8章 逃避行は終わってる
「えっと、まずカードを売りたいから、秋葉原ってところに行きたいよな。どの切符を買えばいいんだ……?」
「この東京行きってのを買えばいいんじゃないの?」
「え、でも上の路線図見る限り、上野ってとこで降りた方がいいんじゃないのか?こっから歩けば」
「その上野って所から山手線ってやつで行けるんじゃない?」
「なるほど?この山手線の切符はどこで買えるんだろう」
「うーん」
我々は田舎民、切符の買い方が分からない。
いつもはICカードで適当に電車を乗っているから気にしなかったが、切符って一体どうやって買うんだ?これで目的の地点まで辿り着くのかどうか分からない。
ICカードは今手元に1枚、俺のものしか存在していない。だから少なくとも一人分は切符を買わなければいけないのだが……。
「ええいままよ!この1000円くらいの切符を買って、間違ってたら駅員さんに謝る方針で行こう」
「そうだね。このままだと追いつかれちゃうかもしれない」
1000円を切符販売機に入れ、そのお金で買える最大の切符を購入し、俺は白餡に渡す。
「よし行こう、あと3分で電車が来る。これを逃したら21分後だ」
「まずいね、ちょっと走ろうか」
「あ、ちょ決断が早いな」
俺は駆け出した白餡の後を小走りで追いかける。
白餡の目は必死だ。逃げることに必死。
まぁ仕方のないことだ。彼女は今命を狙われているようなものなのだから。
俺たちは改札を急ぎ足で通り抜け、丁度来た電車へと乗り込む。
平日の夕方、東京から茨城へ帰宅する人間は多くても、この時間から東京へ向かう人間は少ない。
電車の座席は閑散としていたため、俺たちは座って息を整えることにする。
「ふぅ〜。座れるのはありがたいね」
「……なんで」
「いやなんでと言われましても、人が少ないから座れるとしか言いようが」
「なんで私を連れ出したの」
焦燥感から解放され、白餡がふと口に疑問を呈する。
「別に私を連れ出す必要なんて無かった。あそこでアイスだけ逃げることも可能だった。それでも……それでも私を助けた理由って何」
「……」
「答えられないなら、別にいい。目の前で人が死ぬのが嫌という理屈なら人間の本能的にも理解はできる」
俺が答えに詰まっていると、白餡は自問自答で解決を図ろうとする。
その結論に異議を唱えるかのように、俺は口を開いた。
「それも……ある」
「も……?」
「俺は白餡に世界を見てほしかったんだと思う。世界はこんなに自由なんだって、知ってほしかったんだと思う」
「そう」
彼女はさも興味がないかのように、窓の外へと視線を逸らす。
だから、俺は話すことにした。
「俺は物心ついた時から、家族の中に父親という存在は居なかった」
「……っ!」
俺が語り始めると彼女は目を丸くしてこちらと顔を合わせてくる。
「おかしな話だよな。3歳まで一緒に暮らしてたらしいんだけど、俺には全くその記憶が無いんだ。俺の脳内から3歳までの記憶が完全に消えている」
「不思議だな。私も断片的でしかないが、最古の記憶は2歳の頃だ。あれは…………」
白餡が何かに思いを馳せるようにして、話を続ける。
「いや、内容はどうでもいい。アイスは3歳までの記憶が完全に無いというのか?」
「うん。でもこの前母親から聞いて、大体の理屈は分かった。俺は3歳まで父親に虐待を受けていたらしい」
「……」
「重い話でごめん。だから、俺の深層心理は虐待されていた頃の記憶を完全にシャットアウトしてるんじゃないか。俺はそう考えている」
「有り得ない話ではないな。人間には防衛本能というものが備わっている。記憶の忘却もその一種だろう。」
「それでもトラウマが呼び起こされないのは不思議だけどね」
白餡は真剣に俺の話を聞いてくれている。そして、信じてもくれているようだ。
「俺は……そんな父親からどうやら逃げ出したようなんだ。母親と一緒に」
「そうだった……のか」
「俺のそこからの人生は順風満帆だった。だって今がそうなんだから。俺は生きるのが楽しい。でも、それは『逃げ出す』ことができたからこそだと思うんだ」
「……」
「白餡は、まだ世界を知らないよ。牢獄の中に居た。だから、母親が俺にしたように、俺も白餡が檻から抜け出す手伝いをしたかったんだよ」
