ゴブリンの巣穴 15
幸太郎は、どうしても『最初にルークたちだけ』を
巣穴へ行かせたかったのだ。
『黒フードのネクロマンサー』がゴブリンの巣穴を壊滅させたとなれば、
必ず『中はどうなってた?』と質問が押し寄せるだろう。
そもそも『巣穴は壊滅した』という情報自体が、
救出された女性たちだけでは信ぴょう性に欠ける。
調査に行った冒険者も確認し、
全滅を複数の方向から証言してこそ、
ギルドは納得するだろう。
幸太郎は、その『証言』を自分の代わりにルークたちに
やらせるつもりなのだ。
『黒フードのネクロマンサー』本人が色々聞かれると、
どこかでボロが出るかもしれない。
幸太郎はそれを避けたかったし、なにより、面倒くさい。
だからルークたち『だけ』を行かせる計画を立てた。
そう、『100%自分の都合』で!! ひでえ。
そして、この企みは99%成功するとわかっていた。
なぜなら、ルークたちが最初に巣穴へ入れば、
『見つけたものは全て自分たちのものにできる』からだ。
モコも幸太郎にはっきり言った。
所有者が死んだ場合、最初の発見者のものになると。
つまり、ゴブリンに殺された冒険者などの遺品は、
全てルークたちが所有権を得るのである。
武器や防具、装飾品や金貨なども手に入る。
面白い事にゴブリンは上位種になると、
自分では使えないのに金貨や銀貨を集める習性があった。
おまけに意味も無いのに、首飾りや指輪も身に付けている。
幸太郎に言わせれば『バカの極み』だが、
これはゴブリンに多くの邪霊が取り込まれることで、
より一層、人間に近づくのだろう。・・・邪悪で醜い部分が。
念のため『見つけたものは、全てルークたちにやるよ』と言っておけば、
安心してルークたちは巣穴へ突入する。
ルークたちが『何もいない』ゴブリンの巣穴へ
勇気を振り絞って突入。
それを幸太郎たちは『一応』心配そうに見送った。
後は待つだけだ。
「皆さん、体調はどうですか? 痛むところとか、ございませんか?」
幸太郎が救出された女性たちに微笑んで声をかける。
もちろん、体は完璧に治っているので、痛むところなど
あるはずがない。
ただし・・・『体は』である。
心の傷は大きく、深い。
ゴブリンに捕まれば、どんな酷い目に合うか。
それは女性にとって生き地獄だろう。それは幸太郎には
想像できない、そして治せない苦しみだ。
ところが、今、その苦しみを軽減できる者がいた。
クラリッサだ。
クラリッサは、救出された女性たちのそばに座ると、
リュックを下ろし、何やら木の箱を取り出した。大きくはない。
その箱の蓋を開けると、手鏡が入っていた。
そして、小さな平たい壺の中身は『口紅』だった。
この世界の口紅は、もちろん現代の日本のような
高性能のものではない。
ベニバナのように、赤い色を付ける花などを原料としている、
天然成分100%の簡素なものだ。
当然、発色も薄いし、長持ちもしない。
だが、女性たちは歓声を上げた。
鏡を見ながら小指に紅をとり、唇に薄く塗る。
さらに、クラリッサは櫛を取り出すと、
彼女たちの髪に『洗浄』をかけ、梳かし、整えてあげた。
たったこれだけの事ではある。日本の化粧品に比べれば、
まさにオモチャみたいなもの。
だが、救出された女性たちは目に輝きが戻り始めた。
少しだが、明るい笑顔も出た。
すでに顔の傷は無く、化粧が良く映える。美しい。
全ての化粧品には『あなたを笑顔に』という祈りが込められているのだ。
幸太郎は、この光景を微笑んで見つめた。
エーリッタとユーライカも優しい眼差しで微笑んだ。
だが、幸太郎の後ろでモコとエンリイは驚愕の表情を浮かべた。
((負けた・・・))
2人とも、そう思った。
何しろモコとエンリイは2人揃って、化粧品なんて持ってない。
2人揃って人外の存在、『妖怪メイクいらず』だからだ。
手櫛を少し入れるだけで十分決まる。
まさに『神は間違いなく不公平』を証明するような存在。
だからこそ、逆にクラリッサの『女性らしい持ち物』と、
心遣いに対し、言いようのない『敗北感』を感じているのだ。
そして、モコとエンリイに、さらなる敗北感を植え付ける
事態が発生した。
「そら、コウタロウ、シャツを貸しな。罠にかかった時に
破れた所を縫ってやるよ」
「え? ああ、すまない、そういえば忘れてたよ。ありがとう」
クラリッサはリュックから、小さな箱を取り出した。
その箱には裁縫道具が収められていた。そして、クラリッサは、
大きな手に似合わぬ華麗な針捌きを見せたのだ。
スイスイと縫い合わせる様子は、美技と言っていい。
器用なところは、さすがハーフドワーフといったところか。
モコとエンリイは額に汗が浮く。
(すごい、私のお母さんにも匹敵する針捌き・・・。
私も、もっと練習しとけば良かった・・・)
(針仕事に対する姿勢が全然ボクと違う・・・。
ボクの『くっつけばいいや』とは雲泥の差だよ・・・)
モコとエンリイはゴブリンとの戦いでは傷1つ負っていない。
しかし、今、2人は計り知れない大ダメージを負っていた。
これほどのダメージを受けたのは初めてである。
「ついでに、こいつも手入れしとこうかな」
クラリッサはリュックから布でできた『小さな人形』を
取り出し、ほつれた部分などを縫って直しだした。
「その人形は? 見た所、かなり年季が入ってるみたいだけど」
幸太郎から見ても、その人形は随分前に作られたものとわかる。
「これはね、かーちゃんが作ってくれた人形さ。
かーちゃんはドワーフのくせに、ぶきっちょでねー。
あたいやハイジの方が器用だったよ。
でも、今じゃこれだけが形見なんだ。
この人形はあたいの墓に一緒に入れてもらおうと思って
大事にしてるのさ」
アーデルハイドも、その光景をニコニコしながら見ている。
「そうか・・・でも、その人形には愛情が込められているのが
よくわかるよ。いいお母さんだったんだね」
幸太郎も微笑んで人形を見つめた。
クラリッサは柄にもなく照れている。
『母の形見』、それを聞いた
モコ、エンリイ、エーリッタとユーライカ、
救出された女性たちも、温かく見つめている。
しばらくすると巣穴の出口に息を切らしたルークたちの姿が見えた。
意外と早い。
走って戻ってきたということは、
何か重要な発見があったのだろう。
もちろん、幸太郎は全部知ってるが。
「幸太郎さん、一番下まで行ってきました!
ゴブリンは1匹も残っていません。
全て『黒フードのネクロマンサー』が倒していました。
最下層が、スゴイんですよ! 一緒に来てくれませんか?」
ルークたちが興奮して早口でまくしたてる。
「早かったね!? もう戻ってくるとは思ってなかったよ。
最下層に何かあったのかい?」
「一番下は、ゴブリンどもの死屍累々です。
すごく気持ち悪くて。
でも、確かに聞いた通り、ゴブリンの上位種が何体も死んでます。
できれば、C級のエンリイさんに鑑定して欲しいんです」
幸太郎たちは顔を見合わせて、お互いにうなずき合った。
「わかった。こちらの女性たちも完全に治ったようだから、
俺たちも行くとしよう」
これも予定通りである。行った事も無いのに、
うっかり最下層の様子をしゃべってしまわないよう、
1度は行っておく必要があった。