9章 夢の国は終わってる
「で、ディズニーランド!?」
思いもよらなかった娯楽施設の名前が白餡の口から飛び出し、俺は隣まで聞こえるような大声で叫んでしまう。
「そう。私ディズニーランド行ったことなくてさ。実は密かに行ってみたいと思ってたんだよね」
「いや、その気持ちは分からないでもないが、ディズニーは千葉にあるんだぞ、せっかくここまで逃げてきたのに、茨城に近づくようなことがあってどうする」
「むー、けちだなぁ。別にいいじゃん」
「残念だが、難しい。なにか別の案を……」
ここで白餡の方を向き直すと、白餡は俯いて自分の座る床を見つめていた。
「私明日、誕生日なのに……」
「!?」
そうぽつりと呟いた白餡の声に、俺ははっとなる。
そうだ、俺は元々この白餡の誕生日を祝おうと、その為に様々な思慮を巡らせてきたわけだ。
白餡には誕生日には笑顔で過ごしてもらいたいと、喜んでもらいたいと思って……。
それなのに今は、逃げることに必死で、白餡の気持ちを置き去りにしている。白餡が誕生日であるということも忘れて。
これは俺の理念に反している。
「……分かった」
「え?」
「ディズニー行こう。明日は1日楽しむか」
「本当!いいの!?」
「あぁ」
「やったぁ!!」
「うわっ、飛びかかってくるなよ」
テンションが上がった白餡に飛びつかれ、俺は押し倒される形になる。
……正直、ここで遠くへ逃げず、ディズニーランドで時間を持て余すのは、『逃避行』としては得策ではない。
しかし、そんなものを白餡の感情より優先する理由は無い。今俺の目的は『白餡を自由にすること』だ。俺がこいつの行動を制限してどうする。
というより……白餡にのしかかられてる状態。これは理性の制御が追いつかなくてまずい。早くもとの体制に戻らなくては。
「それで、ディズニー行くのはいいが、ランドとシー、どっちに行くんだ?」
「え、わかんない。強いて言うなら、どっちも?」
「……」
俺が呆れたような視線を向けると、白餡は激昂する。
「だってしょうがないでしょ!?行ったことないんだからイメージが付かないし」
「わかったわかった。そう怒るなって。パソコンがあるんだから一緒に調べるぞ」
二人でパソコンの前に陣をとり、ブラウザを開いて調べ物を開始する。
ディズニーか。うちの家族は妹がディズニーを好きで、旅行といえばディズニーがまず最初に上がる。
そのおかげで、フィーリングではあるが、この遊戯施設の楽しみ方は分かっている。
昨今、この施設は楽しみ方が難しくなっており、スマホによるチケット取得の必須などが問題になっており、初心者を排除する動きはあるが、俺がそれに引っかかる心配は無い。
白餡はと言うと、名前は聞いたことあるだろうと言ったような有名なアトラクションが表示されている公式サイトに釘付けになっている。
「うーん。このマウンテンシリーズもやりたいし、パレードも見たいからランドが良いんだけど、ラプンツェルとか、アナと雪の女王のアトラクションがあるシーも捨て難い……。ど、どうすれば……」
「そうだなぁ。まぁ両方の施設を繋ぐモノレールが存在しているから、それを使って行き来すればいいと思うけど。ランドのパレードについては、どのパレードが見たいんだ?」
「このエレクトリカルパレード?ってやつがみたいな。これ、閉園間際の20:00にやるらしいし、先にシーに行って、その後ランドって感じがいいのかな?」
「いいや、それは間違っている。ディズニーを甘く見すぎだぞ白餡」
「なんか上から目線うざー」
確かに、ディズニーに行ったことがないと言うのであれば、今の発言が出るのは致し方ないだろう。
閉園間際のエレクトリカルパレードに合わせ、後からランドに行く。一見合理的な判断に思えるが、そこには1つ大きな落とし穴がある。
「白餡、ランドではなんのアトラクションに乗りたいと言った?」
「え、マウンテンシリーズ。ビッグサンダーとか、スプラッシュとか」
「うん。それらのアトラクションはディズニーに行ったことのない白餡でも知っている乗り物。即ち、それほど有名であるということだ」
「ま、まぁ確かに。他のアトラクションはあんまり知らないかも」
「いいか、それらの人気アトラクションは午後になれば100分待ち、いやそれ以上待たされることになるんだ」
「ひゃ、100分!?」
聞いた事のない待ち時間に戦慄する白餡。
それもそのはず、茨城にある遊園地といえば、ひたち海浜公園であるが、そこではせいぜい長くても10分待ち程度でアトラクションに乗ることが出来る。
文字通り、桁外れの待ち時間なのだ。
「そう、だからこのマウンテン系は開園直後にダッシュで向かうのが合理的。対照的に、シーに関してはランドよりは比較的空いているという特徴がある。待ち時間はあるものの、タワーオブテラーなどの有名アトラクションでなければ、20分程度の待ち時間で乗れるはずだ」
「なるほど……。じゃあ、開園と同時にランドに入ってマウンテン系を楽しんだ後、シーに移動して乗りたいものに乗り、また最後ランドに帰ってきてバレードを見るのが最適ってこと?」
「ああ、そうだ。勿論乗りたいアトラクションによって最適のルートは異なるが、白餡が乗りたいと言っていたアトラクションを制覇するなら、これが一番まともに遊べる選択肢だ」
ディズニーを楽しむには選択肢の選び方が非常に重要だ。
この選択肢選びをミスると、下手したら何も乗れずに帰ることになった……。というような目に遭う人だっている。
ディズニーは戦いなのだ。
「分かった。じゃあ明日は早起きしないとだね」
「そうだな。明日は勝ちに行かねば」
「アイス、目が怖いよ」
俺はもう既に戦地に向かう兵隊の顔つきになっている。まるで人殺しでも決心したかのような目つきだ。
「明日は5時半にはここを出よう。そして東京駅まで行った後、そこからバスで向かえば、開園の9時より前には着くはずだ」
「りょーかい。じゃあもう1時だし、電気消すよ?おやすみ〜」
「あぁ、おやすみ」
白餡が電気を消して、床の上に横になる。
部屋の中には仮眠用の枕と、1枚の薄めな毛布が置いてあったので、白餡にそれを使わせている。
そして、俺は反対側の壁際と密着し、出来るだけ白餡と近づかないように距離を取っている。
半回転でも寝返りを打てば、白餡の体に俺の体のどこかしらが触れてしまう体勢だ。意地でも寝返りを打つわけにはいかない。
心頭滅却心頭滅却……!
