13章 東大オープンは終わってる
「うーん。心配だね」
綾鷹が1人バスで逃げるように帰ってしまったあと、俺たち5人は部屋の中で会議を開いていた。
当然議題は綾鷹に何が起こったのか。これからどうするべきか。である。
「私はその場に居ないから分からないんだけど、原因はなんなの?アイスによるセクハラ?」
「それだけは断固否定しておこう。とは言っても、原因が俺にも分からないから今こうして謎になってるんだけど」
「なるほど、可能性はあり、と」
まっちゃはいつものように俺にあらぬ疑いをかけてくるが、真相は掴めない。
「そう言えば、あいつが取り乱したのは綾音が射的を始めてからだったよな」
「うん、そうだね。もしかして綾鷹ちゃんも射的やりたかったとか?」
「いや、だとしたら普通にそう主張すればいいだけだろう。綾鷹は自分の意思決定が出来ないほど虚弱な人間ではない」
「だとしたら……僕が思うに聴覚過敏とか?」
「ん、なんだそれ?」
けいちゃんがようやくまともそうな原因を解明したので、それを追求してみることにしる。
「聴覚過敏──人より周囲の環境音が煩く聞こえてしまう一種の病だね。人によっては至近距離にずっとジェット機があるかのようなレベルで騒音に悩まされる人間もいるそうだ」
「綾鷹がその聴覚過敏だってのか?俺は初耳なんだけど」
「僕も聞いたことは無いけれど、射的が始まった際の銃声に反応したというアイスくんの証言から考察できるのはこの位しか有り得ないと思うんだよね」
「確かにあの子っていつもイヤホンしてたかも?たまに私が廊下で声掛けた時も気づかない時あるし」
「え、そうなの?」
まっちゃが綾鷹に関する新情報を出してきた。
綾鷹とは基本化学部の活動でしか会っておらず、その活動は基本的に部にいる誰かと会話をするものなので、イヤホンを外しているということだろうか。
であれば、俺が知らないのも納得ではあるが。
「普通に休み時間とかに会ったら気づくでしょ。ほんとアイスって周りのこと見れてないよね」
「ぐうの音は出ますよ。ぐぅ」
「うっっざ」
「はいはい、2人とも落ち着いて。とりあえず綾鷹ちゃんはその病が発症してしまったみたいな感じ?」
俺とまっちゃが紛争を開始しそうになった所を綾音が仲裁に入る。
しかし、ここで間に入ってきたのはまさかのふぃーであった。
「え、絶対違うでしょ。常識的に考えて」
「なんだよふぃー。なにか根拠でもあるっていうの?」
「いや根拠も何も。たかが聴覚過敏で人は荷物ホテルに置いてまで咄嗟に飛び出して帰ったりしないでしょ」
「それを言われてしまうと返す言葉ないけど……」
そうなのだ。今回の綾鷹の行動はどう考えても普通じゃない。
普通に俺らが思いつくような結論では至れないような部分に答えがあるのかもしれないのだ。
「そうだね。フィオちゃんの言う通りだ。聴覚過敏が仮に真だったとして、僕達との会話は普通にできる程度のレベルで、日常生活にも支障は出ていないように見えた。それでも今回のようなことが起きたのは、何かもっとクリティカルな原因があると考えるべきだね」
「んーー」
5人全員で黙りこくってしまう。当然、そのクリティカルな原因というものに心当たりはない。
「とはいえ、今考えても結論は出ないね。綾鷹ちゃんの荷物は後で僕が彼女の家に届けることにするよ。後は各自思い思いに過ごすこととしようか。アイスくん、今度は露天風呂に行ってみない?星空はきっと綺麗だよ」
「あぁ。うん、行こう」
その後、俺たちはこの旅行をめいいっぱい楽しむことにした。
しかし、その心の奥底には常に綾鷹への心配が潜むこととなってしまった。
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「へー、滑稽って漢字、意味わからなすぎるな。右上にあるやつは犬なのか?」
今日は8月5日。とうとうやってきた初の冠模試の日である。
あの旅行の日以来、綾鷹とは面と向かって会うことは出来ていない。まっちゃやけいちゃんが彼女の家へ赴くこともあったらしいが、面会拒絶されているそうだ。
とはいえ、化学部のグループLINEでは何事も無かったように会話をしているし、夏祭りには予定通り来るそうだ。
結果、我々は特段心配することでもないだろうと結論づけ、今日に至ることとなる。
「何これ、吝嗇ってどういう意味やねん。薔薇の薔って草かんむり抜きで文字として成立してたんだ」
そして今、俺は冠模試に向けて、電車内で直前の詰め込みという名の現実逃避をしている最中だ。
本来であれば、英単語か何かをやるのが正解なのだろうが、単語帳はリュックの中に入れてきていない。
なぜなら英語が嫌いだからだ!やりたくないのだ!
