始まる復讐
一人の男が剣を片手に咆哮する。その叫びは何処までも木霊するが跳ね返ってくることはない。そこは雨が降っていた。行潦には雨粒による波紋が次々と広がっている。男は自分の名前を憶えていない。しかし、その男は鬼神と呼ばれ恐れられていた。立ち振る舞いを見るに、その姿は紛うことなき鬼神。男はいくつもの返り血を浴びて黒く染まった服を着て、幾万の命を葬った剣を握りしめて屍の中に立っている。目先に映る人型の怪物を睨みつけながら。両者は燃え盛る木々を背に対峙し合っている。
「はぁはぁ…捨て駒ばかりよこしやがって。やっと姿を見せたな。化物。」
「捨て駒というより部下なんだが、まあ似たようなものか。これで望み通りこの場には私と君のみになった。それで、今回は何を聞くんだい?」
「いろいろ聞きたいこともあるが、率直に聞く。お前は何者なんだ。お前に会うと全てが鮮明に蘇ってくるのは何故だ。この力と関係があるのか!」
「その質問には答えられないな。」
「何故答えることができない!」
「今の君なら分かるだろう。以前の私も言っているはずだ。今は答えられない。今回も違うんだ。」
分かっていた。何度繰り返しても、答えられないの一点張り。
「唯一その答えを知る方法は私をーー」
「お前を殺すことだろう。」
「そうだ。でもまだ無理だよ。君はまだ私に敵わない。」
「……はぁぁぁ。」
男は乱れていた呼吸を整え一寸先を見据えた。間もなく燃え広がっていた炎は雨によって鎮火する。視界から炎が消えたのを合図に両者は構えた。男は走り出す。もう一人も走り出した。
一瞬にして両者の距離は縮まる。両者の剣は交わったと同時に黒い衝撃を周囲にまき散らす。その衝撃はすさまじく、辺り一面に稲妻のような電撃が文字通り走る。黒く光った閃光は屍の山を明るく照らした。
ただ広いこの平地では鈍い金属のぶつかり合う音と激しい呼吸の音だけが鳴り響いていた。青々と草木が生い茂っていたこの場所は戦場と化し、大勢の人間の血で赤く染まっていた。ここにあったはずの命は、立っている男と怪物の二人を除いて誰一人として起き上がることはない。紫黒の斬撃と黒紅の斬撃が止めどなく練り出される。その二色が衝突する光景は皮肉にも世界で最も美しい瞬間だった。
男から放たれる黒紅の斬撃は地形を抉り、大気ですら原形を保てないほどの歪みを見せる。一方、怪物の放つ紫黒の斬撃は黒紅の斬撃をいとも簡単に叩き伏せ、それを凌駕する。双方は次に放たれる一手を互いに先読みし合う。どちらもが追撃を繰り返し休む手を与えない。斬撃がぶつかり合い、黒い桜が宙を舞う。怪物が崖を背に追いやられる。その瞬間、黒紅の斬撃がそれを機として攻撃を畳みかける。柴黒の斬撃はそれらを相殺し押し返す。怪物は次の一手として大地を割るほどの力を込めた斬撃を放った。男がそれを防ごうと防御の構えをとるが、圧倒的な質量を持った重い斬撃は地面ごと男を遠くへ吹き飛ばした。正面から食らった男は受け身をとったが、完全には防ぎきれず肋骨もろとも内臓が潰れたことを瞬時に悟った。
片腕がしびれて両手でないとしっかりと剣を持っていられない。もう一度食らえば即死だろう。距離はある。男はできるだけ深呼吸をして呼吸を整えようとする。肺に穴が開いているのが分かる。血反吐が喉を逆流してくる。飛んでくる斬撃をかわしながら揺らぐ視線を一点に集中する。感覚を研ぎ澄ます。
次に飛んでくる一手を予想する。右か、左か、上か、下か。気を抜いてはならない。来る。次の一手が。あの構えは前に見た。迷いは無い。力を込めた足は地面にめり込み全体重を前へと移動させる。一気に距離を詰める。相打ちでもいい。自分が出せる全力をここにかけろ。左から振り出される剣よりも先に首を叩き切ってやる。
