第六章 the course of life 第四話 候補地
“しかし、私は威圧など全く感じられなかったが……”
八津目の声かけにヌタは返答をしなかった。
係長はシートベルトを締めると、眠そうにまた寝転がった。
「実物は見れなかったけど、あれはたぶん怖くて大きな生き物ですよ。ヌタさんの体の大きさでは太刀打ちできない」
毛布の中でヌタがトグロを巻き直している。
“その通りだよ。猫くん。あれはマムシのプランツだ”
係長は自分の声に反応してきたことに驚き毛布にくるまれたヌタを見た。
ヌタは@スピーカを付けていないから言葉が通じないと思っていたのだ。
八津目が自分の肩を叩いて係長を見る。
「カメムシだよ。その子は私とつながっているから、君の言葉を通訳してくれたんだ」
「へ、へー。なんだそれなら早く言ってくれればいいのに。私も話せるんですね」
係長は体を起こし座り直した。
「ヌタさん。田畑が無くなり小さな生き物が居なくなったことだけが、あの場所での絶滅危惧の原因なんですか? あの場所は自然公園だ。他にも小さな生き物は沢山いるでしょう?」
係長は助手席のシートを避けて、ヌタのいる毛布をチラッと見る。毛布から鼻先だけを出し、ヌタは舌をチョロチョロさせた。
“あなたがた猫がそれを言うとは。噂には聞いていたが本当に人間化したのだな”
「どういうことですか?」
“かつて、我々の天敵はタヌキやキツネ、鷹やふくろう、そして君たち猫だった。とくにあの場所は一昔前までは猫の捨て場になっていて、同胞を何匹捕食されたかわからないほどだ“
「え、ホントに? 猫が蛇を食べるんですか?」
“だが君たち猫はだんだんと減った。人の手によるものだと聞いたが、いつの頃からかあの場所では見かけなくなった”
「それなら、環境は良くなったんじゃないですか? タヌキは少しいても、あの公園には鷹やフクロウはいないでしょう?」
“居ない事はないが、でも今や一番の天敵はアライグマだよ。奴らはどこにでもいて冬眠せず冬でも活動するんだ。見つけられたら最後、毒のない我らは恰好の餌なんだ”
係長が納得して頷くと、ヌタは毛布から少し顔を出し赤い目を見せた。
“我々はね、見た目よりも弱い。目はほとんど見えないし、寒さに弱い。冬はほとんど無抵抗だ。捕食するよりされる側の方が多いのだ。だがそれはいい、自然の流れさ。でも生きてる以上必死にもがくものだろ。だから田畑なのだ。田畑はカエルやトカゲが沢山いる。食べ物さえあれば繁殖できる。良い所さえ見つかれば……”
「そうですか、でも田畑なんて国中にいくらでもあるでしょう。蛇の十匹くらい、行くところなんて……」
八津目は係長とヌタの会話をじっと聞いていて、ふいにハンドルを叩いた。
“たしかもう少し西に、蛇を祭る神社があった。あの土地ならどうだろうか? たしか結構、田園風景が広がったところだったように記憶しているが……”
ヌタは鼻先を八津目に向けて少し上げた。
“おお、それはサラスバテ様のことか。まだご存命だろうか。偉大なる我らが母君だ”
“そうか。行ってみるかね”
ヌタはしばし考えて、係長の方を向く。
“サラスバテ様は世界中を回り各地で神事を成すお方。たしかに我らの次の住処もお心あたりがあるかもしれない。ただその場所に居られればよいが無駄足になればあなたがたに申し訳ない。とくに猫君はだいぶお疲れのようだ”
係長は、八津目の顔を見て大きく頷く。八津目は毛布の上からヌタを撫でた。
“大丈夫だ。私達も乗り掛かった舟という奴だよ”
係長は頷きながら、とぐろを巻くように後部座席で寝転がった。
“決まりだ”
八津目の古いハイブリッドカーは更に北へと向かった。
国道の車も少なくなり、配送業のトラックばかりになっている。車内の時間は午後二十三時をを回っていた。車内には沈黙が流れ、係長の寝息とエアコンの作動音だけがずっと響いていた。
ピロリロリロリン! ピロリロリロリン!
