陰気な男
カース・ファントムは、しきりに周囲を見回し、
ここから脱出する方法を探している。
だが、全ては無駄である。
金剛鬼神が現世に顕現した以上、カース・ファントムの
行き先は一つだけだ。
「オン・ハンドマダラ・アボキャジャヤニ・ソロソロ・ソワカ!」
金剛鬼神の後光が強烈な光を放ち、輝く!
そして金剛鬼神は右手の『羂索』の端についている黄金の輪を
カース・ファントムへ投げた。
それは『不空羂索観音』から授かりし、『不空』の捕縛縄。
不空とは、『絶対に外れることがない』という意味。
カース・ファントムは大量の『呪いの黒炎』を羂索へ放ったが、
黒炎は全て羂索の前に、かき消された。
カース・ファントムは高速で飛ぶことで羂索を回避、
金剛鬼神の背後に回った。
しかし、カース・ファントムは信じられないものを見る。
回避したはずの羂索が自分を取り囲んでいるのだ。
そして逃げようとするカース・ファントムに羂索は巻き付き、
完全に捕縛。
そのまま金剛鬼神は、猛烈な金剛力で引っ張り、手繰り寄せた。
『不空の捕縛縄』の正体は『相手を捕らえる』という概念だ。
仮にカース・ファントムがマゼラン星雲まで
テレポーテーションできる能力があったとしよう。
しかし、マゼラン星雲まで逃げたカース・ファントムは、
テレポーテーション完了と同時に結局捕縛される。
意思に物理的な距離は関係ない。
『死』という概念が、宇宙のどこであっても
等しく存在するのと同じ事だ。
『不空の捕縛縄』からは、
どんなことをしても逃げきれないのである。
宇宙全てに意思を満たすことができるのだから。
もし、捕縛縄から逃げ切ろうとするのであれば、
最低でも『不空羂索観音』を上回る霊力が必要だ。
・・・なればこそ、『不空』。
捕縛されたカース・ファントムは必死に捕縛縄を
振りほどこうと暴れた。
「嫌だ! 嫌だ! もう地獄は嫌だぁあ!!
やめろ! やめてくれぇ!!
頼む! お願いだ!! 助けて!!
ひいいいぃぃぃっ」
カース・ファントムが悲鳴を上げる。
必死にもがくが、何の意味も無い。
金剛鬼神は、2本の『破邪の剣』を振り上げる。
「改心せよ・・・『破邪十文字斬り』!!」
2本の『破邪の剣』がうなり、光が上下、左右に走る。
その光がカース・ファントムを4つに断ち切った。
「ギャアアアアアアッッッ・・・」
カース・ファントムは十字に切り裂かれ、バラバラになる。
その半透明の体は、煙のようにぼやけていった。
ぶら下がっていた人間の肉体も、地面に落ち、急速に腐ってゆく。
金剛鬼神はそれを見届けたあと、少し後ろに下がり、
空を見ながら言った。
「お願いします」
すると、煙のようになったカース・ファントムの後ろに、
音もなく1人の男が現れた。
全身黒づくめ。陰気な顔をしている。
その男は右手を上に向けて差し出した。
カース・ファントム『だった』ものは、陰気な男の手に
吸い込まれるように集まり、黒い球となり、漂っている。
その男は、幸太郎のものとは別に、もう1つ『冥界門』を開き、
『ぽい』と黒い球を放り込んだ。
「死神様。お手数をおかけしました」
金剛鬼神は頭を下げる。
「・・・」
陰気な男、いや、死神は無表情で金剛鬼神の顔、
幸太郎の顔をじっと見ていたが、わずかに口角を上げ、
微笑むと、結局無言のまま消えていった。
「さて、後は・・・」
金剛鬼神は『病苦の瘴気』で枯れ果てた森を見渡す。
森が枯れた範囲は、
およそ500メートル近くにまで拡大していた。
草一本に至るまで枯れた景色は、まるで砂漠のよう。
「我は鬼神ゆえ、少々荒っぽいのは勘弁してもらおうか・・・」
金剛鬼神は再び『破邪の剣』を構えた。
「この地に留まる邪気を断つ! 『万象両断』!!!」
金剛鬼神は2本の『破邪の剣』を360度、一回転振るった。
ただ、それだけ。人間の目には空振りにしか見えない。
しかし、明らかな変化が起こった。
草も木も枯れ果て、まるで砂漠のようになっていたというのに、
いきなり草が生え、草原となったのだ。
古来、洋の東西を問わず、神事では歌を歌ったり、
舞を舞う、また演武などをして『邪気を払う』。
それは理屈ではなく、人間も『そうすること』が効果があると、
実際に体験しているからだ。
非常にシンプルな例を挙げると、相撲の『四股』である。
ただ、金剛鬼神は、やや不満そうな顔をした。
「む・・・今一つだな。我も、まだまだ、か。修行が足りぬ・・・」
そう言うと金剛鬼神は神界へ戻り、
幸太郎、左鬼と右鬼の3人が分かれて現れた。
ただし、幸太郎は滝のような汗を流し、
立っているのも辛そうである。フラフラだ。
「幸太郎様、ご協力感謝いたします。では、我らはこれにて」
「ありがとうございました。左鬼さん、右鬼さん。いずれまた・・・」
幸太郎は『冥界門』を閉じる。
幸太郎はバーバ・ヤーガの方を振り返り、歩き出す。
しかし、すぐに片膝をついて動けなくなった。
「ご主人様!!」
モコたちが幸太郎に駆け寄る。
「みんな無事だったか・・・? そうか、良かった。
ありがとうございます、バーバ・ヤーガさん」
「小僧も、よく頑張った。あんな高次元の神霊を見たのは、
生まれて初めてじゃ」
そう言いながらバーバ・ヤーガは幸太郎に『大回復魔法』をかける。
「・・・ふむ・・・やはり大して効果は無い、か。
小僧の状態は『魔法の使い過ぎ』と同じ状態じゃろう。
肉体ではなく、魂の方に重い疲労が出ておる」
「そんな! では、ご主人様は!?」
「案ずるな、小娘ども。ゆっくり休めば、
すぐに良くなるじゃろう」
モコ、エンリイ、ファル、エーリッタとユーライカ、
クラリッサとアーデルハイドは、ほっと胸をなでおろす。
特にモコ、エンリイ、ファルの3人は
前回の『魂に亀裂が入った』状態を思い出し、
気が気ではなかった。
「スゲエもん見れたぜ、幸太郎。また後で説明してくれよな」
ジャンジャックとグレゴリオが『ニカッ』と笑う。
「幸太郎、細かい事は後でええ。まずは村に戻って休むのじゃ」
ギブルスとイネスも幸太郎を気遣った。
そこへ、ドライアードたちが空間転移で現れた。
枯れた場所が全て草原に変わり、『森の一部』として
再び力が及ぶようになったのだろう。
「幸太郎殿、感謝するぞ。よく、森を守ってくれた。
大きな借りが出来てしまったな。
さあ、小狼族の村へ帰ろうぞ」
全員が空間転移で小狼族の村へ戻る。
幸太郎は、到着すると、そのまま意識を失って、
眠ってしまった。
そして幸太郎は、ほぼ丸一日眠り続けた。
考えてみれば、自分の実力を遥かに超える力を
自分に降ろしたのだ。むしろ、その程度で済んで幸運だろう。
いや、金剛鬼神が生身の人間である幸太郎に、
気を使ってくれたのかもしれない。