3章 前夜祭は終わってる
ついに迎えた前夜祭当日である。
俺はこの日のために全力を注いできた。いわば、俺の文化祭の集大成はここにある。
周りを見渡しても、クラスの話題は前夜祭に関する話題で持ちきりだ。「前夜祭楽しみだね〜」と言ってくれるその言葉だけで、今日まで本当に仕事を頑張ってきてよかったと思う。
「で、俺は徹夜ですと」
昨日あんないい感じに早く仕事を終わらせることも出来て、順風満帆に家に帰ったが、リハーサルでやはり問題が生じたらしい。
というのも、軽音部とダンス部の幕間の時間が短すぎるというらしいのだ。
軽音部は何故かステージ上を黒い布で覆い尽くして、その上に楽器を置き演奏するのだが、その黒い布が引かれた状態だと、ダンス部は踊ることが出来ないらしい。
よって、その布の撤去が幕間に必要となるのだが、短く見積っても6分、長く見積って10分の時間が必要なんだそうだ。
2分しか間の時間を用意してなかった俺も悪いっちゃ悪いが、いきなり6分と言われてもしんどい。
それにもう直前ということもあり、MCに台本変更などの連絡をしていたらいつの間にか日が昇っていたというような感じだ。
「では、俺は体育館設営の方に行ってきます」
「行ってらっしゃーい」
クラス長からの退出許可も得て、体育館を前夜祭仕様に仕上げるための最後の一仕事を行う。
簡単に言えば遮光カーテンの設置と、椅子の設置だ。椅子の設置はまぁ名前の通りだが、前夜祭は真っ暗な状態で行うため、全ての窓に設置されているカーテンを遮光カーテンにする必要がある。
1000個強の椅子を並べる仕事は他の委員に任せ、俺は遮光カーテンの設置を急ぐ。
「あ、オープニングムービーだ」
ステージ上では上からモニターが降りてきており、映像が映し出されている。これは、GW中に撮ったオープニングムービーだ。開演前の最終確認と言った所だろうか。
今回のオープニングムービーは、有名なソーシャルゲーム、アイドルハンターのオマージュとなっているらしい。
俺はそのゲームをプレイしたことがないのでよく分からないのだが、映画部の部長曰く、かなりの最高傑作に仕上がっているそうだ。
前夜祭MCの2人が今年は女子であるということもあって、この2人がアイドルMCになるまでのストーリーを描いているそうだ。
そして、最後のガチャ演出──ここが映画部部長のこだわりポイントらしい──から排出されたMCが現実世界でも舞台上に上がるという仕組みだ。ゲームを知らない俺でも分かる面白いムービーに仕上がっている。
「さて、カーテンの設置も終わったし。のんびり入場を待ちますか」
「井上くんお疲れ様。今日は一緒にここにいようか」
俺に声をかけてきたのは、副委員長だ。同じ委員長に苦労をかけられているもの同士、共鳴することも多い。
今俺ら2人がいるのは体育館後方のギャラリー上、2階だ。ここから今日はタイムキーパーもしつつ、全体の様子を眺めていることにしたい。
「3年A組の皆さんは、体育館へ集合してください」
全校放送にて体育館への入場が呼びかけられる。さぁ、前夜祭の始まりだ。
体育館の座席は前方から順に3年、2年、1年となっているため3年生から順に入場される。
「お、続々人が入ってきた。楽しみだね」
「副委員長!井上さん!すみませんダンス部の部長から呼び出しです」
「ま、こう暇してられる時間が続くわけないか。ここは俺が行くよ。副委員長は休んでて」
前夜祭が始まったかと思えば、早速トラブルが起きたのだろう。後輩から呼び出しである。
しかしらダンス部の部長ということは、ふぃーか。一体どういう呼び出しだろう。
────────────────────────
「なるほど、早着替えをやる上でのステージ袖で着替える場所の確保か……」
「そう。ごめんね?ステージ袖で着替えることが出来ると思ってたんだけど、意外とここは人の通りが激しくて……」