「そんなの……エゴだ。私の人生の決定権は私にある。命を絶つ決断は、初めて私の意識下にある決断の元行われたんだ。それをアイスに止める資格なんて……」
「ないよ。そんなものはない」
「……っ、じゃあ!」
「でもそれは、対照実験じゃない」
「!」
「俺がこの世界を楽しく思えているのは、『俺だから』なのかもしれない。もし白餡だったら、俺と同じ世界が見えていたとしても、楽しく生きることなんて出来ないのかもしれない」
「……」
「だけどそれは条件が均一になってない。十分なデータを得ていないのに結論を出すには早計すぎる。だから、俺はその考察を補助するためのデータを提供しているだけだ」
「そう……か」
「もし、俺と同じデータを見た上で、その上で白餡の結論が変わらないのであれば…………………」
俺は一層声色を真剣にして伝える。
「その時は俺は止めない」
俺の本心を伝える。
俺は前を向きながら、白餡と目を合わすことなく淡々と想いを述べた。
沈黙に気まずくなり、俺は耐えきれなくなって、横に座った白餡の方を流し見する。
────白餡は泣いていた。
「……」
だが、ここで俺が動揺するのは正しくない。
もし動揺してしまえば、俺が綴った本音に揺れが生じてしまう、そう思ったからだ。
そう思った俺は、泣いている白餡の頭にそっと手を乗せた。
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「着いた……」
「ここが……」
「「秋葉原だ!!!!!」」
1時間ほどそのまま電車に揺られ、お互いに浅い眠りについてしまっていると、あっという間に目的地に着いていた。
ここは秋葉原駅、俺も白餡も東京に来るのは初めてということもあり、置かれた状況を忘れて少しテンションが上がってしまっている。
「アイスあれ凄くない?あんなにでっかいアニメのポスターが至る所に……」
「これは想像より凄いな……。人の量も茨城とは段違いだ」
白餡は涙を流して吹っ切れたのか、未開の地に興奮しているのか、教室モードまでとは行かずとも、かなりテンションは高めでいる。
さて、目的地は何かしらのカードショップだ。この近くだとこのビルの7階にあるやつか、あの店の地下1階にあるものが良さそうだ。
俺はスマホの地図アプリを眺めながら、良さげなカードショップを選別する。
すると、俺の左腕に何か重量感を感じた。
その方向に視線を向けると、白餡が俺の腕と自分の腕を絡ませてぎっちりとくっついている。
「し、白餡!?どうした急に」
「人が多すぎる。私はただでさえ身長が低いんだから、あんな人混みの中で突っ立ってたら潰れちゃうって」
「ま、まぁそうか……」
俺は少し恥ずかしくなりながらも、その体勢のまま、目的のカードショップへと向かう。
カードショップでは、やはりというかなんというか、俺が持ち込んだカードは超レア物であるため、取引にはかなりの時間がかかった。
およそ1時間もの鑑定の間、俺たちは上の階でアニメのグッズを見ながら暇を潰す。
そして、難はありながらも、無事カードを91,000円と交換することが出来た。
「無事に売却できて良かったよ。虫眼鏡まで使われて入念に傷チェックされるから、ヒヤヒヤした」
「アイス!これ見てよ!最新の学校アイハンのグッズがこんなに!」
「凄いな……茨城のアニメイトにはこんなに大量のグッズは置いてないぞ」
白餡も、自分の好きなコンテンツの売り場を見つけたのか、大はしゃぎしている様子だ。
「白餡ってそういうサブカル的なの好きなのか?なんかあんまりイメージ無かったっていうか」
「うーん。まぁグッズとかは見るけど買えないしね。買ったところで何がしかのオーディションに落選したものは私の前から姿を消しちゃうし」
「あぁ……」
俺はまっちゃが言っていたことを思い出す。
アイカシのキーホルダー、お揃いの物が父親に捨てられたということ。
「でも流石にスマホの中身は見られないから、こっそり漫画を読んだり、ソシャゲをやったりして暇を潰してたんだ」
「そっか、見てみたかったな。白餡がアイハンやってるとこ」
「んまー、スマホ置いてきちゃったからね。でも逆にあのスマホってGPSが付いてるから、向こうも私の居場所を探る方法がなくて戸惑ってるんじゃない?」
