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亡霊公女の私に何の用でしょう、殿下?

作者: ソナラ

「……ナ、……ルヴナ……ルヴナ・コンスティ。聞いているの? (わたくし)が声をかけているのよ、顔を上げなさい!」


 間近で声がするものだから、私は少しだけ顔をしかめて視線を上げる。

 こちらは本を読んでいるというのに、明らかな拒絶の意志を示しているにも関わらず声を掛けるなんて、一体どういう要件だ?


「……なんでしょう、アマネティさん」

「ふん、ようやくこちらに気づいたようね。でも、愚か。貴方、このアマネティ・フロスワに対してその態度は何?」

「何と言われましても……」


 声をかけてきた金髪のご令嬢、アマネティ・フロスワは、フロスワ伯爵のご令嬢である。

 学園内でも有数の貴族であるフロスワの令嬢なのだから、敬われるのは当然という価値観なのだろうが。

 ……私の実家であるコンスティ家と、フロスワ家の家格は同格のはずなのだけど。


「ふざけないでくださる? 私が声を掛けるということの意味を、なぜ貴方は理解できないのかしら」

「はぁ」

「光栄に思いなさいと言っているの。貴方のような鼻つまみ物に、こうして声をかけているという事実は、私の寛大な心がなければありえないことなのよ?」


 本当にはぁ、としか返事ができない。

 寛大というなら、まずその明らかに見下した視線をやめてもらおうか。

 周囲には、取り巻きと思われる制服姿の少女たちがいる。

 おそらく、家格でいうと私を笑い者にすると後で親からお叱りが飛ぶ立場だと思うのだけど。

 ……いや、いいや、別に私はアマネティさんと話をしたいわけじゃない。

 むしろさっさと帰って欲しい。


「ええ、御存知の通り私は鼻つまみ者です。声を掛ける人間などそういない。……であれば、用は手短に済ませたほうがいいのでは?」

「……ふん、そうね」


 ジロリ、と軽蔑した視線をこちらに向けながら、アマネティさんは一言でいった。


「貴方、今すぐこの学園からでていきなさい」

「――は?」


 完全に理解できなかったので、思わず素で返してしまった。

 視線に苛立ちが交じる。

 うん、流石にこれは私の礼儀がなっていなかったね。

 だから落ち着こう、君たち。


「貴方の存在が、この学園にとって何一つ益になっていないのは貴方も気づいているでしょう?」

「……」

「役立たずであると解っていながら、どうしてこの学園に平気で在籍できているのかは、私も理解しかねますが」


 前提がおかしいぞ、アマネティさん。

 どうして私がそんな卑屈な態度で学園に通わなきゃいけないんだ。


「――呪われ子のくせに」


 あ、まずい。


「恥ずかしいと思わないのかしら? 生きていることに対して申し訳ないと思わないのかしら? 貴方みたいな呪われ子が生きているから、今もあの方や、多くの騎士たちが頭を悩ませているのでしょう」

「……アマネティさん」


 私は、朗々と口を滑らせる眼の前のご令嬢に、努めて冷静に声をかける。

 だけどこの人、話なんて聞こうともしない。


「存在価値のない虫けらに、私の言葉を聞くという栄誉すら与えているのに、何が不満なの?」

「ですから、アマネティさん。そこまでにしてください」

「発言を許した覚えなんてないわよ!」


 ぴしゃり、とアマネティさんは凄んでくる。

 けれども、ああダメだ。

 それは逆効果だ、アマネティさん。

 むしろ周囲のそれらは、いよいよ彼女が私を害そうとしていると判断してしまった。

 なにせアマネティさんは、私に手を上げようとしているのだから。


「この、亡霊公女の分際で!」

「近づかないで!」


 私は叫ぶ。

 私は基本的に、それらとは友好関係を結んでいるけれど。

 それらの行動を束縛しないようにしている。

 けれど、だからといってそれらが人を傷つけて欲しいとは思わない。

 だからそれらが害そうとしている――私に攻撃している側の人間に私は声をかけるのだ。


「解っているなら、それ以上近づかないでください。亡霊公女なのですよ、私は」

「……ふん、それが何? 私はそんな噂、恐れないわ」


 言って、一瞬だけ止まったアマネティさんはこちらに近づいてくる。

 ああこれは……もうダメだな。


「ほら、そんな噂、単なる噂でしかな――」


 そして、私の眼の前に付くと。

 途端にその顔を青白くさせていく。


「な、何? 何かいるの?」

「言ったではないですか、亡霊公女だと。……これまで、何度も同じことは起きていたはずですよ」

「う、うそよ、うそ。だって、だって……ああああああっ!」


 途端、アマネティさんは走り去ってしまった。

 取り巻きたちは置いていかれて、どうすればいいのかと困惑している。

 流石に、彼女たちまで退かすのは面倒だし、何よりそれらが殺気立っている。

 これ以上、ここで読書はできそうにない。

 ああまったく、貴重な休み時間をこんなことで浪費させられるなんて。


「もういいから、あの子達は何もしないよ」


 私は、立ち上がってそう声をかけながらその場を立ち去る。

 アマネティさんが走り去った方とは正反対の方向へ。

 私の言葉に困惑しながらも、取り巻きの令嬢たちは何も言わずに見送る。

 やれやれ、とため息を吐きながら。

 私は改めて、それらに声をかけた。


「……もう、あんまり驚かさないでよね、亡霊さん」



 ◇



 亡霊公女の呼び名は、幼い頃から私に対して囁かれ続けた蔑称だった。

 曰く、私には亡霊が憑いている。

 曰く、私は亡霊を使って他者を呪っている。

 曰く、私に近づけば不幸になる。


 口さがない、他愛ない噂と笑うものもいた。

 けれど、実際の所、多くのものがそれを信じて私を遠ざける。

 なぜか?