ダンス部の演目は4曲のダンスを披露するそうなのだが、1曲ごとに衣装チェンジがあるらしい。
その衣装を変更するのに早着替えが必要となるのだが、そのための場所が欲しいとの相談だ。
確かにステージ袖で着替えることは可能だが、その場合はステージ袖を往来する人間を完全にストップしなければならなくなる。
この場合、2階にあるスポットライト役と下の照明や司会補佐との連携が取りにくくなってしまうが、どうしたものか。
「最悪の場合、私は別に見られても構わないし、ここで着替えてもいいんだけど。他の子達がちょっと可哀想で」
「おっけー。じゃあダンス部の演目中はステージ袖の往来を禁止にしよう。女子の後輩に入口の所で見張っておくようにしておくから、それで大丈夫かな?」
「え、いいの!?ありがとうだけど。ここの交通遮断してだいじょうぶ?」
最もな指摘だが、なんとかしよう。だって何とかしなければならないのだから。
「大丈夫だ。何とかする、とりあえず女子の後輩にそのように伝えよう」
俺は都合よく近くにいた2人の委員会の後輩に先程の旨を伝えて、見張り役となるように指示をする。
これでひとまず安全だろうか。
「井上くん。前夜祭始めてください」
「分かった。今行く」
どうやら生徒も全員集まったようだ。俺は体育館前方にある司会台の前に立ち、軽く挨拶を行う。
開会のことばは委員長の仕事のはずだろう?当然委員長の姿は見えない。ということは俺がやるしかないのだ。
「皆様方、今日は前夜祭にお集まりいただき、本当にありがとうございます。ぜひ楽しんでいただければ幸いです。では、最初にこちらの映像をご覧下さい」
こうしてオープニングムービーへと繋げる。ステージ上では先程も見たオープニングムービーの映像が問題なく流れている。大丈夫そうだ。
ここから先の進行はMCがやってくれるので、俺がやる必要はない。後は見守るだけだが……。
「井上くん、委員長が呼んでる」
「うわ、副委員長下まで降りてきてたのか。ほんで委員長……?マジかぁ」
副委員長もずっと暇してるわけには行かなかったらしく、俺が委員長に呼び出されてることを伝えに来た。
委員長からの呼び出し、もう既にロクでもない予感がしている。何事もなければ良いのだけれど……。
────────────────────────
「はぁ!???突発企画!??」
委員長から持ちかけられた話がロクでも無さすぎて、体育館の外ではあるが思わず大きな声を出してしまう。
体育館の中に迷惑がかかっていなければいいのだけれど。
「うん。昔のテレビ番組でよくやってた、未成年の主張ってやつ。あれやったら面白くなるかなと思って。もう既に後輩から2名出演者を募ってあるから、予定に組み込んでおいて欲しい」
「予定に組み込んでおいてってだって……。この前夜祭のスケジュールがそもそもかつかつなのは委員長だって知ってることでしょう?そしてもう募ってあるって……。だからなんでそう勝手に……。はぁ、分かりました」
なんでこの人はこう勝手に物事を先へ先へと進めてしまうのだろうか。後輩を2人もう募ってしまっているのであれば、今更やっぱなしというのは言いづらい。
まさかこういった断りにくい人間心理を利用するために先回りした行動をしているのではないかと最近は思えてきたほどだ。
「お、助かる〜。やっぱり出来ると思ってたよ。じゃあ頑張って」
「あ、おい!」
そう言い残すと、委員長は体育館の中へと姿を消してしまった。
やっぱり出来ると思っていたというか、今までの無理難題も全て俺がやらなければいけない状態にあったから、仕方なくやっただけであって、俺の本望ではない。一体何を勘違いしているというのか。
突発企画、未成年の主張か……。今1番時間が空いていて都合がいいのは軽音部とダンス部の準備時間の間だろう。その6分の空き時間にギャラリーから……。いや待てよ?
