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ボロボロ勇者とカッコつけおじさん  作者: たくあん
勇者と治せない治癒術師

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第13話 薬草を刻む手

 エリナが薬を選び始めるとやどかりは宿を探しに出ていった。


「すぐ戻る」


「本当に?」


「今度は戻る」


「今度は、って自分で言ったね」


 扉が閉まると、ミアが少しだけこちらを見た。


「……長いお付き合いなんですか?」


「会って、一週間も経ってない」


 ミアの手が止まった。


「それで、魔王を倒しに?」


「私も、時々どうしてこうなったのか分からなくなる」


 正直に答えると、ミアは困ったように口元を動かした。


 薬を包んでいる間にも客は来た。仕事場で手を擦りむいた男も、咳が続く夫のために薬を買いに来た女も、指に刺さった棘を自分で抜こうとして、余計に奥へ押し込んだ子供もいた。

 ミアはまず話を聞き、いつから痛み、何をしてそうなったのかを尋ねた。必要なら傷を見て、棚の瓶を選ぶ。淡々としていても雑ではなく、子供が怖がって手を引くと、棘を抜こうとした指も同じ速さで止まった。


「痛い?」


「少し。動くと、もう少し」


 子供が助けを求めるように周囲を見て、エリナと目が合った。エリナは近くの椅子へ座る。


「私の話、聞いてくれる?」


 子供が頷いたので、食堂で父が塩と砂糖を間違えかけた話をした。


「間違えたの?」


「お母さんが止めた」


「じゃあ、間違えてないじゃん」


「そうなんだけど、すごく慌てた顔がーー」


「取れました」


 ミアの声が重なった。子供は自分の指を見てから、ミアを見る。


「もう?」


「もうです」


 小さな棘を見せると、さっきまで怖がっていた子供の顔が急に誇らしげになった。

 帰っていく背中を見送り、エリナはミアへ顔を向けた。


「慣れてるんだね」


「よく来る子なので」


 そのあとに来た年配の女は、椅子へ座るまでに何度も腰を押さえた。


「ミアさん、今日は魔法で頼めないかね」


 エリナは棚の札へ向けていた目を戻した。ミアの手が止まっている。


「……魔法では、治せません」


「でも、前は立派な治癒術師だったって、噂で……」


「塗り薬でしたら、お出しできます」


 女は何か言いかけ、ミアの顔を見てやめた。


「……じゃあ、いつものを」


 ミアは頷いて棚から瓶を取った。女が帰ると、店の中は急に静かになった。エリナは理由を聞かず、奥の卓に積まれた薬草へ目を向けた。


「それ、今から使うの?」


「ええ。今日中に刻んでおきたくて」


「手伝おうか」


「いえ、お客様に……」


「待ってるだけだと、落ち着かないから」


 ミアの目がエリナの手へ落ちた。剣の柄で固くなったところや古い傷、まだ新しい傷痕を、エリナも見下ろして指を少し開いた。


「見た目より、細かいことできるよ」


「そういう意味では……」


「包丁なら、剣より先に覚えたから」


 ミアは迷ったあと、卓の端を空けた。


「では、こちらを。切る前に、扱い方を説明します」


 -----------------------------------------------------------------


 薬草は、食堂で使っていた香草とは勝手が違った。洗って使うものもあれば、濡らしてはいけないものもあり、葉だけ使うものや、根を細かく刻むものもある。同じような緑色でも、混ぜれば使えなくなるものまであった。


 エリナは説明を聞き、任された一束だけを手元へ置いた。小さな包丁で刃を入れると、青く、少し苦い匂いが立った。最初の数回はぎこちなかった。三年間、手にしていたのは、力を込めて踏み込み、振るう剣だった。それに比べれば包丁は頼りないほど軽い。


 けれど、肩を落として押さえる指を曲げ、同じ幅で刃を下ろすと、身体のほうが思い出した。とん、とん、と乾いた音が一定の間隔で卓に並び始め、瓶を洗っていたミアがこちらを見た。


「……手慣れてますね」


「食堂の娘だから」


「食堂……?」


 エリナが顔を上げると、ミアは少し言いにくそうに続けた。


「先ほどの方が、勇者だとおっしゃっていたので」


 エリナは包丁をいったん置いた。


「うん。勇者だよ」


 自分からそう名乗るのは久しぶりだった。その二文字を口にすると、胸の奥がわずかに強張る。それでも、今は続きがあった。


「勇者だけど、食堂の娘」


 ミアがエリナを見る。エリナは包丁を握っていた手を見下ろし、少し笑った。


「両方でいいみたい」


 戸の隙間から風が入り、窓辺の薬草を揺らした。ミアは何かを考えるように目を伏せ、洗い終わった瓶を一つずつ逆さに並べる。


「……そうですか」


 小さな返事だったが、店へ入ってきたときより少しだけ近く聞こえた。


 二人で作業を続けた。エリナが刻んだ薬草をミアが確かめて種類ごとの器へ移し、煮出す間には、エリナが空いた卓を拭いて乾いた瓶を並べた。やがて湯気が上がり、窓硝子が白く曇った。食堂とはまるで違う匂いなのに、誰かと卓を囲み、役割を分けて手を動かす時間は、どこかよく似ていた。


