祭りの日③
紅羽は、混乱する人々の間を縫うように駆け抜けた。
耳には逃げ惑う村人たちの叫び声が響き、目の前では家屋が激しく揺れながら崩れ落ちていく。
地面に転がった祭りの灯籠が炎をあげ、赤黒い煙が空へと舞い上がった。
「逃げろ! 妖怪だ!」
誰かの悲痛な声が響いた。だが、その声すら轟音にかき消される。
石や木材が弾け飛び、家族を探す人々の声が悲鳴と交じり合う。
「お母さん! お父さん!」
誰かの絶叫が広場にこだました。その瞬間、巨大な影が闇を裂くように降り立った。
四足歩行の獣型の妖怪が、獰猛な眼を光らせながら広場へ飛び込み、鋭い爪で地面を抉る。
そして、次の瞬間、闇の中から翼を広げた異形の妖怪が舞い降りた。
その異様な姿に、村人たちは恐怖の叫び声を上げながら後ずさる。
「いやあああっ!」
巨躯の怪物は地を揺るがせながら、無慈悲に家々をなぎ倒していった。
木々が裂け、屋根が押し潰され、村全体がまるで地獄の業火に飲み込まれるかのようだった。
紅羽は乱れた息を吐きながら、村の北側を向く。
「屋敷に——帰らなきゃ」
紅羽の脳裏に、天穹院家の屋敷の姿が浮かんだ。
母が自分を見送った時の笑顔が、鮮明に甦る。
しかし、紅羽の足は震え、思うように前に進まない。
恐怖が全身を麻痺させ、膝から崩れ落ちそうになる。
「動け、動いてよ……」
幾度となく自分の足を叩き、歯を食いしばって立ち上がろうとするが、足はただ痙攣するだけで、一歩も前に出ない。
父と母の顔が脳裏に浮かび、涙が頬を伝う。
「……どうすれば……」
紅羽の脳裏に浮かぶのは、家族の無事を祈る気持ちと、自分の無力さだった。
——私は、何もできない。
膝が震える。手が冷たい。逃げるべきなのに、足が動かない。
その瞬間——。
広場の端から、澄んだ鈴の音が響いた。
音の方を振り返ると、そこに翠蓮が立っている。彼女の動作は静かで、一切の乱れがない。
燃え盛る炎の光に照らされながら、翠蓮はただそこに立つだけで、圧倒的な存在感を放っていた。
シャンシャンシャン——!
翠蓮が鈴を打ち鳴らすと、妖怪たちは一斉に動きを止めた。
四足の獣は低く唸りながら後ずさり、空を舞っていた異形の妖怪は、翼を震わせながら森の奥へと逃げ去った。
巨躯の怪物も、名残惜しそうに村を見下ろしながら、ゆっくりと姿を消していく。
「巫女様!」
「おお!翠蓮様が我々を助けて下さった!」
「助かったの?」
それを見た村人たちが感嘆の声を上げた。
しかし、紅羽は、荒い呼吸を整えながら呆然と立ち尽くす。
「助けて……」
瓦礫の下から微かに聞こえる助けを求める声が聞こえた。
「お父さん……どこ……」
必死に人を探す子どものすすり泣きも。
目の前には依然、炎の残り火が揺れ、負傷した村人たちの呻き声が断続的に聞こえてくる。
空気には生臭い血の匂いが混じり、鼻を焼くような灰の香りが漂っていた。