「そもそも、この空き時間のダンス部の着替えはどうするんだ……?」
肝心なことを忘れていた。ダンス部の演目中ステージ袖を通行止めにするのはいいが、この軽音部とダンス部の間に行われるダンス部の着替えはどこで行う?
もちろんこれもステージ袖を通行止めにして、そこで行わせてもいいが、その場合軽音部の楽器はどこへ片付けるのが正解だ?
「方法は……、一つだけあるがこれは重労働だな」
作戦はこうだ。
体育館のステージ側の構造は、広いスペースがある左側のステージ袖と、ギャラリーへ登る階段、ならびに放送室しかない右側の通路がある。
この6分の空き時間の間、ギャラリー袖側の方でダンス部を着替えさせ、通路側の方へ軽音の楽器、そして床に敷いてあるシーツを片付ける。
ここで問題点がひとつ生じる。それが、通路側に楽器を置いて通路を塞いでは行けないという点だ。それを防ぐために、楽器は全て階段をのぼりギャラリーを通って体育館の入口まで持っていくものとする。
その間反対側のギャラリーで未成年の主張を行う。
これで完璧だ。完璧なのだが……。
「知ってる限りの軽音部に協力を仰ごう。楽器を運ぶために多量の人数が必要だ。」
体育館の様子を確認する。現在の演目は不良バンドだ。予想の通りあまり盛りあがっていない。
それもそのはずだ。軽音部からしたらあのバンドは忌み嫌われているだろうし、学校にあまり来ない以上仲のいい人間も少ないはずだ。
観客はサイリウムを振っている人間がちょこちょこといる程度で、今なら軽音部を招集しても演目の妨げにはならない。
「ごめん、前夜祭中だけどちょっといい?」
「お、いいよー。こいつらの演奏聞きたくなかったしね。どうした?」
俺が声をかけたのは名誉ある軽音部の部長。そして、我が3年F組のクラス長でもある、潮凪れいさんだ。
基本少ない知り合いの中に、軽音部の長がいるのはとても好都合だ。この絶好の機会を逃さない手はない。
「ごめん、ちょっと体育館の外来てもらってもいい?」
れいさんを連れ出し、俺が抱えている問題を事細かに説明する。
れいさんは頷きながら、快く肯定の返事を出してくれた。
「了解。そういうことなら、軽音部の1年と2年に声をかけてみよう。楽器撤収要因ってことだもんね。私が声をかければ彼らは言うことを聞くと思うよ」
「本当!?助かる!ありがとう」
「いいのいいの、アイスには悪の大魔王役、楽しみにさせてもらってるからね」
「うぐっ、今それを思い出すのはメンタルに来る」
前夜祭の段取りでかなり忙しく忘れていたが、クラス劇のこともあるのだった。
明日速攻で台本を頭に詰め込まないとな。詰め込み教育だ。
「じゃあ私は後輩に声掛けてくる。わかさぎが終わるくらいにステージ袖の反対側に集めればいいんだよね」
「そんな感じで、よろしくお願いします」
よし、これで危機は脱したか。俺も知ってる限りの──2年生だけだけれど、軽音部の後輩に声をかけてれいさんを手伝おう。
現在の演目は不良バンドピーチコアと普通のバンドわかさぎの入れ替え時間だ。ここまで順調に祭りは進んでいる。
しかし、一難去ってまた一難。トラブルは仕切りにやってくる。
「すみません。生活指導の先生が前夜祭担当の生徒を呼べって」
「生活指導!?この忙しい時に先生がなんだってんだ……」
続いて後輩から告げられた呼び出しはまさかの生活指導の先生である。
この文化祭は基本生徒の自主性を重んじるというモットーの元、準備や本祭に極力先生は関与をしない。学内の施設を使う際に許可を取るために存在しているようなものだ。
そんな生活指導の先生が呼び出すとは一体。
「あぁ、君かね。前夜祭担当の生徒は」
「はい。第1会場委員会、前夜祭担当の井上と申します」
本当に生活指導の先生が立っていた。
俺は正直この先生が苦手だ。かなり歳をとった国語の大野先生という名前の先生で、昭和的な考え方が多い。あまり論理的ではなく、感情論で話すことが多く、集会では生徒や周りの先生でさえも辟易とさせることが多い。
「おいお前、この前夜祭は一体どうなってるんだ?」
「どう……と申しますと?」
先生の元へ行き、軽く挨拶をすると、いきなり説教口調で疑問を投げかけられる。疑問の中身は意味不明であるが。
