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4章 文化祭は終わってる

「周囲の安全、確認大丈夫です!皆さんクレイGを運んできてください!」


「了解!行くよ、せーのっ!」


 10人ほどの人数で、半径2mはある木製の円盤を持ち上げ、運ぶ。

 前夜祭の翌日、今日は授業がなく一日中文化祭準備日として当てられている。クラス企画の準備をする者、委員会の活動をする者、時間の使い方は人それぞれだ。


 俺は前夜祭のひと仕事も終え、準備期間中一回も顔を出していなかったGATE委員会に初めて顔を出す。

 名目上であり、恭介に入れられただけではある委員会だが、一度も活動しないというのは微妙である。なので、今日はGATE委員会の仕事を手伝うことにしたのだ。

 今俺たちが運んでいるのは、通称「クレイG」と呼ばれるGATEの部品になる。その年の設計において、最も建設が困難な部品に対して当てられるのがこの名前だ。

 今回は半径2m超えの円盤であり、これを建物で言うと3階の高さもある頂上にまで載せなければならない。


「左右の位置問題ないです!そのままGATEの柱を昇って半分は2階へ上がってください。斜めに持ち上げます!」


 俺は9割完成しているGATEの枠組みの上に乗っかり、クレイGを頂上に載せる準備を整える。


「行くよ!せーの!」


 全員で息を合わせてクレイGを3階部分へ乗せることが出来た。あとは留め具をビスで留めて完成となる。


「良かった。今年も無事完成したね」


「これが東京駅になるのか。装飾係の仕事が楽しみだ」


 今年のGATEのモチーフは東京駅らしい。正面の入口を再現しており、レンガの装飾がここに施されることで真の完成となるそうだ。


「アイス、チェスでもしようぜ」


「はいよ。あと恭介はその呼び方をやめろ」


 恭介にGATE委員会用の耐震倉庫、1階の耐震に呼び出される。

 第1会場委員会のものとは違って、ここには麻雀やトランプ、チェスなどの遊び道具が何故か充実している。

 この委員会は設計・建設係と、装飾係の2つに分かれているのだが、安全性を考えて同時に活動することは出来ない。

 よって、片方が作業を行っている間、暇を潰す用としてこういったおもちゃが持ち込まれたのだろう。


「アイスが先攻でいいよ」


「了解。じゃあナイトとビショップ退けてー。はい、キャスリング」


「お前本当その動き好きだよね。個人的にキャスリングはガチで悪手だと思っているんだけど」


 キャスリングとは、チェスにおいてキングとルークが動いておらず、その直線上に駒が無ければ、その2つの駒を決まった位置に入れ替えることが出来る技だ。

 将棋で例えるなら振り飛車を一手で行うことが出来る……。と言った感じだろうか。将棋をやった事がないので分からないが。


「ルークは中央にあった方が戦いやすいだろ」


「とはいえじゃない?俺はキャスリングするならするでクイーン側のルークとした方がいいと思うんだけど」


 うだうだと相手の行動に対して文句を言いながら駒を動かしていく。

 チェスは将棋と違い、取った相手のコマを自分が使用することが出来ない。よって短時間で終わることが出来る明快なゲームとなっている。


「昨日はなんか大変だったらしいじゃん?アイスが倒れたとかいって白餡が教室に戻るやいなや、大騒ぎしてたよ」


「容易に想像できるなその様子。まぁ軽めの脱水症状だったって話だから俺が悪いんだけどね。そのナイトもーらい」


 テキパキと俺の荷造りをしてくれていたであろう白餡の様子が目に浮かぶ。

 俺の机の中って異常にプリント類で埋め尽くされてて汚いはずなんだが、それも今日登校したら全て綺麗に片付けられていた。これからもずっとやってもらいたい。


「そんなことないでしょ。なんか委員長がヤバかったんでしょ?」


「まぁね。でも昨日の夜なんか知らないけどLINEでひと言『ごめん』とだけ送られてきてたよ。どういう心境の変化かは分からないし、俺は絶対に許すつもりは無いから、即ブロックしたけれど。あいつもなにか思うところはあったんじゃないかな。そのビショップもーらい」


「それに比べたらうちの委員長なんて神だよな。あの同じクラスのけいちゃんとタメ張るくらいいいやつ。将来マルチとかに引っかかってそうなくらい純心なのが逆に怖いけど」


 GATEの委員長はとても良い奴だ。GATE委員会のメンバーがこぞって嘘をついておちょくると、全てに引っかかってしまうレベルの純心さである。


「ありそうー。そのクイーンもーらい」


「なっ!お前強すぎじゃね!?」


「いやいや、恭介がビショップが効いてるところに駒を置きまくるのが悪いんでしょ。斜め見えて無さすぎ」


「ぐうの音も出ないわ」


 チェスの盤面も俺が恭介のコマを取りすぎたせいでほぼ勝ち確のような盤面になっている。

 あとは多分詰将棋ならぬ詰チェスみたいなものだろう。


「俺さ、文化祭ふぃーと回ることになったわ」


「へぇ、良かったじゃん」


 恭介は死ぬほど興味がなさそうだ。もう少しなにか会話を広げてくれても良いと思うのに。


「そんで俺、文化祭が終わったらその放課後ふぃーに告白することにした。チェック」


「へぇー。って、えぇ!?」


 恭介はチェックをかけられたキングを逃がしながら驚愕の反応を示す。

 お、食いついてくれた。


「いうても、もう高3の5月中旬じゃん。受験生でもあるし、高校生活という青春を謳歌できる時間もかなり限られてるじゃない?」


「確かにそれはそうかも」


「だからさ、うだうだ迷ってこの気持ちを留めておくよりも、さっさと告白しちゃう方がありかなと思って」


 俺の考えを述べる。

 仮に告白が成功して、付き合うことが出来たとしたら、その時高校生である時間が長ければ長いほど良いに決まっている。

 告白するかしないかで迷っているのは些か無駄な思慮のように思えた。だから、告白する。


「良いとは思うけどさ。それ、成功すると思ってんの?」


「は?お前も俺みたいなやつとふぃーじゃ釣り合わないっていいたいわけ?」


「いや、そういうわけじゃないけどさ。なんかアイスの言い方が成功を前提にしているような気がして」


「いや別にそんなことは……」


 確かに自分でもふぃーが俺に好意を持ってるんじゃないかと勘違いをしてしまう瞬間はこの1ヶ月で何度もあった。しかし、これは初恋故の勘違いであることは明々白々。

 であるから、極力その考えは捨てているはずだ。


「アイスの恋、一目惚れってのが良くないよね。まだアイスはふぃーについて何も知らないんじゃない?」


「言われてみれば、それはそうかもしれない。だから、文化祭で一緒に回って親睦を深めようとしてるんじゃんか」


 一目惚れが不誠実だという意見は分からなくもない。俺は不誠実でないという風に言い返したい所ではあるが、それは一般論足り得ないのもまた事実だ。


「そっか、頑張ってね。はい」


「あっ!!!」


 話を恭介が切り上げようとすると同時に、チェスの盤面も決着が着いた。

 いや、正式にいえば「決着は着いていない」

 俺が恭介の駒を取りすぎた結果と、キングを追い込むあまり、王手──チェックがかかっていない状態でキングや他の駒が一切動けない状態となってしまった。


「ステイルメイト。アイスの告白はこれと違って白黒はっきり着くといいね」


「ぐぬぬ……」


 ほぼ負け確の状態からステイルメイトまで持ち込めたことに対してドヤ顔して、恭介は耐震から去っていった。飲み物でも買ってくるようだ。


 ───────────────────────


「あ、アイス丁度良かった。こっちこっち」


「え、なになに?」


 GATEの装飾作業の間、時間を持て余すのもあれだと思い、教室のクラス企画──メイドカジノの設営の手伝いをすることにした。

 教室に戻ると同時に、クラス長のれいさんに呼び出され、教室の中央に集合をかけられる。


「なんと、うちのクラスのMスクは……!文化祭最後!大トリを飾ることとなりました!」


「おー」「えーー」


 れいさんの報告には多種多様な反応が返される。俺は「えー」側だ。

 大トリってクラス劇の中で1番目立つことになるし、個人的にはあまり乗り気では無い。

 それに2日目の午後3時くらいに行われるということになるだろうから、その日の疲れも溜まっているだろう。そこで広げられる羞恥プレイは些か耐え難いものがある。


「と、いうわけで。大トリを飾るに相応しくあるために、クラス劇の台本に少々脚色を加えてみました!こちらをお受け取りください!」


「マジで……?せっかくセリフ覚えたのに……。あれ、そんなに変わってないじゃん」


 れいさんが大はしゃぎで台本を関係者に配布する。

 せっかく昨日帰ったあと頑張ってセリフを覚えたというのに、それを全部変えられるとなったらちょっと怒っていいかと思って自分のセリフを確認する。

 しかし、俺の悪の大魔王役のセリフで変更された点は一つも無かった。

 一体どこが変わっているのか…………っ!!?