──次は柏〜柏〜
「お、ついたか。」
そして、茨城という辺境に住む我々にとって、冠模試一番のハードル、それが移動である。
茨城にはハワイ塾といった有名予備校は1つとして存在していない。よって、冠模試を受けるには隣の県である柏まで移動してこなければならないのだ。
いや、本当は水戸などの北の方まで行けばあるらしいのだが、公共交通機関がろくに通っていない以上、水戸に行くくらいだったらこの前のように秋葉原へ行く方がよっぽど近い。
よって、県南の高校生は基本柏で冠模試を受けることとなる。
「しかし、早く着きすぎてしまったな」
冠模試の開始は15時から。しかし、時間にゆとりを持って行動することがモットーの俺は13時に着いてしまった。中に入れるまでまだ1時間はある。
「駅の近くにマルイがあるのか……。ゲーセンにでも行くか?」
到底今から模試に行く態度とは思えないだろうが、暇つぶしには最適であるゲームセンターへ向かうことにする。
しかし、その道中で思わぬ人物と遭遇し、俺の目論見は失敗した。
「あれ!イノじゃん。こんなとこで会うなんて偶然だね」
「え、穂波?なんでこんな所にいるんだ?」
「うーん。なんでと言われても、今日ここにアタシも冠模試を受けに来たからとしか言えないんだけど」
「そうなのか?でも、穂波の志望校は別の所じゃ……」
「まぁそうなんだけど、古文の先生からとりあえず受けるだけ受けてみようって言われちゃって。アタシらの学校、とりあえず成績良い生徒には冠模試受けたがらせるじゃん?」
「県トップとはいえ、実態は自称進学校みたいだな」
「ねー。とはいえ、元々優秀な生徒が集まるから、その実態でも進学実績はそこそこあるのがこの制度の信憑性に拍車をかけてるのかな」
一般的な考え方をするのであれば、私立単願第1志望の生徒に、数学や社会2科目の記述を含む東大オープン模試を受けさせるのは愚策も愚策だろう。
しかし、学校側の目論見としては、それで良い判定が出て自身がつき、あわよくば志望校を変えて受かってしまえば万々歳と言った所なのだろうか。
「あ、そうそう。31アイス食べようよ。マルイの中にあってさ」
「良いね。行こうか」
立ち話もなんだからということもあり、穂波の提案で建物内にある31アイスを食べることになる。
俺はレギュラーダブルのストロベリーチーズケーキとポッピングシャワーを注文。
ストロベリーチーズケーキは俺だけが良さを分かっている通のフレーバーであると自覚しており、この店に来てポッピングシャワーを頼まないことはアイスに対する冒涜だろうと思っているため、この組み合わせをいつも頼むことにしているが、目の前にいる幼馴染は奇行に走っていた。
「バ、バニラ……?31アイスまで来て頼むフレーバーが、バニラ……?」
「うん。バニラ美味しいよ、イノも食べる?」
「いやいやいやいや、穂波お前それはありえないだろ。こんなにユニークなフレーバーが勢ぞろいしてる中、頼む味が市販のコンビニでも売ってそうな味のバニラって」
「ふっ、分かってないな。まぁ一口食べてみなって」
俺が自論を説いていると、穂波が自分のアイスを食べていたスプーンを俺に向けて差し出してきて、俺の口の中へと押し込む。
そして、口の中に入ってきたアイスを、舌全体を使って余すことなく味わったあと、体内に取り込んだ。
「う、美味い……」
「でしょー?」
「あ、あぁ。ハーゲンダッツやレディーボーデンのような市販のアイスとは全く違う、本物の『バニラ』を感じているかのようだ。人工的ではなく自然な甘みを感じる……」
「理解してもらえたようで何よりだよ。納得して貰えなかったら、アタシのアイスを盗んだってことにして刑法235条窃盗罪で訴える所だったし」
「あっぶねー!!危機一髪で回避した!罠すぎるだろ!」
穂波は自分からアイスを差し出したのに!でもそれを立証できる証拠は無いか?確かに『私はただアイスを目の前に突き出しただけです』って言われたら終わりか?そもそも普段の印象の差でおわりだ!