頭の中で念仏を唱えて邪心を追い払っていたが、唐突に充電していたはずの俺のスマホが、LINEの受信通知を知らせる。
「こんな夜中になんだ…………っ!」
のっそりと俺はスマホを顔の前に近づけると、そこにはまっちゃからのメッセージが、一言「ごめんミスった」と入っていた。
俺は慌てて、トーク画面を開き、何があったのかを問いただす。
『私は学校方面に居るみたいと警察に伝えたんだけど、アイス、あんた移動の時にPASMO使ったでしょ』
『使ったけど、それが何か……。まさか、マジで?』
『そう、そのマジよ。警察協力のもと、駅内の防犯カメラがチェックされ、あなたが通ったタイミングで使われたPASMOがどの駅で降車に使われたのか、もう探知が済んでいるらしい』
『まずいな。警察の捜索力を舐めていた』
『既にあなた達が上野駅で降車したという事実は警察に周知済み。私が学校方面のサイゼに居るって錯乱したから、ある程度時間は稼げるかもしれないけど、そこに居たら見つかるのも時間の問題よ』
『分かった。恩に着るよ』
俺はスマホの電源を切り、元の位置へと戻す。
まずいことになったな。上野駅での降車がバレているということは、既に東京に俺らがいることかバレかけている。
幸い、上野駅からどこへ向かったのかの探知には時間がかかるだろう。あの駅は混雑もしているし、監視カメラによる俺の捜索や、PASMOの使用履歴を遡るのも難しいはずだ。
それに、何より都県が跨っている。茨城の警察は所詮地方公務員だ。東京まで捜索範囲を拡大するにはそれなりの労力や手続きを踏むことが必要になると推測できる。
やはり、ここでディズニーに行くのは愚策か……。いやしかし、逆に来た方向へ戻ることによって操作を錯乱させることも……。
「これ以上考えても、無駄か」
俺たちはもうディズニーに行くことを決めてしまっていた。あとはなるようになるしかない。運命に身を委ねる。
「運命、か」
今日の昼間の綾鷹の様子を思い出す。
あいつは『白餡は自殺する運命にある』と、そう言っていた。しかし、実際に俺が止めたことで白餡は生きている。
綾鷹の予測が外れた……?いや、もしかしたらそうではなく、最初から『白餡の自殺を俺が止める』という予測をしていたのかもしれない。
だからこそ、化学室に来た俺を白餡の元へと向かわせた……?
ダメだ分からない。答えが分からないものを考えているうちに、脳が活動限界を迎えてくる。
今日1日の疲労も蓄積しているため、俺の意識はすんなりと闇に飲み込まれていった。
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────ピピピピ
「ん、もう5時か」
携帯電話のアラームが鳴り響き、俺の意識は強制的に現実へと叩き戻される。
睡眠時間は4時間と少ないが、これ以上寝ているのも時間の無駄だ。
「それで……なんだこれは」
目を覚ましたは良いものの、俺は身体中の節々に打撃を受けたかのような痛みを感じ、一瞬で顔を歪める。
そして、極めつけは、俺の体の上に乗っかっている右足だ。
当然、その右足が繋がっている先は白餡の胴体である。
彼女は毛布をひっくり返し、右足を俺の体に乗せた上で大の字になってぐっすりと眠っていた。
「こいつお嬢様なんじゃなかったのかよ……」
名家の令嬢とはまるで似ても似つかない様子の白餡を前に、俺は軽く微笑みをこぼす。
あぁ、自分をさらけ出すことができ始めているんだろうな。
ただ、この足をどかさないと俺は起き上がれない。
申し訳なく思いながらも、右足を両腕で掴み、持ち上げようとすると……。
「んぅ!!んにゃ……んが!!」
「ちょ、お前暴れんなって!」
何か足を掴まれることが不愉快に感じたのか、寝たまま白餡は足を暴れさせてくる。
「いた、痛いて」
その暴れた足は俺の腹や胸に何度も蹴りとして入れられ、俺は痛みを訴える。
そして……
「え、あっ、ちょ、まっ!!」
とある蹴りが俺の下半身の方目掛けて振るわれた。
それは俺の急所目掛けてクリティカルヒットし、とんでもない激痛を神経へと伝える。
「がっ、ごはっ」
内臓が潰された痛みに俺は声にもならない呻き声を上げて、その場に縮こまってうずくまる。
そして、痛みが声を出せるレベルになった瞬間、俺の声帯は叫び声を上げていた。
「いてぇぇぇぇぇぇぇ!!!ぐがぁぁぁぁぁぁ!!!」
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「あ、アイスごめんね。大丈夫?」
「あぁ。もう痛みは引いてきている。大丈夫だ」
俺の悶絶する声で目が覚めたのか、白餡も起き上がり、痛がっている様子の俺を気にかけてくれている。
「本当にごめんね。私寝相が悪くて」
「白餡が寝相が悪いのは本当に想定外だった」
「あはは、恥ずかしいな……」
顔を赤らめる白餡だったが、ここで白餡を責めたりしている時間的余裕など俺らは持ち合わせていない。
それは昨日のまっちゃからの連絡で重々承知している。
「さて、白餡、急ぐぞ」
「え、あぁうん」
何故こんなに急いでいるのか分からないと言った様子で、きょとんとした姿を見せる白餡だったが、今からディズニーに行く上で、ディズニーを心から楽しめなくなるような不安要素を彼女に伝えるのは良くない。
俺の本心がそう告げていた。だからこそ、この現状は俺が1人で処理するべき問題だ。
「急がないと料金が上がるぞ。6時間以内で出るのと6時間過ぎるのじゃかなり金額が変わってくる」
「あぁ、そういうこと?分かった。早く行こ!」
白餡は特に荷物を持ち合わせているわけではないので、俺のカバンだけを持ち、俺らは尚早に漫画喫茶を後にする。
俺らが向かうのは日本の中心、東京駅だ。
「こ、これが通勤ラッシュ……?」
駅の異様なまでの混み具合を見て、白餡は疑問の声をあげるが、現在時刻は5時20分、まさかこの時間に通勤している人間が多数派なわけが無いだろう。
「いや、これが朝の平常運転なのかもしれない。ピーク帯はもっと凄いことになるんじゃ」
「マジかぁ。ちょっと、はい」
「え!?」
二人で立ち呆けていると、白餡が俺の手に白餡の手を、指を絡ませてくる。
「はぐれるかもしれないでしょ。これは不可抗力」
「分かった。じゃあ行くよ」
こうしてディズニーランドへ向かう俺たちの旅は始まった。
電車に乗っている時間は2駅、たったの3,4分ではあったが、それでも立ったまま人と人の間に潰されながら乗るのは中々に苦しい。
