祭りの日②
「紅羽様、どうかされましたか?」
提灯の明かりがゆらゆらと揺れるのを見上げながら、紅羽は無意識に足を止める。
いつも穏やかな竹林で感じる微かな妖気が、どこかざわついている――まるで何かが不気味にうごめいているような感覚が、彼女を苛んでいた。
祭りの賑わいの中、彼女は消えない不安を感じていた。
ふと、紅羽が朱鷺の方を見ると、彼女は不安そうに見上げている。
「なんでもないよ。」
紅羽は咄嗟に笑みを浮かべ、朱鷺の頭を撫でた。
「きっと気のせいだよ。今日は楽しまないとね。」
朱鷺はこくりと頷いたが、その表情には晴れない影が残っている。
それでも紅羽は、目の前の賑やかな光景を見つめ、わずかに気持ちを奮い立たせた。
夜の神殿は、提灯の光で赤々と照らされていた。
人々は境内に集まり、巫女・翠蓮が厳かに儀式を執り行う姿を静かに見守っている。
鈴の音と低い祈祷の声が響く中、祭りの喧騒が少しずつ遠のいていくようだった。
紅羽は静かに儀式を見つめていた。
彼女の耳には、鈴の音の合間に微かな音が紛れ込んでいる気がした。
それはどこか遠くで何かが軋むような、不快な音だった。
「…?あれ…?」
突然、空気が変わった。鈴の音が途切れ、周囲にひんやりとした冷気が漂う。
風がさっと境内を抜け、提灯の火がかすかに揺れた。
「……な、なんだ?」
村人たちがざわめき始めた。
誰かが低く呟いた声をきっかけに、神殿の奥からごうごうと不気味な音が響いてくる。
音は徐々に大きくなり、まるで何かが奥深くから這い出してくるようだった。
突如、黒い影が神殿の奥から溢れ出た。
まるで濃密な闇が滲み出したかのように、影はゆっくりと広がりながら境内を侵食していく。
その瞬間、激しい風が吹き荒れ、提灯の火が次々に消えていった。
「きゃあっ…!」
人々の悲鳴が夜の闇にこだまする。
「な、なんだ……?」
村人の一人が呟いた。
その声がきっかけとなったかのように——
闇の奥から、不気味な咆哮が響き渡った。
それは低く、耳をつんざくような音で、まるで獣の咆哮と嘆きの声が混ざり合ったようだった。
「妖怪だ……!」
誰かが叫ぶ。
その言葉が合図のように、人々はさらに混乱し、足をもつれさせながら散り散りに逃げ出した。
紅羽は息を飲みながらその場に立ち尽くしていた。
闇の中で無数の目が光り、巨大な影が神殿から伸び、村全体を覆おうとしている。
闇の中には動くものの輪郭がぼんやりと見え、それが何なのかを知る前に、本能が危険を告げていた。
「紅羽様、危ない!」
朱鷺の声が響いた次の瞬間、小さな手が紅羽の腕を掴む。
彼女の力強い引きに、紅羽は我に返った。
紅羽は駆け出した。しかし、闇が境内を侵食するにつれ、人々の悲鳴が混乱の渦を巻き起こし、足元がぐらつく。
その時、混乱に満ちた人の波が紅羽と朱鷺の間を切り裂くように入り込んだ。
紅羽は慌てて振り返る。
だが、そこには人の壁があった。混乱した村人たちが、我先にと逃げ惑い、その間に朱鷺の小さな姿はすっかり飲み込まれていた。
「朱鷺!」
紅羽は人の壁を押しのけるようにして辺りを見回したが、朱鷺の姿はどこにも見当たらない。
目の前を行き交う人々の悲鳴が、紅羽の恐怖を煽るようだった。