 理由なんて単純だ。


 それがすべて事実なのだから。


 もちろん、細かいところは異なる。

 私は亡霊で他者を呪ったりなんかしない。

 単純に、私を害そうとした連中が、勝手に亡霊の悪意で倒れてしまうだけだ。

 私に近づけば不幸になるというのも、それは悪意を持って私に接する者だけ。


 ただ、一つだけまごうことなき事実も存在している。

 亡霊が憑いているというのは、本当だ。


 幼い頃から、私には亡霊と呼ばれる存在が視えた。

 それは死者の魂、否、死んだものの想念の集合体だ。

 人が死んだ後に幽霊となってこの世を彷徨うというのは、お伽噺の話であり真実でもある。

 ただし、魂がそのままの形で残ることはない。

 残るのは、その痕跡。

 言う慣れば、中身がこぼれ落ちたカップの中に残った水滴。

 けれども、それらは集まればまたカップの中を満たすだろう。

 その満たした中身こそが、亡霊の正体。

 つまり、複数の死者の魂が寄り集まった存在、それが人々の言う幽霊の正体である。


 それが、私には視えていた。

 そこにいるのだという、確固たる確信を持って。

 死者というのは寂しがり屋だ。

 何せ誰からも気づいてもらえないのだから。

 だから、死者の見える人である私を、彼らはたいそう気に入ったらしい。

 結果として私の周りには亡霊が集まり――結果として、私は亡霊公女なんて呼ばれるようになってしまった。


 ただ、ハッキリ言って。

 私はそれを受容している。

 何故かって?

 だってそりゃ、その方が私の周りに人が寄り付かないから。

 昔から、私は人が嫌いだ。

 家族も、従者も、すり寄ってくる連中も。

 だったら、人なんて寄り付かない方が良い。

 亡霊公女の方が、都合がいい。

 だから私は亡霊を側に置いて、人を遠ざけるのだ。

 それで、今までは上手く行っていた。

 だというのに、何なのだ、あの人は。

 ぬけぬけと私の懐に潜り込んできて、嫌がるこちらを気にする様子もなく声をかけてくる。

 ああ、本当に。

 気に入らない。

 何のつもりなんで私に声をかけてくるんだ、殿下は。



 ◇



 殿下との出会いは、そんなふうにアマネティさんを撃退した直後のことだった。

 放課後、特にやることのない私は図書館で本を借りて、寮に戻る。

 その帰り道に、そいつはいた。


「ヴィクス殿下、もう戻られたのですね?」

「お会いできて光栄ですわ、ヴィクス殿下」


 人だかりに埋もれている。

 というよりも、人の波を率いているというべきか。

 ”彼”を取り囲む子女たちを、なだめるように相手している。

 子女たちの言葉から、彼が誰であるかはすぐに分かる。


 ヴィクス殿下。

 我が国、ハウロ王国の第三王子。

 長身、黒の髪。

 それから……特徴的な、狐のような目。

 人を見透かすような笑みを貼り付けて、殿下は彼女たちの相手をしているようだ。


「ヴィクス殿下、殿下はなぜこのような場所にいらっしゃるのですか?」

「――単純な話ですよ。人を待っているのです」


 軽やかな、けれどもなんというか――


「――胡散臭い声」


 思わずぽつりと、私はそう零す。

 無論、私は彼から遠く離れた場所にいて、声なんて聞こえようもない。

 だから特にそのまま、意識せず私はその場を後にしようとする。

 あんな目立つ人類と同じ場所にいるつもりはない、少し危ないけれど遠回りをしてでも帰ろう。

 幸い、人さらいとかそういう類からは亡霊たちが絶対に守ってくれる。

 少々の遠回りくらいはいつものことなので、亡霊たちも諦めた様子で何も言わなかった。

 が、しかし。


 ――目があった?


 ふと、私は思わず殿下の方を見る。

 子女たちに囲まれた殿下が、一瞬こちらを見たような気がしたのだ。

 いや、まさかな?

 亡霊たちは何も言わない。

 もともと、亡霊に意志のようなものはない。

 諦めた様子というのも、私がそう感じているだけだ。

 いやそれでも、一つだけ亡霊たちが明確に発する感情がある。

 敵意だ。


「可笑しいな、亡霊が敵意を見せていない?」


 普通、ああいう見知らぬ存在が近くにいたら、多少なりとも敵意を感じさせるはずなのに。

 無論、それで他人を害するということもないが。

 だからこそ、亡霊から敵意を感じないことは違和感なのだ。

 そして、その違和感を肯定するかのように。


「失礼、待ち人が来たようです」

「そんな、言ってしまわれるのですか?」

「ふふ、皆さんとお話する機会は、きっとまたあるでしょう」


 そう言って、殿下は自然な様子で周囲の連中を引き剥がす。

 ……え? 待ち人が来た?

 いやちょっとまて、今このあたりには、殿下と取り巻きと……それから私しかいないんだが!?


「え、待ち人って」

「嘘でしょ――?」


 そうだそうだ、今回ばかりは私も取り巻きのご令嬢と同意見だ。

 しかし、無常にも殿下はこちらへと歩み寄り――



「――お待たせいたしました、ルヴナ嬢。少し、お時間をよろしいでしょうか」



 私に、声をかけてきやがった!


「殿下が、あの亡霊公女に……用事!?」

「ありえないわ……だって、あんな陰気臭い女に……」


 ええい、そんなの私も同感だって。

 厄介事になんか巻き込まれたくないのに……ああいやでも。


「……ええと」


 ふと、私は周囲の亡霊たちが、今も未だおとなしいことに気がつく。

 普段はやめてと言っても止まってくれない、意志なんてものはない悪意に対するカウンターのような存在が。

 一切、反応していない。

 つまりこの殿下には、私に対する悪意は欠片も存在していない……?


