第六章 the course of life 第二十五話 白猫ナギ
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すでに太陽は、ほとんど沈んでいた。
ボス猫遠藤の指示でタンポポを摘みにいったことで、神社には一匹も猫がいなくなっていた。
神木を燃やす白い炎は幹の半分以上を焼き、根元から炎までの部分は色が変わり枯れ果てていた。もうナギのいる太い枝にも燃え移りはじめ、ナギ自身も足の辺りまで消え始めていた。
だがナギは最期を覚悟し、じっと目を閉じていた。
あれだけ幹にいた無数の白いカメムシは、一匹また一匹と次々と力尽きその高い枝の位置からポトリポトリと地面に落ちていく。
その様子をふと見たナギは、微笑んで口を開いた。
“相打ちだな。八津目よ、お前とて滅びの運命のようだ”
“ふ。まったくいい迷惑だよ、本当に。まぁいいさ、私には次もある”
“そうだった。存分に生きるがいい。飽きるまでな”
八津目はその言葉に少し沈黙した。
そして、落ちていくカメムシの中から、一匹だけをかろうじて動かしナギの前まで歩いていった。
“君はもしかして終わらせたかったのか。その長い長い永久とも呼べる時間を”
八津目は燃え盛る白い炎に照らされる美しい白い顔をじっと見つめた。
だが、少し微笑んだような表情をして、ナギは答えを返さなかった。
八津目さーん。
遠くで声が聞こえる。
八津目は朦朧とする意識の中で白い炎ごしに声の方向に向きを変えた。
「八津目さーん!」
係長が長い石段を駆け上がってきた。
それを見つけた八津目は最後の力を振り絞り、羽根を広げ飛んだ。
風に流されながらも目を緑色に光らせ、係長に合図した。
その光に気が付いた係長は飛ぶというより落ちてくる八津目を、地面に落ちる寸前で包むようにつかまえた。
“係長さん。来てくれるとは思わなかったよ”
金色の瞳がうるみ、涙が溢れそうになる。
「八津目さん。無理しすぎですよ。奥さんどうするんですか。奥さんのためにって、ずっと言ってたじゃないですか」
八津目は触覚を回して、まるで笑っているかのように愛嬌を見せる。
“実は、私には出来のいい息子が二人もいるんだ。妻の事は息子たちに任せておけばいいんだよ。妻が人生を全うできれば私はそれでいい”
「八津目さん……」
“すまない。君には本当に迷惑をかけた。報酬も用意する暇がなかった。申し訳ない。だがロストキャッツに山崎を一本リザーブしてある。好きに飲んでくれ。君、結局飲んでないんだろ?”
係長は頷きながら笑った。
「また会えますか?」
“さあ、それは君次第だろ”
その時、係長を追って美里が石段を登ってきた。
「くろ! ちょっとなんで先に行っちゃうのよ。何? ここ好きだね? またあのおっきな猫さんに会いにきたの?」
八津目は係長を見た。
“そうか、君は……”
係長は八津目を大事そうに片手側に乗せると神木を指でさす。
「六条坂くん。君に会わせたい猫がいるんだ」
少し息を切らしている美里は神木を見た。
美里には白い炎は見えない。
だが、その前にたたずむ白い猫には気がついた。
その猫に美里はゆっくりと近づく。
白猫は口を開いて鳴いたようだが声が出ていない。
美里の足元にすり寄り、必死に額をこすりつけてきた。
何度も何度も口を開くがやはり声は出ない。
美里はやさしく白猫を抱き上げる。
白猫は残っている力をつかって美里の頬を自分の顔でさする。
美里の瞳から突然、涙が溢れる。
「あれ、なんでだろう」
そして白猫を力強く抱きしめた。
“ああ、みさと! みさと! みさと! ずっと帰りたかったんだ、ごめんね。ごめんね。みさと”
美里は訳もなく溢れる涙をぬぐいながら、白猫の顔を見つめた。
「きみ、どうしたの? 行くところ無いの? ウチの子になる?」
