3,投稿がつなぐ小さなつながり
翌週のある夜、莉子が夕食に作った「鮭とほうれん草のクリーム煮」を投稿したときだった。数分後、InstagramのDMに通知が届いた。
「これ、前に載せてたやつだよね? ずっと気になってて、今日ついに真似して作ったよ!」
送り主は、大学時代の同級生・麻央だった。そこには、彼女が作ったクリーム煮の写真も添えられていた。なんだか自分の料理が他人の食卓に現れたようで、不思議な温かさがこみあげた。
「めちゃくちゃうれしい……」
莉子はスマホを抱きしめるようにしてつぶやいた。
麻央とは在学中それほど深く交流があったわけではない。でも、彼女が莉子の記録を見て、作って、伝えてくれたこと。それは何よりも、莉子がこの日々を生きているという証のように感じられた。
その後も、少しずつフォロワーとのやり取りが増えていった。
「今日の空、莉子ちゃんの投稿で気づけたよ。ありがとう」
「前に書いてた“記録は未来の自分への手紙”って言葉、ずっと心に残ってる」
返信を読んでは涙ぐむ自分に驚きながらも、莉子は思った。
――つながるって、こういうことなんだ。
「バズる」ことではない。「いいね」の数でもない。
誰かの心のどこかに、小さく灯る。自分の生活が、誰かの感性とやわらかく触れる。
それは莉子にとって、記録する意味をもう一度確かめさせてくれる体験だった。
だからその夜、莉子は小さなツイートを一つ、投稿した。
《記録って、つながりなんだね。私が生きたこの瞬間を、誰かと共有できるというだけで、少し救われる》
それは拡散されるわけでもなかったけれど、彼女の中に、確かな“証”として刻まれた。