そして東京駅に着いてからも問題だった。
「バス乗り場……ってどこ?どこから降りればいいの?」
「えっと、北口かなぁ。でもなんか北口が北と南に1つずつあるんだけど、これどういうこと?」
東京駅の複雑さは上野駅や秋葉原駅を遥かに凌駕していた。南にある北口とか、1周回りすぎてて本当に意味が分からない。
そして、ようやくバス乗り場のような場所に到着したものの、高速バスの切符を買うのにも一苦労だ。
「なんか、いろんな購入方法があるみたいだけど、どうやって買えばいいんだろう」
「あ、アイスこういうのはお前が率先して行くべきだ。私は静観している」
「なっ、薄情なやつめ……」
俺は速攻で駅員呼び出しボタンを鳴らし、どうやったらディズニーランドに行けるのかを問うて、ようやく目的のバスへと乗ることが出来る。
駅員からしたら、平日の真昼間からクレームをつけてくる大学生のようにも見えたのだろうか。
「はぁ……乗れたな」
「うん。じゃあ私は寝るよおやすみ」
「こいつ……。だけどそれは正しい選択だな。ディズニーを楽しむために体力を温存させておくのは大事だ」
こうして、ドタバタしながらも、俺ら2人はディズニーリゾートへと向かった。
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「これが……ディズニーランド!!」
「あぁそうだな。白餡はスプラッシュとビッグサンダーどっちから乗りたいんだ?」
「なんかテンション低くない〜?もっと高まっていこうよ!当然スプラッシュね」
「もう既に勝負は始まってるんだ。スマホでチケットを先に取っておかないと、大変なことになる」
「そういうもんなの?」
白餡が初めてみるディズニーランドに興奮している中、俺はただスマホを片手にポチポチと操作をしている。
とりあえず、10:00からのスプラッシュマウンテンと、11:00からのビッグサンダーマウンテンのチケットを取っておく。そしたらお昼を適当に取りつつ、モノレールでシーに移動。
流れとしてはこんな感じだろうか。
「よし、とりあえず並ぶぞ。こんなに早く来たのに、入園が遅れたら元も子もない」
「はーーい!」
現在時刻は8時40分。開園までまだ20分はあるのだが、入場ゲート前にはざっと100人程度の人だかりが出来ている。
平日の昼間であるから流石に人の量は少ないが、それでも9時にはもっと人が増えることだろう。
「みんな凄いね。平日の昼間なのにこんなに混むんだ」
「あぁ、ディズニーのメイン客層はファミリーと思われがちだが、大学生のカップルなんかも多くを占めている。こいつらはファミリーが多い土日を避け、平日に来ることが多いんだ」
「そうなんだぁ。楽しみだなぁ」
俺の雑学は気にもしないかのように、彼女は壁画や外装の洋風感にうっとりとしている様子だ。
まるで無邪気な小学生かのようである。……身長の低さも相まって。
俺にとっては慣れっこだ。妹もディズニーに来る度にテンションを高くしてはしゃいでいる。人生で10回以上は来ているというのに。
対照的に俺はもう飽きた。だからこそ、今回は白餡を完璧にエスコートするという目的を遂行してみせるのだ。
「あれ?アイス、もう列が動き出してるよ」
「ん、早いな。行き慣れてるとはいえ、1年振りくらいだからな。何か仕様が変わっていてもおかしくない」
この遊戯施設は兎にも角にも情報弱者を排除することに必死だ。
定期的にシステムを変え、それに着いてこられなかった人間を客という存在から排除する。
夢の国と歌っておきながら、その中身は情報による選別が行われているのだ。
何か入場に関して不都合が生じていないか心配ではあったが、何事もなく入場ができた。一安心である。
そして、ゲートをくぐると、目の前には大きなアベニューが続いている。
ここにはお土産屋さんが鎮座しており、ここを通らないとパーク内には入れないし、同様にここを通らないとゲートからは出られない。
入場時にはキャラクターのグッズやカチューシャを買わせ、退場時にはお土産を買わせるという魂胆が透け透けになっている場内構造だ。
しかし、今回ここに用はない。向かうべきは、クリッターカントリーとウエスタンランド。マウンテン系のアトラクションが集まっているのはそのエリアになる。
マップで言うと左上端。要するにゲートからはかなり遠い位置になるので、なるべく早く向かいたい。
「アイス!みてみて!このミニーのカチューシャ欲しかったんだよね!買うね!お店入るよ!」
「あ、おいちょっと待て!」
やはりというか何というか。ディズニーに慣れていない人間を連れているということは、こうなるだろうということは目に見えていた。
白餡はテンションMAXでアベニュー内のお土産屋さんに入り、キャラ物のカチューシャを2個さっさと購入してくる。
「はい、私はミニーで、アイスはこっちね」
「混んでなかったからいいものの、タイムロスは程々に……。何これダサっ!?」
ミニーのリボンが着いたネズミ耳のカチューシャを付ける白餡から渡されたのは、誰から見てもクソダサなカチューシャだった。
円弧状になっているカチューシャ部分には、3匹のアヒルがくっついている。ドナルドダックの甥の3匹のアヒル、ヒューイ、デューイ、ルーイの3匹だ。
芸人がモノボケ漫才をする時に活用できそうなレベルのカチューシャを渡され、流石にこれを付けるのは気恥ずかしさがある。
「えぇ〜?可愛いでしょ。アイスには良く似合うよ」
「分かった。悪口として受け取っておこう」
「なんで!?」
白餡が文句を言いたげだったので、仕方なく俺は受けとったカチューシャを頭につける。
ぎゃはははは!と大声でバカにしたように笑ってきたので、頭に1発軽めのチョップを入れ、俺たちは早足でアベニューを抜ける。
しかし、白餡の興奮は冷めやらない。
「これ、シンデレラ城ってやつじゃない!?アイス、写真!写真撮ろうよ」
「あ、あのなぁ。ちょっと落ち着いて」
「すいませーん!ちょっとそこで写真撮って貰ってもいいですか?」
「え、あ、おい!」
大きな通りを抜けた先に待ち構えているのは、ディズニーランドのシンボルとも言える建造物。シンデレラ城だ。
パークの中心にそびえ立つ立派な城であり、ここの広場では写真を撮っている人間も大勢いる。
白餡ももれなくその中の1人であり、知らない人に既に写真を撮ってもらうように交渉してしまっている。判断が早すぎる!