突然、係長の@スピーカに電話の呼び出し音が鳴る。
係長は片目を開き、面倒くさそうにスクリーンを表示した。着信は『未登録番号』と表示されている。少し躊躇するも係長は電話に出た。
「はい」
座り直して、係長は大きなあくびをした。
『くろ?』
口を大きく開けたまま係長が固まる。もう声で分かってしまう。
「な、なんでこの番号を君が知っている」
八津目がバックミラーで係長を見てきた。視線に気づき係長は助手席のシートに隠れる。
『もらった連絡表に緊急連絡先ってあったから、片っ端からかけてみちゃった。一番目、メインクーン所長だったからビビったよ、アハハ』
「アハハって……君ねぇ、まぁいい。どうしたの? 何か緊急な用事なのかい? 私は取込み中なのだが」
『えー? ほんと? 起き抜けの声って感じだけど』
「移動中だよ。何かあったのかい?」
『……いや別に、声が聞きたくなって』
黒猫の係長の顔が赤くなり湯気が立ちのぼる。
「な、何を言ってるんだ。用がないなら切るよ。君大変なんだろ? 勉強しなさいよ」
『大丈夫、大丈夫。明日まで補習受ければ。まさか受験終わったあとで試験があるとは思ってなかったから』
「よく知らないけど、そういうのは学年のスケジュール表みたいのに書いてあるんじゃないの?」
『えへへ。そういうの見たことなくて。いつもだいたい周りの雰囲気でもう少しでテストなんかなーって感じでいたんだけど、インターン行ってたじゃない? だからそういうの見逃してたっていうか、誰か教えてくれればいいのにね』
「なんだその野生のカンみたいな学校生活は。じゃあ留年にはならなそうなのかい?」
『たぶん。試験はあるけどマンツーマンで受けた補習の直後に同じ内容の試験だから、いくら私でも……。言っとくけどそこまでバカじゃないんだからね。今回は色々と重なったから』
「わかったよ。それなら安心した。無事卒業できるならよかった」
『……心配、した?』
「したよ。それなりに」
『……それって、もし卒業できなくなったら、その、私に会えなくなっちゃうから?』
係長は沈黙した。
それは、確かに頭の中にあったことだからだ。お腹の中に、何かのホルモンが広がっていくのがわかる。この感覚の名称を係長の頭の辞書から見つけることはできなかった。
耳元にガサガサと雑音が入る。美里は寝転がっているのかもしれない。
『私は怖かったよ。もし留年したら、くろに会えなくなっちゃうかもしれない。って』
前足に力が入ってしまう。なんとか頭を振り絞って係長は言葉を作った。
「とにかく、もう遅いから。はやく寝なさい。明日も学校でしょ?」
『また子供扱いしてー。ねぇ前にお金を稼いでない人は子供なんだって言ってたよね? じゃあちゃんと就職したら大人扱いしてくれる?』
「さぁね。それは君次第だな」
『じゃ、他の質問。くろは人間で言ったら40歳なんでしょ? 子供とか奥さんとかいるの?』
「い、いないよ。あんまり興味ないんだ、そういうの。趣味で忙しいからね」
『だよねーそんな感じ。でもギャンブルは程ほどにね』
「うるさいな。さっさと寝ろ。切るよ」
『ねぇくろ。実は私もなの』
「え?」
『私も、いままであんまり好きな人とか出来たことなくて。女子高だったからかな? もしかしたら私、一生恋愛なんてしないって思ってたの。でも違うみたい』
係長は@スピーカの付いている左耳のほうに、つい頭を向けた。
鼓動が高鳴る。
『わたし、くろが好き』