「味見は、しないんだね」


 思ったことがそのまま口から出た。ミアがゆっくりこちらを向く。


「しないでくださいね」


「してないよ」


「今、とても自然に鍋を見ていたので」


「癖で……」


 ミアの口元が、ほんの少し緩んだ。笑ったのだと気づいて、エリナも笑った。


 -----------------------------------------------------------------


 夕方が近づくと、山から戻る荷車の音が増えた。重い車輪が石を踏むたび、窓辺の瓶がかすかに鳴る。店へ来る男たちの肩や髪にも、道に積もっていたものと同じ灰色の粉が薄く乗っていた。客足が途切れたところで、ミアが茶を淹れてくれた。


「これは、飲んで大丈夫です」


「流石にわかるよ……」


 エリナは苦笑しながら杯を受け取った。草の匂いはするが、薬の鍋よりずっと柔らかい。向かいへミアが座ると、しばらく二人とも黙っていた。


 窓の外には、町から山へ続く坂道が伸びていた。山腹にいくつも開いた黒い坑道の口を、小さな人影が行き来している。


「怖くないんですか」


 不意にミアが聞いた。


「何が?」


「また、魔王と戦うことです」


「怖いよ」


 考えるより先に答えたので、ミアのほうが戸惑った。


「……勇者なのに?」


「勇者でも、怖いよ」


 エリナは杯の縁へ目を落とす。


「私、逃げたし」


 口にした途端、喉がわずかに狭くなった。魔王に負けたことは話せても、そのとき何を考え、どう逃げたかは簡単には口にできなかった。ミアは何も言わなかった。その沈黙が、続きを急かさないものだと分かった。


「魔王の前で、もう無理だって思った。剣もちゃんと持てなくなって……外へ出られるところを見つけたら、そっちへ這っていった」


 エリナは杯を卓へ置いた。


「倒さなきゃとか、約束したのにとか、そのときは考えられなかった。ただ、死にたくなかった」


 ミアの指が、杯を包むように曲がる。


「……それで、戻るんですか」


「うん。戻りたいと思ってる」


「また、同じことになるかもしれないのに」


 エリナは頷いた。


「怖いけどね」


 魔王城を思い出せば、今でも身体のどこかが冷たくなる。還命薬で黒い筋が消え、左腕が動くようになっても、あの石床へ叩きつけられた記憶までは治っていなかった。


 何か気の利いたことを言おうとした。やどかりなら、こういうときに例え話でも始めるのだろう。けれど自分には浮かばなかった。怖いものは、今も怖い。そのまま言うしかない。


「でも、今度は、もっと人を頼ってみようと思ってる」


 ミアが顔を上げる。


「だから、私を?」


「……うん」


 否定することもできたが、それでは嘘になる。


「治せる人がいてくれたら、心強いと思った。それは、本当」


 ミアの肩がわずかに強張った。エリナはその変化を見て、杯を卓へ置いた。


「でも、ミアが嫌なら、無理にとは言わないよ」


 ミアは杯へ視線を落とした。


「……私は、行くつもりはありません」


「うん」


 エリナは頷いた。すぐに次の言葉は出なかった。残っていた茶を飲むと、もう少し冷めていた。ちょうどそのとき、扉の鈴が鳴った。


「宿、取れたぞ、ついでに買い物もしてきた。」


 やどかりが顔を出す。


「本当に戻ってきた」


「そこかよ」


 ミアが杯を置き、椅子を引いた。


「お薬ですが、今日お渡しできる分はこちらです」


 卓の端へ、小さな包みを並べる。


「残りは、明日の昼までに用意します」


「じゃあ、それを受け取ってから出るか」


 やどかりが言った。エリナも頷き、包みを荷物へ収める。


「今日はありがとう。薬も、作業も」


「こちらこそ。助かりました」


 ミアの視線が、エリナの並べた瓶へ向く。エリナもそちらを見た。洗った瓶は、乾いたものから順番に伏せてある。まな板も拭き終え、包丁はミアに教わった場所へ戻していた。


「明日、薬を取りに来たときに、また手伝ってもいい?」


「……薬草ですか?」


「うん。一緒に作業するの、楽しかったから」


 エリナはまな板へ目を戻した。


「まだ刻むのがあるなら、だけど」


 ミアは棚の下に置かれた薬草の籠を見た。それから、少し考えて頷いた。


「……でしたら、昼前に」


「うん」


「ただし、こちらでお願いしたものだけ、触ってください」


「分かってるよ」


「鍋の味見も、しないでください」


「しないってば」


 今度は、ミアもはっきり笑った。


 -----------------------------------------------------------------


 翌日、エリナが薬屋の扉を開けると、卓の端にはもう椅子が用意されていた。その前に小さなまな板と包丁があり、脇には薬草の束がまとめられている。


 棚を整理していたミアは鈴の音に振り返り、エリナの姿を確かめた。ほんの少しだけ間を置いてから、口を開いた。


「……おはようございます」


「おはよう」


 エリナは腰の剣を外し、昨日と同じ壁際へ立てかけた。昨日は置き場所を探したのに、今日は考えずに手が動いた。


「今日は、これ?」


「はい。昨日と同じ幅でお願いします」


 エリナは袖をまくって包丁を握り、向かいのミアも自分の作業を始めた。山から朝の鐘が聞こえ、通りを荷車が進む音や、遠くで男たちが掛け合う声に混じって、店の中では薬草を刻む音が二つ響いた。


 ミアはまだ治癒魔法を使わず、仲間になるとも言っていない。その理由も聞いていなかった。それでも今日は、扉を開けたときから座る場所があった。向かいでミアが刻んだ薬草を器へ移す音を聞きながら、エリナもまな板へ向き直った。


 次の束を手元へ寄せ、ばらついた葉の向きを揃えてから、また包丁を下ろした。


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