「ほら!アイス早く早く〜」
「はぁ。仕方ないな」
とはいえ、あんなに楽しんでいる白餡を見ていると、こっちまで楽しくなってくるのは事実だ。
俺はため息をつきながらも白餡の元へ向かい、2人並んでピースをして、写真を撮る。
「よし!行こいこ〜。あ、待ってタンマ!チュロスある!」
「まぁ待て。開園直後はチュロスは出来上がってない。アトラクション乗ったらちょうど出来上がってると思うぞ」
「そうなんだぁ!じゃあスプラッシュマウンテン行こ〜」
「おい!そっちじゃねぇ!」
勢い余って逆方向へと駆け出し始める白餡の腕を掴み、正規の方向へと足を進める。
「まったく、道に迷わないようにちゃんと掴んどけ」
「……!ご、こめん。ありがとう」
また何かに意識が取られて、変に迷われても困る。俺はまた白餡の手を握り、まるで子供を連れ歩くかのように、スプラッシュマウンテンへと向かう。
「アイス、詳しいんだね。ディズニーのこと」
「まぁな。家族とは何度も来てる。大体1年に1回くらいのペースかな」
地図も見ずに、一直線で目的地へと案内する俺の様子をみて、白餡は感心しているようだ。
「そっか。家族とディズニーランド……。良いね」
「おかげで大分新鮮味がないけどな。ほら、着いたぞ」
また重苦しそうな雰囲気になる前に、スプラッシュマウンテンの目の前に到着したのは良かった。
最初のタイムロスもあったせいか、待ち時間は15分となっているが、全然許容範囲である。
「これが、スプラッシュマウンテン!!」
「落ちている最中の写真を撮ってもらえるサービスもあるけど、写真は貰う?」
「え!そんなのあるんだ〜。欲しい欲しい!」
「分かった。じゃあキャストに頼んでおくよ」
「ふふ〜ん。楽しみだなぁ」
「……」
さて、ここまでは順調だ。しかし、ここに来て1つ問題がある。
俺は絶叫系が苦手だ!!
幼稚園児の頃、子供向けの高低差もそこまで激しくないジェットコースターとも言えないレベルのコースターで気絶したことがあるレベルだ。
スプラッシュマウンテンなんて乗れるわけがない。
いつもは母親と妹がこういうアトラクションを楽しんでいる間、俺は外でフードを食べるなどして待っているのだが、今日はそういう訳にもいかない。
そもそもなんで人間という生き物はこんなわざわざ自分から危険な目に遭うことを娯楽として消化しているんだ?その生態が理解できない。
「アイス、顔色悪いけど大丈夫?」
「は、はぁ?別に大丈夫だけど」
「……もしかしてアイス。ビビってんの?」
「な、お、お前言っていいことと悪いことがあるだろ!」
「え?図星??超面白いんじゃん何それ」
白餡は隣でケラケラと笑っている。かなり馬鹿にされている様子でとても悔しい。
そうこうしているうちに、順番が来てしまう。地獄のコースターの中に座るように案内され、安全バーを下げられる。
「前から3番目か……。コースター系は前と後ろどっちの方が苦しいんだっけ……。いや、考えるまでもない、前よりの席になってしまった以上、前の方が安全だと自己暗示をかけないと」
「ぷっっ、アイス本当にビビりすぎでしょ。ほら、手握っといてあげるから」
「ば、バカにしやがって」
完全にバカにされているが、震えが止まらなかった手が、白餡の手に包み込まれることによって静止する。
よし、あとは天命に任せるのみだ。
「お、動いたね」
コースターが動き出す。スプラッシュマウンテンの特徴といえば、あの滝のようにコースターが自由落下する所だと思うが、そこに辿り着くまでは川を流れるかのように外と洞窟の中を交互に進んでいく。
俺も乗ったことがないので、どのタイミングであの滝に辿り着くのか定かではない。
「凄い!キャラクター達が喋ってる!」
これはディズニーのアトラクションほぼ全てに共通する特徴だ。アトラクションはディズニーのキャラクター達が住んでいる世界を模しており、道中ではキャラクター達が平穏な日常をすごしている風景を見ることが出来る。
「うおっと」
「いやいやアイス、これは序盤のジャブでしょ。こんなんで叫ばないでよ」
「さ、叫んでないだろ。ちょっとびっくりしただけで」
最初の洞窟から抜けて外に出る時、若干の高低差があったのか、コースターが傾く。
嫌な心臓が浮く感覚を味わい、少し情けない声が漏れてしまう。
「この動物たちみんな可愛いね〜。アイスもそう思うでしょ?」
「あ、あぁ。そうだな」
俺は前方にしか意識を向けていない。コースターがいつ落下するのか、その心構えをしておくだけで、落下の恐怖心は変わってくるはずなのだ。
そして時は来る。
「あ、うさぎさんだ〜可愛い〜」
「お、おいちょっと待て目の前に道が見えない!これ来るぞ!」
白餡は岩壁の中で動いているうさぎのキャラクターに夢中だが、俺は前方の違和感にいち早く気づいた。
レールが水平方向にないのだ。これは……落ちる!!
「きゃーー!!!!!」
「ぎゃぁぁぁぁ!!!!!」
コースターが外に出た瞬間、斜め45度下向きに傾き、高速で落下し始める。
俺たちは繋いだ手を頭の上にバンザイの形でかかげ、各々が悲鳴をあげながら落下していく。
そしてなんと言ってもこのアトラクションの特徴は水だ。体全身に大量の水しぶきを浴び、俺らは服も髪も全てがびしょびしょになってしまう。
「ぶふっ、ぺっ、ぺっ!これ苦しいな」
「楽しい!これ楽しいね!アイス!」
鼻や口に入ってしまった水を吐き出しながら、げっそりとした様子の俺とは対照的に、白餡はアトラクションが楽しかったのか、ずっと声を上げている。
「楽しかったなら、よ、良かったよ」
「ねぇ見てよこれ。落ちてる時のアイスの顔面白すぎる!」
「さ、最悪だ……」
このアトラクションのせいで体力のほぼ全てが持っていかれた。息が切れ切れになりながらも、購入した写真を見てみる。
そこには笑顔で落下している白餡と、顔面が般若のように異形と化している俺の姿があった。
「はいじゃあ次、ビッグサンダーね」
「そうだった……」
まだ絶叫系アトラクションの地獄は続くらしい。
その後ビッグサンダーマウンテンに乗ったが、乗っている最中に気を失ったのか、俺は何も記憶に残っていなかった。
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「もぉ〜。アイス大丈夫?」
「ごめん。もう大丈夫だよ。お水ありがとう」
絶叫系に疲れ、ベンチで休んでいると、チュロスを買ってくると言って消えた白餡が、チュロスと飲料水を買って戻ってきてくれた。
「さてさて、これで私がランドでやりたいことはやったから、シーに移動だね」
「それもいいけど、昼飯はどうする?」
「おひるごはん!」
昼飯の発言に白餡は目を輝かせる。とはいえ、この時間だとどこのフードコートも混んでいるだろうか。
「どこかで並んで食べちゃうか、後はモノレールに向かうまでに適当にフードを買い食いしつつ〜って感じのどちらかだね」
