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10章 ×××は終わってる

「パパ、話をしよう」


「話など、する必要も無い」


「私はね、パパのことが大嫌い」


 こちらからは綾音の表情が見えない。でも、真剣な眼差しであるだろう。


「……」


「無愛想で、私の事を考えてる風で何も考えていない。私の行動はすぐに制限するし、その理由は嫁がどうとか、家系がどうとか、そんなことばっかり。控えめに言って、最低だよ」


「……当然だ。白井家の名に恥じぬよう、徹底的に厳格な教育を……」


「でもね、それと同じくらい、パパのことが好きなの」


「……っ!」


「え!?」


 白餡から発せられた言葉は俺の予想を180°裏切るものだった。

 腕と脚を寝技で固められ、痛みに悶絶しているが、ここで驚かないわけにはいかなかった。


「私は覚えてるよ。2歳の頃、パパは私が元素周期表を全部覚えた時、凄く褒めてくれたよね。『この子は天才だ!将来大物になるぞ!』って」


「…………知らんな」


 え、すごー、2歳で元素周期表って全部覚えられるんだ。


「4歳の頃、幼稚園の運動会の徒競走で、1位を取った時も、私の事を抱きかかえて、自分のことのように喜んでくれた。5歳の頃、音楽発表会でシンバル役をやった時も、『綾音のシンバルが1番目立っていた!綾音が1番だ!』って褒めてくれた。6歳の頃、化学グランプリで1次選考を突破して2次選考に進んだ時も、『最年少記録だよ綾音!綾音が世界一だ!』ってお祝いにケーキも買ってくれた」


「……」


 え、ちょくちょく天才エピソード挟むのやめてくれません?

 化学グランプリって高校3年相当の化学の知識が必要なんじゃありませんでした?

 確かに参加資格の年齢に下限は無かったって聞いてるけど、6歳で1次選考を突破??


「酷いよね、家族の縁って。こんなに酷いことをされているのに、こんなにも良い思い出が同じだけ浮かび上がってくるの。絶対に数は同数じゃない。それでも、浮かび上がってくる量は同じなんだ」


「……ふん」


「昨日、パパが襲いかかってきたときだって、アイスは本当に殺そうとしてたのかもしれないけど、私まで殺そうとするつもりはなかったはずだよ。少し痛い目を見せる程度にする気だったんだよね」


え、俺はガチで殺されかけてたんだ……。


「私は知ってるよ。私が7歳の頃、おじいちゃんとおじさんが交通事故で亡くなった」


「っ!?何故それを!」


「そりゃ調べたら出てくるもん。スマホを持ったのは中学生からだったけど、私の家って有名な家系なんでしょ。それで数年前のニュースとかを漁ってたら、新聞報道された記事がネットに転がってたし」


「……そうか」


「それが私が7歳の頃。そして、そこからだったよね。私を白井家の名に恥じぬようって、必死に淑女として育て始めたのは」


 綾音の家系にそんな過去があったのか……。そもそも綾音の家系が有名な一族って知らなかったからなぁ。社会情勢とか俺は詳しくないし。


「ここからは家庭と事実から基づいた、ただの推測。考察でしかない。でも、私そういうの得意なんだ。パパは私のおじさんとおじいちゃん──要するに、パパのお兄さんとお父さんの意志を継ぎたかったんでしょう?もっと簡単に言えば、形見を守りたかった。白井家という形見を」


「それは……」


 綾音の父親の表情は俺にもよくわかる。綾音を睨むかの形相で、会話を続ける。


「……概ね合っている」

 

「!」


「私の兄と、父は11年前、交通事故で亡くなった。白井家の相続は全て兄が受け継ぎ、跡取りも兄がするものだと思っていた。しかし、世界は突然状況を変えた」


 父親は語り始める。


「私は、白井家とは無縁の生活をしようと思っていたんだ。家族と一緒に、平穏な生活を。でも、そういうわけには行かなくなった。白井家の跡取りは居なくなってしまった。私が継がなくてはならない」