ナギは唇を震わせて、最後の力を振り絞って美里の頬に額を押し付けた。
“ああ、ずっと一緒にいるよ、私のみさと”
白猫ナギはまるで魔法が切れたように、美里の腕の中からふっと消える。
一瞬で燃え尽きたように、ふっと……。
居なくなった白猫の感触を探して美里は周りを探す。
「あれ? 猫ちゃん? あれ?」
係長は、辺りを探す美里を見て悲しそうに呟いた。
「なんとかならないんですか?」
“無理だ。ナギは人を殺しすぎた。海外で実験したのだろう。世界中のニューコロナの被害者は知っているだろう? 枯れるしかない”
係長は白い炎が燃え盛る神木を見あげると、八津目を胸ポケットに入れ、突如走りだし枯れた根元から神木を登り出した。枯れ果てた部分の神木はもろく駆け上がった部分が崩れてゆく。
「くろ! 何してるの! そんな高い木に!」
美里は驚いて係長の動きを追った。
“何をする気だ! この炎はプランツを燃やすんだぞ! 君だって燃えてしまう”
白い炎をなんとか避け、枝をつたいながら駆け上がり係長はあっと言う間に、ナギのいた太い枝まで来た。
そして更に上へと登る。
美里は両手で顔を包み深刻な顔で係長の行方を見つめた。
神木は四階建ての団地ぐらいの高さだ。そんな上まで登った係長が大声で叫んだ。
「六条坂くん! 飛び降りるから受け止めてくれ!」
「えー! ムリムリムリムリー!」
「行くよー」
そう言うと係長は猫用手袋と猫用靴を脱ぎ捨て、美里を目がけて飛び降りた。
美里は大きく瞳を開き、落ちてくる係長を見る。
ムササビのように両手と両足を広げ、少しでも係長は空気抵抗を増やす。
アドレナリンが出て、まるでスローモーションのように感じながら、美里は落下地点で両手を広げた。
加速が加わった係長は美里の胸に飛び込み、美里はしっかりと受け止め係長を抱きしめた!
反動で美里は背中から地面に倒れこんだ。
石道の側道で砂利道になっている場所に、係長を抱きしめたまま美里はしばらく動かなかった。
「大丈夫?」
係長の言葉に美里は震える声で答えた。
「だ、だいじょうぶ~」
係長は起き上がり、美里から離れると美里もゆっくりと体を起こす
「もー何やってるの? くろも、たいがいだなーほんと」
係長は神木の周りで、何か探している。
手袋と靴を履いていないので四足歩行だ。
「あった」
係長は細い枝を口にくわえて美里に渡す。
美里は背中をさすりながら、枝を受け取った。
「すまないけど、私の登った大きな樹の横に、この枝を挿し木してくれないか?」
「挿し木?って枝からとか根っこが生えてくるってやつ? こんな細い枝でつくの?」
係長はもうてっぺんまで白い炎が到達した神木を見上げた。
「さあ、その木のやる気次第じゃない?」
「もー意味わかんないよ。くろー」
そう言うと美里は枯れて地面に倒れている菜の花を越えて、神木の隣にくると素手で地面を掘り、枝を立てて土を埋める。
美里の脳裏に、庭の梅の木が映る。
やさしく、そして丁寧に枝を立てた。
埋め終わり美里が立ち上がると、係長は立てた枝に顔を近づけ小さな声で呟いた。
「もし来る気があるんなら、いつでも来てください。別に二匹で一緒にいたっていいじゃないですか」
係長は立ち上がるとキョロキョロと辺りを探しだす。
「くろ、今度はなに?」
「いや、樹の上から投げた手袋と靴。あれ備品だから」
美里は辟易とした顔で天を仰いだ。
「くろー。私疲れたー」
「私もだよ。頼む、探してくれ。自腹になっちゃうよ」
「もー抱っこ十分間追加だからねー」
美里と係長が神木の周りで探しているのを、いつのまにかポケットから出ていた白いカメムシの八津目は見守っていた。
“ふふふ。いつか……また……会おう……係長さん”
そう言うと八津目であった白いカメムシの目からゆっくりと緑色の灯が消えていった。