「ん〜どっちでも良いんだけど、アイスのオススメは?」
「俺のオススメ?ランドでは何も食べずにシーで食べ歩きすることかな」
「え!?そんなの今の選択肢にあった?」
「いや直ぐに食べたいのかなって思って。実は食べ物はランドよりシーの方が美味いんよ」
「じゃあそれで!」
「分かった。じゃあ行こっか」
ランドの飯はディズニー感がマシマシであるため、造り物のようなイメージがかなりある。
しかし、シーに関してはモチーフが海外の風貌を目指した世界である分、食事にもこだわっている場所が多い。もちろん、全てがそうという訳では無いが。
そうと決まれば、俺らはシーに向かうのみ。
だがしかし、ここで俺のスマホが執拗に鳴り響く。着信だ。
「母さん……?こんな時に着信って嫌な予感しかしないが、まぁ取るか」
俺は足取りを緩めることなく、通話ボタンに指を当てる。
白餡に関しては、目で追いながら、迷子にならないように見張りつつ、目的地へ向かわせている。
『……爽、もしもし、そっちは大丈夫そう?』
『あぁ、問題ないよ。昨日はごめんなさい。急に帰れないとか送っちゃって』
『それは問題ないわよ。この前話してた部長さんのことでしょう?貴方の思うように、貴方の信じる正解を目指しなさい』
『母さん……』
『その為だったら、母さんはなんでも協力するわ。貴方の思う正解の為だったら、私はどんな事でも導いてみせる。だから、家族を信じて。ね』
家族を信じる……か。
他の家族を壊すために、自分の家族を信じる。なんともエゴイストで、ダブルスタンダードな考え方だろうか。
それに薄々感づいている。
もう逃げ切れる時間はあと少ししかないだろう。
そんな中、この状況を打破することが出来る可能性のある一手、そんな一手は存在しているのだろうか。
『だから……。ちょ、ちょっと待ってください!まだ……!』
『母さん!?』
通話先の音声が乱れる。なにか揉み合いが起こっているかのようで、通話先の声の主が変わる。
『やはりもう繋がっていたか。おいお前、何処の馬の骨とも知らないが、綾音を何処へやった!』
『……っ!その声!』
通話越しにも感じる威厳、間違いない。白餡の父親だ。
『おい、お前俺の母さんに何をした!?』
『何もしていない。少々、事情を確認した後、お前に通話を繋いでもらっただけだ。中々戻ってこないから不審に思ったが、やはりもう繋がっていたようだな』
『もうとっくに俺の身元も割れてるってわけか』
『あぁ、そうだ。貴様らがどこにいるのかは知らんが、今日中にはとっ捕まえてやる。覚悟をしておけ』
『!?』
『私からの伝言は以上だ』
プツッと電話が途切れる。
これで俺は確信した。このディズニーの滞在が、俺たちに残された最後の逃避行の時間であると。
2人は今、ディズニーという鳥かごの中に閉じ込められているようなものなのだ。
「クソッ、どうすれば……」
今からディズニーを退場し、どこか遠くへまた逃げれば、それなりの時間を稼ぐことは出来るだろう。
でも……。
「ほらアイス!何ボケっとしてるのさ、モノレール着いたよ!乗ろ!」
「あぁ、乗るか」
こんな白餡の姿を目の前にして、今更『帰ろう』なんて言葉を口に出す勇気は、俺にはなかった。
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「このモノレール凄いね。内装も普通の電車と全然違う」
「面白いだろう。中々乗る機会は無いから目に焼き付けておくといい」
シャトルモノレールの内装はかなり特殊だ。
号車によって内装はガラッと異なっており、壁一面が白くなっているものから、お姫様の部屋のような内装の号車まである。
世の中の電車全てがこんな感じの内装になったら世界は最初の3日だけ楽しくなりそうだ。
「あ、シー着くらしいよ。中々早いね」
「距離がかなり離れているわけじゃないからな。徒歩15分くらいの距離だ。モノレールなら3,4分で到着する」
モノレールは直ぐにディズニーシーの方へと到着し、俺らは続いてシーへと入場する。
「それでそれで、アイスのオススメの食べ物はどれなの?」
「まぁ待て。こいつは入口の近くにあるから直ぐに食べられるぞ」
「やったぁ!」
白餡はお腹がペコペコなのか、目をキラキラと輝かせながら早速フードについての話題を振ってくる。
そして、俺がシーに来たら絶対食べるほど、美味いと断言できる食べ物。それがこれだ。
「さぁ、白餡。これがディズニー界で最も美味い食べ物。スパイシースモークチキンレッグだ!!!」
「えっ?これって……」
白餡がキョトンとした様子で俺が買ってきたフードを目にする。
「そうだ!照り焼きチキンだ!」
「ただの照り焼きチキンじゃん!!!」
「え?」
まさかの白餡はお怒りの様子である。
「な、何故だ。これが本当に1番美味いというのに」
「いやいやいやいや、ディズニーのフードなんだからさ、もっとミッキーの形したパン!とか、ソーセージ!とかそういうのあるでしょ?何これただの照り焼きチキンじゃん!」
「ふっ、なんだそういうことか」
白餡の的はずれな見解に俺は嘲笑をこぼす。
「これだから初心者は困る。それでは自分から美味しい食べ物を拒絶しているだけじゃないか。良いか、騙されたと思って食べてみろ。人生が変わるぞ」
「……。そりゃそこまで言われたら食べるけど。買ってきちゃってるわけだし」
白餡は渋々と俺からチキンを受けとり、口へと運ぶ。
そして1口咀嚼した瞬間、今までの白餡の怒りは全て吹き飛んだかのような笑顔が咲いた。
「な、何これ!美味しすぎる。少し甘めのタレと胡椒と燻製の香りが聞いててすごく美味しい!お肉もジューシーだし。凄い!こんな美味しい照り焼きチキン初めて食べたかも!」
「な?言ったろ?」
満足気に俺もチキンを口に運ぶ。そう、これだよこれ。これが美味しいんだ。
このために家族のディズニー遠征には毎回着いてきているという節もある。
「あ、アイス、もう1本!」
「食うの早すぎだろ。もう1本買ってくるから、俺の持っててくれ」
「う、うん!」
白餡が速攻で1本チキンを平らげると、2本目を要求したので買いに行く。
今日は割と空いていたので、直ぐに受け取ることが出来たのだが……。
「おい、白餡。俺のチキンはどうした」
「い、いや。これはアイスが悪い。チキンを求めている人間がチキンを持って待機してろと言われて、その任務を遂行できるわけがないだろう?」
「おーけー、要するに俺の分まで食ったってことだな?」
「はい……」
「良かろう。許さん」
「ごめんってぇ、そのチキン半分こで許してくれませんか……?」
「え、半分なのかよ……。まぁいいか、白餡今日誕生日だしな」
「やったぁ!」
こうして白餡は俺おすすめのチキンを2.5個分平らげることとなった。どんな食欲してるんだこいつ。
「それで、シーだとなんのアトラクションがしたいんだっけ?」
「ラプンツェルとアナ雪!」