「それで、最近勉強とかは順調?インスタのストーリーを見る感じ、夏休み初日からプールを満喫していたようだけど」
「うぐ、実はあんまり上手くいってなかったりする。」
俺が夏休み初日から化学部でプールに行ったことは、俺とSNSが繋がってる人間には筒抜けだ。おかげでめちゃくちゃ叩かれた。恭介には「合格は余裕かな?」って煽られたし。
「イノは数学得意なんだから、十分アドバンテージはあると思うんだけどな」
「でも、国語とか英語とかなぁ。それに理科も物理は全然だし」
「ま、アタシにゃ理系はさっぱりだ!国語だったら教えられるかもね」
「あぁ、穂波は国語得意なんだっけ。特に現文」
文系クラスのことはよく知らないが、穂波は現文の考査で常にトップ5は欠かさないそうだ。
現文の点数が安定するとか、俺からしたら都市伝説レベルではあるのだけれど。
「そだね。古文より現文派かな」
「なんかコツとかあるの?文章を読む時とか」
「んー、特にないよ。頭から一文ずつ正確に読んでいくだけ」
「そっか。やっぱ、筆者の気持ちとか、そういうの分かるのか。お前レベルだと」
「……え?そんなの関係ないでしょ現文って」
「え?」
どうやら、穂波と俺とでは現代文の問題に対する認識が違っていたらしい。
「現代文の問題って、アタシと筆者との会話じゃないよ。アタシと問題製作者との会話だから」
「は、はぁ」
「要するに、文章を読んで、内容がよく理解出来なかった人間に、『ここ、分かりづらいよね〜』って部分を懇切丁寧に説明するだけ。別に筆者の事とか介入させる必要ない」
「まぁ要するにお前はすげえってことが分かったよ」
「ほんと?うれしー!」
俺には到底理解出来なそうな領域の話が始まりそうだったので、話を区切らせることにする。
「あ、そう言えば」
「どしたん」
「綾鷹のことなんだけど」
俺はプールの話が穂波から出たことで、綾鷹の出来事を思い出し、話すことにした。
ホテルに行ったこと、そして、その途中で綾鷹が帰ってしまったことだ。
「ふむふむなるほど」
「どう思うよ?これ」
「男女混合でお泊まり会って、本当に何も無かったんだよね?」
「はぁ!?」
綾鷹についての言及をしてくれるのかと思いきや、穂波がしてきたのは、泊まりに関しての言及だった。
「いやいや、ここ大事よ。答えて、イノは女の子たちと何もしてないよね?」
「な、何もしてないに決まってるだろ!」
穂波がじっと俺の顔を見つめてくる。何か審問を受けているかのようだ。
「ホントっぽい。じゃあこの件は不問とします」
「ゆ、許された」
「ほんで、聴覚過敏か。面白いこと考えるね」
「あ、ちゃんと話は戻るんだ」
俺の潔白が証明されたことにより、議題は綾鷹の行動に対する考察へと戻る。
「確かにその、けいさん?本名が分からないけど」
「けいちゃんの本名はけいすけだね」
「あね。けいすけさんの考える通り、聴覚過敏という結論は遠くはないと思う。私が思うに、それが先天的なものではなく、後天的なものだと感じるけど」
「後天的?」
後天的ということは、綾鷹は生まれつきではなく、人生の過程で聴覚過敏を発症したということになる。
「そうだね。イノはトラウマって分かる?」
「俺のことをどれだけ語彙力のない人間だと思ってるんだ。トラウマの意味くらい分かるぞ」
「それは良かった。なら理解できると思うんだけど」
穂波がこのくらいなら分かるでしょ、といった具合で冷静に自身の考察を述べる。
「逃避行動だね。多分綾鷹ちゃんは逃避している」
「逃避?」
「うん。現実から目を背けたくてその場から逃げ出す人間の基本的な防衛機構だよ。その防衛機構を稼働させるトリガーとなるのが聴覚過敏による反応って所かな」
「ふむふむ。つまり、綾鷹は何か『音』に関するトラウマがあるということか?」
「そうだよ。綾鷹ちゃんには何か聞きたくない音がある。それはもしかして、何かの発砲音だったりしない?」
「……その通りだ」
俺が今穂波に話したのは、綾鷹が旅行中に途中で帰ってしまったことだけ。綾鷹が射的の音を聞いた詳細までは語っていないはずだ。
「なんで分かった?」
「ふふ、なんでだろうね」
「おい、はぐらかすなって」
穂波が意味深に笑うと、アイスを食べ終わったのか、自分の持っていた容器をゴミ箱に捨て、荷物を持って立ち上がる。
「さ、イノも早く食べちゃいなよ。そろそろ校舎も開くでしょ」
「ま、待てって。なんでお前はそんないろいろ知ってるんだ。穂波、お前は一体何を知ってる?」
「ん〜」
穂波が口元に指先を添え、そして妖艶に微笑む。
「なんでも知ってるよ。アタシの知らないことでさえ」
「は?」
「一つだけ、イノがその子を助けたいなら『兄』という存在に焦点を当てるべきだね」
「ど、どういう意味だ!」
「んじゃ!アタシはもう行くから、お互い試験頑張ろうね」
そうして、引き止めるまもなく彼女は俺の前から姿を消した。
なんでも知っている……不気味だ。身の毛がよ立つほど不気味である。
