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ボロボロ勇者とカッコつけおじさん  作者: たくあん
勇者と治せない治癒術師

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第15話 一番待てない人

 薬屋の扉が、強く叩かれた。


「ミア! いるか!」


 返事をするより先に、もう一度、戸板が鳴った。ミアが扉を開けると、坑道で負傷者を運んでいた男が立っていた。髪にも肩にも灰色の粉が残り、坂を駆け下りてきたのか、両膝へ手をついて息を整えている。


「診療所がいっぱいだ。廊下まで怪我人で埋まってる」


 ミアの指が、扉の縁で止まった。


「先生は?」


「診てる。助手も総出だ。坑道口にも一人出てもらってる。だが、まだ運ばれてくる」


 男は一度振り返った。坂の上から、担架代わりの板を抱えた人影が下りてくるのが見えた。


「頼む。軽傷の人たちをここで何人か受け入れてもらえないか」


 ミアは店の中を振り返った。ここは診療所ではない。寝台もなく、あるのは薬草を刻んでいた卓と客用の椅子、壁いっぱいの薬の棚くらいだった。けれど、布も水も薬もある。床を空ければ、人を横にすることもできる。


「……どのくらい、来ますか」


「分からん。今も増えてる」


 ミアの手が、扉の縁を強く掴んだ。何人来るのか分からない。どんな傷なのかも分からない。それでも、診療所へ入りきれず、待っている人がいる。


「……分かりました」


 ミアは目を上げた。


「まず、歩ける方と、出血が止まっている方をこちらへ。卓を壁際へ寄せます」


「助かる!」


 男が踵を返すと、ミアはその背中を見送り、すぐに店へ戻った。卓の上の薬草を籠へ移し、椅子を持ち上げる。その手は、わずかに震えていた。


 -----------------------------------------------------------------


 最初に運ばれてきたのは、自分で歩ける者たちだった。切れた手を布で押さえる男。転んだ拍子に足首を捻った女。粉塵を吸い込んで咳を止められない若者。ミアは一人ずつ椅子へ座らせ、傷を洗い、布を巻き、薬を渡した。その程度なら、いつもの店でもやっていた。


 けれど、坂を下りてくる人の列は途切れなかった。


「診療所の方も、もう床まで埋まってる!」


 次に駆け込んできた男は、そう言って肩を貸していた負傷者を床へ寝かせた。


「先生から、こっちで診られる人は頼むって!」


 その後ろから、また一人。さらにもう一人。歩いて来られる軽傷者ばかりではなく、自分では身体を起こせない者や、血の止まらない者まで運ばれてくる。名前を呼んでも返事が遅れる者もいて、最初に空けた場所だけでは足りなくなった。


 薬屋の前は、もう店と呼べる状態ではなかった。卓は壁際へ追いやられ、床にも、戸口にも、隣の家の軒下にも負傷者が寝かされている。いつも店を満たしていた薬草の匂いは、土と汗と血の臭いに押し流され、ほとんど分からなくなっていた。


 ミアはその中央で、布を握っていた。誰かに渡されたまま、まだ手の中にある布だった。


「この人を見てくれ!」


「こっちだ! まだ息はある!」


 声が重なる。右を向けば腕を押さえた男がいて、左では、血に濡れた女の横で誰かが泣いていた。足元でも、口を開けたまま小さな息を繰り返している人がいる。ミアは一歩動きかけて、別の声に足を止めた。そちらへ向かおうとして、また止まる。誰かを選べば、その瞬間、ほかの誰かへ背を向けることになる。


 床へ落ちた赤い布が目に入った。途端に、目の前の薬屋が遠のいた。昔、自分が膝をついた床にも、同じような色の布が落ちていた。こうして人が並ぶ中から一人を選び、胸へ手を置いた。白い光が溢れ、途切れかけた呼吸が戻った。