「事前に提出されたスケジュールと時間管理が全然違うじゃないかと聞いているんだ」
「え!?そんなはずは……。スケジュールはこちらの通りで提出したはずですが」
今の所は最終スケジュール通り順調に進んでいるはずだ。
1分たりとも遅れはない。なんなら、不良バンドが観客から全くアンコールされずに5分巻けている。かなり順調だ。
「そんなことはない。私にはこのようにスケジュールが伝えられているはずだ」
「これは……」
先生から見せられたスケジュールの紙は紛れもない初期案だ。軽音部の演奏も不良バンドが無理を言って出演する前、要するに演目の時間は15分というように書かれている。
それを現実では50分も軽音の演奏をやっているのだ。確かにおかしいと感じるのも無理は無い。
「すみません。伝達が滞っていたようです。スケジュールは最新版としてこのような感じになっていまして……」
俺はポケットの中に入っていた自分用のスケジュールを先生に見せる。
そもそも初期案しか伝わっていないというのは一体どういうことなのだ。
情報の錯綜を防ぐために、委員会の生徒と先生とのやり取りは委員長と先生のやり取りだけ行うようにとされているのが通例である。
ということは……。委員長が先生へスケジュールの伝達をサボっていたとしか考えようがない。何回も何回もリテイクする度に、先生への報告もよろしくお願いします。と伝えていたはずなのに。
それに、委員長からも先生からの許可は得ることが出来たと伝えられていたはずなのに!!
「ダメだ。今すぐ中止させろ」
「へ?」
スケジュールを一読した先生から出された言葉はこの一言だった。
時が止まる。俺の脳はこの人の言葉を処理することをどうやら拒否したらしい。
「前夜祭は中止だと言っている。こんなふざけたスケジュールで認められるわけが無いだろう?そもそも前夜祭の時刻は15:00までと規定されていたはずだ。15分もオーバーしているとは何事だ」
委員長が許可を取っていなかったというのであればこの反応になるのは無理もない。
唐突な「中止」という言葉に俺は硬直する。
しかし、そんな簡単に引き下がれるほど俺はこの前夜祭を適当に企画していない!
「スケジュールの伝達ミスに関しては猛省しております。本当に申し訳ありませんでした。しかし、私たちはこの前夜祭の運営に何ヶ月もの時間と、労力と、そして情熱を注いできました。その熱意だけは本物であると自負しております。どうか、中止だけは取りやめて頂けないでしょうか。」
俺は深々と頭を下げる。この前夜祭に俺は心血、そして命までを掛けていると言っても過言ではなかった。それほど必死にこれを運営してきたのだ。それを先生にもわかって欲しかったのだ。
しかし、先生からの返事は言葉ではなく行動だった。
「うぐっ、がはっ!!!」
深々と下げたはずの俺の頭は、下から首を掴まれ、強制的に正面を向かされる。
そして、その勢いのまま、俺の体は体育館の扉へと打ち付けになった。
体育館の扉は大きな振動音を立て、衝撃を体に伝える。背中は衝撃の反作用によって強烈な痛みを認識し、思わず声にもならない音が俺の口からは漏れる。
体は足が地面に付いておらず、宙に浮いた状態で、掴まれている首の部分が自重でどんどんと締め上げられていき、呼吸も苦しくなる。
俺の首を掴んでいる生活指導の先生を見ると、鬼の形相でこちらを睨んでいた。
「そんな生易しい感情論が社会に出たら通じると思ってんのか!!!舐めてんじゃねぇぞ!!!」
「ぐふっ!!」
先程までの軽音ライブの音よりも大きく思える音量の声で生活指導の先生は怒鳴り散らす。
その勢いで俺の首を絞める強さは強くなり、本当に苦しい。
もうこんなものは立派な体罰である。体罰そのものでしかない。
「高校生だからまだ分からないのかもしれないが、社会に出たら1つのミスが致命的になることだって有り得るんだ。それをしておいて、申し訳ありませんで済むような甘い世界じゃないんだよ。分かるか?」
「やめっ……いきが……」
「ちっ!」
「はぁ……。はぁ……」
流石にこのままだと俺が死んでしまうと思ったのだろうか、呼吸を訴えかけると、先生は俺の首から手を離す。
先生からの攻撃の手は緩んだが、ここで気を緩めてはならない。
前夜祭は…………、前夜祭は絶対に成功させたいんだ!!