いや、穂波の不気味さは昔からそうだ。あいつはいつもこの世ではないどこかを見ているような雰囲気があった。それがとても怖いのだ。
まるで全てを見透かされているような……その片鱗が確かに今日は存在した。
「……」
俺は急いで残りのアイスを口に頬張り、試験会場へと足を進める。
これ以上思慮にふけるのは愚策だろう。
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「流石に緊張するな」
国語の試験前は全く緊張がしなかった。なぜなら、国語という科目は所詮準備運動。点数は分散の小さい平均点に収束するものなのだ。
しかし、今は次の教科である数学が待ち構えている。
数学は冠模試の山場と言って良い。この教科の点数によって判定や受験生内の立場が可視化されると言っても過言ではないのだ。
静寂により、誰かの呼吸音でさえも鮮明に聞こえてしまいそうなほどの教室で、問題用紙が順番に配られる。
指示通り、解答用紙6枚全てに名前を書き、あとは開始の合図を待つだけだ。
「……」
俺はいつものルーティーン通り、目をつぶり瞑想する。そして……
「始め!」
試験監督の合図と共に、教室内に冊子をめくる音が響き渡る。俺も例に漏れずその1人だ。
余白のページを何枚か開き、まずは第1問目にとりかかる。
第1問
整数からなる数列{a_n}を
a_n=37n+2023
で定める。Nを自然数としたとき、a_1,a_2,…,a_Nに現れる平方数の個数をA_Nとする。
このとき、lim(N→∞)A_N/√Nを求めよ。
「第1問から手強そうな問題だ。まずは実験からだろうか」
a_1=2023+37=2060,a_2=2023+74=2097,……。
何も見えてこない。流石オープン模試と言ったところだろうか。定期テストと違い、手がかりすら思いつかない。
「とりあえず合同式を試してみよう。平方数だからmod3か、mod4は有効打になり得るかもしれない」
37n+2023=m²とおき、mod3を試す。2023≡1、37≡1であり、mod3において、平方数は0or1だから、
n+1≡0or1
n≡2or0(mod3)
のはずだ。
mod4も試してみよう。2023≡3、37≡1だから、
n+3≡0or1
n≡1or2(mod4)
「要するに、nは3k,3k+2,のどちらかで表されるかつ、4k+1,4k+2のどちらかで表されるということか……。ダメだ。全然絞り込めていない」
合同式に頼る発想は失敗だろうか。しかし、強ち遠くもないように思えるのだ。
2023という数字、これは見覚えがある。7×17×17で表され、素因数分解が割と難しいことから、素因数分解界隈では有名だ。
しかし、この37はなんだ……?2023の約数の中に37が入っていれば話は早かったのだが、そんなに都合は良くいかないらしい。
「37を消してみるか……」
37を消す。そう、mod37だ。
2023を37で割ると……37×54+25か……。
「25!?」
思わず声が出てしまいそうになる。試験中に声を上げてSNSに晒されるような人間にはなりたくないので、声を抑えるが、興奮は冷めやらない。
要するに、37n+2023=m²は
0+25≡m²(mod37)と表されるのだ。因数分解して解くことで、m≡5 or 32 (mod37)
よって、m=37k+5、もしくは、m=37k+32とおけるのだ。
「1歩進んだ……。代入してみよう」
m=37k+5のとき、37n=(37k+5)²-2023=37²k²+10×37k-1998となる。
1998が37で割り切れたら完璧なのだが……。
「割れる……。割れるぞこれ!!」
1998=37×54。これは、n=37k²+10k-54ということだ。
であれば、m=37k+32を代入しても綺麗になることは間違いないだろう。期待を持って代入すると、
37n=(37k+32)²-2023=37²k²+64×37k-999
∴n=37k²+64k-27だ。
「…………。で、どうすればいいんだ?」
良いところまで進んでいるとは思うのだが、手が動かない。
こんな経験は初めてだ。やはり、定期テストとは違うのか…………。
「落ち着け。自分のやっていることを冷静に俯瞰しよう。目標はA_Nを求めること、もっと言えば、kで表すことだ。」
今、nの値をkで表すことが出来た。であれば、A_Nの値がkを用いて表すことが出来れば良い。
「こうなれば、計算覚悟だ。実験をする」
A_Nとは、1~Nまでの整数のうち、37k²+10k-54か、37k²+64k-27と表せるものの個数であることが分かっている。
37k²+10k-54=114,309,578……
37k²+64k-27=249,498,821……
と続く。
「計算は大変だったが……。そういうことか。」
37k²+10k-54と、37k²+64k-27の値は交互に現れる。
要するに、
114≦N<249のとき、114が該当して、A_N=1
249≦N<309のとき、114,249が該当して、A_N=2