「マジで?GPSで監視されてるのかよ」
和菓子屋の前で白餡が連れ去られた時、あの場所を知られたのはそのGPSが原因だったのか。
「普段はそんなに意識しないからあまり気にならないよ。そんなことより、これからどうするの?」
「そうだなぁ……。まずは夜ご飯かなぁ。疲れてるしお腹も空いたでしょ?」
言いながら、適当に飯屋を検索する。
東京はチェーン店よりもどうやら個人店の方が数が多いらしく、知らないようなお店が大量に並んでいる。
「どれにしようか」
悩んでいると、白餡は俺の肩を叩き、ある店を指さした。
「じゃ、あれ。サイゼ行こ」
「え?サイゼでいいの?」
「そもそも今は観光に来てるわけじゃないし、高い金を払って微妙な思いをするよりは、味と値段が保証されている所を選ぶべきだと思う。アイスがもう既に下見してますとかなら話は別だけどね」
「分かった。そうしよう」
意見に納得し、俺らはサイゼへと入る。高校生御用達のファミレスだ。
今は平日の夜8時台、そんなに混んでいるような様子もなく、並ばずに席へ案内して貰えることになった。
「今日は何食べよっかな〜」
「テンション高いな。白餡サイゼ好きなのか?」
「普段から良い物を食べてるとね、こういう科学調味料マシマシのご飯とか宝石のように美味しく感じるんよ」
「うぜぇ〜」
白餡は自慢と自嘲、両方が合わさったような声で呟く。
高校の近くにもサイゼがあり、放課後に部活の面々で帰りに寄ることが稀にある。
その時も白餡はいつもワクワクして食のテーマパークを見ているかのようにはしゃいでいた。今度すたみな太郎でも連れてってみようか。
「ほら早く、私スマホ持ってないんだから、アイスしか注文出来ないよ!」
「あぁそうだったごめん」
このファミレスは最近QRコードによるモバイルオーダー形式を採用しており、自身のスマホを持っていないと注文が出来ないシステムになっている。
今回の白餡みたいにスマホを持ってきていない来客が来たらどうするんだろうか。という心持ちではあるが。
「ドリンクバーはマストで〜何食べよっかなぁ。ミックスグリルでも良いし、パスタも食べたいんだけど〜。あ、ポップコーンシュリンプ食べたいなぁ」
「俺はミラノ風ドリアにラージライスで」
「え、きも。何それ」
「ふっ。知らないのか。ミラノ風ドリアとラージライスを共に頼むことによって、実質的にミラノ風ドリアを大盛りにすることが出来るという裏技を」
ミラノ風ドリア+ラージライス。一部の変態な奴らには広く浸透している注文方法だ。
ミラノ風ドリアを2個頼む3/4の値段でミラノ風ドリア2個分の食事が楽しめる。ワンコインでお釣りが来る学生飯だ。
「知らなくて良かったかも。私はこのミックスグリルと小エビのサラダと、ソーセージピザで」
「白餡って見かけによらずめちゃくちゃ食うよな」
「これから成長期だからね。どんどん食べるよ」
「高3で149cmキャミソールのやつに望みはもうないって」
「……ぶっ飛ばす!」
軽口を言い合って、注文をスマホで済ませると、スマホがバイブレーションをあげる。
誰かからの着信だ。
「あれ、ほーちゃんから電話来てるよ?」
「マジか。今どうしてるかとかそういう類の電話だろうな。出るべきか、出ないべきか……」
「ほーちゃん〜もしも〜し」
「ちょっ!おまっ!?」
考えるや否や、白餡が机の上に置いてあった俺のスマホを操作し、勝手に電話に応答してしまう。
予想通り、電話口のまっちゃは焦りを帯びた様子で必死に声を上げてきた。
「もしもしもしもしもし??白餡そこに居るの!?アイス!!お前今どういう状況だ!?これは」
「あ〜まっちゃさん?ちょっとこの状況を口頭で説明するのは難しいというかなんと言いますか」
「黙れこの性犯罪者!アイスがあやねんの家に押し入って、あやねんを誘拐したって所までは足が付いてるんだよ!あぁ、こんなことなら住所なんて教えるんじゃなかった……」
「いや、だから……」
「ほーちゃん。私は大丈夫だよ〜」
「あやねん!?」
激しい剣幕で俺を罵ってくるまっちゃに対して、反論の余地が与えられず困っていると、白餡が助け舟を出してくれた。