「はい、何でしょう。ルヴナ嬢」


 ああ、顔が、顔が近い。

 なんだなんだ、一体何だって言うんだ。

 私は自慢じゃないが、悪意に対してはそれなりに強い自信がある。

 物理的にも、精神的にも。

 ああ、だけど。



「……亡霊公女の私に何の用でしょう、殿下?」



 こういうのは少し、困る。



 ◇



 アレから、取り巻きになっていた子女たちをうまい具合に殿下が返して。

 私と殿下は二人で話をしていた。


「まずは、急な来訪を詫びさせて頂いてもよろしいですか? ルヴナ嬢」

「いえ……あの、まずその……嬢、というのは止めていただけませんか? 少し、気恥ずかしくて」

「では、ルヴナ……と。よろしいでしょうか」


 ……よろしくない。

 ハッキリ言って、めちゃくちゃよろしくない。

 殿下から呼び捨て? 一体どういう関係なんだ、私と殿下は。

 今更悪意で噂をばらまかれても気にすることはないけれど、好色な話題の種にされるのは困る。

 でも、嬢というのは論外だ。

 なぜか、こう……怖いから。

 呼び捨てで呼ばれるより、もっと怖いから。

 何を考えているかわからない殿下が、更に何を考えているかわからなくなるから。


「……わかり、ました。ですがその、私は単なる伯爵令嬢の身ですのであまり人前で名前を呼ばれると……」

「もちろん、下手な噂は流させませんよ。ただ、個人的にはある程度そういった噂は合ったほうがいいと、僕は思いますけどね」

「何故です?」

「亡霊公女……その名前は、あまりにも学園の中で孤立しすぎています。貴方はその亡霊に、多大な信頼を寄せているようですが……それだけでは、まずいかと」


 ふむ。

 王立学園に入学してからはや三ヶ月。

 今まで一度として学園に顔を出したことのない殿下にすら、話が広がっている当たり。

 確かに、私の悪名は少しばかり広がりすぎたきらいがある。

 亡霊たちがいれば、私個人の身は守れても。

 それだけではすまない場合がある、か。

 もうあの、家族と呼びたくもない家の人達に害が及ぶのは別に気にならないけれど。

 コンスティ家そのものに傷が及ぶのは、困る。


「……わかりました。でも、加減はしてくださいね。少なくとも先程のような」

「おっと、怖いですね。ですが解りました。しかし珍しいですねぇ。ああいう特別扱いを、好まない女性はいないと思うのですが」

「私は普通ではないのです……亡霊公女ですよ?」

「そうですね、失礼いたしました。では……僕に関して、改めて自己紹介でも」

「……必要ありません」


 流石に、それくらいは私でも知っている。

 ヴィクス・ハウロ第三王子殿下。

 このハウロ王国の第三王子にして、神童と名高い天才だ。

 剣も、魔術も、扱わせれば一瞬で達人の域にまで到達するという才覚。

 当然、勉学に置いてもそれは発揮され、確か今年の入試では問答無用の首席だったはず。

 それに加えて、美貌も冴え渡っていると来たら。

 現在、この王立学園で彼の存在を知らぬものはいないだろう。


 王立学園は貴族の子息が通う学校で、一定の年齢に達すれば必ず通う必要がある。

 私のような鼻つまみモノですら、律儀に入学の案内が届くくらいなのだ。

 王子殿下だって、それは変わらない。

 ただ彼の場合は、すでに兄たちの手伝いとして公務に携わっている。

 この三ヶ月、入学式に新入生代表として挨拶をしていらい、学園でその姿を見ることはなかった。


 ――そんな殿下が、一体私に何のようだというのだろう。


 ハッキリ言って、異常だ。

 三ヶ月顔を見せていなかったということは、今日始めて学園に彼は足を運んだはずなのだ。

 それなのに、最初にやることが私への挨拶?

 馬鹿げている、冗談もほどほどにして欲しい。

 仮に私に一目惚れしたとして、この王子が。

 そんな直接的行動に出るとは思えない。

 つまり――


「では、僕のことはヴィクス、とでも」

「――殿下」

「おっと、何でしょう?」

「何の御用ですか? 本題に入っていただけると助かるのですが」


 つれないですね、と殿下は肩を竦める。

 そりゃそうだ、だって殿下胡散臭いんですもの。

 なんというか、存在が。

 ただそこにたっているだけで胡散臭く感じるって。

 失礼ながら、すごい人だ。

 そう感じてるのは私だけ? そうかもしれないけど。


「では早速ですが、ルヴナ」

「はい」

「亡霊公女として、貴方の力を貸してほしいのです」

「亡霊公女としてですか?」


 つまり、私の亡霊たちに力を貸して欲しい……と?

 ……いや、それは不可能だ。

 亡霊は、自分のことが視えている私に対して甘いだけ。

 本来なら、誰の味方もしない存在だ。

 力を貸して欲しいと言われて、はいどうぞなんてできない。

 …………まてよ、それこそ。

 殿下が、そのことを調査してないとは思えない。


「私の……霊魂が見える力を貸して欲しい、と?」

「流石、聡明ですね。ええ、貴方にはある霊魂の存在を追ってほしいのです」


 私は私の力を隠していない。

 亡霊公女だなんだと言われるが、その本質は亡霊ではなくそれを見る力である。

 霊視、と私は適当に読んでいるが……殿下はそれを目当てに、私に力を貸して欲しいと言っている。

 一体どういうことだ?