309≦N<498のとき、114,249,309が該当して、A_N=3
こういった規則をうみだしているのだ。
であれば、抽象化して、
37k²+10k-54≦N<37k²+64k-27のとき、A_N=2k-3
37k²+64k-27≦N<37(k+1)²+10(k+1)-54のとき、A_N=2k-2。
よって、(2k-3)/√(37k²+64k-27)<A_N/√N≦(2k-3)/√(37k²+10k-54)
もしくは、(2k-2)/√(37(k+1)²+10(k+1)-54)<A_N/√N≦(2k-2)/√(37k²+64k-27)となるはずだ。
N→∞のとき、k→∞となり、今上の不等式に出てくる全ての式は2/√37という極限に収束する。
「よって、求める極限ははさみうちの原理より2/√37だ」
とりあえず1問解けたことに安堵しつつ、解答用紙に答案を書き込む。
ふと、時計を眺めると、試験開始から既に50分が経過していた。
「もう50分……?まずい。あと100分で5問はペース的に間に合わないぞ?」
俺はとりあえず残りの5題を眺め、解く問題を吟味することにする。
「第2問は確率……。しかもサイコロ??これは解けそうだ。第3問の複素数は苦手だからやめておこう。第4問は空間図形か、図形の条件が多くて大変そうだ。第5問は三角関数のグラフと接線、これは行けそうか?」
第3問と第4問は手をつけるのが難しそうな問題なので諦めることにする。
「第6問は……、これは見なかったことにしよう」
第6問は冊子左ページの一面が全て埋まっているほどの文章量、それに内容も多項式に関して新たな性質を定義した上で議論する、数オリチックな問題だった。手をつけるのは諦める。
だが、これで俺がとくべき問題は確定した。
「第2問と、第5問だ。行くぞ」
第2問
nを2以上の自然数とする。どの目も出る確率が1/6のサイコロ1つをn回投げ、出た目の数を順にX1,X2,…,Xnとする。また、1≦k≦nを満たす整数kに対して、X1からXkまでの積をTkとする。
(1)Tn=4となる確率を求めよ。
(2)T1,T2,…,Tnの中に4に等しいものがある確率を求めよ。
「試行回数はn回だが、所詮はサイコロの問題だ。ちょろいはず……」
(1)に手をつける。n回のサイコロの目の積が4になれば良いということだから、場合分けは、
(i)n回目までに4が1回と他全部1
(ii)n回目までに2が2回と他全部1
の2パターンしかない。
これはただの反復思考の確率であるから、
(i)nC1×(1/6)^n=n/6^n
(ii)nC2×(1/6)^n=n(n-1)/(2×6^n)
これらは排反なので、和を取ればいいから、求める確率はn(n+1)/(2×6^n)だ。
「(1)は余裕か。この調子なら(2)も……」
Tnまでの中に4に等しいものがある確率、Tは積だから、数が増える度に増加していく。要するに、Tk≧5となった瞬間、それより大きい部分では4にならないということだ。
まず、前提として、n回目までに4が1回以上出ているか、2が2回以上でている必要がある。
「こいつらは余事象を使えば……、待って。こいつら排反じゃなくないか?」
4が1回以上出ていることと、2が2回以上出ていること。どう考えても排反じゃない。しかも共通部分が多すぎる。足してから共通部分を除外しようにも、どう考えるべきか……。
「……分からない」
今俺は排反な事象を作りたいわけだ。そして、Tnは増加する関数と見れて……。
「……確率漸化式、か?いや、漸化式というまでもない。推移図を書けば十分だ」
俺はひとつの考えを思いつく。そうだ、「存在する」確率を求めればいいのだ。存在さえしていれば良い。
例えば、Tk=4となるkが存在するとすれば、その時T(k-1)=1,2,4のいずれかであるはずだ。
T(k-1)=4ならば、T=4となるkは存在しているわけだから、これは考えなくて良くて、
T(k-1)=1or2の時に、Tk=4となる確率。これを1からnまで足せば、T1~Tnまでの中に4に等しいものがある確率に等しくなるはずだ。
「方針は見えた。あとは計算するだけだ」
T(k-1)=1でTk=4となる確率は(1/6)^k
T(k-2)=2でTk=4となる確率は(k-1)C1(1/6)^k×(1/6)=(k-1)/6^k
よってこれらの和はk/6^kだ。
要するに、∑(k=1→n)k/6^k
が求める確率になる。
「これは等差数列と等比数列の積だから……」
S=1/6+2/6²+…+n/6^nとおき、
S/6=1/6²+2/6²+…+(n-1)/6^n+n/6^(n+1)
とすれば、
5S/6=1/6+1/6²+…+1/6^n-n/6^(n+1)
=(1-(1/6)^n)/5-n/6^(n+1)
=(1/5)-((5n+6)/30)(1/6)^n
よって求める確率はこれに6/5をかけて、
(6/25)-((5n+6)/25)(1/6)^nだ!!
