エピローグ
「あれ、俺はどうしてここに」
自我を取り戻すと、そこはカラオケボックスの中だった。それに、一緒に歌っているのは──。
「アイスくん?大丈夫?ちゃんと話せるようになった?」
けいちゃんだった。なぜ俺はけいちゃんと2人でカラオケにいる?
「え、うん。ごめん。話せはする。けれど、状況は把握できない」
「そう。順を追って話すよ。アイスくん、意識が遠い彼方にあるような状況だったからね」
「え」
けいちゃんによると、俺はあのクラス劇の後、放心状態となり、動けはするものの、会話等が噛み合ってない状態になっていたらしい。
そのまま後夜祭、クラスでの解散式を終えて今に至るとのこと。
「後夜祭終わっちゃったのか。全く記憶がないんだけれど、そしてなんで俺は今けいちゃんとここに……?」
「僕たちのクラスの劇、実は観客からの獲得票数が最多だったんだよ。本来だったら最優秀賞で、後夜祭でも披露するはずだったんだけれど、流石にれいさんが辞退したらしい」
「まぁ……。劇じゃないしなあれは」
現実が劇として評価されればそりゃ高得点を得るに決まっている。だって、何が起こるか分からないんだもの。
「それで、カラオケは?」
「化学部で、流石にこの状態のアイスくんは放っておけないってことになってね。介抱はしようって話だったんだけど。まっちゃちゃんがね、女子はいない方が良いって言い出して」
「まっちゃが……。それで俺は今けいちゃんと2人なのか」
「そういうことだね」
まっちゃの提案した、女子が居ない方が良いという案。割と正解だ。正直今この状態で女子とまともに話せる自信は俺には無い。
いつも俺に嫌がらせをしてくる割には、ちゃんと考えてくれているんだよな。憎らしくも愛らしいやつだ。
「綾鷹ちゃん、すごい心配してたよ?何かあったの?」
「あぁ。綾鷹……、そういう事か……。いや、これは俺が悪いな」
綾鷹は……あいつの本性を知っていたのだろうか。綾鷹自身が騙されるなんてことは無いだろうから、別の綾鷹の知り合いが俺と同じ被害にあったことがあるといった辺りか。
綾鷹には何も知らずに強い物言いをしてしまった。本当に反省したい。
「自己完結出来たなら良かったよ。それで、大丈夫?劇のこと」
「あぁ……」
けいちゃんなりに会話の助走を付けてから、劇のことへと踏み込んでくれたんだろう。
しかし、俺にとっては割と急ハンドルすぎる。
「いや、ごめん。まさかあれがあんな……。そんなだって……」
言葉が詰まる。また、ステージ上と同じようにボロボロと涙が出てきてしまいそうだ。
「良いんだよ。泣いて。ここには僕たち2人だけしかいない。思いっきり泣いて、良いんだよ」
けいちゃんが優しい声で俺を諭す。その発言を皮切りに、俺の瞼は洪水を起こし始めた。
「だって!俺が大変だった時に傍にいてくれて!あんなに優しかったのに!それが全部嘘だって。演技だって言われて!ぐっひっぐ!うわぁぁぁ!!」
「うんうん。そうだね。ほら、おいで、ここでいっぱい泣いて」
けいちゃんが膝をトントンと叩いて招いてくる。
俺はそのけいちゃんの膝の上に顔を押し当て、身体中の水分が無くなるまで泣いた。
「よしよし。大丈夫だよアイスくん」
時折けいちゃんが俺の頭を撫でてくれた。その優しさがとても胸に染みた。
俺が泣き止むまでの1時間。ずっとけいちゃんはそこに居てくれた。
───────────────────────
文化祭も一段落し、片付けが終わり、打ち上げも行われた日の翌日。いつものように高校生活は始まり、いつものように化学部の活動が始まる。
今日はフルメンバー、俺、けいちゃん、白餡、まっちゃ、綾鷹の5人だ。
「アイス、意外と引きずらないもんだね」
「まぁ、1週間経ったし、席替えもしたしね」
今日で文化祭2日目──例の事件の日からは1週間が経つ。心の傷も時間経過で塞がってくる時期だ。
文化祭片付けで机を教室に搬入すると同時に、席替えも行われた。
これによって俺と川合さんは隣同士ではなくなり、かなり遠い席同士になった。
この席替えの席を決めているのはれいさん──クラス長なので、何かしら忖度はあったのかもしれないが。
「強いね、アイスは」
「まっちゃが褒めてくれるなんて珍しいね。今日は雪?」
「潰す」
「ごめんなさいって」
まっちゃともいつも通りのやり取りをかわす。
そういえば、まだ綾鷹にはちゃんと謝っていなかったな。
「綾鷹、ごめんな。お前の真意に気づけなくて」
「あ、アイスは悪くない……です。私がちゃんと言わなかったから」
「ううん。何か言えないような理由があるって俺が察するべきだった。完全に俺の失態だったよ。本当にごめん」
「だ、大丈夫……」
これで綾鷹とも完全に仲直りが出来た。思い残すことは、何も無い。
トントントン
「はい〜」
しかし、平和な日常は長く続かないから尊いものなのである。
急に化学室の戸が3回ノックされ、白餡が来客モードで扉を開けに向かう。
が……。
バタン!