「分かった。じゃあ多分アナ雪の方が混むだろうし、アナ雪から行こうか」
「はーい!」
そうしてお腹がいっぱいになった一行が向かった先は、ディズニー映画である、『アナと雪の女王』がモチーフとなったアトラクションである。
この映画の内容を軽く説明すれば、氷の魔法が使える姉と、その妹の純愛百合って伝えるのが1番手っ取り早いのだが、その説明の仕方をしたら凄いファンに怒られそうなので、心の中に留めておく。
「楽しみだなぁ」
「白餡は映画、見たことあるのか?」
「うん、サブスクでね。エルサに共感しちゃって、大好きなの」
「エルサに?珍しいな」
エルサというのは氷の魔法が使える姉で、この作品では世界を氷漬けにしてしまう、言わば悪役のように描かれている節がある。
主人公は妹のアナであり、そちらの方が好きという人間の方が多数派のように思える。
「うん。エルサって氷の魔法を使えるけど、それって望んで手に入れたわけじゃないの」
「あぁ、確かにそんな設定だったような気がするな」
「でも、エルサってその能力を手に入れたせいで、人々から悪魔だなんだって邪険にされるじゃない?そういう所が可哀想と思ったし、共感出来るところでもあった」
「その能力ってのが、白餡に置き換えると、化学の才能って感じになるのか?」
「うーん。まぁそうかな。私はこれのせいで、家族からも、そして中学時代のクラスメイトからも邪険に扱われてきたからね。そこは似てるかも」
まっちゃが語ってくれた、『白餡は中学時代に虐められていた』という話を思い出す。
「でもね、私とエルサじゃ決定的に違う部分があるよ」
「違う部分?」
「うん、私は化学が好きだったって所かな」
「そうか。あ、順番来るよ」
「やったぁ!」
白餡は昨日思い詰められていたとき、『こんな才能無ければ良かった』とまで口にしていた。それでも、やはり今は白餡は『化学が好き』と明言している。
彼女の化学が好きという気持ちは、こっちが本質なんだろうな。と、読心術が使えなくても誰でも分かる。
白餡は『化学が好き』であることを公に晒すことに対して恐怖を抱いていたこともあったのだろう。
だってそうだ、1番身近な存在である家族にそれを忌避されているのだから。
だからこそ、今、こんなに素直に自分の気持ちを晒けだし、ありのままに生きることが出来る白餡を、俺は守りたいと思うんだ。
───────────────────────
「次はラプンツェルだね〜」
「俺ラプンツェル見たことないんだよな。どういう話なの?」
「うーん、説明難しいんだけど、展開はロミジュリ展開かなぁ。誘拐された後、外の世界を知らないまま塔に幽閉されて育ったプリンセスがいて、それを王子様が助けるって感じ。概略はね」
「はぇーー。そんで白餡はラプンツェルに自分を重ねてるわけだ」
「……。別に」
「そうなの?」
ぶっきらぼうな返事は予想していなかった。だって、外の世界を知らないプリンセスとか、白餡の概形にピッタリ当てはまっているような感じがしたし。
「ロミジュリ的展開が好きなだけで、ラプンツェルは……そんなに好きじゃないかも。だって、誘拐されてるとはいえ、彼女は寵愛を受けていたし、それに最後は王子だって迎えに来てくれる。そんなプリンセスに私は共感できないよ」
「……。そうか」
「それとも……」
白餡は妖艶な微笑みをこちらへ向けてくる。
「アイスが私の王子様になってくれる?」
「それは……」
俺は言葉を濁す。
客観的に見れば、俺は王子様をやっている最中なのかもしれない。
しかし、それは完璧な王子ではない。なぜなら、これは一時しのぎに過ぎないからだ。
完遂できなければ、王子にはなれない。
つまり、白餡はこの逃避行の完遂を望んでいる。
「うそうそ、冗談だって。今この時間をアイスと過ごせるだけでも私は嬉しいよ」
「そっか、良かった」
この逃避行の終わりはもう目前に迫っている。
その事実が脳裏によぎってしまい、潔く王子様となる宣言を出来なかった自分が情けなく思えた。
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ラプンツェルのアトラクションを終え、時刻は午後4時である。
「よーし、あとやりたいのは一つだけ!亀さんと話すタートルトークだね!」
タートルトークは大人気アトラクションだ。待ち時間は50分。これをやって、ランドに戻り、パレードを見れば、丁度閉園時間の21時になるだろう。
そして、俺は予感していた。その21時がこの逃避行の終わりとなる。
だから、その前に、その前に俺は覚悟を決めなければならない。結論を出さなければならない。
「どうだろう、当てて貰えるかなぁ〜。当たったら何話そうかなぁ」
白餡は無邪気に、マイクを渡された時のことを考えている。
このアトラクションはお客参加型のアトラクションである。
挙手制で運良く選ばれた人間は、スクリーン上に映っている亀と会話ができ、なにか質問を1個投げかけられるのだ。
夢もへったくれもないが、中身をやっているキャストの人はかなり大変なんだろうなと思う。世界観を壊さずに質問に答えるの大変そうだし。
「いやー、好きな○○系は無難すぎるよなぁ。なんか難しい化学の現象の話して意地悪するのも面白いかも……。アイス?」
「ん、あぁ。ごめん、考え事してた」
「それって、さっきの電話と関係ある?」
「!……気づいてたのか」
「そりゃあ、後ろから着いてきてる人がずっと電話してるんだもん。気付くでしょ」
白餡が言っているのは、ランドの方でモノレールに向かうまでの道中にした電話のことだ。
白餡の父親と会話した内容……、そこまでは気づかれてないと思うが。
「薄々勘づいてるよ。もうバレちゃったんだよね」
「っ!?」
俺の心の中の疑問に答えるかのように白餡は会話を続ける。
「仕方ないよ。そもそも、私がここに来たいって言ったのが悪いし、それに、私もそんなに長い間逃げ切れるとは思ってなかった」
「……ごめん。本当に、役立ずで」
「いいんだよ別に。1日でもこんな気持ちになれて嬉しかった。『自由』ってこんな感じなんだって、1日だけでも体験できて、私は嬉しかったよ」
「……」
「だからね、アイスの発する言葉は『どういたしまして』が適切、『ごめん』じゃないよ。私はこんなにも感謝してる。ありがとう」
「どういたし……まして」
「……。はは、大丈夫、私はこれで元の自分に戻れるよ。もう心残りはない」
その元の自分は……『本当の自分』では無い。
そう声を掛けようとしたが、言葉は出なかった。──出せなかった。
白餡の顔を見ることが出来ない
「そうだ!私、亀さんに質問する内容思いついたよ!当たるといいなぁ〜」
俺は無言のまま、キャストに案内されて、アトラクションの中に入る。
白餡が質問を思いついたと同時に、俺らの順番が来たようだ。
───────────────────────
俺らは巨大なスクリーンが前方に設置された部屋へと案内される。