「解き終わった……。サイコロのくせに難しい問題って作れるんだな。残りは……」
試験時間は残り40分。想定以上に時間が吸われている。これが東京にある大学の試験か……。
第5問
pを0<p<π/2を満たす実数。曲線Cをy=cosxとし、Cの点P(p,cosp)における接線をlとする。
(1)nを正の整数とする。lがCのうち、2nπ<x<(2n+1)πを満たす部分の点において接するようにする。そのような点Pがただ1つ存在することを示せ。
「グラフはcosx、やってることも接線の問題で単純そうだ。偏角だけ一般化されており、そこにだけ気をつければ良いだろう」
(cosx)'=-sinxより、
接線l:y=-sinp(x-p)+cosp=-xsinp+psinp+cosp
また、接線lは2nπ<q<(2n+1)πを満たすx=qでも接線になっているから、
-xsinp+psinp+cosp=-xsinq+qsinq+cosq
となる。
「これは恒等式として係数比較をしていいのだろうか。保証は出来ないが、そう捉えないと先に進めなそうだ」
係数比較して
sinp=sinq…①かつpsinp+cosp=qsinq+cosq…②
となる。
右側の式は煩雑なので、左側の式から条件を整理すべきだろう。
①より、q=p+2nπ。もしくはp+q=(2n+1)πだ。
これを②に代入して、
psinp+cosp=(p+2nπ)sinp+cosp
∴2nπsinp=0
おかしい。これではp=0となり、初期条件の0<p<π/2を満たさなくなる。要するに、これは不適となる。
であれば、q=-p+(2n+1)πの方を代入して、
psinp+cosp={-p+(2n+1)π}sinp-cosp
∴{2p-(2n+1)π}sinp+2cosp=0
「この方程式がpに関して解をただひとつ持つ事を示せば良い。であれば……」
f(x)={2x-(2n+1)π}sinx+2cosxと置くと、
f'(x)=2sinx+{2x-(2n+1)π}cosx-2sinx
={2x-(2n+1)π}cosx≦0。
よってf(x)は単調減少となる。
f(0)>0とf(π/2)<0と合わせると、中間値の定理により
f(p)=0となる点pがただ一つ存在する!!
「解けた……!次は(2)を……」
「やめ!筆記用具を置いてください」
「くっ……」
ここで試験終了の合図が入る。
(2)は極限の問題だったので、少しは手をつけておきたかったが、致し方ない。
所感としては2完1半と言ったところだろうか。そもそも、完答出来ているかすら怪しいが。
そして、これにより1日目の試験が終了する。
俺は誰とも会話せず、一人で帰ることにした。
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冠模試の2日目は1日目とは打って変わって朝が早い。
1日目の午後と2日目の午前にやることで、連続した試験を演出しているのだろう。移動に時間のかかる地方民からすればとても辞めてほしいことではあるが。
よって今の俺は朝の6時起き。日曜日ということもあり、家族は綾音含め誰も起きていないため、1人ダイニングでトーストをかじる。
すると、目の前の壁に着物が立てかけられているのが目に入った。
サイズ的には綾音のものだろうか。黒を基調とした着物になっており、布の至る所には藍色や紅色の紫陽花の絵が描かれている。
今日の模試終わりに俺らが向かう祭りでは、あの着物を着た綾音の姿が見れるのだろうか。なんとも嬉しい限りである。
ふぃーも浴衣を着てくるのだろうか。
何気なく感じたのはその想いだった。
ここ数日、俺は俺自身の好意がどこに向いているのか分かっていない日々が続いた。
俺は綾音のことが好きだ。
好きでもなければ、あのような逃避行の末、同居生活などしていないだろう。
とはいえ、本心の中ではフィオへの好意は未だに健在だ。
当然、綾音とフィオが同時にいる場では、誠実であらねばという理性の元、フィオを冷たくあしらうことを日課としている。
しかし、最近フィオのスキンシップがエスカレートしてることもあり、その受け流し方もほぼ限界に近い。ましてや、これ以上冷たくすると、なにか俺が「いじめ」をしているようで、精神的に嫌なのだ。
「そろそろ出ないとな」
ふと、時計を見ると、外出予定時刻に近づいていた。いずれ、この気持ちには折り合いをつけなければならない。そう決意を固めると共に、俺は2日目の模試へと向かった。
────────────────────────