 助かった。


 そう思って振り返ったとき、すぐ隣の人は、もうこちらを見ていなかった。さっきまで名前を呼んでいた口が、開いたまま止まっていた。


 ――どうして、こっちを先にしてくれなかった。


 本当に誰かに言われたのか、自分の頭の中で生まれたのか、今では分からない。ただ、声だけが消えなかった。


「ミア!」


 聞き覚えのある声に引き戻された。やどかりが立っている。その腕の中のエリナを見た途端、ミアの指から布が落ちた。


「……エリナ?」


 ほんの少し前まで、向かいの卓で同じ幅に薬草を刻み、鍋の味見はしてないと笑っていた。その服が、今は血に濡れていた。


 ミアは駆け寄った。やどかりがエリナを床の毛布へ寝かせると、その脇へ膝をつき、少女の顔を覗き込んだ。


「エリナ。聞こえますか」


 唇が、かすかに動いた。


「……ミア」


 呼吸はある。声も出る。ミアは棚から畳んだ布を取り、脇腹の傷へ当てた。エリナの身体が強張り、細い声が漏れた。


 治したかった。朝には同じ卓で笑っていた人を、こんなところで失いたくなかった。けれど、自分の手から白い光が溢れるところを思い浮かべると、待っていてくださいと言ったまま、返事をしなくなった人の顔が戻ってきた。


 ミアは布を押さえる指へ力を込めた。傷を確かめ、布を当てる。薬屋で繰り返してきた動きなら、まだできる。その先へ進もうと考えるだけで、息が浅くなった。


「あの子……」


 エリナの目が、隣へ向く。赤い上着の子供が、すぐそばへ寝かされていた。付き添う男が顔を覗き込み、何度も名前を呼んでいる。返事はない。


「……あの子も、診てあげて」


「でも、あなたも……!」


 奥では別の男が呻き、誰かが「ガルド」と何度も名を呼んでいた。ミアはそちらへ顔を向けた。潰された脚に巻いた布が、血で重くなっている。付き添いの男へ呼びかけると、ガルド自身も目を動かした。身体の内側の光は弱いが、まだ脈に合わせて巡っていた。


「その布の上から、押さえていてください。返事がなくなったら、すぐに呼んで」


 男が頷くのを確かめ、エリナへ目を戻した。やどかりが布を押さえる手を代わってくれたが、空いた両手を次にどちらへ向ければよいのか、決められなかった。


 また、並んでいた。自分が手を伸ばすのを待っている人たちが。


「……無理」


 声が漏れた。


「無理です……」


「ミア……?」


「私に、選ばせないでよ!」


 自分でも驚くほど大きな声だった。この場所で言ってはいけなかったと気づいたが、助けを待つ人たちに届く前に、その声は周囲の混乱に紛れて消えた。ミアは息を吐き、空いた手を膝の上で握り込んだ。


「私が選んだら……選ばなかった人が、死ぬんです」


 視界が滲む。


「前も、そうだったんです。一人を治して、振り向いたら……もう……」


 エリナは何も言わなかった。


「できない。もう、できない……」


 俯いたミアの手へ、冷たい指が触れた。見下ろすと、エリナが腕を伸ばしていた。握り込んだ指の端を、頼りない力で掴もうとしている。ミアは反射的に手を開き、その手を受けた。


「……私も、死にたくない」


 エリナが言った。


「分かっています……」


 分かっているから、苦しかった。ミアは握った手を両手で包んだ。温めるようにしても、脇腹の傷が治るわけではなかった。


「でも、私を一番にしてって……言いたいんじゃないの」


 ミアは顔を上げた。エリナは一度息を詰め、少し待ってから続けた。


「誰を先にしたらいいかは、私には分からない。私の番も……ミアが決めてほしい」


「あなたを、待たせるかもしれないんですよ」


 エリナの指が、ミアの手を強く掴んだ。


「……今すぐ、治してほしいよ」


 正直な声だった。目を閉じ、唇を噛んでから、エリナはもう一度こちらを見た。


「待ってって言われたら、怖いと思う。でも……それで、私を諦めたことにはならないでしょ?」


 ミアは言葉を失った。握った手が冷たかった。今も、少しでも温かくなってほしいと思っていた。


「……諦めたく、ありません」


「うん。私も」


 エリナは頷いた。


「だから……ミアに治してほしい。ミアの魔法で」


「それで、間に合わなかったら……」


 途中で声が止まった。エリナの顔に怯えが浮かび、答えを探すように唇が動いたが、言葉にはならなかった。待っていても大丈夫だと、この人に言ってほしかったのかもしれない。けれど、自分にさえ分からないことを、この傷ついた人が約束できるはずもなかった。