俺はゆっくりと腰掛け、スクリーンの方を見る。
白餡の方を向くのが怖かったからだ。
キャストの案内が終わると、室内には陽気な音楽とともに、海の背景が映し出される。そして、数秒後、陽気な亀のキャラクター、クラッシュが出てきた。
「やぁ〜お前たち〜最高だぜぇ〜!」
「いぇーい!」
白餡はもう既に予習してきていたのか、クラッシュの挨拶にも完璧に対応している。
「おっと〜まだ、俺らの挨拶を知らないヒトが多そうだな。いいか?俺が最高だぜぇ〜!って言ったら、お前らも両方のヒレを大きくあげるんだ〜行くぞ〜?」
クラッシュがまずはテンプレのスタートを開始する。挨拶を教えながら、1番目に止まった子供に声を掛け、話を始めるというのが、お決まりだ。
「それじゃあ1番前にいるそこの坊や、名前を教えてくれるかい?」
始まった。正直このアトラクションの面白さはリスナー側に依存している節がある。
そして、大抵の場合子供を相手にしている場合は、子供に対して微笑ましいという感情を持つ以外面白いところがない。よってこの時間は思考タイムだ。
21時、ディズニーランド内に入り込んで俺らを捜索するという、非効率的な行動を取らないのであれば、1番堅実な行為は、出入口のゲートで待ち伏せするというものだ。
このテーマパークの出入口は、シーは複数個あるが、ランドには1個しかない。
全て出待ちされていたら元も子もないが、エレクトリカルパレードを見て、閉園間際にランドにいる時点で、俺らがテーマパークから出る手段は1つしかない。
であれば、捕まった後のことを考える他ない。
しかし、100%父親は警察を引き連れていることだろう。警察から取り押さえられたらそこから脱出できるほどの体技を会得している自信もない。
これは……、考えれば考えるほど、詰みだ。
どうする、どうすれば……。
「お前たち〜最高だぜぇ〜」
「いぇーい!」
……。どうやら1人目の対話が終わったようだ。ここから2人目に入る。
「さて、他に俺に質問があるやつはいるかぁ?」
「はい!はいはい!!はい!」
隣で白餡が大はしゃぎで手を上げる。
羞恥心を投げ捨てたのかと思うが、対話したい場合に、このアトラクションにおいては正しい立ち回りだ。なぜなら、これほどハイテンションでいれば……。
「おぉ、そこの元気のいいお嬢ちゃん。前から3列目の真ん中だ。今度はお嬢ちゃんと会話しようじゃないか」
「やったぁ!!」
白餡はキャストからマイクを渡され、ウキウキの様子だ。良かったな、白餡。
──こいつ小学生だと運営側に思われてないか?まぁいいけど
「おーけーだ。じゃあまずはお嬢ちゃんの名前を聞かせてくれぇ〜」
「はい!あやねです!今日18歳になりました!」
「「えぇ〜」」
周囲から驚きの声が上がる。
気持ちはわかるぞ、俺もこいつが今日で18歳になったとは思えねぇもん。
「おぉ〜それはめでたいぜ〜。それで、お嬢ちゃんが俺と話したいことってなんだ?教えてくれぇ〜」
「はい!私は今日、隣にいる人に無理やりここに連れてこられました!」
「……は?」
思わず俺の口から言葉のような音が漏れ出る。
会場の空気も一瞬で凍りついた。え、事件?とかいう声も上がっている。白餡は一体何をしているんだ??
「っと〜それはどういうことだい隣のあんちゃん。ちょっと詳しく話を聞いた方が良い感じかぁ?」
「え、あっ」
会話の矛先が俺へと向かう。
口調も相まって、反社会勢力の人間に詰められているかのような感じになり、挙動不審になってしまう。
「あ、大丈夫です!そういう誘拐とかじゃなくて、隣の男子は高校の友達なので!」
「なんだぁ〜そういう事なら最初に言ってくれよ〜勘違いしてしまったぜ、嬢ちゃん」
あちこちで『良かった〜』やら、『なんやデートか』のような声が上がってくる。
俺が犯罪者であるという疑惑が晴れたみたいで良かった。
「それで、私今日誕生日なんですけど、私って自分の家が大嫌いで」
「!」
白餡が亀との会話を続ける。亀は重い話と察したのか、茶々を入れず、真剣に相槌をついて聞いている様子だ。
これもテンプレ通りではある。
「それで、勝手に知らない人と結婚させられそうになってたんです。それが私は嫌だったんですけど、そしたらこいつが、急に私の事を家から連れ出したんです」
『自殺』という単語は使わず、白餡が置かれていた状況を懇切丁寧に解説し始める。
「最初はムカついてたんです。嫌だったんです。『なんだこいつ勝手に……!』とか思って、私を連れ出したこいつに腹が立ってしょうがなかったんです」
え、白餡最初はそんな風に思ってたのか……?
少なからず、自分の思いが空回りしていたという事実を突きつけられ、俺はシュンとなる。
「でも、一緒にご飯を食べたり、寝泊まりしたり、そして今日ここで遊んだりしてるうちに、その怒りがどんどん鎮まってきて……。こいつは私のことを必死に考えてくれるんだって思って……」
よ、良かった……。まだ実は怒ってますとかだったら、俺は立ち直れなかったかもしれない。
「でも代わりに湧いてきた感情は、喜びでもないし、楽しいとかも……あるけどなんか違うような気がして……」
白餡は顔を赤らめて続きを述べる。
「とにかく……ドキドキが止まらないんです!!これって……なんなんですか!??」
白餡は最後を大きな声で言い切った。
周りの観客たちは静まり返っていたが、徐々にざわつき始める。『え…?』『いや、それは……?』みたいな声が多数上がり始める。
そしてそれは、俺も同様だった。俺も白餡のこの行動に、非常に困惑している。
「はっはっはっはっ」
「……?」
クラッシュは白餡の長い話を聞いたあと、それを深く飲み込み、大きな笑い声を上げた。
白餡は何が起こったのか分からない様子でキョトンとしている。
「なんだ嬢ちゃん。どんな質問をされるのか心配だったぜぇ〜。だが、それなら単純だ。俺は亀だから、人間の事はよく知らないが、人間の間でその感情をなんと呼ぶかくらいは知っているぜぇ」
「本当ですか!」
「あぁ〜それはな」
クラッシュが少し沈黙をしたあと、おもむろに続ける。
「『恋』だ」
「!!」
白餡は驚いたような表情を浮かべる。そして、同時にとても顔を赤くし、呼吸が早くなっている様子だ。
「いや、どうだろうな。『愛』かもしれない。だが、嬢ちゃんが思っているその気持ちは、素直に隣のあんちゃんに伝えるべきだぜぇ」
「……なっ!」
クラッシュが余計な入れ知恵を働いてくる。
この方がエンターテインメント的に面白いと、クラッシュはそう判断したんだろう。
「……アイス」
「は、はいっ」
白餡がスクリーンから視線を俺の方へと向けてくる。
白餡は起立しており、俺は座っている状態、身長差的に丁度首を軽く傾けると白餡の顔が良く見える位置にある。
白餡の顔は真っ赤だった。少し目が潤んでもいた。
初めて恋という感情を知った少女だった。
初めて愛という感情を知った少女だった。
「アイス……。私は……」