2日目の最初の科目は理科だ。
当然苦手科目ではあるのだが、臆せず立ち向かうしかない。
「始め!」
理科は150分で膨大な量の物理と化学を処理する無理ゲーだ。まずは化学から……
『アイスはまず物理から逃げる癖を無くすべき。物理から逃げてたら、物理もアイスに歩み寄ってこないよ』
「まっちゃ……、試験中に脳内に語りかけるのは禁止事項だろ……」
先日のまっちゃの言葉を思い出す。
そうだ。俺は物理から逃げてはいけない。結局いつかは解かなくてはならないのだ。
そう思った俺は物理の問題に手をつける。
第1問
質量mの小球A,Bが長さlのヒモの両端きつながれている。水平な天井に小球A,Bをlだけ離して固定した。
小球Bを固定した点をO、重力加速度の大きさをgとする。
I小球Bを固定したまま、小球Aを静かに離した。
(1)ひもと天井の成す角をθとする。小球Aの速さをθを用いて表せ。(0≦θ≦π/2)
(2)小球Aが最下点(θ=π/2)に達したときの張力の大きさを求めよ。
(3)小球Aが最下点(θ=π/2)に達したときの小球Aの加速度の大きさと向きを求めよ。
「……あれ。これただの円運動じゃない?」
俺はこの大学の物理の問題を解いたことがない。よって、形式なんて知る由もないのだが、見た感じこれはただの円運動の問題である。
これであれば、定期テストよりも簡単だ。
(1)はエネルギー保存より、mv²/2=mglsinθだから、
v=√(2glsinθ)
(2)最下点の速さはθ=π/2を代入して、v=√(2gl)、張力Tとして運動方程式は、
mv²/l=T-mg
だから、T=3mg
(3)大きさ:v²/l=2g、向き:鉛直上向き
「え、解ける!解けるぞ!?」
しかし、自信に満ちたその感覚は次の1文で打ち砕かれる。
II 小球Aがはじめて最下点に達した時に、小球Bを静かに離した。この時間をt=0とする。
(1)2個の小球の重心をGとする。小球Bを離したあとの重心Gの加速度の大きさと向きを求めよ。
「重心、そしてBが動き出した。……2体問題だ」
二体問題、前回の定期テストにと出たが、解き方が意味不明すぎて理解できていない。
やはり、ここは飛ばすべきか……。
「いや、ここで逃げるのはまっちゃに対する侮辱だ。何か、解ける問題が1問でも無いか見つけないと」
俺は続きの問題を眺める。何か誘導に乗らずとも解ける問題が1つはあるだろう。そういう目論見だ。
(2)t=0における重心Gに対する小球A,Bの相対速度の大きさと向きをそれぞれ求めよ。
「これは無理」
(3)時刻t=0における、ひもの張力の大きさを求めよ。
「ひもがピンと張っているならmgなんじゃないのか……?」
と思いつつも、何も理論的なことは導けない。T=mgとだけ書いて、次を見る。
(4)t=0における、小球A,Bの加速度の大きさと向きをそれぞれ求めよ。
(5)小球Bを離してから、初めて小球Aと小球Bの高さが等しくなる時刻を求めよ。
「……これなら、行けるんじゃないか?」
一縷の希望を胸に、(4)に手をつけてみる。
『アイスに重心を扱うのは多分無理そう。だから、他の物体の気持ちに立つんだよ。所謂相対運動の考え方』
「相対運動……」
『アイスって人の立場に立つの得意でしょ。一方の物体になりきったつもりで、もう片方の物体がどのように見えるか、それを記述すればいいの』
「物体になりきる……」
俺は物体Bになりきることにした。
物体Bは自分を中心とした円運動を行っている物体Aを見て、高みの見物を決め込んでいたはずだ。
しかし、いつの間にか自分を支えてくれていた物体Bの固定が外れてしまい、自分も物体Aの元へ落ちていく。
そうだ。物体Aは物体Bを道連れにしたんだ。『こっちへ来いよ』と、物体Bのことを巻き込んだ。
であれば、物体Bは物体Aの分の重さも受け、A側──要するに鉛直下向きに引っ張られる。AはBを引っ張ることで、反作用的に留まっていられる。
じゃあ、Bの受けている力は2mg、Aの受けている力は0だ。
Aの加速度:0
Bの加速度:2g
「これで、いいのか?」
そうだ。俺は小球Bの方なんかじゃない。小球Aの方だったんだ。
俺は、俺を振って高みの見物決め込んでいるふぃーという小球Bが許せなかった。嫌だったんだ。
だから、綾音と交際関係を結ぶことで、ふぃーの気を引きたくて……。
「……っ!違う、そんなんじゃない。綾音への俺の気持ちは本物で……」
あの時綾音を父親の元から救い出したいという気持ちは本物だった。
じゃあ今の交際関係にある状態はどうだ?
