誰かのために鼓動する心
道はどんどん狭くなり、草木が光を遮り、空気は湿り気と…乾いた血の匂いで満たされていた。
背中にはアイリーンがいた。彼女の穏やかな呼吸だけが、この世界がまだ狂っていないと教えてくれている気がした。
だが――見つけてしまった。
死体。
それも、たくさん。
普通のゴブリン。そして…異形の者たち。より大きく、より歪んだ身体。バラバラになった遺体や、何者かに裂かれたような痕跡。
足が止まった。全身が緊張でこわばる。
(これはただの戦闘じゃない…)
その時だった。
ぞくり、と背筋をなぞる寒気。
空気が急に重くなった。濁り、腐敗した気配――
奴がいた。緑色に紫が混じった皮膚、骨と羽根で作られた杖を持つ、屈んだ姿の化け物。
その周囲には…動き出す死体。
—まさか…
倒れたゴブリンたちが、ゆっくりと立ち上がる。ぎこちなく、だが確実に。皮膚は裂け、目は虚ろ。
ゾンビだ。
ゴブリンのシャーマン(変異種)の杖が、紫色の不気味な光を放っていた。地面は黒く割れ、そこから瘴気が噴き出している。
胃がねじれる感覚。
(この魔力…)
額から汗が流れ落ちる。
(アイリーンの背中にあった呪いと…同じだ)
腐敗。悪意。冷たいもの――
強く針を握る。手のひらに痛みが走り、血が滴った。
(…アイリーンは、もう…)
「アイリーン、降りてくれ」
彼女は何も言わずに頷き、近くの茂みに身を潜めた。だがその目は、怒りと恐怖で潤んでいた。
ゾンビたちが迫る。シャーマンの歪んだ叫び声が空気を裂いた。遅いが、痛みも恐れもない。
一歩、下がる。
(考えろ、考えろ…!)
「ユニークスキル《裁縫》…発動」
ウィンドウが開かれる。
今回は、「採寸」を選択。
視界が変わった。
敵との距離、高さ、動きの範囲――すべてが見える。ゾンビ3体、シャーマンまでの距離6メートル。
(…十分だ)
身構える。
しかし、予想外のことが起こる。
カツン!
ゾンビの肩に小石が当たった。
(石?)
「…アイリーン!?」
彼女がいた。石を握りしめ、歯を食いしばっていた。
「隠れてろって言ったのに!」
だがもう遅い。シャーマンの視線が、彼女に向けられた。唇が吊り上がり、舌なめずりするように笑った。
—絶対に。
世界が赤く染まる。鼓動が爆音のように響いた。
「させるかぁあああ!!」
叫びと共に飛び出す。
ゾンビの喉元に針を突き立て、そのまま後頭部まで貫く。
もう一体は腕を引っ掻いたが、構わず進む。
もう一体は腕に噛みついてきたが、歯を食いしばりながら針で引き裂く。
(死ね、死ね、死ね!)
肉を、骨を、腐肉を貫く。
だが、無限に湧いてくるかのように感じる。
…ならば、本体を潰すだけ。
シャーマンが呪文を唱えていた。杖が唸る。
「無視するなって言ってんだよ!!」
間合いを詰め、脇腹に針を突き刺す。
…足りない。
—もっとだ。もっと。
「死ねっ…!」
一突き、二突き、三、五――
杖が落ち、瘴気が晴れた。
崩れるように、奴は倒れた。
呼吸が荒い。足が震える。腕、肩、痛む。血が流れている。
「アイリーン…無事か?」
彼女は飛び出してきて、俺に抱きついた。
「もう、こわい思いさせないで…!」
「お前こそ、だろ…」
片腕で彼女を抱きしめる。もう片方の手は、血まみれの針を握ったまま。
目を閉じた。
(この…魔法が、これからもっと現れるとしたら…)
胸の奥がざわついた。
(世界が変わろうとしてる…)
…そして、俺も変わらなきゃならない。