「私は大丈夫、アイスは私を助けてくれただけだよ。だから心配しないで?」
「あ、あやねんがそう言うなら……。ていうかアイス。ちゃんと事情を説明して?」
「だからそのつもりだったっての……」
俺はまっちゃに急かされ、白餡が自殺未遂をしたこと、父親に殺されかけたこと。そして、そんな家から一緒に逃げ出してきたこと。
これまでの経緯を全て話した。
「そんなことが、あったのね」
「ごめんね、ほーちゃん。今まで言い出せなくて」
「いいの、あやねんは悪くない。それよりアイス、事情は分かったわ。でも、事態はアイスの思っているより深刻よ」
「それはどういうことだ?」
「……警察が動いてる」
「!?」
警察……。予想はしていたが、実際にそのような動きを見せられると、自分にも緊張感が走る。
「私があやねんが誘拐されたって知ったのは、今私の家に警察が来て、事情聴取を迫られたから」
「それで、まっちゃはなんて答えた?」
「今の所は何も知らないって。情報が手に入り次第、折り返すように言われている。どうやらあやねんのお父さんは、『娘が知らない不審者に誘拐された』という感じで、警察に被害届を出しているみたいよ」
「あの父親……どこまでも……」
あの家は俺が逃げ出した当時、散乱していた。
不審者が家に押し入って家を荒らしていった、とでも言えばまかり通るだろう。
まさか、自分で自分の娘を殺そうとしただなんて言うはずがない。
「そのうち、アイスの家にも警察が行くと思う。その件については大丈夫なの?家に居ないこととか、家族は処理してくれるわけ?」
「そこに関しては大丈夫だと思う。だって俺の母親は……母親は……」
母親は……なんだ?母親がなんだって言うんだ?
なぜ俺は今心の底から母親は俺を守ってくれると────いや、警察を上手くやり過ごせるはずだと。
何故心からそう思えたんだ……?
何か……何かが引っかかる。
「まぁ大丈夫ならいいわ。それで、私も協力したい。あなた達の居場所を、どこに居るっていう風に警察に伝えたらいい?」
「はっ……。そうだな、どうしよう」
まっちゃの声で思考が現実へと戻される。
この感じだと、まっちゃは恐らく虚偽の申告をするつもりなのだろう。
しかし、それではまっちゃまで共犯扱いにされてしまう。──それだけは避けたい。
「ミラノ風ドリアになります〜。こちらラージライスです〜」
「あ、ありがとうございます」
「ミラノ風ドリア!?あんた達今サイゼにいるの!?」
「げ、バレちまったか」
だいぶ時間が経ったのだろうか。店員からミラノ風ドリアが運ばれてくる。
ミラノ風ドリアなんて商品名がある店はおそらく世界に一つしかない。サイゼリア一択だ。
「サイゼってことは……。学校方面に逃げたってこと?」
「!」
そうだ。行動範囲が狭い俺ら茨城の高校生にとって、身近なサイゼと言えば、高校の近くにあるものしかない。
まっちゃは都合よく、高校近くにあるサイゼに俺らがたむろしていると勘違いしてくれたようだ。
「ちょっと、どうなのよ?」
「そうだ、俺たちは今学校近くのサイゼにいる」
「そうなのね……。それで、私は警察にどう伝えればいい?」
「何も偽装しなくていい。そのまま学校近くのサイゼにいることを確認した。と伝えてくれ」
「え?それじゃあ」
「まっちゃ、そもそも俺らは何日も逃げる気は無いし、逃げ続けることも出来ない。お金だって大量に持ってるわけじゃないんだ。このままじゃ野宿になってしまう」
「そっか、そうだね」
「俺達は的確なタイミングで見つけてもらうことを望んでいる。そうだなぁ……出来れば今日の深夜1時くらいに見つかれば最高だ。お互いに熱が引き、建設的な話し合いが出来る時間帯だと思う」
……おそらく無理だ。あの父親と建設的な話を出来る時間帯なんてものは存在しない。
「分かった。じゃあ警察への報告はもう少し遅らせる。23時くらいになったら学校付近のサイゼに居たって伝えるね」
「あぁ、助かる」
「じゃあ切るよ。────無理はしないで」
そう言って。まっちゃからの通話は切れる。
気がつくと、机の上には頼んでいた料理が全て届いていた。
白餡はむしゃむしゃと頬張るようにそれらを食べている。──ミックスグリルをおかずに食べているその白ご飯、俺のラージライスじゃね……?