「……分かんないよ」


 しばらくして、エリナが言った。


「私も、怖いもの」


 ミアの手を掴む指は、まだ離れなかった。


「それでも……ミアに、任せたい」


 ミアは返事を探した。大丈夫ですと言えば、少し安心してくれるだろう。けれど、その先を約束する言葉が出てこない。顔を伏せると、離れずにいたエリナの指が、もう一度だけ握り返してきた。


 この手で、もう一度、魔法を使って治したい。そう思っても、あのときの顔は消えなかった。あの人も治したかった。待っていてくださいと告げたときには、戻るつもりだった。間に合わなかったことは変わらず、エリナにも同じことが起きるかもしれない。


 それでも、あとにすることを諦めることにはしたくなかった。誰も待たせずに済む答えを探すより、今のエリナが待てるのかを確かめたい。あの子も、ガルドも、声のする奥の人も。安心させてもらうまで、この手を握っているだけではいられなかった。


 ミアは、エリナの手を一度だけ握り返した。


「……確かめます。誰を先に、治すか」


 エリナは小さく頷くと、自分で指を緩めた。離れた掌には、まだ冷たさが残っていた。ミアはその手を脇腹へかざし、身体の内側を巡る流れを確かめた。呼吸が変わるところへ目を留めてから、隣の子供へ顔を向ける。


 -----------------------------------------------------------------


 赤い上着の子供の胸が、浅く上下していた。知らせを聞いて駆けつけた母親が膝をつき、小さな頬へ何度も触れていた。


「お願いです。この子を……!」


 ミアは子供の呼吸を確かめ、胸へ意識を向けた。流れはある。けれど、いつ崩れてもおかしくない細さだった。すぐ横でエリナが痛みに息を詰める。どちらにも今すぐ手を伸ばしたくて、それでも顔を上げ、店の奥まで視線を巡らせた。


 横たわる男が一人、妙に静かだった。運び込まれたときには肩が痛いと訴えていたのに、今は口を薄く開いたまま天井を見つめている。付き添いの若者が名前を呼んでも、目だけがゆっくり動いて声が出ない。


 外から見える傷は、エリナよりずっと小さかった。けれど、意識を向けると、身体の内側を巡る流れが胸の一か所で途切れかけていた。残った光も、呼吸のたびに弱くなる。ガルドの方をもう一度確かめた。そちらにも力はない。それでもまだ続いている流れが、この男の胸では一息ごとに消えかけていた。


 あの人は、待てない。


 これまでに身につけた感覚がそう告げた。エリナへ目を戻すと、こちらを見上げていた。隣では子供の母親が、自分の袖を掴んでいる。


「先生、早く……!」


 喉が鳴った。エリナを先に治せば、この冷たい手を温かくできる。子供を先に治せば、目の前で泣いている母親の声に応えられる。奥の男は、ミアを呼ぶことすらできない。だからこそ、自分が見つけなければならなかった。


「……あちらの方から、治療します」


 自分の声なのに、知らない人が喋っているように聞こえた。母親の手が止まる。


「……え?」


 ミアはやどかりへ顔を向けた。


「この二人のそばにいてください。様子が変わったら、呼んでください」


「分かった」


 返事を聞いてから立ち上がり、奥の男へ向かおうとした。その袖を、強く引かれる。


「待ってください」


 母親だった。


「あちらって……この子は?」


「あとで、診ます」


「あとって、いつですか!」


 声が大きくなる。ミアの肩が震えた。


「見てくださいよ。この子、さっきから目も開けないんです。呼んでも返事しないんです!」


「分かっています」


「分かってたら、どうして行くんですか!」


 袖を握る指に爪が食い込んでいる。母親は怒り、同時にひどく怖がっていた。この人にとっては、ここにいる誰よりも、この子が大切なのだ。目の前で苦しむ我が子より、奥の見知らぬ男を優先する判断を、静かに受け入れられるはずがなかった。


「あの人のほうが、今は危ないんです」


「うちの子だって危ないでしょう!」


「……はい」


「だったら!」


 ミアは子供を見た。助けます、と言いたかった。必ず戻ります。大丈夫です。この子も死なせません。そう言えれば、この母親は少しだけ安心して、袖を離してくれるかもしれない。けれど、言えなかった。ミアには、その約束を守れるか分からなかった。