「ち、ちょっと待ってれいさん。まさか脚色を加えたって、ここの話してる!?」


「もちろん!」


 俺は台本の最後のページを開き、れいさんの方を向けて掲げる。

 そこには信じられない文言が追加されていた。


 ─姫役(ふぃー)勇者役(くま)

 2人は幸せにキスをする。


「待て待て待て、いくらクラス内でやる劇だからって高校生主演のものにキスシーンを入れるのは如何なものかと思いますけど?」


「分かってないなぁ、アイスは。劇は作品として終わらせるだけじゃ勿体ない。どれだけ現実から没入させることが出来るかが大事なの。有名なゲームのマリオシリーズだってピーチ姫を救ったらエンディングで軽くキスくらいするでしょ?それと同じよ」


「そんなこと言ったって!2人は別に付き合ってる訳でもないのにそんな勝手に!」


「ふぃーとくまの2人からはもう許可は貰ってるよ?」


「えぇっ!?」


 衝撃の事実をれいさんから聞かされ、俺は思わずふぃーとくまの方を向いてしまう。

 ふぃーは……。くまとのキスシーンを承諾したってことなのか……?


「もちろん僕は大歓迎さ。フィナーレを盛り上げるのに相応しい芝居を奏でてみせるよ」


「私も、ちょっと恥ずかしいけど。減るもんじゃないし、いいかな?って」


「アイスも大袈裟だなぁ。まさか私が2人に相談もせずに勝手にキスシーンを入れるような人間だと思ったわけ?」


「思った」


「なっ!心外だなぁ」


 れいさんとの会話は素早く切り上げる。

 キスシーンが劇中にある……。いや、言ってしまえばこれはただの劇、芝居なんだ。俺が何もとやかく言う義理はない。

 そもそも、俺はふぃーと交際関係にあるわけでもないんだ。交際関係にない人間が別の男とキスをしたところで何か道徳的におかしな所があるだろうか。そんなものは本人達の勝手でしかない。


「と、いうわけで。大多数の人には関係ないと思うけど、こういう変更点があるよってことだけ頭の中に入れといてね。あ、あとアイスは白餡ちゃんにもこの変更点伝えといてね。今あの子化学部の方に行ってるでしょう?」


「分かった。伝えとく」


 れいさんがそう言うと、集まっていたクラス劇の出演者は散り散りとなって、クラス企画の設営へと戻る。

 よくクラスを見ると、化学部の面々は一人もいなかった。クラス企画は準備の人数過多のようにも思えるし、化学部の方に行った方が良さそうかな。

 あそこはまだ1回も準備に顔を出したことがない。

 それよりも先にふぃーには聞きたいことがあった。


「ねぇ、ふぃーは……くまのことどう思ってるの?」


 これは聞いておきたかった。俺がふぃーに告白をする前に。


「んー。くまくんのこと?普通かな」


「そう」


 この「普通」という言葉が俺の頭の中を埋め尽くした。「普通」とはどういう意味なのか。恋愛対象であることが「普通」なのか。ふぃーの気持ちの基準は一体どこにあるのか。

 そんな事ばかりを考え続けた。


 ───────────────────────


「アイス見なよこれ。めっちゃリアリティ高くない?」


「うん。そうだね」


 俺が化学部に向かうと、化学室の床に白餡の死体が転がっていた。

 死体と言っても人形だ。しかし、顔の造形もさることながら、体格まできっちり等身大で再現されていてすごく不気味だ。

 死体はうつ伏せに倒れており、後ろから包丁で一突きされて血が服に滲んだ様子である。


「反応薄いな。一応この私を殺した犯人はアイスって設定なんだけど」


「あ、その設定ちゃんと生きてたんだ」


 化学部に来ておいてなんだが、頭の中はさっきのクラス劇のことで一杯だ。他のことを考える余地が正直ない。


「あのさぁ、そんなに嫌なの?高々劇でキスシーンがあることが」


「嫌に決まってるじゃん!!」


 俺はドンと机を叩いて応戦してしまう。

 大きな音が立ち、白餡がビクッと驚いて背筋を伸ばしてしまったため、それを見て冷静さを取り戻す。


「あやねんそいつはもうほっときなって。処女厨が騒いでるってだけでしょ。そもそもふぃーちゃんだってこれがファーストキスじゃない可能性だってあるわけだし。何を今更アイスが口を挟むことがあるわけ?」


「それは……。そうだけど」


 もちろんまっちゃがいう通りその可能性だって有り得る。

 ファーストキスじゃない可能性だってもちろんあり、それ故のあの余裕なのかもしれない。

 だが、俺が危惧している問題はそこにはない。


「でも……。目の前で好きな人が別の男とキスをするのは、やっぱり嫌だ」


 本心はこれだ。キスの経験等よりも、それを目の前で見せられるのがやはり苦しい。


「じゃあさ、告っちゃえばいいじゃん。劇の前に」


「え」


「今現状アイスの論理が通ってないのは、アイスとふぃーの間になんの客観的関係値も無いからだよ。だから、劇の前に交際という既成事実を作ってしまえばいい。そうすれば、れいさんだって台本の変更は諦めるでしょ」


 言わんとすることは間違ってない。そもそも、文化祭が終わったら告白するつもりだったんだ。それが少し早まるだけであるのには違いない。


「うーん」


「まぁ正直この話は私たちの管轄外だ。助言らしい助言もできないから、アイスも普通に企画準備を手伝ってほしい」


「あ、うん。ごめん、手伝うよ」


 化学室にいながらずっと考えにふけっているだけなのも忍びない。

 化学部3年の企画は白餡を殺した犯人を当てる推理企画だ。容疑者は俺、まっちゃ、けいちゃん、綾鷹の4人であり、正解だと思う人間を書いて担当の人間に渡し、無事事件が解決できたらお菓子をプレゼントするという企画である。

 白餡の死体の指先には光を見やすくするための黒い箱が置いてあり、その中身を用意されたブラックライトで照らすと、白餡が血液で残したダイイングメッセージという設定の文字が浮び上がる。──実際は大根おろしの汁で作り上げたものだが。


 その文字にはCO2と書かれているそうだ。だからドライアイスで俺なんだそう。ほんまか?


「CO2がドライアイスなのはまぁいいとして、ドライアイスが俺なのは割と無茶がありすぎじゃないか?」


「そうかな。容疑者の名前の候補がある以上これで十分絞れるかと思ったんだけれど」


「まっちゃか綾鷹かアイスかだったら、確かにアイスかぁ。うーん、何かもうちょい決定的なドライを排除する要因が欲しいけれど」


「あのあの、じゃあ当日は白餡ちゃんの死体をびしょびしょにしますか?乾燥してないからドライ要素を排除できるみたいな感じで」


 綾鷹がアイデアを提出する。

 んー、まぁ確かにそれくらいしか良い案はないか。


「そうだね、そうしとこう。ただの文化祭の企画だし、あまり難しくしすぎるのも良くないものね」


「私はダイイングメッセージでCO2なんて書くかな……?って所が気になるけれど」


 まっちゃがそもそも過ぎるツッコミを入れる。

 いやでも推理小説とか漫画のダイイングメッセージって基本的に「それ書くか?」ってなることが多いような気もするけれど。


「白餡なら書くでしょ。化学バカだし」


「悪口じゃん」


「あはは、ごめんごめん」


 そこは白餡なら有り得るか……。って理由でギリ受け入れられると思う。ギリね?