「ほーちゃんはなんだって?」
「とりあえず良い感じにごまかせた。学校近くのサイゼにいることにしている。白餡の家から高校方面と東京方面は逆方向だ。捜査を少しでも錯乱できると思う」
「そう。ほーちゃんに嘘をつくなんて出来るかなぁ」
「いや、あいつは多分真意で言うはずだ。聞いた感じ、俺らがいる場所を完全に誤認していた。まっちゃは聞いたことをそのまま伝えただけ。あいつは何も悪いことはしていない」
「そっか……良かった」
白餡の顔から笑みが少しこぼれる。
自分のせいで迷惑をかける人間を増やしたくないという思いか、はたまた本当の友達を巻き込みたくないというような気持ちか。俺には分からない。
「つか、お前俺のラージライス食うなよ」
「あは、ごめんごめん。ミックスグリル食べてたら丁度目の前に美味しそうなご飯があって、つい……」
「つい……ってお前なぁ」
「悪かったって、ほら、アイスの分もドリンクバー取ってきてあげたから、これで許して」
「あぁ、まぁありがとう」
白餡がコップに注がれた黒いシュワシュワとしている液体を俺の元へと近づける。
コーラだろうか、俺コーラはあまり好きじゃないんだが、ここで言うとまた面倒になりそうなので、遠慮なく口に含む。
──そして盛大に吹き出した。
「ぶふぁっっっ!!!!??こ、これなんだお前!??」
「うわっ、きったなぁ……ふざけないでよアイスさぁ……」
「服がびしょびしょに……。これ何入れたお前!?」
「んーと、烏龍茶、コーラ、メロンソーダ、カルピス、あとガムシロ10個とコーヒー」
「……ぶっ飛ばす!!!」
「きゃーこわーい」
喧嘩しながらも、俺の頭の中はさっきの話でいっぱいだ。
警察か……。これは難しい問題になってきた……。
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「ぷはぁーお腹いっぱいだぁ」
「お腹がいっぱいなのはいい事だが、問題は今日の宿泊場所だ。どうしようか、カラオケでオールしても良いんだが……」
「アイス、私あそこ行きたい!」
「え、いやあれって……」
白餡が指さした先にあったのはいわゆるネカフェと言うやつだ。一般的には漫画喫茶と呼ばれるものであるが。
「あれって泊まれたりするのか……?俺も実際に使ったことはないんだが」
「ネットで見たことがあるよ。漫画喫茶は客が寝落ちしたことにして合法的に宿泊施設を運営してるって。じゃあ、あれは法の抜け道を通った宿泊施設だよ」
「そうなのか。ソープで客とお店の人が自由恋愛をしている的なやつか」
「ソープ?石鹸がどうかしたの?」
「いや、なんでもない」
男を18年も続けていると、性知識に関しては否応にでも詳しくなる。
当然大学生になった後のイメージトレーニングだ。
「それよりさ、行こうよ。私漫画読みたい!紙の漫画初めてなんだよね〜」
「そ、そうか。じゃあ行こう」
俺は白餡に言われるがまま、漫画喫茶の中へと入る。
しかし、そこで予想だにしていなかったトラブルが起きた。
「会員登録が、必須……?」
そう。漫画喫茶に入るためにはそのチェーンへの会員登録が必須であることが明記されていた。
そして何よりも問題は……。
「18歳未満(高校生を含む)に当てはまる人は、午後10時以降使えないっぽいよ?どうするの?」
「幸い、会員登録も、入場も、料金支払いも全て店員を通さずにセルフのこの機械で行うらしい。であれば、身分証明書も学生証でなくマイナンバーカードを使えば18歳の俺は中卒で既に社会人であると誤魔化すことは可能だろう。ただ……」
問題は山積みだ。
