2,空白の記憶
ふと、空が茜色に染まりはじめた夕方。莉子はベランダで洗濯物を取り込みながら、空の写真を撮った。スマホの画面に映るグラデーションに満足し、いつものようにInstagramの編集画面を開く。だが、投稿のボタンに指がかかる直前、急に胸の奥がざわついた。
「この空、誰かと見た記憶がある気がする……」
その誰か、が思い出せない。友達だったのか、家族だったのか、それとも……。スマホのアルバムを指で遡りながら、莉子は高校時代の写真フォルダを開く。そこには文化祭、体育祭、帰り道のコンビニで撮ったアイスの写真が散らばっていた。どれも懐かしい風景。でも、その中に明らかに空白があった。
「美咲……?」
名前だけが脳裏に浮かぶ。確かにいた、いつも一緒にいた親友。でも、その顔が、声が、思い出せない。写真も、なぜかほとんど残っていなかった。LINEの履歴も消えている。まるで最初からいなかったみたいに。
莉子はソファに崩れ込むように座り、胸を押さえた。「なんで……こんな大切な記憶が、こんなふうに消えていくの?」
涙が一筋、頬を伝った。
彼女は手帳を取り出し、そこに走り書きするように書いた。
《記憶は風のように消えていく。だから私は、写真を撮る。だから私は、書く。》
その夜、莉子は久しぶりにInstagramの投稿に長めのキャプションをつけた。「この空、昔も誰かと見た気がするけど、思い出せない。忘れたくないことを、私は時々忘れてしまう。だから私は記録する」
ハッシュタグには、#自分日記 #記録すること #今日の私 と書かれていた。
その投稿には、いつもより多くの「いいね」がついた。でもそれよりも、莉子の心に少しだけ、空白がやわらぐような感覚が残った。