「じゃあクラス戻ろっか。綾鷹のクラスってコーヒーカップ作ってるんでしょ?大変だよね」


「う、うん。でも、みんな一生懸命だから。良い。大丈夫。来てほしい」


「あぁ、もちろん行くよ」


 綾鷹のクラス企画はコーヒーカップなんだそうだ。電力を使うのは難しかったそうなので、手動で男達がグルグルと人力車のように回すらしい。

 当然これはふぃーとの文化祭デートプランで回るようにと手筈は整えてある。


「アイスは文化祭見て回るつもりあるのか?」


「一応あるよ。今年は楽しそうな企画がいっぱいあるしね」


 白餡が俺へ問いかける。

 去年は正直化学部のブースにずっと居たような記憶もあったような気がするが、なんてったって今年はふぃーと一緒に回れるのだ。楽しみでしかない。


「そう。良ければでいいんだけど。あ、みんなも」


 白餡がクラスへ帰ろうとするみんなを呼び止めて、何かを聞いてほしそうに訴えかける。


「文化祭、化学部みんなで回りたいな……。なんて思ってるんだけど、どうだろう」


「え」


 まさかの白餡から文化祭を一緒に回ろうと誘われるとは思っていなかった。

 確かに、化学部で2年と少し一緒に過ごしてきた友人達と一緒に文化祭を回るのはとても楽しいことだと思う。だけど……。


「私はいいよ。元々あやねんと回る予定だったし」


「僕も大丈夫」


「わ、私も!です」


「……アイスは?なんか先約がある感じ?」


「先約はある……けど」


 ふぃーとの約束がある。もちろん本音を言えばふぃーと2人きりで回りたいというのも事実だ。

 でも、それと同時に化学部のみんなと一緒に文化祭を回りたいという気持ちは共存する。


「先約があるなら仕方ないか。じゃあ……」


「いや、俺もみんなと回らせて。あと、ふぃーも一緒でも良いかな?」


 俺は欲張りな人間だ。両方を取りたくなってしまった。

 でも、化学部のみんななら一緒でも許してくれると思った。


「何?先約ってふぃーちゃんだったの?じゃあ2人で回ればいいのに」


「いや、もちろんふぃーも大事だけど、それと同じくらい──いや、それ以上に化学部のことも大事だから。だから、みんなで一緒に回りたい」


「そ、そう?それならそれで別にいいんだけど」


 白餡が少し照れたようにして承諾する。


「ま、私はあやねんと回れるならなんだっていいよ」


「僕も大丈夫」


 まっちゃとけいちゃんも予想通りの反応だ。


 しかし、これが大誤算だった。まさかの人物がこの提案に異議を唱えたのだ。


「あのあの、ごめんなさい。川合さんが一緒なら、私は嫌です」


 綾鷹だった。綾鷹が真剣な顔で嫌悪を示したのだった。


 ───────────────────────


「お帰りなさいませ!ご主人様!」


「ぐはっ!」


 化学室から戻り、教室の扉を開けると、目の前にはメイド服を着たふぃーがお出迎えをしてくれた。

 予想していなかった刺激に耐えられず、俺のキーゼルバッハ部位は崩壊し、鼻腔から血液が流れ出す。


「うわ、アイス何興奮してんの。ほらティッシュ」


「ん、ありがと」


 白餡からポケットティッシュを渡されたので、それを鼻に詰める。


「白餡ちゃんこっちー!ルーレットで賭けて遊ぼう〜!」


「え〜何それ!めっちゃ楽しそう!やるやる!」


 白餡含め、他の化学部のメンバーは教室中心で盛り上がってるルーレットの集団に吸い込まれていった。

 いいな、俺もルーレットで賭け事やりたい。


「ふふっ、ごめんね。驚かせるつもりはなかったんだけど」


「いや、ありがたい。動画撮って永久保存するからもう一回やって貰ってもいい?」


「いやぁー。それはちょっと恥ずかしいかな」


 是非この可憐さを俺のスマホフォルダの待ち受けにしたいと考えたのだが、それは丁重に断られてしまった。残念。


「あ、あと文化祭のことなんだけれど」


「うん、どうかした?」


「化学部のみんなとも一緒に回ろうと思ってるんだけど、みんな一緒で大丈夫かな?」


「いいよー。文化祭一緒に回る人はたくさん入ればそれだけ楽しくなるからね」


「良かった。じゃあ俺達もルーレットやる?」


「ふふっ、私のおすすめはダーツだよ。勝負しよ?」


 ふぃーにオススメされるがまま、教室後方のダーツ盤にダーツをしに行く。

 さて、このふぃーの反応を見る感じ、ふぃーと綾鷹は両者互いに忌み嫌いあってるというわけではなさそうだ。

 あの後……。


 ♢


「川合さんが一緒なら、私は嫌です」


「え、綾鷹ちゃん!?なんでそんな」


「す、すみません。でも、理由は……言いたくないです。ごめんなさい」


「まぁ人には生理的に相性が良い人間もいれば、悪い人間もいるからね。仕方がないことだと思うよ」


「ご、ごめんなさい。でも、みんな仲が良い感じなら、私抜きでも大丈夫です。あの、じゃあ戻ります」


「あ、待ってよ綾鷹ちゃん!」


 ♢


 こんな感じで綾鷹がふぃーを嫌っている理由は分からずじまいのまま、綾鷹はクラスへ戻ってしまった。

 状況把握をすると、綾鷹がふぃーを一方的に嫌っているといことになるのだが。

 やはりけいちゃんの言う通り何か生理的に相性が合わない所があるものなのだろうか。


 しかし参った。ふぃーを取るか、綾鷹を取るかであると選びにくい二者択一を迫られてしまっている。

 ふぃーがダンス部の公演に行って抜け出した後に綾鷹に合流してもらうという展開も悪くはないが、それでは綾鷹が可哀想だ。


「はい。矢は1人3本にする予定なんだ。さぁ、打って打って」


「ダーツか。久しぶりにやるな」


 どうしようか悩んでいると、ふぃーがダーツの矢を渡してきた。

 教室のスペースの関係もあるのだろうが、若干ダーツと投擲をする人との距離が短い気がする。これだったら簡単に──。


「やっ。ほい。とぉ」


 矢はダーツのブルに全弾命中。150点の獲得だ。


「え!?アイスくん上手すぎ!」


「いや、ダーツとの距離短くない?これなら誰でも出来ると思うんだけど」


「いやいや。そんなことないよ。ほら、私なんて全然ダーツに当たらないもん」


 ふぃーは矢をとって投げて見せてくれるが、投げる時に体がブレブレで矢が明後日の方向に飛んで行ってしまう。


「ちょっと体がブレすぎかも。こうやって背筋を伸ばして、体の中に軸があるようにイメージして……」


 俺はふぃーの横腹を支え、背筋をしゃきっと伸ばさせる。


「こ、こう?」


「そう。そのまま緩やかな弧を描くように矢を打って、終着点が真ん中になるように手首を前後に降ってごらん」


 とうっ!と言ってふぃーは手首のスナップを効かせながら矢を放つ。

 放たれた矢は綺麗な放物線を描いてブルへと突き刺さる。


「わ、やったぁ!初めて真ん中に当たったかもしれない!ありがとうアイスくん」


「え、えへへ。どういたしまして」


 ふぃーが俺の両手を握りしめ、指と指の間に指を混ぜ込んでくる。いわゆる恋人繋ぎ的なやつだ。

 その状態でぴょんぴょんと飛び跳ねる姿は実に愛らしい。

 と、ふぃーを和やかな視線で眺めていると、どこからか俺を見ている視線を感じた。また、白餡かまっちゃがこの様子を見て引いてるのかと思ったが、彼女たちはルーレットに夢中だ。白餡が「赤!赤!」と叫んでいる。