「お願いします!!!前夜祭は続けさせてください!!」
「だから何度も……」
「お願いします!!お願いします!!」
間髪入れずに俺は前夜祭の存続を懇願する。
もはや俺がここまで前夜祭に執着をするのはただのサンクコスト効果なだけなのかもしれない。
それでも、前夜祭を喜んでくれている人、楽しみにしてくれている人、そのみんなが見せてくれた笑顔を俺は偽りの物へとしたくない。そんな気持ちが真っ先にあった。
「うぐっ、お願いします!!ぐっ!」
最終手段、土下座だ。
先生の目の前で土下座をして必死に懇願する。泣きじゃくっているし、鼻水も止まらない。声にすらならず、俺の言葉はただの「音」にしかなっていないだろうが、それでも必死に訴えかける。
「…………。まぁいい。そこまで言うのなら今回は大目に見よう」
「本当ですか!!」
相手が俺の諦めの悪さにどうやら呆れてしまったようだ。
俺はこのチャンスを絶対に逃さない。言質をとり、しっかりと確認を入れる。
「ただし、条件がある」
「はい。なんでも聞きます。私に出来ることならなんでも!!」
「換気を行え。各演目の間に必ず1回だ」
条件なんてなんだってしてやると意気込んで、何も考えず受け入れてしまったが、要求された条件は換気だった。
難しくもないが、かなり面倒な内容にあることには違いない。
「換気……ですか?」
「そうだ。この密集した空間で2時間もこの人数の生徒を貯めておくのは、感染症のリスクもあるし、体調を崩す人も多いだろう。各演目の間に必ず体育館の全ての窓を開け、1分以上換気するんだ。分かったな?私は後方から監視している。条件が守れていなかった場合、即座に前夜祭を中止するからな」
これは……。換気をするという行為はおそらく本質ではないのだろう。
この先生の狙いは無茶なこと、現実的に不可能なことを言って、自らの意思で諦めさせようとしているのだ。責任の転嫁というやつである。
しかし、俺にyes以外の選択肢は残されていなかった。それに、無理難題なら前夜祭の準備でいくらでも経験している。
「分かりました。やって見せましょうそのくらい。余裕です」
───────────────────────
「副委員長、委員を全員招集できるか?」
「また何か大変そうだね。了解、LINEで招集するよ」
副委員長には同情されたような顔をされている。まぁお互い様ではあるが。
換気をする──もちろん普段の体育館であれば簡単であるが、今現在特別仕様の体育館ではそうはいかない。全ての窓に遮光カーテンと防音マットが付けられているからだ。
遮光カーテンは別に開く必要もないので問題ないのだが、曲者は防音マットだ。
窓の表面に粘着性のあるものでべったりと貼られており、こいつを剥がさないとマットが引っかかって上手く窓を開けることが出来ない。
そのため、換気をするには、
1、防音マットを外す。
2、窓を開ける。
3、窓を閉める。
4、防音マットを再び取りつける。
の4STEPが必要になるのだ。これを2分間で行うためには、現実的に各窓1個に対して人員を1人配置する他ない。
2階の窓は全部で20個ある。委員は24人いて、うち2人はステージ袖の入口監視役としてすでにはいびしてしまっている。委員長は姿をくらまして使い物にならないし、俺を除いた20人で2階の窓に配置していくしかない。
「井上くん。呼んできたよ」
「ありがとう、副委員長。それじゃあ作戦を説明していくね」
副委員長が集めてきたメンバーの中に、やっぱりと言ってよいものか、委員長の姿は無かった。
そして、俺は今頭の中で組み立てた作戦を全員に共有する。
「要項は分かった。だけど、それ致命的な欠点がない?」
「どういうこと?」
「だって、2階はそれで間に合うかもしれないけれど、1階は?4つ大きな窓があるけれど、これも開けなきゃいけないよね」