「今から少し前、とある大型の魔物が討伐されました」

「魔物ですか」

「ええ、死霊王と呼ばれる存在でして、文字通り幽霊の魔物です」


 それはまた。

 魔物というのは人類の天敵。

 それにしても、


「……王、ですか。魔物の」

「ええ、それはもう大変な討伐でした。僕のような若輩すら駆り出されるくらいには」

「ああ、それで三ヶ月も学園に顔を出していなかったのですね」

「他にも理由は在りますけどね? ともかく」


 こほん、と一つ咳払いをして殿下は続ける。

 ああうん、あんまり関係ない話でしたね。


「問題は、その死霊王を討伐こそしたものの、完全に滅ぼせたわけではないという点です」

「……それは、剣呑ではないのでは?」


 完全に滅ぼせたわけではない幽霊の魔物と、私に対する協力要請。

 正直、あまり楽しい想像はできないのだけど。


「ええ、はい。本体は討伐に成功したのですが、切り離された部分がある場所に逃げ込んでしまったのです」

「まさか学園に? どうして一体」

「魔力を求めてのことでしょう、貴族というのは魔力の保有量が他者より大きい。そんな魔力の塊が一堂に介する場所があるのです。当然、死霊王はそこを狙いますとも」

「魔力の塊て」


 なんて物言いだ。

 いや、あってはいるのだろうけど。

 とにかく、魔力の塊こと貴族の子女を死霊王が狙っているということは理解できた。


「死霊王は、人々の負の感情に取り付き、それを増幅しようとしています」

「……それが死霊王にとって好ましい魔力を生み出すから、ですか?」

「詳しいですね。ええ、魔力は人の精神から発生します。そして、負の感情に染まった魔力は死霊王にとってはごちそうです」


 まぁ、私だって魔術にはそこそこ心得があるからな。

 とにかく、話の概要は解ってきた。


「しかしそれなら……どうして私は狙われないのですか? 霊視のできる魔力の塊で、ほどほどに負の感情も溜まっていそうですよ?」

「ほどほど、でしょう。見れば解りますよ、貴方はその雰囲気に反して現状にそこまで不満をいだいていないと」


 何で解った。

 私は一人でいたほうが圧倒的に気楽だ。

 向こうから声をかけてこなくなる亡霊公女の悪名は、ハッキリ言ってありがたい部類に入る。

 あと、その雰囲気ってなんだ。

 陰気っていいたいのか? その通り過ぎるな。


「それで、負の感情に囚われた人間が死霊王に取り憑かれると、どうなるのですか?」

「負の感情だけが一人歩きし始めます」

「……生霊ですか」

「ええ、本当に察しが良いですね」


 生霊というのを、私はこの眼で見たことはない。

 ただ、概念としては成立しうることくらいは解る。

 霊というのが人間の魂が肉体を失った後の存在ならば。

 生きている人間も、肉体から魂が抜け出せば生霊になるはずだ。

 今回の場合は、死霊王が魂の一部を肉体から抜き出したということになるだろうか。


「生霊と人間の区別はつくのですか?」

「昼の間はつきません、生霊が動き回っている間、元の人間は意識を失い倒れていますし」

「昼の間は、元の人間として負の感情だけで構成されている人間が、そこらをほっつき歩いていると」

「ええ、それは人と何ら変わらない形をしています」


 であれば、夜の間は見分けがつくのか?

 元の人間と完全に同じ形をしていたら、私だって見分けなんてつかない……。

 ああいや……私なら付くのか。


「そして、夜の間は周囲から視認できなくなる。霊だから」

「すべて合っています。いやあ、ルヴナは本当に察しがよくて助かります」

「だから私に、夜の内にそこらをほっつき歩いている生霊を見つけ出して欲しい、と」


 話をまとめよう、


「殿下は、先日討伐された死霊王の残り滓を私に探して欲しい」

「ええ、その残り滓は負の感情を溜めている貴族の子息に取り憑きます」

「昼間は違いがわからないけれど、夜なら霊になっていて私にしか視えないから解る……と」


 ふむ、と考える。


「殿下は、なにかアテはありますか? この学園、相応の数の生徒が通っていますよ」

「虱潰し……とは行かないでしょうね。ですが、ある程度当たりをつけることは出来ます」

「昼間の間に、様子の可笑しい行動を取っていた人間……ですか」

「その通り……案外積極的ですね?」


 積極的?

 バカを言わないで欲しい。

 断れるものなら、断りたい。

 でも、どう考えても拒否権なんてないじゃないか。

 殿下のお願いで。

 私にしか出来ないことで。

 しないとこの国が大変なことになりかねない。

 仮にその死霊王が魔力を蓄えて復活したらどうなる?