 視線の出処を探すと、教室の入口、綾鷹が立っていた。こちらをジリジリと鋭い目付きで睨んでいる。これは出向いた方がいいのだろうか。


「ごめんふぃー、ちょっと呼ばれたから行ってくる」


「はーい。行ってらっしゃい」


 正式には呼ばれた訳では無いのだが、急いで綾鷹の元へ駆けつける。

 すると、綾鷹は開口一番どストレートに疑問をふっかけてきた。


「あ、アイス。あ、あの。川合さんがす、好きなのか?」


「うん。そうだよ」


 この下りは正直何回もやって慣れている。今更「うぇっ!なんだよいきなり!」みたいな返答はもうしなくてもいいレベルだ。


「あ、あれは。や、やめておけ。か、川合さんは」


「さっきも言ってたけど、どうしてなの?綾鷹はふぃーのことが嫌いなん?」


 いくら人には相性があるとはいえ、自分の慕っている人を悪く言われるのはあまり気分が良くない少し声のトーンを落とし、綾鷹に問いかける。


「そ、それは。だ、ダメ。やっぱり言えない」


「それじゃあ俺がふぃーを諦める理由にはならないよ。じゃあね」


「ま、待て!わ、私はアイスのことを思って」


 これ以上ふぃーの悪口は聞きたくない。俺は綾鷹の言葉を遮って教室の扉を閉めた。

 と同時に、文化祭をふぃーと綾鷹のどちらと一緒に回るか、自分の中でも決心が着いた。


 ────────────────────────


「文化祭だぁ!!!」


「いやぁ、楽しみだね恭介。で、その大荷物は何?」


 俺も恭介も柄にも合わずハイテンションだ。

 とうとう迎えた文化祭当日。はしゃがなければ損である。


「あ、これ?ほら」


「はぁ?何これ500円玉?」


「そう。全部で10万円分。昨日仲良いやつに告知して、俺の知り合いはチップを得るのに1人3000円徴収する。そして、カジノの結果得られたチップによって現金を還元するっていうガチカジノをやることに決めたんだ」


「おーい、ガチの違法賭博やないかい勘弁してくれよ」


「大丈夫、バレなきゃ犯罪じゃないんだって」


 あーあ。友人が違法賭博に手を染めてしまいました。それにディーラー側です。捕まっても検察側に付こうかな。


「しっかし綺麗だな〜。GATE、東京駅ってのは実際見た事無いんだけど、こんな感じなの?」


 昨日は木の枠組みしか無かったGATEが完成した姿を見て感動する。

 レンガ造りの建物のように側面にはレンガの絵が描かれており、中央の1番上、クレイGがあったところにはきちんと時計台として時計が描かれている。

 GATEとしての役割を持つため、当然中央は人が通れるようになっており、通路はステンドグラスや、時刻掲示板などが整備されていて、本物の駅の感じを彷彿とさせる。


「いや、うちの委員で東京駅を実際に見たことあるやつは一人もいない」


「マジか。じゃあ写真だけ見て空想で作り上げたってことね」


 まぁしょうがない。茨城に住んでいる人間が東京へ行くためには往復3000円の交通費が必要だ。

 それを知っていてなお、東京に行きたいかと言われると、そこまででもないような気がする。


「お、もうすぐ始まるんじゃない?ほらほら、アイス仮装して」


「分かったよ。なんで俺が駅員役なんだ」


「1番この帽子が似合ってたからだって。他意はないよ」


 今日の文化祭の入場券は、GATEが東京駅ということもあり、切符型になっている。

 本当は自動改札機があれば良かったのだが、そんなものは無いので、俺がチケットに穴を開けるという、一昔前の改札にいた駅員役を引き受けることになった。

 俺は駅員の被る電車帽を被って耐震倉庫から外に出る。しかし、なぜ俺なんだ。撮り鉄っぽいからとかだったら許さないが。


「すっごい人の量、500人くらいいる?」


「そうだな。頑張って捌ききれよ」


「善処する」


 入場門の方を見ると、既に開始直後から入場したいと考えている来客が並んでいた。

 その列は校庭の方まで行き、それを一周してからなお、学校の外まで飛び出しているという長蛇の列で、概算だが500人以上はいると思われる。

 うちの文化祭は県の中では最も規模が大きいと言われており、2日間の来場者数は4000~5000を超えると言われている。であればこのくらい並んでるのは何も不思議な話ではない。


「それでは第75回文化祭をただ今より開催します!!!」


「「おー!!!!」」


 数分後、全校放送にて学祭の開催を宣言するアナウンスがなされた。

 屋外で食べ物の屋台を運営する生徒達の歓声や拍手などと共に、入場待機列が動き始める。


「はい楽しんでください〜はい楽しんで〜ありがとうございますーはい楽しんでください〜」


 俺の仕事は来場客が提示する切符型チケットに穴を開け続けること。

 穴あけパンチをチケットに合わせてパンチ、穴あけパンチをチケットに合わせてパンチ。

 某ロボットアニメ映画の主人公が正八面体と闘った時の心情がよく分かる。この単純作業頭おかしくなるで!


「ママ見て!この建物すごいよ〜」


「ふむ、よく細部まで再現されておる。素晴らしいの」


 ちょくちょくGATEの前で立ち止まったり記念撮影をしてくれる来場客も居る。

 列が滞るので嫌だし、俺はあまりGATE制作に携わっていないのだが、それでも自分が関わった仕事が外部の人間に認めてもらえるのは嬉しいと思う。


「あのー」


「あっはい!すみません。目標をセンターに入れてスイッチ!」


「え?」


 いけないいけない。達成感の余韻に浸る前に全集中で目の前の仕事に当たらねば!



 ──30分後。


「疲れた〜〜」


「おつ。はいこれお茶」


 自販機で買ってきたであろうお茶を恭介は俺の頬に当ててくる。冷たい。


「助かる。恭介はこれからクラス企画のシフト?」


「そうだよ。アイスもだっけ?」


「うん。一休みしたら行こうか」


 今は入場処理も他のメンバーに交代して、日陰で休憩している。こっからノータイムでクラス企画のシフトに向かうのは苦しい。


「んで、告白はどうすんのさ」


「ぶふっ!」


 俺がお茶を口に含んだタイミングで恭介が告白の話についての話題を振ってきた。

 これタイミング見計らっただろ?


「聞いた話だけど、クラス劇中にキスシーン追加されたらしいじゃん。やばいね」


「そうなんだよ。で、どうするも何もないよ。どうにかクラス劇の前に告白するタイミングがあればいいんだけど」


 そう。クラス劇の前に告白するのであれば、ふぃーと2人きりで文化祭を見て回るのが最適だった。しかし、化学部と一緒に回ることになってしまった以上、告白するチャンスが伺えるかどうか分からない。


「でもさ、別に良くない?やっぱ放課後で」


「え?」


「だってさ。例えば文化祭の途中に告白して振られちゃったら、そっから先気まずくて文化祭一緒に回れなくなるでしょ?それなら、文化祭で思い出を作ってから告白した方が振られても後腐れなく終われない?」


「振られる前提でお前は話を進めるな。でもなぁ。それだとキスシーンが」


「だからさ。別にキスシーンの後でも良くない?って話をしてるの」


「っ!」


 恭介が真面目に、いや少しイライラしたような様子で言ってくる。


「だって、ふぃーはくまのこと何とも思ってない、『普通』にしか思ってないんでしょ?それなら、そのキスシーンだってただの演技、お芝居なんだからノーカウントみたいなもんじゃない?そこまでの純情さを相手に求めるって、俺的にはあんまり宜しくない考え方だと思う」


「うん」


 正論だ。正論すぎて耳が痛い。


「本気でぶつかりなよ。ふぃーのことが本当に好きなんだったら。誰かとキスしたから嫌いとか。そんな小学生みたいなことやってんなって。もうちょっと大人な恋愛をしろよ」


「そうだな。俺もそう思う」


「まぁ、なんでもいいけどね。俺はね。先に教室行ってるわ。アイスも休んだら来な」


「分かった。ありがとう」


 恭介のアドバイスは最もだ。自分でも自分の考えが幼稚であることが再認識される。

 そうだ。心を大人にすればいい。大人になれば……


 ────────────────────────


「はい、8番のお客さん時間です!カウンターまで戻ってきてください!」


「これが3000チップになります。これでいろんなところで遊んでみてね」


「いやぁぁぁぁ!!26000チップ持って帰ってきやがった。嫌だぁぁ!!」


 ヤバい。文化祭、想像以上に忙しい。

 今でも教室の外には10名以上の列が並んでいるし、教室の中は客でぎゅうぎゅうだ。ルーレットの場所なんて15人くらいが一斉に賭けている。

 俺はこっから数時間の間カウンターで接客をしなければいけないらしい。

 混雑度を見ながら3000チップとお客の番号札を渡す。そして、各番号のタイマーを10分でセットし、10分が経過したら強制的に同じ番号の札を持つお客を帰らせる。以下、エンドレスだ。