副委員長がごもっともな指摘をする。しかし、それは当然これしかない。
「1階の窓は全部俺が担当する。2分の間に4つの窓を全て回って換気する。それしかない」
「そんな無茶だよ!あと3人いれば1人1窓きちんと配置出来たのに……。委員長、それに更衣室問題が……」
「今更たらればを言っていても仕方ない。幸い、1階の窓は大きいから、防音マットを外さなくても開けることが出来る。大きいから重くて開けるのが大変ではあるけれど、絶対に4つ全部回ってみせるから。安心して。前夜祭は絶対に成功させる」
「そう……。分かった。じゃあみんな位置に着こう」
「はい!!」
わかさぎのバンド演奏が終わる──最初の換気タイムまで時間が無い。急がなければ。
走って階段をかけおり、体育館左前方の窓の前へ立つ。
「以上、わかさぎの演奏でした!!みなさんありがとうございました!!」
舞台に上がった演者が挨拶を終え、会場が拍手の波に包まれた。今だ!
巨大な窓を開け、俺はすぐさま左後方の窓へと全力疾走を開始する。意外とこの窓重くて開けるのが大変だった。力としては全体重を窓を開く向きにかける必要がありそうだ。
「はぁ……はぁ……」
4つの窓の解放を終え、息が切れる。ここまでのタイムは30秒、上出来だ。
しかし、今回の休憩時間は軽音部とダンス部の間の休憩時間であるため、6分と長い。これから先の幕間は2分と短くなるのが難点だ。
そして、完全に忘れていたが反対側に見えるギャラリーでは、未成年の主張と称して、後輩が何かを叫んでいる。委員長はおそらくこれの準備をしていたのだろうか。自分で突発企画を用意して、その影に隠れて姿をくらますというのは本当に害悪だと思う。
しかし、何を言ってるか正直よく聞こえない。咄嗟のことでマイクを準備できなかったのだろうか。まぁ必死に何かを叫んでいるという絵面だけで面白く、観客にもウケているから良いだろうか。
「さて、軽音部を手伝いに行こう」
今現在俺がいるのは体育館右側前方の窓の前、要するにステージ袖とは反対側の方──軽音部が楽器を運んでいる側だ。
近くにある扉からステージの内部に入り、軽音部に混じってステージに敷かれているマットの回収に取りかかる。楽器は扱いが分からないので触らないようにしておこう。
「やべっ、窓閉めないと」
軽音部の手伝いに熱心になっていると、窓の閉め忘れが起こってしまう。程々にして切りあげ、窓を開ける時に辿った道のりとは逆に窓を回っていき、それぞれを閉めていく。
完璧だ。
大野先生から繰り出された無理難題をどうにか達成する。体育館後方で腕を組み立っている先生を見るが、上から目線でまだ体育館全体を見渡している。1つでも不備があれば即中止にする判断を下すつもりなのだろう。
「ダンス部だ。ようやくふぃーのダンスが生で、ちゃんと見れる」
ダンス部の演目が始まった。
踊っている曲は俺が疎いジャンルのため分からないが、それでも踊りの素晴らしさは分かる。
大胆に動くところは大胆に動きつつも、手の指先の動きまで繊細なところまでをきちんと使って曲全体のイメージを表現している。体全体を使ってミクロとマクロな映像体験を訴えかける技術は俺も思わず見入ってしまうほどだ。
「うお、ロボットダンスっぽいのもある。すげぇー」
どうやらこのダンス部の踊るダンスにはセンターという存在がないのかもしれない。複雑な陣形変化が絶え間なく行われ、真ん中にいる人物が目まぐるしく変わる。部員誰しもがセンターになれるポテンシャルを持っているからこそできる踊りの内容なのだろう。本当に素晴らしいと思う。
曲と曲の間も凄い。早着替えと言っていたのでどのような感じかと思っていたが、半分がステージで踊っている間に後ろにいた者が捌けて、視線が今踊っている人間に向いている間の時間で着替えているようだ。ステージにずっと注目していると、「あれ?いつの間に服着替えた?」というような感想を抱く。とても面白い。