 こんな貴族の子供が大量にいる場所で、甚大な被害が出たら大変なことになるぞ。

 だからまぁ、断れりたいけど断れない。

 ただ、積極的に見える理由は……また別のところにある。


「違います。……心当たりがあるだけです」

「ほう」

「――アマネティ・フロスワ」


 私は、昼間に声をかけてきたご令嬢の名前を口にする。

 可笑しいのだ。

 声をかけてくるということそれ自体が。


 何故かって? 単純だ。

 同じことを三ヶ月前にアマネティはした。


「その時に負ったトラウマで、ほとほと彼女は私と関わることにこりているはずなのですよ」



 ◇



 アマネティ・フロスワ。

 まぁこいつが結構な問題児で、入学早々から周囲との軋轢を生みまくっていた。

 ただでさえフロスワ家が結構な家格の家で、入学前から取り巻きが多かったのもよくなかったかもしれない。

 別にそれだけなら、単なる学園内の派閥争いの一つ程度でしかなかったのだが。

 悪いことに、アマネティは私に手を出した。


 なんというか、同じくらいの家格というのがよくなかったのだろう。

 亡霊公女として――悪い意味ではあるけれど――自分より目立っていた私が気に入らなかったのだ。

 しかも更に悪いのは、アマネティが人前で私に因縁をつけたことだ。

 そんなことをしたら、まぁ。

 昼間に起きた出来事が、衆目にさらされるのだ。

 何だったら先程昼間の取り巻きたちも、同様に醜態を晒してしまっていた。

 思い返せばアレ、こちらを侮蔑こそしていたけれど、アマネティが立ち去った後は私に何の反応も見せなかった。

 生霊になったアマネティに扇動されてあそこまでやってきたけど、内心困惑していたんだろうな。

 アレだけ怖がっていた相手に、どうしてまたちょっかいをかけるのか……と。


「しかしそれは……逆恨みされている可能性が在りますね?」

「彼女が死霊王に取り憑かれたのは私のせいだと? 冗談はやめてくださいよ。そんなこと全然考えてないくせに」

「おや、お見通しですか」


 私達は今、アマネティの生霊が、寮から出てくるのを見張っていた。

 殿下いわく、生霊は夜になったら必ず外に出るそうだ。

 何せ夜は月が出ている。

 月は巨大な魔力の塊だそうで、死霊系の魔物にとっては最大の養分なのだとか。

 なるほど、それを誰にも見つからずできるなら死霊王が生霊を使うのも納得がいく。

 まぁ、学園には私がいるわけだけど。


「殿下なら、むしろ本当にそうならその方が効率がいいと考えそうで」

「……よく解りましたね?」

「そうであってほしくなかったですね……」


 何せ、私が周囲を怖がらせてトラウマを植え付ければ、そのトラウマが植え付けられた学生に死霊王が取り付く。

 そうなれば、発見するのももっと簡単になる。

 今回はたまたま私にとりあえず確認してみる価値のあるアテがあっただけで。

 本来ならこうも簡単に、怪しい人物を特定することは出来ないのだから。

 というかそもそも、アマネティが生霊であるという保証はない。


「ちなみに殿下は、どうして私が原因ではない……と?」

「単純です。生霊が増幅させる負の感情は、本人の中に溜まった鬱憤ですから。恐怖を通り越してトラウマになっている貴方のことは、鬱憤と呼ぶには弱いでしょう」

「その割には、私のところに文句をいいに来ましたけどね」


 ただまぁなんとなく理由はわかる。

 生霊が鬱憤を溜めているということは、それを晴らしたいと考えても不思議ではない。

 だとしたら、生霊は攻撃しやすい相手を選ぶだろう。

 それが私だ、常に一人で周りに味方もいないのだから。

 ただ不幸なことに、鬱憤だけでできている生霊は私に対するトラウマを忘れてしまっていたんだな。

 まぁ、どうでもいいことか。


「……と、来ました」


 その時だった。

 私は気配を感じてそれを見上げる。

 それと同時に、私の周囲の亡霊たちもざわめき始めた。


 アマネティが、窓の外に立っているからだろう。

 立っていると言うか、浮いていた。

 アマネティの自室と思われる場所の窓からぬっとそいつは現れて、浮遊しながら移動している。

 木陰に隠れた私達に目を向けることもなく。

 どこかへ行ってしまいそうだ。


「……視えていますね、ルヴナ」

「ええ、動きも遅いですし、追えるかと」


 殿下は、流石にあの生霊は視えていないようだ。

 私が視えていると答えると、頷きながら腰に携えた剣に手をかける。

 ……剣で切れるものなのか?


「それで、生霊はアマネティさんで確定です。ここからはどうしますか?」

「まずは追いかけます、人目につかない場所……夜の校内まで移動したら、そこで仕掛けます」


 そこからは殿下が何とかするのだろう。

 私の役割は殿下をちょうどいい場所につれていくこと。

 まぁそれくらいなら、私にもできることだろう。

 面倒だが、構わない。


「……空を浮かびながら、一直線に学園に向かってますね」

「ふむ、普通に歩いていると追いつけませんね」

「いや……頑張れば追いつけると思いますけど」

「女性にそんな無茶をさせるほど、僕は冷酷じゃないですよ?」


 嘘だぁ。

 と、思っていると。

 殿下が手を差し伸べてくる。


「……あの」

「追いましょう。僕なら魔術で追いかけられますよ」

「そ、それくらいなら私だってできますから」

「危険です、僕の側にいれば守れますから」


 いやいやいや。

 何の罰ゲームだ。

 人に近づかれるだけでもストレスなのに、抱えられたりするのか?

 無理だよ絶対無理。


「役得だと思いますけどね」

「無理です! 顔がいいからって、私にはぜんっぜん役得にはなりませんから! それに!」

「それに?」

「私……亡霊公女ですよ!?」


 言って、手を差し伸べる殿下の隣をすり抜ける。

 生霊を見失っては、この役目を仰せつかった意味がない。

 というか、見失って明日またもう一回とか、勘弁極まる。


「近づけば、不幸になる、呪われる、亡霊が憑いている。その、亡霊公女です。殿下だって、私の噂くらい聞いてますよね!?」

「……ふむ」

「確かに、今回の件は断れないから協力してます。けど、そんなとこまで馴れ合うつもりはありません!」


 足早に、生霊を追いかける。

 殿下はその後を、少しだけ考えながらついてきて。

 ――私の横に、ならんだ。

 なんだ、なんなんだ、この胡散臭いキツネ目は。



「――でも、今の僕は呪われてもいなければ、不幸になっていませんよ?」



 ――――は。


「はぁ?」

「あ、その顔いいですね。余裕がなくて、僕の言っていることを理解できていないという顔です」

「あ、いや。もうしわけ――」

「謝らないでください」


 言いながら、殿下は私にあらためて手を差し伸べてくる。


「近づいたら不幸になる、でしたか。……でも、僕はこの距離でまったく不幸になっていませんよ」

「……っ」


 確かに、そうだ。

 亡霊たちは彼に何の反応も示さない。

 悪意にとても敏感な亡霊たちが、こんなにも胡散臭い殿下に全くと言っていいほど。

 私の人生で、こんなこと一度だってなかったことだ。

 だけど。


「……それを理由にするには、私はもう人との付き合いが苦手過ぎるんですよ」

「困りましたね。流石にそれは僕でもどうにも……」

「だから、放っといてください。私は、一人でも大丈夫ですから」


 そう言って、足早に生霊を追いかけようとして――


「……生霊の移動速度が上がった?」

「なんですって?」


 訝しむ様子の殿下。

 私は確かに、先程より早くなっている生霊を視界に収める。

 まずい、このままだと振り切られる。


「……殿下」

「はい?」

「乗ります」

「ええと……僕にですか?」

「はい。そうしないと追いつけないので」


 背に腹は代えられない。

 私が追いかけなければ見失ってしまう以上、私は行くしかない。

 けど、殿下が一人で追いかけることを許してくれるとも思えない。

 なら、殿下の申し出に乗っかるのが一番手っ取り早い。


「……く、くく」

「殿下?」

「あはは……あはははは、いやぁ」

「殿下、急いでください。見失ってしまいます」

「……面白い人ですね、貴方は!」


 うわっ!

 いきなり殿下は私の腰を掴むと。

 すごい速度で駆け出しはじめた。

 ――そんな持ち方をしろと言った覚えはないんですけど!?