「白井家の相続の放棄は……出来なかった。いや、してはならなかったんだ。してしまえば、今まで先代が受け継いできた文化が、歴史が途絶える。私の元で途切れるのだ。それが、私は怖かった」


「だから、私は白井家の当主となることを決めた。様々なことを学んだ。様々な人と関わっていかなければならなかった。そして、私の子にもきちんと白井家の人間としての何たるかを教え込まなければならなかった」


 綾音の父親は初めて本音を赤裸々に語り出す。


「だから……、だから、分かってくれ。綾音。綾音は白井家の人間として……」


「……やっぱり」


 父親の話を綾音は遮る。


「やっぱり、私たちは親子だね」


「え……」


「パパも私も、白井家という存在に縛られていた。目に見えない、家系という概念に惑わされ、人生を狭められたんだよ」


「だが、それは仕方がないことだ」


「いや、そんなことない」


「……っ!お前に何が分かる!」


「分かるよ!」


 声の大きさがデットヒートを迎える。


「分かるよ……。パパの目の前にいる私は、7歳の頃からずっとアップデートされていないんだ。いつまでも私の事を何も知らない無知な人間だと思わないで!」


「……っ!」


「ねぇ、アイス」


「え?」


 唐突に綾音に話を振られ、俺は驚く。俺は今体を洗濯物のように畳まれてる状態なんですが?


「私の家系、白井家は有名な家系らしいよ。アイスは……知ってた?」


「いや、知らなかった。つい最近まっちゃから聞いたから知っただけで、綾音の家系が有名なんてのは全く……。俺は社会情勢に詳しくなんかないし……」


「いいや、知らなくて当然だよ。だってここ10年で白井家の権力は急激に力を弱めている。──パパが当主になってから」


「知って……いたのか」


「白井家が元々持っていた権力は今や様々な家系に分散して散らばっている。今の白井家に10年前と同じような力は毛頭ない。それが……パパは怖くなったんでしょう?」


「自分が当主になったせいで、自分が出来損ないのせいで、今までの白井家の歴史が崩壊する。その事実にパパは焦りを覚えたんだ」


「だから、その焦りによって私たち家族への白井家に対するこだわりは徐々にエスカレートしていった。やがて、私の心を壊すまでにね」


「……!」


「でも、私はそれでも良いと思っちゃってたんだ。正常性バイアスってやつなのかな。自分が置かれている状況を鑑みつつも、パパの置かれた状況も考えてしまう。そんなことをしているうちに、何時しか私は『私』を見失ってしまったんだ」


「……じゃあ!」


「でも、ごめんなさい。私はもう籠の中には戻れない。私は、『自由』を知ってしまったから」


「……っ!」


 綾音は一呼吸おいて、ゆっくりとした声で続ける。


「私ね、好きな人が出来たの」


「!」


「その人は、普段から態度も悪くて、人生舐めてそうで、気持ち悪い言動もするし、もう最悪」


 え……、悪口言われてる?


「でもね、私が悪口言うと直ぐに私の悪口も言ってきて、悪口の言い合いになったり、かと思ったら私が悲しんでる時はちゃんと私に向き合ってくれたりするんだ」


「私が、本当の『私』を、素直に出せることが出来る人を見つけたの。それが、私の好きな人」


「……そうか」

 

 俺は無言で綾音の後ろ姿を見つめる。


「パパはどうだったのかな。ママと出会った時、私と同じようなことを思ったんじゃない?だって親子だもん。多分好きな人の趣味も同じでしょ」


「……そうだな。そうだったかも……しれない」


「パパがこれから白井家に関してどう生きていくのか、それを私は知る由が無い。この後、私と話したことでパパは白井家という名の持つ権力を完全に放棄するのか、それとも、今までと同様に白井家を守るために生きていくのかもしれない」