ふぃーの気を引くためのダシにしているという言説を完全に否定しきることは出来るのか……?
「違う、違う違う違う違う!!うるさい、そんなはずがない……」
自分で自分の気持ちが分からなくなり、錯乱する。
「続き……、解かないと」
(5)、ふぃーのことを引きずり出した俺だ、そしてそいつを俺と対等な土俵まで持ってくるまでの時間。
俺から見たら、ふぃーはどこにいる……?
「ふぃーは、ずっと真正面にいるんだ」
俺が引きずり降ろしたあとも、あいつはずっと俺の方を見ている。そして、俺も同様にあいつのことを見てしまっている。
彼女は俺の綾音に対する行動が許せないのか、嫉妬か。そして、俺はふぃーという人間が何を企んでいるか、それを見極めるためにお互いをずっと睨み合っているのだ。
であれば、同じ高さに来るというのは、俺がしている円運動の周期の1/4の時間に他ならない。
T=π/2×√(l/2g)
「……。なんなんだ、この問題は。俺に何が言いたい」
こんなものはただの物理の問題を拡大解釈している俺が悪い。しかし、頭では分かっていても、被害妄想が止まらない。
俺はこのまま理科を解き進めることになるが、集中することは叶わなかった。
────────────────────────
「やぁアイスくん。試験はどうだった?」
「あぁけいちゃんか。ぼちぼちって感じだな」
英語まで試験を終え、校舎から外に出ると、俺を待っていたのであろうけいちゃんと遭遇することが出来た。
試験の出来に関して、ぼちぼちと述べはしたが、実際は割と悲惨である。
模範解答が配られたので、ざっと確認したが、数学は解いたところはあっているものの、他がボロボロである。
「難しかったから仕方がないよね。それじゃあお祭りに向かおうか」
「あぁ。そうだな」
ここからの予定は、化学部のメンバーでお祭りを楽しむことだ。
正直、本当ならもう帰って寝たいほどの疲労感ではあるのだが、約束は約束だ。けいちゃんと共にお祭りへ向かうことにしよう。
「アイスくん大丈夫?かなり疲れてそうだけれど」
「心配ないよ。少し考え事をしてただけ」
「それって、綾鷹ちゃんのこと?」
「ん?あ、あぁ」
実際は若干違うのだが、綾鷹のことも気がかりなのは確かだ。はぐらかすように肯定する。
「アイス君はすごいね」
「ん、あぇ?」
適当に相槌を打っていると、けいちゃんから褒められるという特異的な事象が起き、思わず間抜けな返事をしてしまう。
「アイスくんは周りのことをよく見ているよ。よく見ているからこそ、彼女たちに親身になってあげられる」
「そんなことないと思うぞ、けいちゃんの方が化学部メンバーの好きな物とか、些細な変化とかよく気づくだろう?」
「そうとも言えるね。僕も頑張ってはいるんだ。けれど、やはり客観的に見えるもの、視覚的に入ってくる情報しか理解できないんだよね」
「どういうこと?」
当然けいちゃんが普段からみんなのことを気にかけているからこそ、そのような変化に気づいているというのは理解できる。しかし、それだけで十分ではないのだろうか。
「要するに、本当に彼女たちが困っている時、頼りになるのは僕じゃなくてアイスくんだってことだよ」
「そうか。頼られて悪い気はしないが、責任が重いな」
「はは、そうだね。僕は……気づけなかったから。悔しいな、また……」
「けいちゃん?」
「いや、なんでもないよ。この電車を逃すと次は20分後だ。急ごう」
「え、ヤバいじゃん。これだから田舎は……」
柏駅から祭り会場の土浦駅までは常磐線という電車で繋がっている。
しかし、その常磐線という電車は中々に過疎な電車だ。乗りたい電車を逃すと約束時間に間に合わなくなるという致命傷が起きやすい。
そのため、俺たちはホームを若干駆け足になりながら、電車に乗り込んだ。
14章 夏祭りは終わってる
の更新は11/22となりそうです。お待ちください。
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