 隣では恭介も同じく接客をしてるが、こいつの場合金がかかっているため、テンションの浮き沈みが激しい。

 26000チップ持って帰ってきたってことは、恭介の23000円負けか。気分が良い。


「あ、アイス。き、来たよ」


「綾鷹、来てくれたんだ」


 受付をしていると、綾鷹が姿を現した。昨日ぶりだ。


「ごめんなさい、昨日は。あ、あの。遊ぶ」


「はいよ。このチップをどれだけ増やせるか頑張ってね。ランキングもやってるから上位目指して頑張って」


「お、オススメを、教えて、ください」


 おすすめかぁ。簡単なので言うとルーレットか丁半だと思うんだが、ルーレットは大人気コンテンツで混雑している。綾鷹には難しそうだ。

 一方丁半はディーラーが居ないため、開かれていない。いっそ俺がディーラーになって開いてみるか。


「そうだね。こっち来て」


「う、うん」


「今から俺がサイコロを2つ振るから、好きな数のチップを賭けて、サイコロの出目の和が奇数か偶数かを当ててね。当たったら賭けたチップの2倍が返ってくるよ」


「わ、分かった」


 俺はサイコロをツボに入れて振る。綾鷹はルールを理解しただろうか?

 彼女の方を見ると、綾鷹はチップを全賭けする構えだった。


「全部、奇数」


「え、全部?いいの?」


「う、うん」


 俺は壺を開けると、出目は4,3。シソウの半だ。奇数で当たっている。


「マジ!?凄いじゃん。はい、3000バックで手持ち6000チップだね」


「や、やったぁ。もっかい」


「はいよー。さぁ張った張った!」


「全部、奇数」


「え!?」


 綾鷹はまたしたもオールインだ。え、この子ゲームの趣旨理解してる?

 恐る恐る壺を開けると、出目は5,2の半だ。再び的中である。


「あ、綾鷹凄いね……。もう手持ちが12000だ」


「こ、これ楽しい。もう1回」


「う、うん」


 再びサイコロを壺で振る。そして、綾鷹はオールインだ。


「全部、偶数」


 出目は2ゾロの丁。偶数だ。


「待って待って。どうゆう事?イカサマじゃないよね?」


「そ、そんなことしない。わ、私は運がいいだけ」


「う、運がいいというか、オールインする度胸も凄いというか」


「もう1回。全部、奇数」


「振る前に全賭け??」


 俺に出目を操作する能力が無いと見込んでの全betだというのか。確かにそんな技術はないが。なんか、こう、角度を付けたら行けるもんなんじゃないのか?

 俺は何度も試行錯誤しながら、どうにかして綾鷹を負かせたいという一心になっていた。趣旨が変わってきている。

 ──しかし、10分後。


「4番さん。お時間です〜。えっと、持ち点が……。えっなにこれ。井上くん、この805306368000って書かれた紙何?」


「は、8053兆636億8000チップ……。そいつの持ちチップです。もうチップじゃ数えられないので適当な紙に書いてあります……」


 結局綾鷹は全ての勝負を全賭け。並びに全て的中させて、持ち点を倍にし続けた。

 いくら運が良いからってあんな芸当が出来るというのか……?


「は、はっせん……!?え、凄い!こんなのもう確定でランキング1位だよ!おめでとう!」


「え、えへへ。凄いだろ。アイス」


「す、凄い……」


「ぶい」


 今日、綾鷹のほぼ特殊能力とも言える特技を初めて知った。大人しい顔しながら凄い特技を持ってやがる。


「あの子知り合いじゃなくて良かった……」


 恭介がそう小声で呟いていたのが聞こえた。うん。確かに。


 ────────────────────────


「みんな、調子はどう?」


「居たぞ!あいつがアイスだ!やっつけろ!」


「うおお!!」


「え、なになに!?」


 化学室の企画の様子を見に行こうと、化学部に入った瞬間だった。

 白餡の一声を合図に、小学校低学年くらいのちびっ子の男の子達が俺に向かって突撃してくる。


「うわぁ!!」


 バシャッと突撃舞台にビーカーに入っていた液体を投げつけられる。クラスTシャツがビシャビシャだ……。


「よくやったみんな!これで私を殺した犯人を捕まえたぞ!」


「おい白餡この液体はなんだ?」


「硫酸」


「はぁ!?おい白餡!???」


「うそうそ冗談。ただの水道水だって。さっき塩化コバルト紙による反応を見せてたの。そっちのビーカーの中身は石灰水だからあんま触んない方がいいよ」


 冗談にしてはタチが悪すぎますよ部長。普通に硫酸をこの量体に浴びてたらシャレにならないです。

 水にしてもクラスTシャツビシャビシャになっちゃって少し嫌なのに。


「悪い悪い。意外とこのブースはちびっ子に人気らしいんだ。2年のスライムやダイラタンシーの所も知的好奇心をくすぐるんだろうね」


 化学室の中はちびっ子の男の子や女の子で溢れかえっている。

 少しヤンチャな少年が駆け回ったりしてて危ないので、けいちゃんが「走らないよ〜」とあやしている様子も見える。けいちゃんは大変そうだ。


「さて、盛り上がってきたし、助手も来た。そろそろ部長として実験を1つやりますか」


「誰が助手だ」


「アイス、試験管2本と試験管はさみ、ろうと、ろ紙、冷水入りのビーカー」


「あぁはいはい。あれですね」


 こういう場で簡単に出来る実験で、この実験器具、大体やることは察しがつく。白餡は燃やす物質とガスバーナーを取りに行ったんだろう。

 試験管立てに2本試験管を刺し、準備を整える。これでおっけーだ。


「さぁさぁ、皆さん注目!今から化学部部長の私が実験をします!近くで見たい人はおいでー!」


「はーーい!」


 ちびっ子が続々と集まってくる。そうだ。虫眼鏡もあった方が良いだろうか。準備しよう。


「今からやるのは硫黄っていう物質の同素体を作る実験です。みんなは硫黄ってわかるかな?」


「わかんなーい」


「硫黄っていうのは、温泉とかに溶けてることがある。とってもくさーい物質なの。腐った卵みたいなにおいがするんだよ」


 白餡が硫黄の入った瓶をあけ、軽く口の部分を手で仰いでみせる。くさーい!と言った反応が子供たちの間で伝染する。


「今この硫黄、こんな感じでサラサラしてるでしょう?これを焼いたらどうなるのか実験してみましょう!はいアイス」


「はいどーんどん」


 試験管に硫黄をさじ1杯程度入れ、試験管ハサミで挟み、それを白餡へ渡す。

 白餡はそれを受け取ると、バーナーで試験管ごと硫黄を加熱し始めた。硫黄は色がどんどん黒くなっていく。


「ここっ!」


 適切なタイミングで白餡は火から試験管を離し、そのまま中身をろうとにセットしたろ紙の上へとぶちまける。するとそこには……。


「じゃーん!こうして出来たのが、単射硫黄って言われる物質です。危ないから触らないでね!そこにある虫眼鏡でよーく見てほしいんだけど、すっごくトゲトゲしてるんだ。こっちの粉の硫黄、斜方硫黄とは全然違うでしょ?見比べてごらん!」


