。


 魔物の身体を覆っていた光が、ばらばらに揺れた。

 肩へ集まっていた輝きが薄くなり、大きな頭が水面へ近づいていく。テオは最後まで壁を消さず、崩れる巨体を、人のいる岸から川の中央へ押し戻した。


 水が跳ねた。

 エリナはやどかりに肩を引かれ、石段の上で膝をついた。顔に冷たい飛沫がかかったが、すぐには拭けなかった。

 川の中で、魔物は動かなくなっていた。


 少しの間、誰も声を出さなかった。

 折れた木片が、川をゆっくり通り過ぎていった。テオが壁を薄くしても、魔物は頭を上げなかった。


「……終わったか」


 やどかりが言った。

 テオは川を見たまま、頷いた。


「動いていません。あの光も、消えました」


 エリナの肩から力が抜けた。

 剣を置こうとして、指がうまく開かなかった。ミアがそばへ来て、一本ずつ、柄から外すのを手伝ってくれる。


「お疲れ様でした」


 その声に、エリナは顔を上げた。

 ミアが見ていた。


「……うん」


 今度こそ、返事ができた。


     *


 テオは、自分が壁を消せずにいることに気づいた。

 もう動かない。何度見ても分かる。けれど指を閉じて、魔法を解く瞬間に、また頭が上がるような気がした。


「テオ」


 やどかりが、横へ来た。

 男は何も持たない手を見せ、それから川を顎で示した。


「大丈夫だ、手を下ろせ」


 テオは、やどかりの横顔を見た。

 男の剣は、まだすぐに取れる場所にあった。テオはその手元を見てから、指の力をゆっくり緩めた。光の壁が薄れて水面の色へ溶けていく。最後の明かりが消えた途端、魔法と一緒に張りつめていた力まで抜けたように、膝が頼りなく揺れた。


「……っ」


 やどかりが腕を支え、岸の石へ座らせた。

 テオは両手を膝へ置いたが、震えが止まらなかった。魔法を使っている間は、あれほど細かく動かせていた指が、今は水筒の蓋さえ掴めない。

 少し離れたところから、エリナが見ていた。


「開けてあげて」

「分かってる」


 やどかりが蓋を外し、テオへ渡す。

 飲もうとして、少しこぼした。前掛けに水が落ちた。


「……情けないですね」


 テオが呟くと、エリナが首を振った。


「私、最初は、もっとひどかったよ」


 慰めるためだけの声ではなかった。

 その顔を見て、テオは水筒を両手で持ち直した。


「怖かったです」


 言うつもりのなかった言葉が、出た。


「ええ」


 ミアが答えた。

 彼女はエリナの肩へ、冷たい布を当てていた。


「私もです」


 やどかりが、隣の石へ腰を下ろした。


「俺も、あの頭は二度と持ち上げたくねえな」


 テオは少しだけ息を漏らした。

 笑ったのか、ただ息が抜けただけなのか、自分でも分からなかった。


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