「私はどっちでもいい。だって、私の人生にはもうそれは関係ないのだから。私は白井綾音という1人の人物としてこれからの人生を生きていく」


「……」


「でも、これまで私が生きてきた18年間、それが嘘だったわけじゃない。それを嘘にしてしまったら、私は私自身を否定することになる。だから……これだけは言わせてほしい」


 綾音は大きく息を吸い込み、そして深く礼をするようにして、頭を下げた。



「今まで育ててくれて、ありがとうございました!」



 綾音は辺り一面に響き渡る大きな声で、これまでの人生を作り上げてくれた人間への謝辞を述べた。

 

「……」


 父親は、無言で綾音の頭を眺めている。

 が、やがて……。


「2人とも、もう離して良い」


「!」


「いててて……」


 綾音の父親は口を開き、それと同時に俺は拘束から解放される。

 俺を取り押さえていた警官は綾音の父親の元へかけてゆき、パトカーの出発の準備をする。

 そして、綾音は顔を上げた。


「私の目に、『綾音』は映ってなかったようだ」


「パパ……」


 綾音の父親は俺たちに背を向け、パトカーへと乗り込もうとする。

 そして、去り際に一言、本当に小さな声で、ぽつりと呟いた。


「大きく……なったな」


 バタン!とパトカーの扉は閉まり、俺たちの目の前から姿を消す。

 綾音は俺に背を向けたまま、ただ立ち尽くしているだけだった。

 何を考えているのだろうか。分からない。

 最後の言葉を噛み締めているのか。

 泣いてるのか。喜んでいるのか。分からない。

 けれど、俺がそこに立ち入るのは野暮だということはわかった。

 3分、5分、10分……。もしくはそれ以上だろうか。

 とてもとても長い時間が経った。

 やがて、彼女は顔の上の辺りを腕で拭い、そしてようやくこちらを振り返った。


「アイス、帰ろう!」


 そう言った彼女の顔は、今まで見た事のない満面の笑みで埋め尽くされていた。


 ───────────────────────


「ただいま〜」


「兄貴お帰り〜よく今日中に帰ってこれたね。日付は回ると思ってたわ」


「ギリね。11時30分、終電逃すわけにもいかないしさ」


「夜ご飯机に用意してあるから食べちゃお。ウチらもまだ食べてないんだよね」

 

「なんだよ。先に食べてれば良かったのに」


「そういうわけにもいかないじゃん。だって……」


 俺と優実花が玄関先で口論をしていると、申し訳なさそうに綾音がこちらを見上げてくる。


「まぁ、今日から綾音も帰ってくるわけだしな。なるべく家族一緒にご飯を食べるってのがウチのしきたりだ」


「ほら、綾音お姉ちゃん!こっちこっち」


「あ、えと。お邪魔します……」


「違うでしょ〜お姉ちゃん」


 お姉ちゃん呼びしてくる優実花に少し困惑気味の綾音が俺に目を合わせてくる。

 まぁ、こいつはこう言う奴だ。許してやってくれ。

 俺が目線でこう綾音に訴えかけると、綾音はクスリと笑ったようにして、挨拶を言い直した。


「ただいま。優実花ちゃん」


「うん!お帰り!」


 優実花は笑ってダイニングへと綾音を案内する。

 この匂いは……まさか今日の献立は!