「すごーい!」「これ本当に同じなの?」

「痛そう!」


 誤って単射硫黄に子供たちが触れないように目を光らせる。この尖り具合は普通に危ないのだ。


「さらに続いて、ゴム状硫黄を作ります!さっきと同じでこんな感じで加熱するんだけど、今度はもっと長い時間加熱するよ!」


 ゴム状硫黄も単射硫黄と基本的な作り方は同じだ。しかし、今度は硫黄が赤褐色になっても加熱をやめず、それを通り越して黒色になった瞬間に加熱をやめる。


「ここっ!」


 これまた白餡の冴え渡る勘が発動したタイミングで、今度は中身を冷水いりのビーカーへとぶちまける。


「え、全然違う!」「黒いつぶつぶだ!」


「そう!こんな感じで黒い粒が水の中に沈みます!これがゴム状硫黄。みんなよく観察していってね」


「はーい!」


 ゴム状硫黄も無事完成する。簡単にやっているが、実はこれ意外と難しい。ゴム状硫黄を作る時俺は加熱が不十分だったことしかない。あれ、「まだ加熱して大丈夫なのかな……?」って感情をどれだけ抑えられるかの戦いだからな。


「盛り上がってるね。大成功じゃん」


「そうだね」


 さっきまでの歌のお姉さんのようなハイテンションとは打って変わって、白餡は低いテンションになっている。子供たちは硫黄の同素体に夢中だ。


「同素体ってすごいよね。こんなに性質も色も形も違うのに、全部元々は硫黄っていう一つの物質なんだ」


「うん」


「硫黄はどう感じてるんだろう。自分がこんなに沢山の姿を持っていて。複雑な気持ちになったりしないのかな」


「さぁ、どうだろうね」


 白餡は、自分と硫黄を重ね合わせているのだろうか。教室内での自分と化学室内での自分という2つの同素体を持つ自分と。


「どれが本当の自分なのか。とか、見失ったりしないのかな。硫黄は」


 白餡の抱えている気持ちのモヤモヤの本質はそこにあるのだろうか。自己の曖昧さ、アイデンティティの崩壊であろうか。


「どれが本当とかはないんじゃないかな。どれも本当の自分だよ。同素体は。何か一つを本物にするために、別のものを偽物にする必要なんてない。全てを自分だと思って愛せば良いと思うよ」


「そうか」


 白餡はふっと下を向いて微笑む。


「アイスは、良いやつだな」


 そういった後、全校放送が流れる。

 1日目の文化祭終了時刻は15:00。そうか、もうこんな時間か。


「文化祭1日目お疲れ様でした!どこも大盛況でしたね!皆さん明日も頑張っていきましょう!」


「じゃあ帰るか。アイス、また明日」


「うん。また明日ー」


 ───────────────────────


 文化祭2日目の朝、昨日のシフトの疲れがまだ完全には取れていなくて体が重い。

 しかし、今日はどの委員会にも企画にもシフトに入っていない!一日中フリーなのだ!

 化学部やふぃーと一緒に企画を回るぞ!


「白餡〜今日は何から回る?」


「昨日のうちにパンフレットを見て気になるリストは作っておいたんだ!見てみて、このピンボールランナーとか絶対面白いでしょ!」


「ピンボールランナーってあれか、VS証のやつか。」


 割と昔にやっていたテレビ番組のアトラクションでそういうのがあった気がする。

 俺たちが小学生くらいの頃にやっていた番組なので、ドストライクのチョイスだ。


「よーし、じゃあ全部回るぞ!!」


「あ、待ってアイス。その前に」


「ん?」


 意気揚々とスタートダッシュを決め込もうとする俺に対して、白餡は冷静にストップを決める。


「ふぃーちゃんへの告白、どうなったの?」


「あぁ。そういえば白餡達には言ってなかったか」


 恭介と1日目の朝話したことで、自分の理性の部分はケジメがついた。決心が着いている。


「文化祭中にはしないことに決めたよ。文化祭が終わったらする」


「そか。じゃあ文化祭中は全力で楽しもうね!!」


「よし来た!!」


「朝から騒がしいな2人とも」


 遅れて登校してきたのはまっちゃだ。厳密には遅れてないが、時間通りに来るのは遅れているも同然である。


「まっちゃは何かやりたい企画あるの?」


「うーん。これかな、茶道部の茶点て体験」


「おー、まっちゃっぽい」


 凄くイメージにあっている。というか、まっちゃはなぜ茶道部に入っていないのだろう。


「どうも。これ旧本館でやるらしいね。他に旧本館でやる企画で見たいのがあるなら、一緒に見ちゃった方が良いと思うけど」


 この学校には本校舎の他にも、旧本館という建物がある。通常時には解放されず、こういうイベント事の時には開放される校舎だ。

 洋風な建築物で外観は美しく、朝ドラの撮影に使われることもしばしばあるらしい。

 ただ、生徒からすれば至極どうでもいい話ではあるので、2億円倉庫と揶揄されることもある。


「とはいえねー。旧本館でやる企画って変なのばっかりだし」


 旧本館で行われる企画は、癖の強いものが多い。現代文のおじいちゃん先生が開くk-popカルチャーに関する授業とか一体誰が聞きに行くんだ。


「私はないかな。アイスは?」


「俺もない。じゃあ先に茶道部行ってから回る感じにしようか。その方が効率がいいかな」


「だねー」


 よし!これで文化祭を回る手筈は整った。あとは楽しむだけだ。


 ───────────────────────


「ふふっ、結構なお手前で」


「凄い!ふぃーの点てたお茶めっちゃ美味しいよ!正直味の違い分からないけど!」


「そう?それ褒めてるのか分からないけど嬉しいな」


 お茶美味い!実際に点てて貰ったお茶を飲むのは初めてなので、すごく苦いんじゃないかと心配しながら飲んだが、実際にそんなことはなかった。

 抹茶特有の苦さは最初あるものの、その奥にはきちんと甘さを感じることが出来る。お茶ってこんなにも美味しいものなんだ。


「この和菓子美味しいですね。どこのお店のですか?」


「こちらは私のお店で作っているものでしてね。今回文化祭用に私が手作りさせていただきましたのよ」


「これ手作りなんですか!?凄いですね」


 白餡は和菓子に夢中だ。

 しかし、この和菓子、茶道部部長さんの手作りなのか。この桜のような形をしているおまんじゅう?凄い綺麗で美味しいのに。本当にすごい。


「結構なお手前で。あなた、もしかして茶道の経験がおありですか?」


「あぁ、はい。少しやった事があります。かじった程度ですが」


 まっちゃが茶道部の人に声をかけられている。やっぱりまっちゃって茶道の経験者だったんだ。

 というか、茶道の経験者って分かるものなんだな。仕草とかを見ているのだろうか。


「部活に入らなかったのは?どういった理由がありましたの?」


「まぁ、そうですね。京都の文化は好きなんですが、京都が好きではなかったから。ですか」


「そうなんですのね」


 へぇー。そんな理由で茶道部に入らなかったんだ。その2つって何が違うんだろう。


 ───────────────────────


「3!3!3!!違う違う4!いや、5!!」


「7だよアイスくん。もう少し前へ」


「もっとテキパキ動きなさいよ。のろま」


 今俺がやっているのはピンボールランナーと言われるアトラクションだ。1人がカゴを背中に背負い崖の下に立つ。

 その崖目掛けてボールが落ちてくるので、背中に背負ったカゴでボールを幾つキャッチ出来るかというゲームだ。

 もちろん、カゴを持っている人間はボールの様子を把握できないため、遠くからボールの位置が視認できる他のチームメンバーが、崖に書いてある数字を頼りに、ボールの落ちてくる位置をランナーに伝える。


「6!666!!7!!!7!!2!!2!!!」


「4番だよアイスくん。後ろへ」


「全然カゴに入ってないじゃん。頭に当ててるだけ」


 崖の上部はピンボールのようになっているため、ボールを視認することは出来ても、動きを予測することは難しい。そのため指示がコロコロ変わるのがこのゲームの面白いところだ。

 そして、今このゲームの指示役として最も適切なのは何を隠そう白餡である。このような感じで数字を連呼してくれた方が分かりやすい。

 けいちゃんは余計な一言が多いし、まっちゃに至っては文句を言ってるだけで一切指示を出していない。


「2!!2!!2!あ!」


 そして、このゲームの醍醐味はカゴに入れると高得点を獲得できるピンクボールの存在だ。

 ピンクボールは他のボールを置いても絶対に手にしたい代物なので、指示を出す人間もピンクボール担当として違う声が担当した方が良いとされている。


「9!!」


「っ!」


 そして、今ピンクボール担当の声───ふぃーの声が聞こえた。指示は9である。

 今2の場所にいるため、9の場所はほぼ反対側でめちゃくちゃ遠い。だが、絶対に間に合わせる──


「たぁぁぁぁ!!」


「そこまでです!えーっと点数は……」


 ど、どうだ。自分でカゴの中身が見れないから分からないが、結構取ったつもりでいるぞ?