「え?今のファンサじゃない?やば!」
ずっとダンスに見とれていると、ふと一瞬だったが踊っているふぃーがこちらを向いてウィンクをしてくれた。アイドルで言うならばファンサというやつだろう。
正直もうヘトヘトではあるけれど、俄然やる気が出てきた。よし、あともう少しだ。頑張っていこう。
───────────────────────
あっという間にダンス部の題目が終わり、ダンス部が一礼をしてステージを去る。それと同時に俺もまた体育館内を駆け回る。
どうやら慣れてきたようで25秒もあれば4つ全ての窓を開けることが出来るようだ。2分しかない空き時間でも余裕で間に合うことが出来そうだ。
「あ、おい委員長」
今の演目はお笑い企画だ。後輩がコンビを組んで漫才をしている。内容は日常をテーマにしたもので割と面白い。
しかし、俺の目の前を委員長が通り過ぎた。これには呼び止めずに居られない。
「委員長、大野先生に最新版のスケジュールを提出してなかったってのはどういうことだ?」
聞いたところで何をすることもない。別にそれを責めることも俺はしないだろう。ただ、単純に聞きたかったのだ。俺はこいつのクズさを確認して、そしてこいつとの縁は前夜祭と同時にピッタリ切ろうと考えた。
「どういうことって……。通るわけないじゃん。あんなスケジュール。終了予定時刻から10分以上もオーバーしてるんだよ?どうせ許可が取れないんだから当日まで隠し通しといた方が前夜祭担当としても楽でしょ?ほら、あんだけリテイクをウザがってたんだからさ」
「なるほどね。それが委員長の考えか。分かったよ。ありがとう。これですっきりするよ。じゃあね」
「そうか、それなら良かった」
委員長は笑みを浮かべ、俺の目の前から去っていった。
とても良かった。委員長が最後まで性格の終わっているクズで居てくれて。
おかげで俺はすっきりとした気持ちで彼と縁を切ることが出来そうだ。
「後は自分の仕事を全うするのみ!やるぞ!」
ここまで晴れ晴れとした気持ちになってしまえば、あとはこっちのものだ。最後の気力を振り絞って俺は俺に任された仕事を全うする。
そして、換気と題目の繰り返しが2回ほど続き──。
「応援演舞が終わった……。これで、終わったのか」
俺は応援演舞という最後の題目が終わったことに安堵すると同時に、気を緩めず、きちんと換気を行う。
ここまで来たら別にもう強制終了でもいいのだけれど、それで後夜祭にまで影響が出てしまうのだけは避けたい。これは俺なりの配慮にもなる。
「前夜祭、みなさん、楽しんで頂けたでしょうか。それでは最後に閉会の言葉を井上さんよろしくお願いします」
MCが締めの挨拶に入る。あぁ、本当に最後までやり遂げることが出来たんだ。
俺はマイクをMCから受け取ってステージの前まで行き、閉会の言葉を述べる。
「今日は前夜祭を大いに楽しんでくださり、本当にありがとうございました。みんなが楽しんでくれて、私は本当に安心しています!本祭も楽しんでいきましょう!」
閉式の言葉を述べ、拍手の波にあてられながら、MCの元へと戻る、マイクを渡してMCが教室へと戻るように誘導する。
「それでは1年A組の方から教室へ戻ってください」
「終わったぁぁぁ!!」
これは俺の心からの叫びだった。辛かったこともあったけれど、自分の主催するイベントが大成功に終わったことで生じるリラックスだった。
「あれ………?」
しかし、それが良くなかった。前夜祭中に分泌されていたアドレナリンはこの叫びとともに一気に姿を消し、副交感神経が刺激される。
それを自覚する頃には俺の視界は既に真っ暗となっていた。意識が失われていくのを感じ、足も重力に逆らって体を立たせているのに十分な力を発揮できなくなる。
バタン!!