誤魔化すことが可能とはいえ、入場ゲート付近には店員が立っている。
購入したQRコードを読み込ませ、入場ゲートを開くタイプとは言えど、入場時に店員の目に止まるのは容易に想像できる。
そして、白餡だ。白餡はなんの身分証明も出来ない状態にある。会員登録なんて出来るわけないし、年齢確認をされたらおしまいだ。
「仕方ないね、アイス他を探そ」
「いや、これからのことを考えても、宿泊は安く済ませたい。ここはほぼ最適解だ」
「そうは言ってもじゃない?ここを突破するのは難しいと思うんだけど」
「いや、あの受付に立っている店員を見ろ」
「店員?」
見渡す限り、今この時間はあの店員のワンオペのようだ。
そしてあの店員、心底やる気が無さそうなのである。
おそらく、大学生のバイトか何かである。ということは、問題を起こすよりは適当に突っ立っているだけで金を貰いたいと考えているはずだ。
であれば、俺らにいちゃもんを付けてくる可能性も低い。これは推測の域を出ないが、十分根拠のある仮説だ。
「白餡、誤魔化して入場するぞ」
「え、ほんとに?」
「あぁ、店員と白餡の間に俺を挟むような感じで入場ゲートをくぐる。分かったな?」
「う、うん。分かったよ」
そうと決まれば、入場券の購入だ。
セルフレジのモニターから、完全鍵付個室というものを選択し、レシートに付いたQRコードを受け取る。
そして、入場ゲートを通る。店員が何か言ってこなければいいが……。
「……」
「……?ふぁぁ〜」
「……」
セーフ、セーフなのか?
店員は一瞬こちらに視線を向けてはいたが、直ぐに視線を前に戻し、欠伸をした。
やはり、俺らが何をしようが心底どうでも良いと思っていそうだ。助かった。
そのまま、とりあえず奥まで進み、俺らは漫画が大量に置かれている本棚の間に隠れる。
「危なかった……。店員と目が合った時はヒヤヒヤしたが……」
「あ、アイス!これ見てやばい!めっちゃ沢山漫画がある!」
ほっと一息、深呼吸している俺を置いていくかのように、白餡は見渡す限りの漫画の山に興奮している。
「これ全部読み放題なんだよね?」
「あぁ、多分そうなんじゃないか?」
「やった!じゃあこれとこれと……、あ、この作品って新刊出てたんだ!じゃあこれも〜」
「おい、あんまはしゃぐなって。目を付けられたら困る。とりあえず個室まで行くぞ」
「ちぇっ、は〜い」
白餡は不安を露わにしながらも、5,6冊ほど漫画を手に抱えて俺の後ろに着いてくる。
完全鍵付個室ブースは、他の防犯性にかけるブースとは違い、廊下側からは何も見えないようになっている。少し割高にはなるが、こちらを選んで正解だろう。
そして、入場時に使ったQRコードを再び使い、ブースの扉を開ける。
「……狭いな」
「ね、ちょーっと狭いかもね」
お互いに、漫画喫茶というものを使うのは初めてだ。部屋の広さの感覚というものを持ち合わせていない。
そんな俺たちの目の前に広がったのは、およそシングルベッド1個分程度の部屋である。1人で生活するのでもかなり狭いと感じそうな部屋だ。
「仕方ないな。とりあえず入って2人きりになろう」
「う、うん」
2人はとりあえずブースの中に入り、俺はパソコンの前、白餡は入口側に座り、向かい合う。
どちらも少しでも足を伸ばしてしまえばぶつかってしまうほどの近距離だ。
「それで、これからどうしよっか」
「こ、これからって?」
「そりゃ勿論明日からのことだよ。もう少しでまっちゃが警察に虚偽の申告をすることで、ある程度時間を稼ぐことは出来ると思う。その間に出来るだけ遠くへ……」
「え、えっと……」