「え、何?」
戸を開けた瞬間、白餡が思い切り高速で戸を閉めた。大きな音がなり、思わず背筋が伸びる。
「あ、アイス。お前はもう帰れ」
「え、なんでそんな」
「白餡ちゃーん。酷いよー。なんで閉めるの?」
「っ! 」
扉の向こう側から聞こえてくるのは、見知った声、聞き馴染みのある声、俺が一音も逃さまいと聞いていたはずの声だった。
川合フィオの声である。
「ちょっとー?開かないんだけどー」
「いいよ、白餡。開けて」
「いいの……?」
「あぁ」
当時のショックは大きかったが、今はショックも少ない。同じクラスで生活しなければならないという強制リハビリ治療も受けているため、事務的な会話であれば十分可能だ。
ガラガラ……と扉が開く。
「あ、やっと開けてくれた。ありがとうね。白餡ちゃん」
「ふぃーちゃん。何の用?」
「お堅いなぁ」
化学部総出で早く帰ってほしいオーラを出している。
なんなら、俺よりもまっちゃと綾鷹の方がそのオーラが強い。なんで?
「早く要件をいいなさい」
「まっちゃちゃんも急かすね〜。そうだね、今日ここに来た理由はー」
理由は……?
「化学部に入部希望です!」
「「「「は?」」」」
けいちゃん以外の4人の声がきっちりとハモる。こんな経験初めてだ。
に、入部希望……だって?
「無理だよ。そもそもうちらがこの時期も化学部に集まっている方がイレギュラーなんだ。大抵の部活で3年は既に引退している。今から何かの部活に入ろうだなんてもってのほかだよ」
「あれー?白餡ちゃんそんな声だった?──というか、だからこそだよ。私もダンス部を引退で暇だから、遊び場所が欲しいの」
「だからって……!」
白餡は我を忘れて素の声が出てしまっている。こんなことは珍しい。
「まぁ、いいんじゃね」
「「「え?」」」
今度は俺とけいちゃん以外の女子3人の声がハモる。これまたレアケースだ。
「やったー。言質取ったよ。流石アイスくん。だってアイスくん私の事大好きだもんね?」
「黙れ」
俺は何を言っているんだろう。と、自分でも思う。が、心理と行動が一貫しない。これが一目惚れの弊害なのか……。
俺はこいつの容姿を好きと認識してしまっている。
そもそも最初こいつを好きになった理由が一目惚れだったのだ。その一目惚れした容姿を見せられてしまうと、判断が思うように出来ない。
心ではこいつを嫌っているのに、体はこいつの容姿を好きだと認識してしまっているのだ。
「アイスは良くてもうちらは……」
「です」
まっちゃと綾鷹がふぃー入部に対して反対の意見を示す。
「じゃあ!私は化学部に入部してるんじゃなくて、化学部にいるアイスくんに会いに来てるってことにしてよ。それなら貴方達に文句言われる筋合いは無いよね?」
「………」
呆れているのか、怒っているのか、分からない。まっちゃと綾鷹のその真意は掴めなかった。
しかし、これまでの化学部に戻れることは、もう無さそうということを、俺の本能はひしひしと感じていた。
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♡
化学部の活動が終わり、いつも通りの帰路につく。
今日は大変だった。まさか、ふぃーちゃんがまだアイスをコケにしようとしていたとは……。
「化学部、無くなってほしくないなぁ」
これは私の切実な願いだった。あの場所を、私の唯一の居場所を、どうか壊してほしくない。
──家に着いた。
正門に設置されている呼び鈴を鳴らし、顔認証を発動させて鍵を開ける。
今の時刻は19:02。ギリアウトだろうか。
「お父様。ただいま帰りました」
廊下を進み、リビングに繋がるドアを開けると、私以外の家族4人は既に夜ご飯を食べていた。
──父親、母親、妹の結愛、弟の達哉、そして私の5人家族が私の家族構成だ。
