1-8 冒険の準備をしよう
「その……なんて名前だっけ?」
《フェンリルだ》
「そうそう、フェンリル」
《あなたわかってますの?》
「ぜんぜん?」
黒が認められるための試験とも言えるクエスト。その内容はハルコさんが逃がしてしまった【フェンリル】という魔獣の捕獲あるいは討伐であった。
「でもフェンリルってそんなに強いの?」
《当たり前よ!》
《フェンリルはフユミテュス様の守護する北の大陸に棲息する恐ろしい魔獣です。その爪は鉄をも切り裂き、その牙は鋼をも砕き、その吐息は全てを凍らせる氷の魔獣》
《そんな魔獣を転生したばかりの君一人でどうにかしろだなんて……ハルコさんはどうあっても君を認めるつもりがないんだよ》
「でも、どうにか認めてもらうしかないんでしょ?」
《それは……そうだけど》
フェンリルの恐ろしさを知っている他のフィオたちに対し、黒は全くピンと来ていないようであった。
この世界にやって来て、まだまともな戦闘はスライムとのただ一度だけ。
そんな黒がフェンリルをどうにか出来るとは思えなかった。
何にせよ、フェンリルを相手にしなければならないため、他のフィオたちはしっかりと準備を整えることを提案する。
「へえ、ここがフィオの家なんだ」
フィオたちはハルコさんの住む神域から再度転移し、自分の家へと戻ってきていた。
春の女神ハルコリウス・アヴァロンが守護する東の大陸イスティル。
イスティル大陸は大山脈で東西に隔てられており、大陸の東部側の大半を治めるのは大陸と同じ名を持つイスティル王国。
そんな広大な王国のほぼ中央にあるのがこの世界で最も栄えた街の一つである王都イスティル。フィオ・フローライトの自宅はその街の中にあった。
《まあ、基本的にハルコさんのお世話や雑用が僕たちの仕事だからここへはめったに帰っては来ないんだけど》
《にもつおきば》
王都イスティルはイスティル城を中心に東西南北四つのエリアに分かれている。
東側の城門からイスティル城まで続く東区の大通り。城門と城との中間地点にある東区広場から少し外れた住宅街にある小さな集合住宅の一室がフィオの家である。
《とりあえず、準備をすませたらすぐに出るわよ》
「準備って?」
《色々と役に立つ魔道具なんかもあるから好きなもん持ってけばええで 》
《ついでに着替えもしませんこと?》
黒は言われるがまま自室のクローゼットを開ける。そこには色違いのジャージがずらりと並んでいた。
「ジャージしかないし!」
《一応、このジャージはハルコさんが用意してくれた特別製で防御力も各種耐性もその辺の鎧などよりは遥かにありますよ》
《上着のポケットには収納魔法が付与されてるから何でも入るし、全てのジャージで収納空間が繋がってるからどのジャージのポケットからでも道具の出し入れが可能なんだよ》
「へえ、四次元ポケ」
《とっとと着替えて行くぞ》
黒はクローゼットの中から自分の名前と同じ黒いジャージを選び、今着ている白ジャージから着替える。
「うーん、魔道具って言ってもわたしにはよくわかんないや」
《まあ、魔道具はそんな使うこともないだろうから適当でいいよ》
《回復薬くらいは持って行き。クエスト中は回復魔法の使える白や青に変われへんからな》
棚にある魔道具を一通り見てみるも黒にはその使い方がわからず、とりあえず勧められるままに回復薬を適当にいくつかポケットにしまいこむ。
収納魔法が付与されているというのは本当のようでポケットより大きな回復薬の瓶さえも大きさや重さ、そして数すらをも一切感じさせずに収納出来た。
「で、次はどこに向かえばいいの?」
《そうだね……冒険者ギルドかな》
「お~、異世界っぽい!」
《まずは黒のクラスやスキルを確認しなきゃいけないし》
「クラス! それ、わたしも気になってたんだー!」
自宅での準備を終えた黒は冒険者ギルドへと向かう。
ギルドは東区広場のすぐ近くにあり、フィオの家からも目と鼻の先ほどの場所であった。
「こんにちはー」
「あら、フィオ……さん? 何か黒髪だけどフィオさん……ですよね?」
ギルドには酒場も併設されており、昼間だというのに多くの冒険者たちでとても賑わっていた。
ギルドに立ち入った黒を出迎えてくれたのは受付の女性。
金髪碧眼でスタイルの良いその女性の最大の特徴は尖った耳。
《ギルド受付のイヴ・エクセルシアさんだよ。彼女はエルフなんだ》
