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第六章 the course of life 第十三話 跡継ぎ

◆◇◆◇◆


 車は、街道を東に向かい、途中川沿いを曲がり、山のおおい土地に向かう。

 そして大きな鳥居のある山の入り口の脇に停まった。


 猫神社の鳥居だ。

 係長は、車から急いで降りると長く続く石段を上っていった。普段はあんなに並んでいる猫達が今はいない。その代わりに石段の両脇の樹々から、まだ不完全な形のプランツが駆け上がる係長に厭忌(えんき)の目を向ける。

 

 石段を上ると、係長が襲われたあの石の広場に出る。

 もう少し歩けば神社の境内だが、そこに行くまでの山側に巨大な神木が何本も立ち並ぶ。係長は広場に躍り出ると驚愕の表情を隠せなかった。

 神木の根元、生え際には赤い菜の花が群生していたからだ。


 「ナギ!」


 前に遭遇した神木の枝に向かって係長は叫んだ。


 「ナギ! 出てきてくれ。私だ、係長だ!」


 スーッと冷たく不気味な空気が当たった気がして係長はとっさに振り向く。  

 真っ白な体で昼間であるのにかかわらず輪郭がしろく光り、青い瞳の奥底に緑色の炎揺れている。

 神木の白猫ナギが、音もなく係長の背後に立っていた。

 係長を指す視線に温度は感じられない。


 「うわっ!」


 係長は驚いて、ひと足で一メートル近く飛びのいた。


 “なにようかね。係長さん”


 ナギは冷徹な目つきで係長を下から舐めるように見た。

自然に背中を高く上げていた係長だったが、唇を震わせながら、ゆっくりとお尻を地面につけ、手袋を付けた前足を揃えた。そして、頭を下げる。


 「頼みます。なんとかなりませんか」


 ナギは前足で顔を洗いだす。


 “ほう? なにかボス猫にまたご用ですかな? それなら遠藤を呼びましょう”


 「いや、ボス猫さんじゃないでしょ」


 ナギの動きが止まる。


 「はっきり言って私は今起きていることが、さっぱりわからない。プランツだとか、ニダーナだとか、人間が絶滅させられそうだとか、何がどうなって、どうしてこんなことになっているのか、なにもかも理解できない。ただひとつだけ解るのは……」


 係長は頭を少し上げ、ナギの顔を見た。


 「あなたが私を殺したいほど嫌いだってことだ」


 ナギは顎を上げ係長を見下ろした。


 「それだって何故なのかはわからない。でも今回のことが起きる前に私に身の危険が何度かありそれを主導したのはおそらくあなただ。私はいったい何をしたんですか?。何か祟りになるような事をしたんでしょうか? それならば謝罪します。この通りです」


 係長はさらに頭を下げる。


 「もし、この身一つで人類を救えるのならば、差し出します。だから何とか、あの菜の花の力を止めて頂けませんか」


 ナギの表情がより一層冷ややかなものになる。

 血走った青い瞳が開かれ、口は大きく裂けて牙が太く長くなっていく。前足の爪は鋭く刃物のように伸び始め、係長と同じほどだった体格が二回りも大きくなる。


 地面を見ている係長はナギの影が大きくなっていることに気が付くが、覚悟を決めたように静かに目を閉じた。

 ナギの太くなった前足とするどい小刀のような爪が、ゆっくりと振り上げられる。


 その時、係長の胸ポケットから白いカメムシが急いで出て、羽を広げて飛んだ。

 羽音と共に係長の頭の上に留まり、ナギを睨みつけるように見つめた。

 その小さな瞳に緑色の光を宿しながら。


 それを見たナギは、しばし動かず白いカメムシと対峙した。ナギは何かに気が付き、広場にならんで立っている灯篭の上を見る。別の白いカメムシが、ナギを見つめている。ナギは神木の下に群生した菜の花の辺りに視線を移す。その菜の花の中にも白いカメムシが逆さまに止まりナギを見ていた。


 ナギはキョロキョロと視線を移す。

 そのどこにも、白いカメムシが留まってナギをじっと見つめていた。

ナギは口元を結び歯ぎしりをして、再び係長を見下ろした。

何も起こらないので係長が薄目を開けるとナギの身体の影がみるみるうちに元の大きさに戻っていく。


 元に戻ったナギは立ち上がると、ゆっくりと神木の方に歩いていった。

 係長は慌てて頭をあげる。


 “悪いが、何か勘違いをしておいでだ。私はプランツ全体の意思としてこの花を作っただけのこと。この菜の花自体がプランツなのだ。自分の分身としてウィルスを作っているにすぎない。だからニダーナで『人間が良いもの』と判断されれば、この花自体もその動きを止めることでしょう”