俺は何も近くできないまま、目の前の床に勢いよく顔面から倒れる。
「アイスくん!!!」
最後に感覚器官が知覚したのは、ふぃーの俺を呼ぶ声であった。
────────────────────────
「知らない天井だ」
俺が目を覚ましたのは保健室のベッドの上であった。保健室で休んだことはこの高校生活で1度もなかったので、本当に知らない天井である。
「あ、目が覚めた?おはよう」
「ふ、ふぃー!?」
「ほら、まだ安静にしてなさい」
ベッドの横にはふぃーが座っていてくれて驚いた。驚きのあまり起き上がってしまいそうになるが、胸元を手で抑えられ、寝たきりの状態を余儀なくされてしまう。
ふぃーは必死にタオルを冷水で冷やして冷やしタオルを量産している。
ふと、自分の体を見てみると、体のあちこちに保冷剤や冷やしタオルが敷きつめられていた。
「過労と、軽めの脱水症状だってさ。前夜祭中あんなに駆け回ってたのに、水分1滴も取らなかったでしょ?」
「あぁ、確かにそうかもしれない。原因はそれか」
自分が倒れたのはどうやら自分の健康の管理不足にあったらしい。恥ずかしい限りだ。
「荷物はそこに置いてある。白餡ちゃん達が荷造りしてくれてたよ。今日はもう大丈夫だから、早めに帰りなってクラス長さんも言ってた。みんな凄く楽しんでたよ。前夜祭、ありがとうって」
「良かったぁ。大成功だね」
その言葉が聞けただけでも感無量だ。
「それで、なんでふぃーはここに?ダンス部の後片付けとかは?」
「そんなの後回しでいいよ。アイスくんが倒れてるのに放っておけないって。保健室の先生は今いないし。それに……」
「それに?」
「アイスくんが無理しちゃったのって私のせいもあるよね?ごめん」
「いやいや!そんなことないよ!」
何を言い出すのかと思ったら。ふぃーのせいで俺が倒れただなんてそんなことあるわけが無い。
「ダンス部の更衣室の事も当日に無茶なお願いしちゃったし。それで迷惑かけたのかな…って」
「ううん。ふぃーは悪くないよ。だから気負わないで。」
「そう?なら良かった」
「それに、ダンス部。凄く良かったよ」
俺はようやくふぃーに伝えたかったことを言うことが出来た。
「やったぁ。嬉しい。私のファンサ気づいてたでしょ」
「もちろんだよ。すっごい可愛かった。本祭も見に行くからね」
「うん。待ってる。じゃあほら、もう疲れてるんだから寝ちゃいなね」
「ありがとう。そうするよ」
ふぃーの声が聞けてとても安心した。本当に前夜祭を頑張って運営してよかったと心から思えたんだ。
ここから先は文化祭を楽しむ側に回って全力で楽しまないとなって、俺はそう心に決めた。
だから、言うことにした。
「ふぃー、文化祭一緒に回らない?」
文化祭をふぃーと一緒に回る。一世一代のお願いだ。
「うん!いいよー」
「本当に!?やった!」
ふぃーは俺のお願いを快く承諾してくれた。自分の存在を受け入れてくれた──それだけでも本当に嬉しく思う。
そんな高揚感と共に、疲労を回復せねばと思った俺はまた眠りにつくことにした。
コメント、レビュー、評価、等して頂けると励みになります。よろしくお願いいたします。