ギルドの奥へ
静寂——それは、最初に感じなかったものだった。
グレー・オークの死体がカウンターの前に落ちた瞬間、ギルド内の喧騒が爆発した。
—「な、なんだあれ!?」 —「嘘だろ!?グレーオークじゃないか!」 —「あのガキ、一体何者だ…?」
空気は一気に張り詰めた。
酒と汗と金属の匂いが混じる空間。
そこにいた全員が、まるで一斉に私を値踏みするかのように視線を向けてきた。
羨望、警戒、欲望、そして——敵意。
オークの死体は、それに拍車をかけた。
足には肉が剥がれかけたような裂傷、
腕は不自然に胴体に「縫い付けられて」いた。
あまりにも綺麗。
あまりにも整っている。
そして、あまりにも「有り得ない」。
新米冒険者が、これを仕留めたと?
誰が信じるだろうか。
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「え、えっと…エステルさん、でしたよね〜?」
受付嬢の声が変わった。
淡々としたプロの声が、妙に甘く柔らかくなった。
少しかがんで、胸元を強調しながら——
まるで私に取り入ろうとするように。
「こんなに強いなんて、聞いてなかったです〜。よかったら…こちらへ?」
「……はい。」
(断れない雰囲気だな…)
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案内されたのは、ギルドの奥。
さきほどの雑踏とはまるで違う、清潔で静かな空間だった。
イレーネは私の袖をしっかり掴んでついてきた。
扉を開けると、そこは展示室のようだった。
黒曜石のような剣の破片、
真紅に輝く巨大な鱗、
そして、どこか哀愁を帯びた手袋。
その奥に座っていたのは、一人の男。
若くはない。
だが、歳を取っているとも言えない。
むしろ「生き残ってきた者」の風格を漂わせていた。
黒髪を束ね、鋭い目と整えられた顎鬚。
一目で「ただ者ではない」とわかる。
(…ギルドマスターか。)
「やあ、エステル君だったね。座ってくれ。」
イレーネと並んで腰を下ろす。
男は私を見つめたまま、静かに問いかけた。
「さて、例のグレー・オーク——どこで見つけた?」
その声に感情はない。だが、鋭い。
受付嬢が無言でティーセットとクッキーをテーブルに置く。
イレーネは何も聞いていない様子で、すぐにクッキーに手を伸ばした。
ぱくっ…ぱくっ…ほっぺたがリスのように膨らむ。
私は深呼吸して、答えた。
「…洞窟の中でした。ゴブリンの討伐任務中に……偶然、見つけました。」
「一人で倒したのか?」
「…仲間がいました。そして、スキルの力もあります。」
マスターは無言で頷いた。
長い沈黙。
見透かすような視線が続いたが、やがて静かに口を開いた。
「…そうか。嘘ではないようだな。
それに…あの死体の状態。あれは——特別だ。」
彼は受付嬢に向き直り、静かに命じた。
「通常報酬以上を渡してやれ。
あの死体の保存状態は、報酬に値する。」
「了解しました!」
小さな革袋が私の手に渡された。
それは、これまで受け取ったどの報酬よりも「重かった」。
(…本当に、倒したんだな。)
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部屋を出るとき、イレーネは満面の笑みで袋をぎゅっと抱きしめていた。
まるで宝物のように。
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ギルドマスターは机の前に戻り、報告書に目を通していた。
だが、視線はどこか遠くを見ていた。
そして——誰にも聞こえないように、呟いた。
「…これは、前兆か?」
「それとも——誰かが、世界を使ってチェスをしているのか…?」
沈黙の執務室に、彼の声だけが静かに残った。