俺は黙って言葉の続きを待つ。
「私はアイスのことが好きです!結婚してください!!」
白餡は深々と頭を下げて、俺の前に腕を伸ばしてくる。
ひ、えっ、嘘、え、あっ……。
周囲が沈黙に包まれる。俺の返事を待っているというプレッシャーだ。
え、結婚…??いや、付き合うとか、え、ちょっと待って。いや確かに18歳……。でも、えっと……。
俺の脳内は混乱状態に陥る。
そして、周囲からのプレッシャーに応えるかのように、細々しく、か弱い音を上げた。
「……………………はい」
その微かな俺の口から漏れた音は、周囲の静寂を破るには十分だったようだ。
「「「「うおおおおおおお!!!!!」」」」
「アイス!」
観客は鼓膜が破れるかのような勢いの雄叫びを上げる。
白餡は地を蹴り、俺に抱きついてくる。
世界が、世界がどういう図形をしているのか、俺には今捉えられない。
「はっはっはっはっ、お前たち〜最高だぜぇ〜」
「いぇーい!」
高笑いをしながら、クラッシュは白餡との会話を切り上げる。
俺のこのアトラクションの記憶はこれで最後だった。
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「タートルトーク、楽しかったね」
「……。あぁ」
俺らは今モノレールに乗って、ランドへと戻っている。
タートルトークの内容は、後半は何も覚えていなかった。
とにもかくなも前半の内容が俺にとって衝撃的過ぎたのだ。
「あの、白餡。あれって……」
「私の本心だよ。私はアイスが好き」
「そ、そうか」
「……なに、もしかして嬉しくなかった?」
「いやいやいやいや、そんなことは無いんだ。ただ、まだ脳が情報を処理できてないというか」
白餡が顔を曇らせるので俺は慌てて否定する。
俺は白餡が嫌いなわけじゃない。どちらかと言えば好きよりだ。
とはいえ、急に女の子から告白なんてされたら世の中の男子はみんなこういう反応になると思う。
モテモテで告白されまくりのイケメンとかは知らないけど。
「ランド着いたよ!行こっ」
白餡は自然と俺の指に彼女の指を潜り込ませ、恋人繋ぎをしながら、列車を下りる。
そのまま、俺たちはパレードの方へと歩き始める。
俺がモヤモヤしている理由。それはこの告白が『不完全である』ということだ。
ここで俺と白餡が交際するというのは、今は逃避行中だからそれが許されているだけである。
この逃避行が終わり、白餡は元の家に連れ戻され、お見合いの話がまた始まったら……。
この交際は、婚約は、結婚は、全て無かったことになってしまう。
その意味で、この告白は未だ不完全なのだ。
しかし、この不完全さを是正するためには、白餡1人の力では到底無理なのだ。
白餡は諦めていた。
タートルトークの前、もう父親に居場所がバレていると察した時も、白餡は絶望する様子ではなかった。
諦観していたのだ。まるでそれが分かっていたかのように。
だから、この告白が無意味なものであるということを知っている上で、白餡はこの告白をしたんだ。
それでも、それでも良いんだと自分の胸に言い聞かせて。
だから、この告白を完全なものにするには……。
俺も勇気を出さなければならない。
「綾音」
「!」
俺は白餡──綾音のことを呼び止める。
「ど、どうした?急に綾音呼びなんてらしくないな」
「俺に嫁をあだ名で呼ぶ趣味は無い」
「ちょ、ちょっと何それ。いきなり照れるじゃん」
綾音がやめてよ〜と言わんばかりのポーズで、照れを隠している。
だが、俺は畳み掛ける。
「綾音、なぜお前はあそこで告白したんだ」
「え?いや、別にまぁちょっと流れに乗せられちゃったような部分はあったけど……。でも、あれは私の本心で……」
「綾音も、気づいてるんだろう?」
「……っ!」
綾音は俺を目を合わせようとしない。
本心、本心と言っておきながら、本当は俺に本心を見透かされるのを怖がっているのだ。
「この告白は、俺が了承したところで、成立しない。この、逃避行の期間でしか成立しない告白だ」
「それでも……それでも良いと思ったの」
「!」
「そんな事は!……分かってる。でも、伝えられないまま──さよならなんて、そんな悲しいことはしたくない!」
綾音は涙を堪えている。涙を流してしまえば、止められなくなってしまうと気づいているのだろう。
だから──
「綾音」
「……なによ」
──俺は勇気を出すことにした。
「綾音、俺と家族になろう」
「……え?」
俺は、そう綾音に告げた。
これが俺の────俺の本心だ。
「家族って……だって……」
「俺の家で、俺と一緒に暮らすんだ」
「そんな……そんなことできな」
「出来るよ!!」
俺は今日1番の声を上げる。
「綾音は俺のことを六フッ化白金になれみたいなことを言ったな。希ガスの酸化剤。要するに強力に縛りつけられた電子に見立てた自分を連れ出してほしかったんだろう?」
「…………うん」
「そして、綾音はそれと同時に俺のことをフッ化水素だとも言った。ようやく分かったよ。その真意」
「……ぐすっ」
「フッ化水素だって希ガスを酸化出来るじゃないか。それを綾音が知らなかったはずがない。綾音は最初から、俺を頼ってたんだ」
「……ぐすっ……ひっく」
「綾音、これが俺の本心だ。だから……もう一度聞く」
「うっ……ぐすっ……」
綾音は耐えきれなくなったのか、目から大粒の涙を流し始める。
「綾音、立ち向かうよ」
およそ24時間前と同じセリフを俺は放つ。
ただし、俺も綾音も、少し変わっていた。
───────────────────────
俺たち2人は入退場ゲートから外へ出る。
パレードは結局見ていない。決意が固いうちに、全てのケリをつけようと思ったのだ。
「……」
退場ゲートから出て、1歩。
直ぐに目の前にはパトカーが1台止まっているのが見える。
そして、その中から、警官が2人と……
綾音の父親が出てきた。
「……お父様」
「綾音。ようやく見つけたぞ。さぁ、こっちに来なさい」
綾音は首を横に振る。
それを見た父親は少しイラついた様子になり、語気を強める。
「綾音!いい加減にしなさい。無理やりにでも連れて帰るぞ」
父親のその言葉を皮切りに、後ろで待機していた警官2人がこちらの元へとやってくる。
さて、俺の出番はどうやらここが最初で最後のようだ。
「っ!貴様ッ!」
俺は綾音の方を取り押さえようとしていた警官の腕を引き、警官を2人とも俺の方へと引き寄せる。
警官は2人がかりで俺を取り押さえようとするが、俺も必死の抵抗をして、なんとか逃れようとする。
俺は取り押さえられても構わない。目的は……
白餡を『自由』にすることだ。
「小賢しい真似を……」
「パパ!」
「……っ!」
「ねぇ、話をしよう」
10章 ×××は終わってる
の更新は翌日となりそうです。お待ちください。
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