「どうした?」
俺がぺらぺらと今後の予定を立てようとしていると、白餡が話を遮ってくる。
何か、俯き、顔も少し火照っているようだ。
「わ、私シャワー浴びてくる!」
「え、あぁうん。行ってらっしゃい」
この施設ではどうやら、無料でシャワーを使用することが出来るらしい。これは受付の看板に書いてあった。
しかし、そんないきなり急に行かなくても……
「……!」
部屋で1人になり、静かになったからこそ見える事実があった。
考え事にふけって集中していた俺には聞こえていなかったが、白餡には聞こえていたのだろう。だからこそ、あいつは逃げるようにこの部屋から出ていったのだ。
「隣の部屋から……喘ぎ声が聞こえる……」
隣の部屋から女性の喘ぎ声が音漏れしているのが俺の耳に入った。
そして、それはスピーカーのような何かしらの機械を通したような音声という気がしない。
今、この空間から発生されている音声であった。
「隣、ヤり部屋になってんのかよ、マジか」
場所を得る手段が無い人間が、カラオケや漫画喫茶などでそういった行為に及ぶ現象は、俺も聞いたことがある。
こういった行為が見逃されているような店員の勤務態度だからこそ、俺らのような不法客も見逃されているのだろうか。
しかし……
「これは、マズいな。何か気を紛らわせないと」
紳士的な行動を心がけているとはいえ、こんなエロい声を至近距離で聞かされていると、本能的に狂いそうになる。
俺はQRコードを持ち、自分用の漫画、そしてドリンクバーを数杯持ってくることにした。
「へぇ、漫画喫茶ってソフトクリームも食べ放題なのか」
都会の施設には驚くばかりである。ソフトクリーム食べ放題って、何で採算を取っているんだ?
ありがたくソフトクリームも2杯ついで、トレーに乗せて運ぶ。
途中、漫画棚を通っていると、るるぶトラベルなどの観光雑誌が棚に置かれているのが目に入った。
「交通手段の参考として使えるかもしれないな。持ってくか」
こうして、大荷物を抱えた状態でブースまで戻ると、白餡が扉の前で立ち往生しているのが目に入った。
「あ、アイス!ごめん鍵を外に出すの忘れて入れなくて……。開けてもらっていい?」
「……!あぁ、うん」
「いやー、良かった。このソフトクリーム私の分?貰っていいの?」
「もちろん…」
白餡の返答に一々言葉が詰まってしまう。だって────
────湿っている白餡、エロすぎないか?
体が火照っており、髪は乾かしきれてないのか、少し湿っている。髪先がまとまっており、嫌でも先程まで白餡がシャワーを浴びていた姿を想像してしまう。
それに、彼女が歩く度にいい匂いがするのだ。おそらく常備されていたアメニティの匂いなんだろうが、何かしらのフローラルな香りが、白餡の体中から発せられている。こんなのエロく感じるなと言われる方が難しい。
「ん?どした?」
「いや、何でもない」
俺は白餡を直視できず、背を向けてパソコンの方を睨む。
「それで、明日の行動なんだが」
「あ、そうそう。それシャワー浴びてる最中に考えてたんだけど」
「ん?なんか行きたいところがあるのか?」
白餡が行きたい所があると言うのであれば、そこにするのが手っ取り早い。どうせどこへ逃げたとしても大差はないと考えているからだ。
「そう、私ね〜」
ただし、こいつはいつも俺の予想斜め上を行く。
「ディズニーランド!行きたいな!」
9章 夢の国は終わってる
の更新は翌日となりそうです。お待ちください。
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