 ◇



 殿下に、足のあたりと肩のあたりを抱えられて、私達はようやく生霊に追いつく。

 こんな場面、人に見られていたら私は死を選ぶしかないな。

 ああいやすでに殿下に見られている。

 ……まぁいいか。

 追いついたことで、私は殿下からようやく降ろされた。

 生霊から視えない位置でおろしてくれたのは、せめてもの優しさかな……。


「生霊はどうしていますか?」

「動きを止めてます。……あの状態で魔力を集めるのが、一番効率がいいのかな」


 かもしれませんと、殿下が同意して。

 私達はゆっくりと生霊に近づいていく。

 ある一定の場所で殿下が私に待ての合図をした。


「これ以上は、貴方が近づく必要はないでしょう。貴方の視線から、生霊がどこにいるのかは僕にも察しが付きます」

「ありがとうございます。でも、大丈夫ですか?」


 一応、義理として聞いておく。

 別に殿下のことを本気で心配しているわけではないけれど。

 ここで聞いておけば、殿下がどうやってあの生霊を退治するつもりなのか教えてくれると思ったからだ。


「問題ありません、この剣を使います。これは霊冥剣……ああいや、名前はあまり関係ないですね。簡単に言えば、死霊王を討伐した際にも使われた、幽霊の魔物に非常に高い効果を発揮する剣です」

「……亡霊がその剣を意識している様子がないのですが」

「当然です、あくまで魔物に反応する剣ですから。人の魂である亡霊を切ることはありませんよ」


 それに、と殿下は付け加える。

 何でもこの剣、魔力を通せば幽霊系の魔物を束縛する効果があるのだとか。

 流石に死霊王にはそこまで効果が無かったそうだけど。

 その分霊程度でしかないあの生霊を拘束するには十分だとか。


「そして、動きを止めれば後は感覚で気配を察知できます」

「……そこ、人力なんですか」

「ええ、なにか問題でも?」

「いえ……すごいなぁ、と思っただけです」


 脳筋……とか決して思っていない。

 そもそも殿下の場合は、脳筋と言うよりは効率優先って感じだけど。


「ふふ、こういう場でそういったことを考える余裕があるのは、悪いことではありませんよ」

「……何でもないですって」


 バレてるし。

 まぁいいや、私はここから生霊が移動しないかを見張っていればいい。

 危なくなったらすぐに逃げること、と殿下から言いつけられる。

 危ないのは殿下の方でしょうに。


「僕はいいんですよ、所詮は第三王子ですし。それに、今は国中に生霊がばらまかれていて、その討伐に人手を割かなくてはならないのです」

「殿下の手すら借りないといけない、と」

「そういうことです……よ!」


 言いながら、殿下は剣を抜き放った。

 勢いよく振るわれた剣から、神聖……というよりは、静謐な魔力が周囲に広がる。

 生霊を拘束する魔力。

 なるほど、確かに効きそうだ。

 亡霊には何の効果もないというのも、確からしい。

 そして、


『ぐ』


 ぼんやりと宙に浮かんでいるだけだった生霊が変化を見せる。

 なにかに縛られたかのように呻いて、顔を伏せた。


「後は、あの生霊を斬り伏せれば終わりです」

「それ、アマネティさんは大丈夫なので?」

「問題はありませんが、そもそも生霊になってしまう精神状態はケアが必要でしょう」


 そう言って、殿下は生霊へ向かって進んでいく。

 奔るというほどではないけれど、足早に。

 何かあれば、即座に駆け出せる勢いで。

 けれどそれは、そうそうに止まった。


『があああああああああああああああ!!』


 生霊が、激しく暴れ出したからだ。

 何だあれ、束縛を振りほどきそうな勢いだぞ。

 大丈夫なのか?


「不味いですね……」

「不味いんですか!?」

「死にかけの死霊王が、ああやって暴走したのをこの眼で見ました。どうやら、ここの生霊は比較的力の強い生霊だったようです」

「不味いですね!?」


 いや、それはどうしたものだ?

 というか、視えてないのにどうやって暴走してるのか解るのか。

 と思ったが、どうやら剣の魔力は周囲を淡く白く染めるらしい。

 そうなると、染まっていない部分――つまり生霊の存在が浮き彫りになるのだとか。

 私の場合は最初から視えているので、そこらへんわからないんだよな。

 ともかく。


「ルヴナは絶対にそこを動かないようにしてください!」

「あ、で、殿下!?」


 殿下が飛び出して、生霊に斬りかかる。

 生霊がもがくように暴れて、急所は外れたものの。


『い、があああああああああああっ!!』


 恐ろしい勢いで暴れる生霊。

 本気でいたがっているようにも見える。

 殿下もその様子を訝しんだのだろう、今度は切るのではなく剣で叩くように生霊を狙う。

 切りつけられなかったものの、それで生霊は少し押し飛ばされた。


『ギアああ!』


 そして、それにすら生霊は叫び声を上げる。

 どういうことだ? アレ、生霊そのものがいたがってないか?


「困りましたね」


 殿下が、そう言いながら戻って来る。

 おそらく殿下も、似たようなことを感じたのだろう。


「切ったのに、手応えがほとんどなく。だというのに生霊が苦しんでいるように見えます」

「私には生霊……アマネティさんの悲鳴がそれはもう、勢いよく聞こえてきていますよ」

「……なるほど、そういうことですか」


 どういうことだよ。

 いやまぁ、なんとなく想像はつくけれど。

 想像が付くからこそ、あまり聞きたくない。


「どうやら死霊王の欠片は生霊を人質にしているようですね」

「剣で切っても、ダメージが行くのは生霊の方、ってことですか」

「おそらく剣で生霊を切れば、先に生霊の精神が力尽きます」


 そうなると、困るのがここが貴族の学園だということ。

 平民なら、まぁそういう悲劇もあった、でこのキツネ目王子は済ませてしまうのかもしれないが。

 貴族は流石にそういうわけにも行かないだろう。


「……今、とても失礼なことを考えていませんか?」

「え? いやぁそんなことは全く」


 なんだ、ちゃんと国民のことは大事にするキツネ目だったのか。

 とはいえ、どっちにしろ貴族を人質にするのが厄介なことには変わりない。

 もしかしたら、死霊王の方はそれも狙って、この学園を標的にしてるのかもしれないな。

 まぁいいや、しかしそうなるとどうすればいいのか。


「しかしそうですね……そうなると、人間としての魂の部分を幽霊から切り離す必要があります」

「何とかならないんですか?」

「完全に一つになってしまっていますからね。いくら人間の霊は切らない剣といっても、アレでは難しいでしょう」


 なるほど。

 とすると、どうすればいいんだ?