 ナギの後を追うように係長は近づいた。


 「その方法がわからないから、ここに来たんですよ!」


 係長は声を荒げた。ナギは薄ら笑いを浮かべて振り返る。


 “甘えるな。私とお前は立場が真逆な事を心得よ。そんなに死にたければ全部終わってから、またここに来なさい。今のお前は八津目の跡を継いで人間の弁護の役目を負っている。だが人間が消えれば、その役目も無くなる。その時は迷いなくその小さな命を終わらせてやろう”


 係長は目を開く。


 「八津目さんの跡を継いだ? それってどういことですか? まさか……」


 ナギは群生した菜の花の中に飛び込むと、横に走るように神木を上っていく。あっと言う間に二〇メートルは上の太い枝に着いていた。


 “去られよ。もう話すことなどない”


 係長はうなだれて、しばらくそこから動けない。


 「まさか、八津目さん。そんなどうして……」


 金色の瞳が潤む。

 係長は空に向かって、思い切り慟哭した。

 そしてよろよろと立ち上がり、石段のほうにゆっくりと歩いて行く。

 それを神木の上で箱座りをしながら、ナギはじっと見ていた。

 石段を下りていく豆粒のような係長を、ただ見つめていた。

 かすかに物憂げな表情をしながら……。


◆◇◆◇◆


 街道から自動運転車が事務所の駐車場に入ると、美里は荷物をもって玄関の前で待っていた。

 充電ポイントに入ると美里は走って助手席に近づいてきた。

美里が窓から運転席を覗くと、係長はトグロを巻いて完全に眠っていた。

 ドアを開け助手席に座りながら、不安そうな表情で係長を見る。そっと頭を撫でようとすると、係長がピクリと体を動かし美里は手を引っ込めた。


 「ごめん、待たせたね」


 「ううん。くろ大丈夫? 今日なんか変だよ。なんかとっても疲れてる」


 前足で目をこすりながら、美里を見上げた。

 心配そうに見つめる瞳が、宝石のように光が乱反射し美しい。

 時折するまばたき、ほんの少し開いた唇から息を吸い込む音。

 美里は、紛れもなく今生きている。

 頭を起こし座り直すと、係長は微笑んだ。


 「まだ弁当あるのかい?」


 美里は少し驚き、目元を緩ませた。


 「もう行く時間じゃないの?」


 「ちょっとくらい大丈夫だよ」


 美里は、せかせかとリュックの中から弁当の袋を取り出し。

 係長の足元に弁当箱を開けた。


 「ちょっと多いかも」


 黒猫の顔を模した海苔弁当、ウィンナーや野菜でうまく目や口を飾ってある。見事な出来栄えに、係長は目を丸くした。

 その表情を見た美里は嬉しそうに微笑み、照れながら肩をすぼめた。


 「いただきます」


 係長は、いきなり弁当に口を付けるとガツガツと食べ始める。

 小さな猫用の水のみ皿を弁当箱の横に置き、美里は水を灌ぐ。


 「くろ、ハイペースじゃない? のど詰まるよ」


 もくもくと食べ続け、水も飲みながら係長はあっと言う間に弁当を平らげた。係長のおながぷっくりと膨らむ。

 たまらずベルト緩めてスラックスのタックを外すと、大きくなった黒いふさふさのお腹が出てくる。

仰向けにひっくり返って、「ぷはー」と一息ついていると、カシャカシャと音がする。

 美里が、ニヤニヤしながら係長のぷっくり姿を@スピーカのまばたきカメラで撮っていた。


 「おい!」


 係長が慌てて体を起こすと、美里のまばたきが加速する。


 「あ、怒ったところももう一枚」


 耳を後ろに倒した係長だったが、喜んでいる美里の表情を少し見ると、またすぐに横になる。


 「もう好きにして、ごちそうさま。運転スタートボタン押してくれる? 勝手に行ってくれるから」


 首元から指を離して美里は不思議そうに本当のまばたきをした。


 「大丈夫? いつもならもっと怒るのに。食べ過ぎた?」


 係長は答えずに目をつむった。


 「もー食い逃げかよー。もっと美味しいとか、サイコーとか感想言ってもいいんだよー」


 反応のない係長のお尻をつつきながら、美里は運転ボタンを押し弁当箱を片付けはじめる。車内に作動音が響き、フロントガラスに行き先が表示されると、車はゆっくりと動きだした。

 駐車場から街道に出た時にはもう、係長から寝息が聞こえてくる。

 美里は何も言わず座席からはみ出そうな係長のしっぽを、優しくなでた。


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