「ピンクボール1個。合計2点ですね。歴代ワーストです」


 ────────────────────────


「酷いよアイス。私だって指示してたのに」


「白餡に関しては本当にごめん。でも他の2人が悪い」


 てへぺろっと舌を出すまっちゃと深々と謝罪するけいちゃん。なんて正反対なペアなんだ。


「でも、私のボールだけでも取ってくれて嬉しかったよ」


「もちろん。ふぃーの声は1音たりとも逃さない気持ちで望んでたからね」


「きも……。ほい、お化け屋敷着いたよ」


 続いてやってきたのは、最恐、ホラーハウスというアトラクションである。


「えぇ、これ本当にやるの?」


「なになにアイスあれぇ?ビビってるの?」


「び、ビビってねぇし。どうせ脅かしてくるのは同じ学校の生徒なんだからな」


 まっちゃにここぞとばかりに煽られてムキになってしまう。

 正直怖い系はあまり得意ではない。別に幽霊を信じているという感じではないが、突発的に出される音や環境の変化に驚いてしまうというだけだ。


「このお化け屋敷2人1組で入るらしいよ。アイスとふぃーちゃん、私とほーちゃんで入る?でもそしたらけいちゃんどうしようか」


 さりげなく堂々と俺とふぃーをペアにするのやめてくれませんか?本当におせっかいが酷いんだからこいつは。


「僕は大丈夫だよ。出口で待ってるから楽しんでおいで」


「そう?じゃあそうしよっか。先にアイスとふぃーから入りなよ」


「え、なんで俺から」


「だってその方が楽しいでしょ?楽しいことは先に味わいたいタイプだったよね?アイスは」


「ぐぬぬ」


 確かに俺は楽しいことは先に味わいたいタイプ、野菜は後回しにするし、夏休みの宿題は8月31日にやるタイプだ。

 しかし、その理論はお化け屋敷が楽しいことであるという前提条件が間違ってることによって大きく破綻している。

 しかし、ここで今それを否定してしまえば、俺がビビっているということに他ならない。それは情けなさすぎるぞ!


「いいぞ、行こう!行こうじゃないか!なぁふぃー!」


「うん。行こー」


 自分を奮い立たせて、ふぃーと一緒に入口へ入る。

 中は隣にいるふぃーの姿すら視認できないほどに真っ暗だ。ここは本当に元教室だったのか?と錯覚するほどである。


「ふぃー、いる?」


「いるよー」


 いると言われても姿が視認できないならば居ないも同然である。そのせいで1人であるという恐怖心が刺激され、怖すぎて足が動かないのだ。


「もー、しょうがないなぁ」


「!」


 自分の右手に温かな感触を感じる。これは……、ふぃーの左手なのか?


「手繋いであげるから、早く行こ」


「う、うん」


 最愛の女子に手を引かれてお化け屋敷を進む高校三年生男子。何とも情けない姿だろうか。こんな所を白餡達に見られていなくて本当に助かった。


「ひぃっ」


「ちょっと痛いって。そんな強く握らなくても離さないから」


 なにか首筋に冷たい風のようなものが当たった。これはなんだ、扇風機とかを使っているというのか?

 各々の刺激に一々怖がってしまい、その度にふぃーの手を握る強さが強くなってしまう。

 出口はまだだろうか。結構歩いたと思うのだが……。


「ばぁ!!!」


「ぎぃぃぃぃやぁぁぁあ!!!!!!」


「ちょっ、あい!」


 ドンガラガッシャーン!!


 もうすぐ出口だろうと油断していたところで、物陰から白い布を背負った髪の長い女が急に現れ脅かしてくる。

 俺は思わず体をのけぞり、倒れてしまうが、ふぃーとの手が離れなかった。

 そのままふぃーごと巻き込んで一緒に倒れ込んでしまう。


「い、いてて。ごめんふぃー」


 ふぃーが下で俺がその上に覆いかぶさるように倒れてしまった。右手はふぃーの左手とがっちり結ばれており、左手は……。なんか柔らかいような。


「ちょ、ちょっとアイスくん。変なところ触ってる」


「え、あ、ごめん!」


 俺の情報処理能力が高速で回転してこれはいけないことをしてしまっているという判断が下された。

 速攻で左手を今ある場所から離して起き上がる。


「もう……。怖がりだなぁ。アイスくんは」


「ご、ごめん。強がっちゃって」


「いいよ。可愛いし」


 俺たちはそのままお化け屋敷の出口へと一直線で向かう。


「リア充死ね」


 後ろから幽霊が何かボソッと言ったような気もするが、気にしないことにしよう。


 ────────────────────────


「いやー結構回ったね」


「そうだね。楽しかった」


 あの後俺たちは食べ物屋台を回ったり、あとは綾鷹のコーヒーカップの企画に行ったりとした。

 食べ物屋台の1年A組が出してるロシアンたこ焼き。あの企画だけは絶対に許さない。クラス覚えたからな。


「後はもう残すはクラス劇だけって感じかな」


「そうだね。僕とまっちゃは出演しないから観客席で見ているよ」


「えぇー、2人とも観覧するの?ちょっと気まずいんだけど」


「ふん。アイスの醜態が見れるだなんてこんなに面白いことは無いでしょ。絶対見るって決めてた」


 まっちゃさんはそう言うと思ってましたよ。

 はぁぁ。今更ながら黒歴史作りたくないなぁ。


「じゃあ私たちはレッツゴー!昇降口行けばいいんだっけ?アイスー」


「そうだね。とりあえずそこに向かおうか」


 現在昇降口は広場委員会という委員会が改造して、屋外ステージが設営されている。クラスの劇はここで行われるのだ。

 今劇をしているのは俺のクラスの1個前のやつらだ。何をやっているのかはよく分からない。


「あ、来たきた!遅いよ3人とも」


「ごめん、れいさん。もうみんな揃ってるんだね」


「うん。ほらアイスこれ着て」


「え?」


 舞台裏に到着するやいなや、れいさんから渡されたのはサングラスとドン・キホーテに売ってるようなマントである。まさか、これを着ろと?


「ほらほら、悪の大魔王感出るでしょ?これ」


「ヤバ!!アイスサングラス似合いすぎ!超面白いよそれ!」


「わ、笑うな」


 サングラス越しに白餡がめっちゃ俺の顔を馬鹿にしてくるのが見える。

 くぅ……。でも逆にありかもしれない。


 何故かは分からないが、このサングラスを装着し、マントを羽織った自分は、何かいつもの自分とは違うような気持ちになった。

 まるで、「仮面」を被っているかのような錯覚を引き起こす。


「さぁさ。みんな出番だ!行ってらっしゃい!」


 れいさんに押され、3年F組のクラス劇が始まる。


 ──ここはとある学園。そこには1人の恋する青年がいました。


「あぁ、この学園に咲く美しい一輪の花よ!我が胸中に咲かせたいほどの可憐さだ」


 くまがステージ上でくるくると回りながらキザなセリフを喋る。なんというか、いつもと変わらない感じだ。

 というか、このセリフ全部れいさんが考えたのすごいよな。ちょっと怖い。


 ──彼は学園1のマドンナ、フィオさんに恋をしているのです。しかし、彼は勇気を踏み出せずにいました。


「この僕を縛り付ける1つのルーモア──貴方さえ居なければ僕は踏み出せるというのに」


 ──そう。この学園に蔓延る1つの噂。高校3年生で恋をした男は大学受験に落ちる。この噂が彼の足を引き止めていたのです。


 このナレーションの後、しゅばばばと舞台道具が入れ替わり、机や椅子などが並べられる。

 白餡がセコセコと動いていて面白い。この場面転換に時間がかかるのも、こういう劇の醍醐味だ。


「くまくん。おはよう」


「おはようフィオ姫──。今日もお美しくて何よりだ」


「そう?ありがとうね」


 くまの執拗な挨拶を軽く受け流すふぃー。これ、劇として成り立っているのか?