「はーい、今日は肉じゃがですよ〜」


「やったぁ!」


 母さんが大皿に盛られた肉じゃがと、人数分の白ご飯を持ってくる。

 もう俺も綾音も優実花もお腹はペコペコだ。早速いただきますをして、肉じゃがを食べ始める。


「どう?美味しい?綾音ちゃん」


「え!あ、はい。美味しいです」


「ふふっ。家族だから敬語はいいのよ」


 綾音は急に母親から声をかけられてびっくりした様子だ。

 しかし、俺は今それどころではない。


「おい!優実花てめぇ肉ばっかりとってんじゃねぇよ。こっち側の肉まで取るとか泥棒か?」


「大皿なんだしどっから取ろうが私の自由でしょ!?兄貴こそ、そっち側に玉ねぎが大量に鎮座してますけど、もしかして退けてるんですかぁ?」


「自分のことを随分と棚に上げているようだ。お前が退けてる玉ねぎをこっちに寄越してるのもあるだろう!?」


 俺と優実花は肉争奪戦、かつ玉ねぎ押し付け合い合戦に勤しんでいる。俺と優実花は両方とも玉ねぎが嫌いな食べ物ナンバーワンであり、こういう時はいつも押付けあいになる。


「もう2人とも好き嫌いせずちゃんと食べないと」


「言われてますよ?兄貴」


「言われてるぜ?優実花」


「はぁ、困ったわねぇ。ごめんね綾音ちゃん騒がしくて……綾音ちゃん?」


 母親が綾音を気にかけるような声を出したので、気になって綾音の方を見てみると、綾音はツーと涙を流していた。


「え、綾音!?大丈夫か?」


「うわー、兄貴泣かせた〜」


「ちがっ、これは俺のせいじゃ」


「ご、ごめん。ただ……」


「ただ……?」


 俺らが慌てたのを見て、綾音は早急に訂正する。


「お家でこんな賑やかにご飯食べるの、初めてで……楽しくて……」


 綾音は笑顔で語る。


「そっかぁ。良かったよお姉ちゃん。じゃあお近付きの印に玉ねぎあげるからほら!」


「は?お前それはなしだろ。不正行為です〜」


「いいよ、玉ねぎ食べるよ〜。私玉ねぎ好きだから」


「やったぁ!」


 こうして俺の家の賑やかな食事は、無事に綾音を迎えることが出来た。


 ───────────────────────


「一応、ここが空き部屋になるから、好きに使っていいよ。布団とかは来客用のもあるし」


「分かった。ありがとう」


  「じゃあ夜も遅いし、俺はもう寝るわ。おやすみ〜」


「……待って」


 俺は自分の部屋に戻ろうと、その場を後にしようとするが、服の袖を掴まれて動きを止められてしまう。


「今日は、一緒に寝てもいい?」


「え!?」


 綾音からの急な提案に、俺は素直に驚いてしまう。


「この部屋まだ寂しいしさ、私寂しいの嫌い」


「……。分かった、いいよ。俺の部屋はこっち」


 こう言われてしまうと、俺は断れない。

 俺は綾音を自分の部屋へと案内する。


「これが、アイスの部屋……」


 正直、床にはゲームとか、プリントとかが少々散らばっており、お世辞にも綺麗な部屋とは言えない。


「あんまジロジロ見るなって。俺は床で寝るから、そのベッドは好きに使っていい……」


「待って」


「え?」


「一緒に寝るってことは、一緒にベッドで寝るってことでしょ。これは常識」


「えぇ!?」


 まさかの床で寝るのを禁止されてしまった。

 俺のベッドはそんなに広くないんだが、2人以上が寝れるスペースなんて……。


「ほら、もう眠いし電気消してよ」


「う、うん」


 俺は言われるがまま、部屋の電気を消し、綾音と一緒に布団へと潜る。

 俺は漫画喫茶の時と同じように、綾音に背を向けるようにして、なるべく距離を取ろうとした。

 しかし、


「え、ちょっ!?」


 あろうことか、背面から綾音は俺のことを抱きしめてきた。

 綾音の体温が背中からじんわりと伝わってくる。

 特に柔らかい感触はないが、これを言ったらぶっ飛ばされるのでやめておこう。


「いい抱き枕だ」


「せめて人間扱いはしてくれ」


「大好きだぞ」


「それは抱き枕としてか?」


「人間としてだ」


「……」


 俺の顔は真っ赤になる。体温も上がってどうしようかと思っていたが、直ぐに綾音の寝息が後ろから聞こえてくる。

 俺は一安心し、自分も眠りにつく。


 ──数分後、俺はベッドから蹴り落とされて目が覚めた。



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