 どうやら殿下の方も手詰まりのようだ。

 そりゃあ死霊王の方はあの生霊を手放すつもりもないだろうし。


「生霊の方から離れてくれたらいいんですけどね」

「……ふむ」


 と、そこで何やら気づいた様子の殿下。

 え、その方法ありなの?


「行けるかもしれません。死霊王は生霊を捕まえておきたいでしょうが、生霊はあくまで負の感情を囚われているだけに過ぎません」

「本人が捕まってる状態を嫌だと思ってないから、受容してるだけだと?」

「そういうことです。なので……生霊側が今の状態を嫌だと思えば、死霊王から逃れられるかも」


 ふむ、そういうことなら。

 私にできることはあるかもしれない。


「だったら、私がやります」

「……ルヴナがですか? 無茶ですよ、そもそも貴方はこれ以上ここにいる理由もないのですから」

「私にできることがあるんです」


 それは、昼のことだ。

 アマネティは私にちょっかいをかけて、そして逃げ出した。

 どうして?

 亡霊に曝されたからだ。


「あの生霊は、私の亡霊たちの影響を受けます。他の人間と変わらずに」

「……それによる恐怖で、生霊を死霊王の下から追い出すということですか?」

「はい」


 私の言葉に呼応するように、亡霊たちがうごめく。

 明らかに、あの生霊に対する敵意のような感情を向けていた。

 流石にこれなら、殿下も私の周囲にいる亡霊を察知できるだろう。

 少しだけ冷や汗を流しながら、それでも退くことはなく、私の方を見た。


「……本当に、可能なのですね?」

「可能です。実際に、実証しましたから」


 そう言って昼の出来事を話すと、一つだけ殿下は息を吐いて……ようやく一歩、退いてくれた。


「解りました。ですが、僕も一緒に行きます」

「だめです。亡霊の悪意は指向性がありません。近くにいたら、殿下も……」

「貴方を守れる位置につく、という意味です。もちろん、影響は受けるでしょうがこの程度なら」


 どうやら、これ以上退いてくれるつもりはなさそうだ。

 私としても、生霊の方はともかく、生霊が逃げた後どうなるかまではわからない。


「……それに、ここまでのやり取りで貴方のことがなんとなくわかってきました」

「恐縮ですね」

「ええ、本当に。……行きましょう」

「はい」


 そうして、私の周囲を漂う亡霊たちが、一斉にうなりを上げる。

 それは私にしか感知できないが、周囲がこの世のものとは思えない雰囲気に変化している。

 剣の放つ静謐な魔力も相まって、この場所は完全に生者の土地ではなくなっていた。

 私は、覚悟を決めて前に出る。

 生霊の元へ向かっていくのだ。


「……さて」

『…………のよ』


 そして、いよいよ亡霊が相手を攻撃し始める範囲に入ろうかというところで。

 声がした。


『……どうして、誰も何もしてくれないのよ』

「うん?」

『私は何も悪くない! 私は何もしていない! なのに誰も、私を助けてくれないのよ!』


 アマネティの生霊が、血走った視線をこちらに向けた。

 生気のない顔。

 生きていながら死んでいる。

 まさしく生霊の顔だ。


『私は伯爵家の令嬢なのよ!? だったら、何でも与えられるのが普通じゃない! 父様も母様も、私は何もしなくていい、ただそこにいるだけでいいと言ってくれた! なのに、学園じゃ周りは何もしてくれない無能ばかり! こんなのおかしいわ!』

「うあ」

『仮に私より爵位の高い人間であっても、私の美貌を前にすれば傅くのが当然。私はいずれヴィクス殿下と婚約するの! そうして、この国の王母になるのに!』


 え? こいつと婚約?

