裏切りの巫女③
「翠蓮様に口答えをするのか!?」
「生意気な娘だ!」
二人のやり取りを聞いていた誰かが、地面に落ちていた小石を拾い、紅羽に向かって投げつけた。
小石は彼女の肩に当たり、軽い痛みを伴ったが、それ以上に彼女を傷つけたのは人々の行動そのものだった。
それを見た他の村人たちも次々に手を伸ばし、投げつけるものを探し始めた。
「やめて……。」
紅羽の弱々しい声が漏れる。
しかし、村人たちは聞く耳を持たないどころか、その声すら嘲笑の的にした。
紅羽の視界が霞み始める。
「あの家は元からおかしかった!」
「何が天穹院の誇りだ、笑わせるな!」
一人が声を上げると、それに続いて次々と罵声が飛び交った。
周囲から浴びせられる罵声が、まるで槍のように彼女の心を突き刺してくる。
声の主たちは憎悪を顔に浮かべ、手を振り上げたり、地面を叩いたりして怒りをぶつけていた。
「お前が村をこんな目に遭わせたんだろう!責任を取れ!」
誰かが叫ぶなり、紅羽の頬を平手打ちした。
鋭い痛みと共に頭が揺さぶられ、視界が一瞬白くなる。
口の中に鉄の味が広がった。彼女は何も言い返せなかった。
「妖怪と取引してたって話もある!」
「ほら見ろ、これがその報いだ!」
突然、誰かが彼女の髪を乱暴に掴み、無理やり顔を上げさせた
紅羽は思わず悲鳴を上げそうになったが、必死に堪えた。
この痛みも、この罵声も、全て悪い夢であってほしかった。
翠蓮はそれを知ってか知らずか、紅羽を見下ろしながら憐れむように言葉を投げかけた。
「どうせ、お前の両親も中で燃え尽きているわ。」
「…やめて!」
彼女は声を張り上げたが、それも村人たちの笑い声にかき消されていった。
屋根が崩れ落ちる音が耳を刺し、赤々とした炎が空を焦がしている。
その熱気は肌を焼くようで、涙が頬を伝い落ちた。
(お父さん……お母さん……どうか無事でいて……)
胸の中で繰り返される祈りは、炎の勢いの前では虚しく響くばかりだった。
寝たきりの母が見せたかすかな笑顔――
それらが炎の向こうに飲み込まれていくように思えて、紅羽の胸は痛みに引き裂かれるようだった。
肩に力が入らず、彼女は縄で縛られた手をただ無力に握り締める。
「おい、見ろ!」
誰かがそう叫んだ瞬間、屋根の瓦が崩れ落ち、無数の火の粉が舞い上がった。
屋敷の壁が崩れ落ち、火の粉が夜空に散る。
その音に、村人たちは一瞬歓声を上げ、次に嘲笑の声が広がっていった。
紅羽はただ呆然と、その光景を見つめていた。
縄で縛られた手は血に染まり、膝は地面についたまま。
燃え上がる炎は、屋敷を完全に包み込もうとしていた。
家族の笑顔、朝の食卓での会話、父の厳しくも優しい指導、母の静かな微笑み—そのすべてが今、赤い炎に呑まれていく。
紅羽は、目の前で家族のすべてが奪われていくその光景に絶望を覚えた。
その時だった。
紅羽の視界の端に、奇妙な光がちらついた。
最初、それは燃え上がる炎の一部かと思った。
しかし、明らかに違う。炎が赤や橙に輝くのに対し、その光は透き通るような白さを放っていた。
「……あれは……」
紅羽は思わずその光に目を凝らす。
それは、屋敷の中からゆっくりと姿を現していた。
その輝きは炎の中で異質だった。
光は静かに揺れながら、屋敷の崩れた壁の間から這い出してきた。
「……何……あれ……?」
紅羽は息を呑み、声にならない言葉を呟いた。
光は滑らかに動きながら、徐々にその輪郭を変え始めた。
人影のような形に収束するかと思えば、再び溶けるように広がり、まるで意志を持った生き物のようだった。
その動きには不気味さもあったが、どこか神秘的な美しさもあった。
村人たちはその存在に気づいていない。
彼らはなおも紅羽に罵声を浴びせ、燃える屋敷を指差して嘲笑を繰り返していた。
翠蓮さえも、紅羽を冷たい目で見下ろしているだけだった。
だが、紅羽はその白い存在から目を離すことができない。
まるで、それが何かの境界を超えた存在であるかのような、不思議な感覚だった。
次の瞬間、その白い存在が突如として動き出した。
「えっ……?」
紅羽が驚きに目を見張る間もなく、それは恐ろしいほどの速さで彼女に向かって突進してきた。
まるで風そのものが形を持ったような勢いで、紅羽の視界を真っ白に染める。
「きゃっ!」
紅羽は悲鳴を上げるが、その声はかき消される。
白い光は彼女の体を包み込むように覆い、縄で縛られた体を宙に持ち上げた。
紅羽の体はふわりと浮き上がり、周囲の喧騒が遠ざかっていく。
「何が……何が起きてるの……?」
紅羽は混乱の中で周囲を見渡すが、白い光に包まれた彼女の体は、地上から離れ、夜空へと引き上げられていく。
村人たちはその異変にようやく気付き、驚きの声を上げた。
「何だ、あれは!?」
「おい!天穹院の娘がいないぞ!」
翠蓮はギョッとした表情でそれを見上げ、何かを叫ぼうとしたが、言葉は出てこない。
紅羽の視界には、村が遠ざかり、燃え盛る屋敷が小さくなっていく様子が映っていた。
どこへ向かっているのか、何が起きているのか理解できないままだった。
白い光に包まれたまま、ただ強い風の音だけを感じていた。
(お父さん……お母さん……ごめんなさい……)
彼女の目からこぼれた涙は、夜の冷たい風に乗って闇の中へ消えていった。