「おー、エルフ! ますます異世界っぽい!」
《イヴさん、今日も美しいじゃん♪ 本当ならイヴさんのために歌いたいけど、今日は黒のために我慢我慢っと》
《……いや、当然だろ》
イヴと呼ばれたエルフの受付嬢はフィオのことをよく知っているようで、黒が今まで見たことの無いフィオであることに少し戸惑っているようだった。
「はじめまして! この度新しくフィオ・フローライトの一員となりました黒です。どうぞよろしく!」
「あら、やっぱりあなたもフィオさんでしたのね。ようこそギルドへ!」
「……で、来たのはいいけどどうすればいいの?」
黒はイヴに挨拶を済ませると、彼女に聞こえないよう小声で他のフィオに助言を求める。
《ギルドカードを更新してもらうんだ》
「ギルドカードなんてわたし持ってないよ?」
《ああ、大丈夫よ。あたしたちのギルドカードはフィオ・フローライトのものとして全員で共通だから》
《黒ちゃんのポッケに入ってるよ~。ギルドカードって頭で思いながら探ればすぐに見つかるからね~☆》
「どれどれ……あった。ホントに便利だね、この四次元ポ」
《いいから》
「ギルドカードの更新ですか? 少々お待ちくださいね」
イヴは黒からカードを受け取ると何やら魔法を唱えていた。
「あれ何やってんの?」
《ギルドカードの情報を更新しているんですよ。ギルドカードには持ち主の魂の情報が刻まれています》
《どんな敵を倒して、どんな経験を積んで、どんな魔法やスキルを覚えたかとかな。そういう情報がイヴはんの魔法で新しい情報としてカードに刻まれるんや》
《オイラたちの場合、表に出てる魂の情報しか記載されないから自分の情報を確認するためにはその都度更新してもらう必要があるじゃんよ》
《……ちょっとめんどくさい》
《そして今回の目的が黒の【クラス】と【スキル】ね。それさえわかればこれから戦いやすくもなるはずよ》
「なんだかわくわくするなあ!」
「フィオさん、出来ましたよ。それではカードをお返ししますね」
間もなくギルドカードの更新が終わり、カードには黒のステータスや使える魔法などが刻まれる。黒は早速自分の情報を確認してみることにした。
「どれどれ……フィオ・フローライト。冒険者ランクB。何か低くない?」
《というかスライム一匹倒しただけでBランクは逆に高すぎるやろ! 普通Fランスタートやぞっ!》
《あのスライムどれだけチートですの!?》
《けいけんちおばけ》
「そんなもんなの? ええと、クラスクラス……あった! わたしのクラスは……召喚士?」
カードに記された黒のクラスは【召喚士】。契約した魔物や精霊、あるいは悪魔などを喚び出して戦う魔法系上級クラスである。
「召喚って召喚獣とかのあの召喚? わあ、わたしドラゴンとか喚びたい!」
《いきなりドラゴンは流石に》
《しかし召喚士ですか。契約している魔物もいませんし現状ではあまり意味がありませんね。所有スキルはどうなってますか?》
「えっと……スキルは【闇魔法】【召喚】【調教】【隷属】【鞭術】【短剣術】【双剣術】【補助魔法】【無詠唱】【魔力増幅】【魔力感知】【精神耐性】【呪い耐性】【■■■】……だって?」
スキルはクラスや本人の素養によって所有しているものは異なる。現に同じフィオであってもこのスキル構成は黒特有のものであった。
《短剣術に双剣術?》
《黒、お前剣も使えるのか?》
「さあ? わたしも知らない」
《呪い耐性って……あんた呪いのせいで死んだのに?》
《逆にそれで耐性が付いたのかもしれませんわ》
《無詠唱とか魔力増幅とか魔力感知なんかはオイラたちと共通じゃんね》
《というか黒ちゃん、最後のな~に?》
「んー、なんか黒塗りになってて読めないんだよね」
《やっぱり……【女神の加護】は無いね》
「【女神の加護】って?」
《転生者や女神に認められた者に与えられる特別なスキルです。ステータスの向上や特別な恩恵のある最上位スキルですね》
《……ちなみにフィオたちはめがみのじゅうしゃだからみんなもってる……よ》
「いいなー! わたしもそれ欲しい!」
《ハルコさんに認められれば黒もきっと貰えるよ》
「結局、頑張るしかないのかー」
黒はとりあえずカードに記された他の情報にも一通り目を通すとカードをポケットにしまう。
どうやらカードに記載されていた情報で何かを思いついたようで人知れずニヤニヤしながらギルドを後にするのであった。