 思わず視線を向けると、何のことだと殿下も首を振った。

 まぁ、こんな錯乱状態なら妄言の一つもでてくるだろう、が。

 とにかく、わかった。


「それは――」

『何よ! 何よ何よ何よ何よ何よ! アンタだって何もしていないくせに! 何もできない無能のくせに! 亡霊女ぁ!』

「――アンタが何もしてないからでしょう」


 努めて無視して、アマネティに近づく。

 亡霊たちがうねり始める、殿下も少しだけつらそうだ。

 あまり、長引かせるべきではない。


「全部自分の思い通りになると思っているのは結構だけど、思い通りにするためにアンタは何をした?」


 別に、方法は何でもいい。

 勉学でも、人を魅了するための話術でも、何でも。

 なにか一つでも、自分を磨くためにやってきたのか。

 私だって、魔術の一つや二つ磨いているぞ。


「何もしていないなら、何もしていないなりの成果しか得られないのは当然のことだよ」

『ち、がう……私には何でも与えられる資格がある。だから、ただ待っているだけでいいの……!』

「なら、今から私がそこにいく。何でも与えられるってことは――」


 一歩、一歩と近づく度に。

 生霊は後ずさりしようとする。

 けれどもできない、剣の魔力は未だに彼女を束縛している。


「――亡霊だって、与えられる資格があるってことだ」

『……いや、いやいやいやいやっ!』

「与えられる資格があるってことは」


 そして、亡霊たちが彼女に飛びつく。

 貪るように、与えるように。

 死相の浮かんだようなアマネティの顔は、より一層苦悶と恐怖に歪んでいった。



「まだ、与えてくれる人がいるってことだ。そしてアンタはそれを、失ってから気付くことになる」



 家族が、周囲の人間が、そこにいるものとしてアンタを扱っている限り。

 アンタはまだそこにいるんだよ。


『い、や! いやああああああああああああああああああああっ!』


 その瞬間。

 アマネティは苦しそうにしながら消えていく。

 いや、逃げていくというべきか。

 果たして、逃げた先に救いがあるのか。

 負の感情をこうして吐き出して、前を向くならそれでよし。

 前を向けないなら、きっともうあの女に救いはない。

 まぁ、私が気にすることでもないだろう。

 そう、考えて。


「――危ない!」


 私は、眼の前にそいつが迫っていることに気付いた。

 亡霊たちをすり抜けて、こちらを一点に狙ってくる何か。

 それが”死霊王の欠片”とやらだと気づいたのは。



 殿下が私をかばうように抱えて、欠片を剣で切り裂いていた時だった。



「で、んか」

「……最後まで油断は禁物ですよ。まぁ、僕がいたのは解っていましたし、だからこそ貴方も気を抜いてしまったのでしょうが」

「……申し訳、ありません」


 思わず、視線をそらす。

 そこには、薄く細めたキツネ目を、少しだけ開けている殿下がいた。

 あの胡散臭い目つきが、やたらと精魂に見える。

 普段からそうしていたほうが良いと思う、とは流石に言えなかった。


「それにしても……」

「……なんでしょう」

「貴方は、強い人ですね」

「そんなことは……」


 ないと思います、と。

 いおうにも、先程のやり取りは明らかに女性としてどうかと思うようなものだった。

 反省、というと変だが。

 少し、気恥ずかしい。


「……とにかく、これで全部終わったんですね?」

「ええ、間違いなく死霊王の欠片は切り捨てました。生霊は……」

「あっちの方に、逃げていきました」


 寮の方角だ。

 おそらく、そのまま持ち主の身体まで戻っていくのだろう。

 明日、確認すれば解ることだ。


「でしたら……殿下」

「なんです?」

「……いい加減、離してくれませんか?」

「ああ」


 抱えられたままで、いくら何でも恥ずかしい格好だ。

 いや、自分の認識がどうとかではなく、客観的に見てね?

 殿下が私を離してくれて、私はふぅ、と息をつく。


「では、改めて――ルヴナ。ありがとうございました」

「いえ……私は私のするべきことをしたまでです」


 握手を求められたので、握手で返した。

 流石に、助けられた以上は失礼なことはできないと思う。



 ◇



 さて、これで今回の件はすべて片付いた、と思ったのだが。

 翌日、学園に登校すると、周囲の視線が痛い。

 何かと思って、少しだけ耳を澄ましたら、


『亡霊公女が、ヴィクス殿下に声をかけられていた』


 とのこと。 

 ああうん、バッチリ見られていましたね。

 明らかに奇異の視線を向けられている。

 ただ、以外なことに侮蔑とか敵意はあまりこちらに向いていなかった。

 亡霊公女の噂が、いい感じに私を悪意から守ってくれているらしい。

 それはそれとして、おそらくこの視線は暫くの間向けられ続けるのだと思うけど。


 とはいえ、殿下との一件も片がついた。

 しばらくすれば、噂もどこかへ消えていってしまうだろう。


 と、思っていたら。



「――探しましたよ、ルヴナ」



 ――――いるぅ。

 私が普段、人気を気にせず本を読むために使っている場所――先日、アマネティに声をかけられた場所――に、やつはいた。

 ヴィクス・ハウロ第三王子殿下。

 いやいやいや。


「なんでいるんですか、こんなところに」

「僕も死霊王の討伐が落ち着いて、ようやく学園に通えるようになったわけです。おかしなことはないでしょう?」

「そうじゃなくって、この場所に。というか私を探して!? どうしてですか!?」



 おやおや、と困った様子の殿下。

 いやいや困ってるのはこっちですよ。

 貴方まだ私に用事があるのか。


「どうして、ですか。……そうですね、端的に言いましょう」


 ああうん、やっぱり用事があるんですね。

 私はもはや、こっちから何を言っても無駄だと判断して殿下の隣に座る。

 ここは私の居場所なんだ、それくらいはいいだろう。



「――死霊王の欠片は、アレが最後ではありませんでした」



 と、思っていたらまた何やら厄介な話が。


「学園に、まだ死霊王の欠片が残っているのですか?」

「ええ、死霊王の気配が、学園から消えていないのです」


 気配があるということは、まだ欠片がどこかに潜伏しているということ。

 この気配が消えるまでは油断できないと。


「そして死霊王の欠片も、昨夜の一件でこちらの存在を認識し、警戒を強めるでしょう」

「今度は、簡単には見つからなくなる、と」

「はい」

「それは……まだまだ、やることが多そうですね?」


 正直、ふざけるなって話ではある。

 人の平穏な生活を返せと言いたい。

 だけど、それと同時に。

 私はあることを思っていたんだ。


「――はい、頼りにしていますよ、ルヴナ」

「…………はい」


 頼られるのは、決して悪い気分ではなかった。

 これまで、人生で一度として他人に頼られることのなかった私が。

 殿下に頼られている。

 そのことが、やはり少しだけ嬉しかったらしい。


 かくして、私は殿下と協力関係を結ぶことになる。

 亡霊公女と周囲から恐れられる私が、ヴィクス殿下みたいな人から注目を集める存在の隣に立つなんて。

 想像もできなかったことだけれど。

 まぁ、頼られるのは悪くない。

 そう、心に思うのだった。



「――ところで、ルヴナ」

「なんでしょう」

「僕はこれでも、周囲から好かれるルックスをしていると思います。ルヴナはどうして、初対面のときに塩対応をしたのですか?」

「……それ、言わなきゃだめですか?」

「はい、とても気になるので」

「いやです、とても言いたくないので」

「……では、王子として臣民である貴方に命じましょう、教えなさい」

「くっ……聞いても、絶対に怒らないでくださいね。もし仮に怒っても、忘れたことにしてください」

「仕方ないですねぇ。……どうぞ?」

「そ、その……」



「…………なんとなく、胡散臭かったからです。雰囲気が」



「……うさん、くさかったから」

「は、はい。……申し訳ありません、とんでもない不敬を」

「――――く」

「殿下?」

「くく、ははは、あはははははははははははっ!」

「殿下!? なんで笑うんですか、殿下!?」

「いえ、何でもありません、ルヴナ。あははは……」

「も、申し訳ありません」

「謝らないでください。……では、そうですね」



「改めまして、これからよろしくお願いします、ルヴナ」

「え、ええと……よろしくお願いします。ヴィクス殿下」

お読みいただきありがとうございました。

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