「順番を待たせたせいで、この子が死んだら……どうするんですか」


 低くなった母親の声に、目の前が白くなった。昔、誰かに言われたのか、自分で自分へ言ったのかさえ曖昧なまま、消えなかった言葉だ。答えは今もない。それでも、奥の男の命が細くなっているのが分かった。


「……それでも」


 ミアは自分の袖を掴む手へ、そっと自分の指を重ねた。乱暴に引き剥がすのではなく、その震えごと触れる。


「今は、あの人を先に治します」


 母親がミアを見た。ミアも、目を逸らさなかった。分かってもらうまで説明している時間はない。納得されないままでも、行かなければならない。やどかりが母親の傍らへしゃがんだ。


「ここには、俺がいる」


「あんたがいて、何になるの!」


「一人にはしねえ。変わったことがあれば、すぐ呼ぶ」


 母親の唇が震え、やがて袖を握る手がほんの少し緩んだ。ミアはそこから腕を抜いた。エリナの横を通るとき、一度足を止めかけたが、そのまま進んだ。


 自分を呼んでいる人から離れ、もう呼ぶ力を失いかけている人の前へ膝をついた。


 -----------------------------------------------------------------


 男の胸へ両手を置くと、掌の下で薄い服がかすかに上下した。隣の若者が身を乗り出し、手元を見ている。あのときもこうして手を置いたと思った途端、指先が強張った。


 ミアは一度振り返った。やどかりがエリナのそばにいる。子供の母親は小さな手を握り、ガルドの傍らには、布を押さえるよう頼んだ男がいた。

 胸から手を引きそうになって、エリナが自分から指を緩めたことを思い出した。今すぐ治してほしいと、まだ怖いと言いながら、ミアの手を離してくれた。


 目の前の男へ向き直る。この人を先に治すと決めたのは自分だった。そう認めると、ずっと聞かないようにしていた声が蘇った。


 ――その人を選ぶの?

 ――また、ほかの誰かを待たせるの?

 ――その間に死んだら、どうするの?


 指先から力が抜けそうになった。できないと思えば、まだ手を引ける。包帯と薬で人を助けてきたことも、間違いだったとは思わない。けれど、目の前の胸で細くなる流れに、自分は魔法で手を届かせられる。使わないまま呼吸が止まったとき、何を思うのだろう。


 ミアは唇を噛んだ。治している間にエリナが待てなくなるかもしれない。あの子の状態が悪くなり、振り返ったときには誰かの声がなくなっているかもしれない。その怖さの中で、さっき握ったエリナの冷たい手を思い出した。


『待ってって言われたら、怖いと思う。でも……それで、私を諦めたことにはならないでしょ?』


 ミアは目を閉じた。一人へ手を伸ばし、その間に別の人を失えば、自分がその人を選ばなかったからだと思っていた。待たせることと諦めることが、いつの間にか同じになっていた。


 けれど、エリナは待つのが怖いと言った。先に治さなくてもいいとも、死んでも仕方ないとも言わず、自分を諦めないでほしいと望んでいた。その番まで、戻ってきてほしいのだ。


 ミアはエリナを見た。そばにはやどかりがいる。子供には母親がつき、ガルドの傷には頼んだ男が布を押し当てていた。全員を一人で支えているわけではない。それでも、順番を決めるのは自分だった。その選択で誰かが死ぬかもしれないという怖さも、間違えるかもしれないという不安も残っていた。


 ――治したい。


 エリナも、あの子も、まだ待っている人たちも治したい。目の前の一人で終わらせず、次の人へ手を伸ばしたい。間に合うとは約束できなくても、諦めずに次の人のところへ行くことはできる。


 ミアは胸の上の両手を見た。何年も避けてきた力をもう一度使えば、また後悔するかもしれない。

 