「綾音、遅いぞ。夕餉はとうに始まっている。早く座って食べなさい」
「申し訳ありませんお父様」
まだ食べ始めたばかりだからだろうか。ギリアウトかと思ったが、ギリセーフだったらしい。
今日は夜ご飯が食べられそうだ。
家族全員が無言で食事を行い、カトラリーと食器の擦れる音だけが空気中に木霊する。
私はこの時間が苦手だ。
「綾音」
「はい、お父様」
食事中の会話は父親が会話の種を巻いた時のみ許可される。それ以外は禁忌となる。
「そろそろ、進路調査の時期ではないか?」
「はい。そのようであると思われます」
「綾音はどのような道に進むのだ?」
私の選択を聞いているようで、実際問題何も聞いていない。これは父親の用意した選択肢のうち、どれを選ぶのか?と聞いている問いと同値である。
「はい、私は大学の方に進学しようと考えております」
父親の食事の手が止まる。フォークを置き、こちらへと体を向き直る。
「そうか。教育の道を目指すのだな。応援しよう」
父親の頭の中では大学に進学=教育に携わるという等式が成立しているらしい。実にお堅い頭だ。
「お言葉ですが、お父様」
「ま、さ、か!」
私が反論しようとする素振りを見せた瞬間、大きな声で威圧し、私を怯ませる。
「化学の研究をしようだなんて馬鹿なことはもう考えていないだろうな?」
「…………。はい、心得ております」
先手を打たれて潰されてしまった。これでは反論しようにも出来ない。
「白井家の名に恥じぬよう、淑女としてある程度の教養は必要だ。故に、学業に勤しむことは大いに結構」
いつもの流れだ。この文言は耳にタコができるほど聞いた。
「しかし、それを研究しようとするのは話が別だ。綾音、結愛。お前らには白井家として名家に嫁いでもらわねばならない。何度も言っているようにだ」
「…………はい」
「そのため、高校を卒業した後は、花嫁修行をしてもらわねば困るのだ。」
私の人生のレールは生まれた瞬間から決まっている。停車駅は無く、快速で進んでいく。
「教育の道に携わるのは大いに結構だ。将来自分の子供を礼節ある人間に育てる際に大いに役立つ知識となるだろう」
子供なんて欲しくない。私はそんなもの望んでいない。
「何度でも言おう。女は働く必要などないのだ。名家に嫁ぎ、夫を家庭から支えることが、女の役目であり、幸せなのだ。それを重々忘れないようにしなさい」
「…………はい」
「私の食事はこれで結構だ。皆も早く食べてしまいなさい」
私も夜ご飯はもう喉を通らない。食材には申し訳ないが、たくさん残してしまった。
自室に籠る。電気はつけずに暗い部屋のまま、布団にこもる。これをすると、誰かから抱きしめられている感じがしてかなり落ち着くのだ。
そのまま、ベッドの横にある机の上からカッターナイフを取りだして刃を出す。
それを左手の手首に当て、ゆっくりとスライドさせる。刃の通った部分は、最初は何も無いように見える。だが、徐々にその傷口は開いていき、最初はポツポツと鮮血が見えるようになる。そのまま、点と点が繋がって線になるようにして1本の傷口となるのだ。
「はっ」
ふと意識を取り戻す。頭の中にあいつの声が浮かんだ。
『あのさ、普通にやめないの?』
「うるさい……。普通って……なによ」
カッターを元の位置にしまう。それと同時に涙がじんわりと目頭に溜まる。
あいつの……。アイスの声が頭の中を左右して離れない。こんなこと、もう辞めたいのに、環境は変わらない。
「ねぇ、誰か助けてよ……」
私のそんな声は誰に届くわけもなく、布団の中に吸い込まれていく。
5章 進路調査は終わってる
の更新は数ヶ月後となりそうです。お待ちください。
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