 ──いつも通りの日常を送る2人。しかし、彼は決心を固めたのです。


「フィオ姫。僕は君に伝えたいことがある」


「え、どうしたの?」


「僕は君に出会った時から、君に惚れていたんだ。良ければどうかな。僕と付き合ってはくれまいか?」


「え!嬉しい。ありがとう!私も──」


「ふはははは!!!」


 ここで俺の登場である。BGMも少女漫画チックなものから、プロレスラーの入場BGMのような物へと切り替わった。


「だ、誰だ貴様は!!」


「私は悪の大魔王!高3で恋をすると大学受験に落ちる噂のイデアそのものである!貴様ら、今恋をしようとしていたな!この私が直々に呪いをかけてやろう!!」


「うぃーー!!」


 悪の大魔王が2人に呪いをかけようとする。そして、俺には手下が2人いるらしい。1人はあんまり話したことの無いクラスメイトで、もう1人は白餡だ。

 黒タイツに身を包まれている白餡が実に面白い。


「くっ!!この僕がそんな噂に屈するものか。僕は戦うぞ!とぉっ!やぁ!」


「うぃーーー!!」


 さぁ。ラブストーリーはここまでであり、こっから先はただのヒーローショーである。まずは悪の大魔王の子分が勇者くまに挑み、ボコボコにされる展開だ。


「負けるものか!てぃっ!たぁ!」


「うぃっ!うぃっ!」


「くっ!せいっ!やぁ!」


 目の前で高度なアクションもどきが行われている。当然ガチで蹴りやパンチを入れるのは痛いので、当たっている振りをするか、当たる直前に減速をしている。


「うぃーー!負けたうぃー!」


 子分がやられたようだ。さぁ、俺直々に相手をするターンである。


「ふはははは!まさか我が子分を倒すとはな!私が直々に相手をしてやろう。行くぞ!」


「かかってこい!やぁぁ!」


「くらえ!サンダー!」


 れいさん曰く、悪の大魔王は魔法も使える設定らしい。俺の持っている杖を振ると、魔法が出てくる設定のようだ。

 雷とか打ってくる魔王に肉弾戦で挑む勇者流石にバイタリティ高すぎない?という感想ではあるが。


「ふっ!ブリザード!ストーム!」


「ぐわぁぁ!くっ!くらえ!」


 ブリザードやストームを食らっても根性で耐える勇者、怖すぎる。そして、そろそろ俺も倒される時間だ。


「ぐ、ぐわぁぁぁ。なんたること!この私が負ける……だと!!?」


 俺はその場に膝まづき、倒れこむ。

 BGMも変わり、劇はエンディングへと向かうようだ。


 ──なんと、悪の大魔王を無事に討伐することが出来た勇者くま。フィオ姫はその勇姿に惚れることになります。


「フィオ姫、この私が悪の大魔王を倒してみせました!!これで私たち2人の間を邪魔するものは何もありません!」


 この後、ふぃーのセリフがあって、その後2人はキスをするという流れだ。


「勇者くま……!あぁ、なんて素晴らしいお姿だったんでしょう。私も惚れてしまいましたわ!」


「フィオ姫……」


 2人の顔が近づく。目の前でふぃーが俺以外の別の男と唇を合わす。

 頭では分かっている。俺はここは甘んじて受け入れるんだと、決意を固めたじゃないか。

 理性はそういって自分を言い聞かせようとする。


 しかし、本能はそれに逆らえなかった。


「まだ、だ……!」


「!?」「!!」


 やられたはずの悪の大魔王が立ち上がるという台本に無い展開に、思わずふぃーもくまもキスに入る予備動作を止めて、こちらに視線が向く。


「まだ……。まだ俺はやられてない!!」


「ちょっとアイス!?」


 俺の謎アドリブに対して舞台裏かられいさんが「何してるの!?」と言わんばかりに焦った様子でこっちに声をかけている。

 が、そんなことはどうでも良い。


「ふっ!まだ倒されていなかったのか!しぶとい魔王だ!だが、何度よみがえろうと完膚無きまでに叩きのめすのみ!」


 勇者くまはどうもノリが良いようだ。俺のアドリブにもきちんと勇者として舞台を続けようとしてくれている。


 だが、俺に演技を続ける気持ちはない。


「邪魔だ!」


「なぁっ!」


「ちょっ、アイス!?」


 横で倒れ込んでいる手下の白餡も驚いた表情で顔を上げている。

 俺は勇者くまを突き飛ばす。これは「演技」ではない。「現実」だ。

 もちろん力が入っていると思わなかったくまは、不意をつかれ尻もちを落とす。

 さぁ、舞台は整った。

 観客側から見てちょうど左側にふぃー、右側に悪の大魔王こと俺。遮るものは何も無い。


 いや、悪の大魔王なんてものじゃない。俺は俺自身として、今ここでふぃーに気持ちを伝える。

 サングラスも、マントも全て投げ捨て、己をさらけ出す。


 俺はふぃーの目を見てきちんと向き合う。


「ちょっ、アイスくん!?」


「俺は……。俺は……」


 くまは突き飛ばされ、俺はふぃーを見つめる。何が起きているのか1番分からないであろうふぃーが困惑している様子が伺える。



「俺は!!ふぃーのことが!好きだ!!」



 この劇中で最も大きな声だったと思う。腹から声を出して叫んだ。

 そのまま、頭を下げてお願いする。


「俺と!付き合ってください!」


 手をふぃーの方へ向かって差し出した。

 会場が静寂に包まれる。沈黙が長い。吐きそうだ。

 返事は……。返事はどうなんだろうか……。


「アイスくん。顔を上げて。私はずっとその言葉を待っていたんです」


 ふぃーからの声がかかる。

 ずっと待ってたって……。それはまさか!

 淡い期待を胸に抱いたまま俺は顔を上げる。


「本当に。ずっと待っていたんですよぉ」


「え……」


 顔を上げた瞬間視界に入ってきたふぃーの顔は、俺が下を向いていた時に予想していた顔とは180°異なっていた。

 笑顔……ではない。まるで人を小馬鹿にする時のような顔。口角は上がり、狐面のような奇妙さのある笑顔をこちらに向けていた。


「あの、返事は……」


「返事?そんなの断るに決まってるでしょう?」


「え……」


 俺はふぃーに脛を蹴られ、ぺたんと床に座り込んでしまう。

 フラれた。いや、当然フラれる可能性だってあったんだ。このショックは、フラれる可能性を予期していなかったから受けているショックなのか……?


「アイスが私のことを好きなのは初めて会った時から分かったわ。本当に好意がバレバレ。一つも隠す気がないんだもの」


「や、」


 いや、俺が受けているショックはそんなものじゃない。


「でもね。嬉しかった。だって久しぶりに私の欲求が満たせそうだったんだもの。だから、私はアイスに出来る限り優しくすることにした。勉強を教えてもらい、看病をし、メンタルケアをしたり……ありとあらゆることをね」


「や、やめ」


 ダメだ。この先のふぃーの言葉なんて聞きたくない!


「私はね──」


「やめ」


「私に惚れた男を振った時に見せる顔が、たまらなく大好きなんだぁ!!」


「いや……うそ、でしょ」


 俺は……弄ばれていたのだ。ふぃーに。川合フィオに。


「ねぇ。もっと見せてよその顔を!涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってる、私に振られてドン底に突き落とされた顔をさぁ!あははは!!」


「あ……あっ……」


 言葉が出ない。たまらなく苦しい。胸が張り裂けそうだ。


「そうじゃん!まだクラス劇の途中だったね!ちゃんと終わらせないと!くまくん立って立って〜!」


「だ、だめ……」


「言ったよね?私お芝居するの好きなんだって」


 俺が静止するも虚しく、2人は……いや、川合フィオが無理やり劇のラストシーンに取り掛かる。


「さぁ、目に焼き付けなよ!アイス!」


 川合フィオとくまの唇が合わさった。3秒、5秒、10秒。とても長い時間だった。

 俺の心は絶望から閉ざされ、視界も闇に染まった。

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