首を守ろうと差し出してきた左腕ごと全体重を乗せて切断しようとした。全体重を乗せた。乗せたのにそれはあまりにも軽かった。力が入らない。どうなっている。信念はどうした。こいつへの憎悪はこんなものなのか。思考を巡らせようとするが、思考が追いつくよりも吹き飛ばされる方が早かった。
地面を下に倒れた俺はあいつの足元に落ちているものを見た。絶望した。胴体から切断された下半身が転がっていた。あんなにも努力をして覚悟も決めて、強くなるために何でもしたというのに、あいつの足元にすら及んでいなかった。届いていたと思っていた俺はまだこんなにも遠かった。
くそがッ…。まただ、今になって鮮明によみがえってくる何度も見てきたこの光景。あと少し、あと一歩だと思っていたのにあいつには届かない。何度目になるかもわからない。これ以上どうすればあいつを殺せる。分からない。今まで考えられる方法は試したはず。なのに届かない。まるで世界が彼を生かそうとしているかのように思える。
視界が歪む。腕には力が入らない。下半身がすでに切断されていては立つこともできない。じきにやつが俺を蝕み始める。俺にはどうすることもできない。ただ淡々と死の沼に引きずり込まれていくだけ。あいつの顔を睨んだって、殺意だけではあいつを殺せない。耳鳴りが鳴り始めた。やつが来る。世界の崩壊が始まった。やつから逃げる術を俺は持たない。
「――これで何回目だろう。どこまで数えたかも覚えていないけど。特に今回は一番頑張ったんじゃないかな。ここまで来るのも一番早かったし。ただの人間なら、死ぬ運命にここまで抗おうとするだろうか。いいや、しないだろう。やはり君は特別だ。左腕も持っていかれたし、私の部下も全員殺してここまで来たんだ。でも、まだだ。まだ足りない。君はそんなもんじゃないはずなんだ。私をこえる何かがきっとある。」
何が死ぬと分かっていながらだ、そもそも俺が死ぬ前提なのか。舐めやがって。何が私を越えるだ、ふざけやがって。お前と俺とじゃ、天と地の差以上の何かがあるように思えてくる。刃は届けど力量に差があり過ぎている。言葉では言い表せなくとも感覚で分かる。あいつはそういう存在だ。腕だって偶然落せたわけじゃない。わざと俺が切るように仕向けた。俺をあざ笑うためだ。
くそが、駄目だ。頭は重いのに体は軽くなっていく。視界が狭まる。耳が遠くなる。息ができな―――
「それを見つけられるまで何度でも私を殺しに来るんだ。それが君がこの世界に選ばれた意味であり、生きる存在意義であり、宿命なんだ。君が持てる憎悪を増幅させろ。答えはその後だ。そろそろ時間だろう。君はまたこの世界を回帰する。約束通り対価は貰っていく。あとちょっとだ。私への憎悪を忘れるな。次の君はきっと何かが違う気がする。」
結局お前の正体を見破ることができなかった。この力の意味も知ることができなかった。そもそも何故、俺がここまであいつに執着しているのか、あいつに対する疑問が多すぎる。
もう何も聞こえない。何も感じない。床からどす黒い影がにじみ出てきた。時間だ。世界が暗闇に染まる。またあの日に巻き戻される。次こそは、次こそは必ずあいつを殺す。あいつへの憎しみが俺を強くする。もはや否定はしない。強くなれるのであれば、何であろうと受け入れる。どんな運命であろうと。
自分の中の憎悪がまた一回り大きくなるのを感じながら俺は、闇へと引きずり込まれる。
そして俺はまたこの世界を回帰する。