 それでも、使わなかったことを後悔するための手にはしたくなかった。小さく息を吸い、止まらない震えごと、男の胸へ両手を重ねた。


「……今、治します」


 今度は手を引かなかった。指先へ魔力を通すと、白い光が灯った。声も指もまだ震えていたが、そのまま掌へ力を送り続けた。


 久しぶりの治癒魔法だった。明かりは乱れた呼吸に合わせて頼りなく揺れた。それでも、どこへ力を通し、どこで抑え、壊れた流れをどう繋ぐかは覚えていた。男の内側へ意識を向け、途切れかけたところへ少しずつ、慎重に光を通す。


 背後で母親が子供の名前を呼び、肩が反応した。自分が離れた間に何か変わっていないか、振り向いて確かめたかった。けれど、掌の下にも別の命があった。ミアは目の前の男を見続けた。


 光を細くしなかった。


「……息を、してください」


 男の唇が微かに動いた。少しして、止まりかけていた胸が大きく持ち上がる。付き添いの若者が息を呑んだ。


「親父……?」


 男は咳き込み、苦しそうに顔を歪めながらも、若者の声へ目を動かした。ミアはもう一度、身体の内側を確かめた。まだ治すべきところが残っている。この人だけでも、心配しなくていいところまで治したかった。


 けれど、背後には次の人がいる。ミアは手を離した。


「そばにいてください。まだ起こさないで」


「ありがとうございます……!」


 礼へ返事をする前に、ミアは振り返った。


「先生!」


 母親が身を乗り出す。


「今度は、この子を!」


 ミアはその言葉をしっかり聞きながら周囲を確かめ、入口の近くで女が呻くのに気づいた。運び込まれてからずっと、血に濡れた布を自分で押さえていた女だった。さっきまでは付き添いへ何か話していたのに、今は首が横へ落ちかけている。そちらへ身体を向けると、母親もその動きを見た。


「……嘘でしょう」


 ミアは唇を噛んだ。女の状態を見れば、こちらも待たせられないと分かった。


「先に、あの方を」


「また!?」


 母親の声が裏返った。


「さっきもそう言ったじゃないですか!」


 ミアの目に涙が滲む。一人治せば、次は自分の子供だと、母親は信じて待った。その期待を、自分がまた崩そうとしている。この人にとっては、二度見捨てられたのと同じなのかもしれない。


「分かっています」


「何が分かってるんですか!」


 言い返せる言葉はなかった。ただ、もう一度だけ言う。


「あの方を先に診ます」


 立ち上がると足が震え、背中へ母親の声が追いかけてきた。やどかりが間へ入ってくれているのが分かった。言葉の全部は聞き取れなかったが、聞こえたものだけでも十分に痛かった。


 ミアは女の前へ膝をつき、また手を置いた。また、一人を選んだ。


 -----------------------------------------------------------------


 エリナは天井の染みを見ていた。ミアの声も、母親の声も聞こえている。すぐにこちらへ来ない理由は分かっていた。ミアが見て、考えて、決めた。そうしてほしいと頼んだのは自分だ。


 それでも、身体が冷えると怖かった。脇腹が脈打つたび、「まだかな」と思う。名前を呼べば来てくれるだろうか。ほんの少しでいい。傷へ手を置き、もう大丈夫だと言ってくれないだろうか。


 そんな願いが浮かぶたび、唇を閉じた。ほかの人を先に治すと、ミアが決めたのだ。任せると言ったのだから我慢しなければと、声を飲み込もうとした。その様子を、隣のやどかりが見ていた。


「痛いなら言えよ」


「……でも」


「順番を決めるのは、あいつだろ。黙ってたら、決める材料が減る」


 エリナは目を閉じた。その言葉をゆっくり飲み込んでから、息を吸う。


「ミア……」


 声は、自分でも驚くほど小さかった。それでも、治療中のミアが振り返った。


「……痛い。さっきより、寒い……」


 ミアの顔が強張る。すぐ来るかもしれない、とエリナは一瞬思った。けれどミアは今治している女へ視線を戻し、掌の光を保ったまま答えた。


「聞こえています」


 エリナはその横顔を見た。


「もう少し、待ってください。次に、もう一度見ます」


 次には必ず治します、という約束ではなかった。それでも、聞こえていると分かった。忘れられたわけではないと知るだけで、さっきまでより呼吸が少し楽になった気がした。


 エリナは小さく頷いた。やどかりが掛け直してくれた毛布の端を握り、待った。


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